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3 アカツキの誘い

 夢を見た。子供のころの夢だ。

 いまでこそこんな風にガサツなオレだけど、これでも昔は普通の女の子だった。そりゃぁ、部屋で人形遊びをするより外で泥んこ遊びをする方が好きだったけれど、それでも普通の女の子だったんだ。


 オレがこんなふうになったきっかけは……たしか、小学校五年生の頃だったと思う。理由はなんだったか覚えちゃいないけど、クラスメイトの男子と取っ組み合いの喧嘩をしたんだ。もちろん、喧嘩をしたことに後悔なんてしてないし反省なんてするはずもない。だって、オレは間違ったことをしていないのだから。反省と言う言葉が出る理由すらない。


 そんなろくに覚えちゃいない喧嘩だけど、一つだけはっきりと覚えていることがある。『女のくせに』という涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった悪ガキが放ったフレーズだ。


 オレは差別は嫌いだ。明確な理由なく物事を嫌うのが嫌いだ。

 もちろん、明確な理由さえあればだれが何をどう嫌おうと勝手だと思う。それは差別じゃなくてむしろ区別というくくりになると思っているからだ。それは純粋な感情表現としては当然のことだし、きっちりとした理由があるのだから、それが理不尽ってわけでもない。


うん、はっきり言おう。オレは明確な理由さえあれば物事をどこまでも嫌うことができる。そしてそれを許すことができる。その理由だって、オレが明確だと認めればなんでもいい。


 さて、そんなオレにとってこの『女のくせに』という言葉は差別に当たるものだった。このフレーズは使いどころによっては差別でも何でもない普通の言葉だが、確かにその場面ではどうしようもなく理不尽で、紛れもない差別だったんだ。


 知らず知らずのうちにオレは女らしさを捨てていった。

 キャップ野郎じゃないが、そう言うやつらとまともに喧嘩するにはオレがそいつらにあわせてやらないといけない。女だから人を殴っちゃいけないなんて法律はないし、女だから女らしくしろという法律はない。それでも、女らしさを捨てなきゃそいつらと喧嘩は出来なかったんだ。

 

 女らしさを捨てると、回りもそんなフレーズを使うことが少なくなった。そりゃそうだ。もともとガサツっぽいのに女らしさを求めるのが間違いってもんだ。もともと女子同士の陰険な関係が気にくわなかったもんだから、気づけばそれが普通になっていたんだ。


 気にくわねえことやむかつくことには反抗の意思を貫き通す。やりたくもないことをやるのはまっぴらごめん。変な衝突も多いけど、こういう生き方は気持ちがいい。


 だいたい、自分で言うのもなんだがオレは品行方正だ。オレが間違っていると思うことは純然にみて間違っていることも多い。みんなが『これくらい悪くない』と思っていることでも悪いもんは悪いんだ。アレだ、オレはみんなが信号無視してる道路でもきっちり信号を守るタイプなんだよ。







「……んぅ?」


 ぼやけた視界。ふわふわとした頭。昭和の匂いがぷんぷんする電球の下。朦朧とする意識がどこか心地よく、まどろみに身を任せてしまいたい気分。

 ぼーっとした心地でふと視線をずらせば、そこにあったのはボロい襖と年代物のテレビ。その隣には小さな金庫に正方形の小型の冷蔵庫。ヴヴヴ、と奇妙な駆動音を立てている。


「……?」


 意識が少しずつ覚醒してくる。どうやら、ここはどこぞの民宿か何かのようだ。ばーちゃんちみたいな畳に押入れの匂いのする布団。安いところなのか、この布団はぺったんこで全然ふかふかしていない。なんかすーすーして寒いからぎゅっと抱き寄せて頭からひっかぶる。枕もぺったんこで味気ねぇ……ってか、オレ、いつの間に寝入っちまったんだろう?


「……!?」


 いやいやいやいや! ちげぇだろ!? そうじゃねえだろ!? なんでオレはこんなところにいるんだよ! オレは確かアカツキに捕まって、捕まって……それからどうなったんだ? 記憶がぷっつりと途絶えてやがる。


 周囲を見回す。人がいた形跡はある。が、アカツキはいない。逃げ出すのなら今だ。ここがどこだか知らねーけど、ひとっ走りして交番に駆け込めばそれで終わりだ。さっさとアカツキを豚箱にブチ込んでもらおう。あいつは女子高生に暴力と誘拐をやらかしたんだから。

 布団から身を起こし、立ちあがろうとしたところで部屋のドアが開いた。


「ん? もう目覚めたか。一晩かかると思ったが、無駄に丈夫だな」


「……アカツキ!」


 ホカホカと体から湯気を出し、浴衣を着こんだ眼つきの悪い男。黒ずくめじゃないしサングラスも外してるもんだから一瞬誰だかわかんなかったが、このむかつく声は間違いなくアカツキだ。野郎、のんきに風呂に入っていやがったのか!


「てめぇ、こんなことしてタダで済むと思ってんのか? すぐに警察よんで豚箱行きにしてやる!」


「やれるもんならやってみろよ。おまえ、こんな真夜中に素っ裸で外を走るのか?」


「……へ?」


 言われてはっと気づく。さっきからなんかすーすーして寒いと思ったら……オレ、素っ裸だ。制服も、シャツも、靴下も、下着だって付けてない!


「きゃあっ!」


「んだよ。こういうのだけは女らしいのな。あのキャップもそういう声を聞きたかったろうに」


 慌てて薄っぺらい布団を全身に巻きつける。そのまま尻でずりずりと布団ごと後退して壁際へと退避する。できるだけこいつと距離を取りたかった。


 アカツキは悠々と座ってテレビをつける。ばちん、と変な音がしてニュース番組が映った。隅に表示されている時刻は夜の十一時になっている。


 あれ、ちょっとまてよ。今、夜だよな? オレ、裸だよな? こいつ、風呂に入ってきたんだよな? つーか、こいつが、オレの、服を……脱がしたんだよ……な?


「お、おまえオレに……な、なにしたんだよぉ……っ?」


 最悪の想像をする。オレだって女だ。何か根源的なおぞましさが体中を駆け巡り、意思と無関係に体がぶるぶる震える。声だってかすれちまった。認めたくない事実にわかりたくない現実。確かめたくとも、体が言うことを聞かない。


「……そんなに震えるんじゃねえよ。俺が悪者みてえじゃねえか」


「うっさい! うっさい! このバカツキ!」


枕を投げた。かわされた。


「おーおー、いっちょまえに涙目になりやがって。……安心しろよ。俺はお前みたいなガサツで乳臭いガキに興味なんてもたねえよ」


「……うぇ?」


「なんともないだろ、体。怪我もねえし」


「ホントだ……」


 そう言われてみれば体のどこにも異常はない。おまけに、キャップ野郎との戦闘で負った傷も綺麗さっぱりなくなっている。切り傷擦り傷、さらには炎のブーメランを受けた背中の火傷もなくなっている。つるんとして滑らかなオレの健康的な肌だ。


「でも、おまえオレの裸見たろ! なんで全裸なんだよオレ!」


「あの焦げた制服を着せたままにするわけにはいかねえだろうが。治療だって出来ないしな。服はここについてから仲間が脱がせたんだよ。それにさっきも言ったが、お前の裸みても俺にゃなんの得にもならねえ」


「誰がやったんだ!? 男か!?」


「いや、女だ。傷を治したのもおまえの服を脱がせたのもな」


 傷を治す──おそらくトリアルだろう。一瞬アカツキの能力かと思ってカマをかけたが違うらしい。まぁ、こいつに仲間が二人いるってのだけでもわかったんだ。よしとしよう。


 アカツキはテレビを見ながらめんどくさそうに隅に置いてあった紙袋を放ってくる。

反射的に受け取るとぼふんとした手ごたえ。さっきオレが投げた枕よりも随分重い。中に入っているのは……衣服と、下着か?


「俺は飲み物買ってくる。それまでに着替えとけ。借り物もいくつかあるから汚すんじゃねえぞ。ああ、風呂はもう閉まったから今日は諦めろ。……話があるから、逃げんじゃねえぞ」


 そう言ってパタンとドアを開けてアカツキは出ていき、部屋には紙袋を抱きしめたオレだけが取り残された。テレビの中で禿げたニュースキャスターが盗難事件の報道をしている。小学校で児童の体操服が大量に盗まれたらしい。変態はどこにでもいるもんだ。





「ほお。言われたことを守るだけの頭はあるんだな」


「うっせぇ」


 紙袋に入っていた水色のパジャマを纏ったオレは、そのまま大人しくアカツキが来るまで部屋で待っていた。こんな夜遅くだし、ここがどこだかもわからない。携帯だってぶっ壊れてそのままだ。アカツキは危害を加えるつもりはなさそうだったし、下手に動くよりかは大人しくしておいた方がいいと思ったんだ。


「オレンジとコーラ、どっちが好きだ?」


「……コーラ」


 アカツキが買ってきたコーラを受け取る。ひやっとした感覚が気持ちいい。さっきまで忘れていたが、喉がすっげえからからだったんだ。

 ぷしゅっとあけて、ぐいっとあおる。最高のぜいたくだ。そのまま一気に飲み干す。やっぱコーラはうまい。どこで飲んでも変わらない品質で当たり外れがない。


「メシはねえのかよ。腹減ってんだけど」


「贅沢言うんじゃねえよ。売店ももう閉まってんだ。ちょっとくらい我慢しろ」


 そのままどっかりとアカツキはテレビの前に座り込んだ。オレンジの缶を開け、ちびちびと口をつける。風呂上がりだからさぞやうまいことだろう。ああ、オレもシャワーでいいから浴びてすっきりしたいもんだ。


「で、話ってなんだよ。オレを連行することについてか?」


「ああ、その通りだ」


 やっぱり、こいつはオレを連行するらしい。犯罪だけは犯さなかったのに、とうとうオレは前科アリになっちまうみたいだ。ひょっとしてコーラもムショ行きになるオレへの最後の晩餐ってやつだったのか?


「でも、連行するったって警察がこのこと信じるはずがねえだろうよ」


「あ? なに勘違いしてやがる。俺が警察に連れていくっていつ言った?」


「違うのか?」


 アカツキはけだるそうにテレビのチャンネルを変えた。この時間はニュースばかりで面白い番組は何もやっていない。やがて諦めたアカツキは元のチャンネルに戻す。やっぱり禿げ頭のニュースキャスターがうるさく喋っていた。

 アカツキはオレへと向き直り、まっすぐと見つめてくる。


「俺はDWC社の社員だ。連れていくのはDWCの本社だよ」


「なーんか、どっかで聞いたような……?」


「常識ねえな、おまえ」


「あいにく、常識って言葉が大っキライでね。で? そのナントカ社がなんだってんだ?」


「……DWC社は一流企業だ。テレビのCMなんかでもよくやってるだろ」


「……ああ! そういやちょくちょく聞くなぁ!」


 ちょっと前にもなんかの製品の番組でみたような気がする。たしか、いろんな分野に手を出している巨大企業だったか? 日常のありとあらゆるものにDWC社の製品が使われてるらしいってのを聞いたことがある。


「ってことは超一流のエリートってか? ヤクザじゃなかったんだな」


「うるせぇ。……DWC社は表向きは普通の企業だが、その実態はトリアル保護管理機関だ」


「え?」


「だから、トリアルの面倒見たりトリアルのもめ事を解決する組織なんだよ」


 DWC──正式名称Delivery Word Corporationは普通の企業の皮をかぶった秘密組織らしい。アカツキはその社員、すなわちそれの構成員なんだそうだ。あれ、でもそれって裏組織ってやつじゃねーか。ヤクザとたいしてかわんね―じゃん。


「つっても、社員全員がそのことを知ってるわけじゃない。知っているのは社長を含めたごく一部の人間だけだ。特別活動課っていうのがあってな。俺はそこに所属している。

 この特別活動課に所属している人間がトリアル対策を受け持っているんだ。構成員にもトリアルが多い」


 アカツキはつらつらと説明していく。変なブーメランを出すキャップ野郎と戦ったり、能力に目覚めたり、あげく一流企業が秘密組織だっただなんて今日は驚くことがいっぱいだ。


「俺は主に実動員として動いている。あちこち回ってトリアルを探し、連絡を受けたら現場に直行して事件の解決を図る。で、そのトリアルに接触し、問題がなければ軽い検査と登録だけしてもらい、問題があれば力づくで連行する」


「今回はキャップ野郎だったんだろ? オレ関係ねーじゃん」


「大アリだッ! てめえみたいに一時の感情に任せて力を使うやつがいるから俺の仕事が増えるんだろうがッ!」


 アカツキが目をかっと開いて怒鳴る。うん、実にオレ好みのいい顔だ。ざまあみろ。


「で、オレは問題ありのトリアルなんだろ? さっさと本社なりに連れてけよ。前科がつかねーんだったらどうでもいいや」


「おまえと喋ってると全然話が進まねえ……」


 アカツキはオレンジジュースをぐいっと一気に飲み干した。そしてそのまま、その缶を部屋の隅にあったゴミ箱に投げ入れる。狙いたがわず、それは吸い込まれるようにしてゴミ箱へと落ちていった。


「まあいい。話を戻すぞ。この特別活動課なんだが、今現在実動員が少なくて正直かなりきつい状況にある。仕事が多すぎて手がまわんねえんだ。

 トリアルってのはだいたい都市伝説や異常現象といった形で噂になることが多い。キャップの場合は不良狩りと謎の発火現象だったな。俺達はそういった噂からトリアルを探しているんだが、正直なところ全部の噂に手をつけていられねえんだ」


「そりゃ、噂なんてごまんとあるから当然だろ?」


「ああ。おかげでみんな忙しく働いている。おまえを治療したやつもおまえを着換えさせた奴もキャップの処理のためにさっさと帰社したよ。これからまた仕事だ。どんだけ大変なことか判るか? ろくでもないことをしかねないクズどものために俺らは身を削って働いているんだ」


「ああ、そりゃ大変だろうな。ご愁傷様。で、それがオレに何の関係があるってんだ?」


 さっきからぐだぐだ説明しているが、結局何を言いたいのかさっぱりわかんねえ。こいつ、人の話を聞かないで自分の意見を通すタイプだ。人の気持ちってもんをわかろうとも思ってねえんだろうな。

 アカツキは、つまらなさそうに話を聞くオレを見て、口角を吊り上げてにやりと笑った。


「単刀直入に言う。DWC社に入れ」






「……はぁ!?」


 こいつ、今なんつった? 入れってそう言ったのか? あれだろ、入るってことはエージェントみたいに活動しろってことだろ? こいつと同僚になるってことだろ? こいつ、さっきまで敵だったやつをスカウトするなんて頭おかしいのか?


「実動員が少ない理由の一つに、直接戦闘に向いているトリアルが少ないってところがあってな。みんな変にトリッキーな能力なんだよ。強いトリアルもいるんだが、能力が強すぎて周りの被害が大きくなりすぎちまう。その点、おまえの能力ならうってつけだ。見た目も普通だから誰かに見られてもごまかしやすい」


「……本気で言ってるのか?」


「本気だよ。おまえ、言ってたよな。『クズはぶん殴らなきゃわからない』って。俺達の仕事は大局的にはそういうことだ。おまえの考えともしっくりくるだろ? おまえはたしかに性格はひねくれているが、肝は据わっているしその性根だけはまっすぐだと思う。正義感……じゃないだろうが、それは俺達の仕事に必要なもんだ。誰かが何とかしなきゃいけないことだが、他の誰にもできない。俺達にしかできないことなんだ。な、おまえの考えそのものだろ? 業務上トリアルと戦うことが多いから強くだってなれる。さらに……」


「さらに?」


「特別活動課はその性質上……報酬(リワード)がものすごい」


アカツキはそういってカバンから一枚の書類を取り出し、ある一点を指差した。数字が羅列してあるところだ。給料の欄だろう。細かくて読みにくいから顔を近づけて読んでみる。ゼロがいち、にい、さん、しい、ご、ろく……


「……ケタ間違ってね?」


「それ、基本額な。最低限もらえるのがその金額だ」


「わかった、年収だろ? 騙されねえぞ」


「いや、月収だ」


「マジかよ!」


 社会人すげぇ! さすが一流企業! なんだよこれ、これだけあればあれもこれもどれも全部買い放題じゃん! 一個三百円近くする高級アイス食い放題じゃん! 回らない寿司毎日食いにいけるじゃん! あの人気喫茶店とタイアップした限定洋菓子買い占められるじゃん!


「それに実動手当がつくから手取りはもっと増えるな。もちろん、保障や福祉もばっちりだ。社員なら社製品の割引もされるし系列会社で特典があったりする。移動費だって全部会社持ちだし、基本的には経費で何でも落とせる。仕事で個人の金を使うことはほぼないから、その気になりゃ数年ででかい庭付の新築が買えるだろうよ」


「やる! 社員やる! トリアル見つけてぶん殴ればいいんだろ!?」


「よし、たしかに言質はとったぞ。やる気があるならそれにサインな。印鑑はねえだろうからそれで勘弁しといてやる」


 アカツキから渡されたボールペンでサインをする。こんなうまい話、断るバカなんているはずがない。あれか、出来る人間が少ないからこんなに高待遇なのか。こいつはラッキーだ。オレの人生バラ色確定したじゃん!


「学校はどうする? おまえ、高校生だろ? バイト程度に働いて高校卒業と同時に入ってもいい。大学出てから入ってもいい」


「今すぐ入る! 就職先決まってんなら勉強する必要ね―じゃん!」


「中卒になるぞ?」


「学歴なんて関係ねえ! つーか学歴なんて就職にしか使わねえよ!」


 学歴でねちねち言ってくる奴はぶん殴ればいい。そりゃ、学歴は人の評価の一つになるかもしれないが、それが全てじゃないんだ。学歴だけ良くても使えなければ意味はない。だったら、例え中卒でも経験があるほうがいいに決まっている。


 サインした書類をもう一度見直し、それが夢でないことを確認する。あ、なんか自然に口がつり上がってきた。やべ、笑いが漏れる。明日からトリアル殴り倒す毎日が始まるんだよな。ああ、早く明日が来ないかな。遊んでるだけで金がもらえるなんて最高の仕事だ。まさにオレのためだけにあるような仕事だ。


「……よし、確かに確認した。本当に後悔はないな?」


「ったりめえだろ?」


「よし、歓迎しよう──よろしく、優奈」


「ああ、よろしくな、アカツキ」


 にぃっと笑ったアカツキと握手する。これで晴れてオレも社員だ。今日は一日驚くことばかりだったけど、最後の最後でいいことがあった。これが日ごろの行いってやつかね。普段いいことやってるやつはおいしい思いが出来るってこった。


「親御さんはサポートの連中が適当に言いくるめることになっている。あとで手紙の一つくらいは書いておけ」


「まかせろ、十秒で書いてやるよ。どうせ書くこともないし。それよか経費で携帯買ってくれねえか? ブーメランでぶっ壊されたんだよ」


「ああ、それなら……」


 アカツキは立ち上がり、なにやらカバンをごそごそ漁り始めた。いまさらだが、こいつこんなカバンあのときもってたっけか?


 小物や書類なんかを引っ張り出し、カバンの底から出てきたのは最新式のケータイだった。タッチで動かすタイプのいっちばんおニューなやつだ。普通のスマホよりも一回り大きい。たしか、こいつもDWC社製だったと思う。アカツキはそれをオレに向かって放る。


「特別活動課に支給されるやつだ。性能はピカイチ、おまけに耐久力に優れていてその他いろんな機能がそろってる優れもんだ。社員データも既に入っている」


「お、いいかんじじゃん。ケータイ代は経費で落ちんの?」


「一応な」


 最高だね、こりゃ。本格的にオレの人生始まったじゃん。


「早速だが明日からまた仕事に入る。もちろんおまえにも動いてもらう。本社に行くのはその後だ。今日はもうゆっくり寝とけ」


「ほいほい、りょーかい」


 オレは布団をしっかりと直し、寝る体勢を整える。貧相な枕に貧相な布団なのは頂けないが、屋根のあるところで寝られるだけよしとしておこう。今のオレは気分がいいんだ。


「アカツキもさっさと寝ろよな。じゃ、お休み」


 あとはこいつを追い出せば寝る準備は万端だ。ところが、アカツキは不思議そうな顔をして吐き捨てた。そう、吐き捨てやがったんだ。


「あ? 何言ってやがる。オレもここで寝んだよ」


「……はぁ?」


「しょうがねえだろ、一部屋しか空いてなかったんだから。近くにゃ泊まれる場所もなかったしこの時間に開いているのもここだけだった。野宿じゃないだけマシだろうが。そうじゃなきゃ何が悲しくておまえと同じ部屋にわざわざ好きこのんで泊まるんだよ」


「ふざけんなよ! それはこっちの台詞だろうが!」


「あ? 口のきき方がなってねえな。いいか、おまえは今無一文なんだ。ここでの宿代を払ったのは俺だ。布団と枕と場所を融通してやってんのにこれ以上でかい口叩くんじゃねえ。追い出すぞ」


「ぐっ……!」


「ただでさえこんなへぼい民宿しかなくってイライラしてんだ。一日の最後くらい静かにしとけや。ここだって本来一人部屋なのに無理言って布団持ってきてもらってんだよ。ああ、俺だってきちんとしたところに泊まりたかったさ! こんなしょっぺぇカビ臭い布団じゃなくてきちんとした布団を出すところにな!」


 アカツキは見るからにイライラしていた。こいつはまずい。なにがまずいってこのオレがまずいって本能で感じてしまうくらいまずい。こめかみに青筋は立てているし眼つきは剣呑だ。たぶん、刃物があったらこの貧弱な枕を切り裂いていたことだろう。こいつ、布団の質だけでなんでここまでイライラ出来るのか。理解に苦しむ。


「おら、さっさと寝ろや! 電気消すぞ!」


「お、おい。電気ちっちゃいのは点けといてくれよ。オレあれ点いてないと寝れねえんだよ」


「てめえもか!」


 ブチ切れながらもアカツキはちっちゃいのだけ残してくれた。オレンジの小さな光が暗闇にポツンと浮かぶ。ああ、やっぱこれないと寝れねえよな。消すやつって夜中にトイレ行くときどうしてるんだろ。


 がんばって寝ようとするが、いかんせん枕が固くて首が痛くなる。正直、これじゃ枕の意味がない。もぞもぞと布団の中でポジションを探すが布団そのものも薄いもんだから全然しっくりこない。ごろりと、アカツキのほうへと体を向ける。二メートル先に眼つきの悪い顔があった。


「……」


「んだよ。こっち向くんじゃねえよ。乳臭いガキに見られながらじゃ寝れねえよ」


「アカツキ、おまえ……」


 アカツキはオレのと同じような貧相な布団に身を包んでいる。ぼんやりとした視界だけれど、その布団に不満たらたらの顔をしてることがわかる。まあ、それはいい。オレも同じ条件だから。問題は奴の頭部だ。


「そのふかふかの枕なんだよ。どっからだしたんだよ。オレにもよこせ」


「これは俺の私物だよ! いいかげん寝ろや!」


 いつの間にかアカツキはふかふかの枕に頭を埋めていやがった。こいつ、この枕どこから出したんだ? しかも私物かよ。枕違うと寝れねえとかどこのガキだよ。いい大人が恥ずかしい。


 なんて思っていたらか、アカツキは枕を──もちろんこの民宿のボロい方だ──を投げてきた。あまり視界が聞かないというのにそれはまっすぐとんできて、ぼすっという音と共にオレの顔面へとぶつかる。さっきも思ったが、こいつ、無駄にコントロールがいい。


「てめ──」


「次言葉を発したら追い出す。いいか、オレは本気でやるぞ。仕事で疲れてんだ。頼むから寝かせてくれよ」


 その言葉を最後にアカツキは静かに寝息を立て始めた。しょうがないからオレも寝ることにする。アカツキが投げた枕をオレの枕に重ねればいくらかマシになる。今夜はこれで我慢しておこう。

 意外と早く寝れたのは枕を重ねたおかげだったのか、それとも疲れていたからなのか。どっちなのかは、わからなかった。








 翌朝。

 黒いロングコートに黒いレザーグローブ、黒いサングラスでびしっと決めたアカツキにオレは叩き起こされた。まだ六時半だというのにアカツキはすでに着替え終えており、荷物を持てばすぐにでも出発できる感じだった。


 しぶしぶ起きたオレも顔を洗い、備え付いていた歯ブラシで歯を磨く。ついでにトイレに行って、そしてパジャマから着替えた。


 もちろん、制服じゃなくて普通の洋服にだ。あの紙袋には何着か洋服があったからそこから適当に選んだんだ。いまどきのキャピキャピしたのはなく、あるのは全部ボーイッシュなやつ。名前は知らねえけど太ももくらいの丈の、かなり短いズボンにオーバーオールの丈が短いやつ──トイレのときがけっこう大変なあれ──サロペットだったっけか? ともかく、そんな感じのやつがいくつかあったんだ。どれも動きやすそうで実にオレ好み。誰が選んだか知らねえけど、ボーイッシュながらも可愛らしさを取り入れていて実にいいセンスだ。


 せっかくなのでその紺に近い黒のサロペットと蒼いハイネック、柄の入ったオーバーニ―ソックスを選ぶ。仕上げにオシャレなキャスケットを。

 うん、実にいい感じ。自分で言うのもなんだがオシャレで可愛らしくかつボーイッシュな少女が鏡に映っている。さすがはオレだ。


「よう、待たせたな」


「……馬子にも衣装ってのはこのことか。あいつに任せて正解だったな」


 外に出てアカツキの元へと向かう。なんか失礼な言葉が聞こえたが聞き流してやることにする。服が体の一部かのように実になじむ。今度選んでくれたやつにお礼を言わねえとな。ああ、すっげー気分がいい。服一つでこんなに気分がよくなるってことはオレも女の子ってことだ。


「本当なら支給された特別社員服を着なきゃいけねえんだが……」


「そのクソダサい黒コートか?」


 よくよく見ればアカツキのコートには小さなエンブレムがついている。たぶん社員証かなんかと同じ役割も果たすんだろう。こいつが一種の制服ってわけだ。クソダサいけど。


「ダサいいうな。ま、確かに女用のデザインがあるとはいえ着てるやつはいないな。着ないんだったらこれどっか付けとけ」


 ピン、と弾かれたのは銀の小さなピンバッジ的な何か。高校の校章と非常によく似た作りになっている。結構精巧に出来ていて売ったらそこそこの値段がつきそうだ。デザインはアカツキのエンブレムと全く一緒だった。


「DWC社の社章だ。そいつは特別活動課を示すデザインになっている。それをつけていれば各種サービスなんかも受けられるし“ちょっとくらい”一般人を傷つけようが会社の力でどうにかできる。が、なくしたら終わりだ。特別活動課を証明するものはそれしかない。絶ッ対になくすんじゃねえぞ」


「ほいほい」


 なんか貴重品らしいのでキャスケットのところに適当に付けておく。うん、けっこうカッコいいエンブレムだからオシャレ度が増したな。どうしよう、今のオレすっげーカッコいいんじゃなかろうか。このまま歩いていたら絶対雑誌にスカウトされちまうな!


「じゃ、行くぞ」


 アカツキはそう言ってオレにヘルメットを投げてくる。なかなか武骨なごっついやつだ。色も黒でセンスの欠片もない。


「メット? 車かなんかじゃねえの?」


「俺一人で動いていたのにわざわざ車を使うのは面倒だろうが。バイクだよ」


 そう言ってアカツキは民宿の裏手の駐車場に向かっていく。釈然としないながらもオレは黙ってそれについていった。


「ほら、こいつだ」


「うぉぉぉ……!」


 そこにあったのはおよそこんな田舎の民宿に似合いそうにないでかくてごっついバイク。こいつもやっぱり黒だが重厚な迫力と流れ星のようにすらっとしている流線形がめちゃくちゃカッコいい。朝日に反射してつやつやぴかぴかきらきら輝いている。もう言葉にできないくらいカッコいい。あれか、大型自動二輪ってやつか? バイクの中でも一番カッコいいやつなのか?


「の……乗っていいんだよな?」


 アカツキが頷いたのを見てそれに足をかける。ずっしりとした感触が逞しさをと力強さを出している。ちょっと高くなった視界が新しい世界を写してくれる。この手触りもいい。またがり心地も最高だ。いい。すごくいい。暴走族の気持ちが少しわかる。こいつで思いっきりかっ飛ばしたら最高に気持ちがいいだろう。


 決めた。免許を取って、給料貯めてバイクを買おう。こいつと同じくらいにカッコいいやつだ。


「おい、なんでおまえが前に乗ってんだよ。運転するのは俺だろうが」


「……あ」


 そうだ、運転するのはアカツキじゃん。オレ運転できないじゃん。


「ん? てことはオレ後ろ? 二人乗りだよな?」


「まあ側車はねえからな。……しっかりつかまっとけよ」


「……は? オレ、おまえに抱きつくの?」


「俺だって乳臭ぇガキに抱きつかれて喜ぶ趣味はねえよ!」


 アカツキがバイクに乗る。エンジンをかける。ヴォォン、と力強い音を出してバイクに命が宿った。初めて感じる振動に少し困惑するが、心の底からわくわくする。

 これに免じて、抱きつくのは我慢しといてやろう。今日のオレはご機嫌なんだ。


「今日は高速乗るからな。イライラしているからかっ飛ばす。途中で飛ばされんじゃねえぞ!」


「はっ! そんなヘマこかねえよ。思いっきりかっ飛ばせよな!」







 返事の変わりに田舎に似合わない轟音が辺りに響く。その音はまるで、オレの新しい人生を祝うベルの音のように聞こえた。



 さぁ、始めようじゃないか。

 楽しい楽しいオシゴトを!





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