2 ふざけた寝言は寝て言えよ
足元のコンクリートが砕け割れ、瓦礫が木の葉のように吹っ飛んでいく。その衝撃でオレに向かってきてた炎のブーメランも全て勢いが殺され、空中に溶け込むように掻き消えていった。
ああ、すげー気分がすっきりする。なんともスカッとする能力だ。体中に力が溢れ、もっともっと使ってくれ、もっと存分に暴れさせろと騒いでやがる。ネーミングも最高だ。最高にカッコいい。どうしてこんな簡単な事を今までできなかったんだろうな。不思議でならない。
「なんだと!?」
「んだよ、ビビってんじゃねーよ」
キャップ野郎は驚愕に顔を染めている。オレが砕いたコンクリートの欠片で右ほおを少し傷つけたみたいだが、それに気づいてすらいない。転がっている連中は──伏せていたおかげで怪我はないみたいだな。元から酷い怪我してるからあんま意味ねえけど。
「おまえもトリアルだったのかよ!?」
「あ? んだよそれ」
「……都合よくあの瞬間に目覚めたってのか!? ふざけんなよ!」
「ふざけてんのはてめえだろうが! 落とし前きっちり付けてもらうぞコラァ!」
走る。キャップ野郎めがけて走る。気分は最高だ。今のオレは誰にも止められるはずがない。景色がぐんぐん後ろへ流れていく。頬を撫でる夜の空気が冷たくて気持ちいい。あいつをぶん殴れればもっと気持ちいい!
「調子に乗るな! 《メラメラブーメラン》!」
襲い来る五つのブーメラン。程よく回転し轟々と燃え上がっている。右、左、上、前、後ろ。近づいてくるに従いその抑えきれない熱量を否応にも感じさせてくる。直撃したら間違いないく大火傷だ。だが──
「バカの一つ覚えかよ! 《ライクライクストライク》!」
一つ一つを軽く撫でるように、ダチとハイタッチするかのような気軽さで振り払う。
ゴッ……!
「ウソだろ!?」
鈍い音が五つとキャップ野郎の焦った声が一つ。鈍い音のほうはほぼ同時だったからほとんど一つに聞こえた。
五つのブーメランは圧倒的な力を受けて見当違いのところへすっ飛んで行き、虚空へと掻き消えた。やっぱり一瞬触れる程度ならそこまで熱くない。
走る勢いが止まるはずもない。ブーメランを払った。ただそれだけだ。この能力は実にオレ好みの働きをしてくれる。ごちゃごちゃしてるのよりも、こういうシンプルなのでいいんだよ。
「終わりだ! 《ライクライクストライク》!」
高く振りあげた拳を全力で──全力を出す必要はないのだが──降り降ろす。拳が風を切って唸りをあげるこの感じがなんともたまらない。テンションが上がる。
が、残念なことに捕えたと思った一撃は虚しく空を切った。脚力によって得た加速と拳の勢いが止まるはずもなく、そのまま前のめりになるようにして拳が地面に届いた。腰も入っていないへなちょこの一撃だ。
ドォォォォォン!
拳が地面──アスファルトに触れた瞬間、爆音と共に大きなクレーターを作った。
「ちっ」
「あっぶねえよコラ! 当たったらどうすんだよ!?」
「当たったら、じゃなくて当てようとしてんだよ。女が当てようとしてんだから男は素直に喰らっとけよ。知ってるぜ、男はみんな好きなんだろ? 『あててんのよ』ってヤツ」
「キミみたいなガサツ男女は願い下げだ!」
「んだとコラァ!?」
キャップ野郎の足元が赤く燃え上がっている。どうやら炎のブーメランに乗っているらしい。ひゅんひゅんと高い音が聞こえる。オレの拳から逃げられたのはこれのおかげのようだ。仕組み的にはヘリコプターと同じ……なのか? つくづく物理法則を無視してやがる。回転してるものにどうやって乗ってるんだか。
「俺さ、なんだかんだでさっきまでは重傷程度で済まそうと思ってた。でも、もう無理だ。手加減してやる余裕もなさそうだし、キミもトリアルなら文句はないよな」
「知るか! 《ライクライクストライク》!」
「あぶねえっ!?」
キャップ野郎がごちゃごちゃうるせえ。こういうときに喋ってるのはいけないってわかんねえのか? 無駄に喋るやつはすぐにやられる。そんなの常識だ。やれる時にやるのも常識だ。相手が喋ってる途中だろうと関係ない。
炎のブーメランに乗ったキャップ野郎はそのまま大きく距離を取る。幸いなことに空高くを飛ぶことはできないらしい。ま、固定もされてないし掴むところもない状態で飛ぶのは危ないもんな。
「キミの能力はだいたい分かった。『拳による一撃を強化する能力』だろ? つまり、本質的には全然変わらないってことだ。威力はすごいけど、とんだハズレ能力だな」
「ハズレかどうかはてめえが決めることじゃねえだろうが!」
「そうかもな。でも、もう手加減しない。できない。──《メラメラブーメラン》!」
「!?」
キャップ野郎は再び炎のブーメランを創りだした。そこはまあいい。それがあいつの能力だから。問題は、それがさっきよりも大きく、熱く、素早く回転していることだ。ついでに数も多い。
さっきまではひゅんひゅんと鳴っていたいう風切り音がひゅひゅひゅ、と甲高い音になっている。早く回転しすぎて見た目がブーメランと言うより丸鋸みたいになっている。ときおり噴き上がる炎が竜巻のようにうねって消えた。
「炎は熱を生む! 熱は気流を生む! 気流は回転を生む! 回転は素早さと精密性、そして威力をあげる! 《メラメラブーメラン》!」
さっきまでとは段違いのスピードで炎のブーメランが襲ってくる。さっきまでのがチワワならこれはドーベルマンだ。それそのものの迫力が見た目からして違った。
「ッ!?」
直接触れるのは危険と考え、横っとびして回避する。慣性の法則に従いわずかに遅れたスカートの端がものの見事に焼き切れた。慌てて手で叩いて燃え広がるのを阻止する。
うむむ、スリット状にばっさり切れちまった。いつも以上にすーすーする。我ながらセクシーってやつだ。いくらか動きやすくなったのはラッキーと思っておこう。
「まぁ、高速回転してたら切れ味がでるのは当然だよな。俺のブーメランは焼き切ることだって出来るんだよ」
「ちィッ!」
悠然と向きを変えたブーメランが次々に襲いかかってくる。地面を殴って瓦礫を飛ばすも、わずかに勢いを殺すだけで大して意味がない。無意味にクレーターが出来るだけだ。
なんとか直接キャップ野郎を殴りにかかろうとするも、あいつはオレが近づこうとするとすぐにブーメランを集中させ、のんびりと飛んで距離を取る。本当にむかつく野郎だ。どう考えても、このまま続ければジリ貧だ。
クレーターと瓦礫。焦げ臭いにおい。焼き切れたパイプ管。周囲はなかなか愉快なことになっている。転がっていた不良どもは途中で意識を取り戻したのか、どこにも見当たらなかった。すこぶるどうでもいい。オレの目の前から消えたのならそれでいい。
「いいかげん倒れろよ!」
「んなわけいくか! 《ライクライクストライク》!」
もっとも、オレだってただ逃げ回っていたわけじゃあない。オレの輝く灰色の脳細胞はあの炎のブーメランの致命的な弱点をすでに見つけている。
絶対的な確信をもち、迫りくるブーメランに拳を突きつけた。
「おらぁ!」
「なんだとっ!?」
ばん、と耳障りな音がして炎のブーメランが消え去った。周囲に飛んでいた他の奴にもついでとばかりに拳を叩きつける。キャップ野郎が信じられないものを見たとばかりに目をカッ開いた。ざまあみろ。
「いったいどうして……っ!? なんで焼ききれないっ!?」
「しょうがねぇ。特別に理科の講義をしてやるよ」
このオレの講義を聞ける人間ほど幸運なヤツなんてそうそういない。このキャップ野郎は何にも変えがたい至上の体験ができるというわけだ。しかも、オレは寛大だから大学のようなクソ高ぇ授業料を取ることだってしない。ああ、オレのような崇高な精神を持つ人間が学府に集えば世の中は何倍もよくなるというのに。
「てめえのブーメランの切れ味の威力の源──それは回転力。いや、正確には遠心力だな。違うか?」
「……」
「遠心力ってのはな、一般にmrω^2で表されるんだ。おっと、中学生じゃあるまいし、ここでいちいち記号の意味の確認なんて野暮なマネはよしてくれよ? ともかく、m、r、ωがでかけりゃでかいほど、威力は増す」
あれ、遠心力を習うのは高校何年生だったけか? 理系と文系で違ったりもするのか? まぁ、こんだけわかりやすく説明してんだから大丈夫だろ。
「当然なにか一つでもゼロなら威力はゼロだ。──てめぇのブーメラン、真ん中叩けば物理的な威力は皆無に等しいんだよ」
そう、オレはあのブーメランの真ん中──半径rがゼロの点をぶん殴ったんだ。切れ味を生み出していた遠心力も、真ん中なら事実上のゼロ。ちょっと熱いくらいで、それ以上でもそれ以下でもない。
「くそ……! だが、近づけなければ意味ないだろ! 無駄にあがくのはやめろよ!」
ああ、本当に腹が立つ。なんでこいつはこうも上からものごとを決めつけてくるんだろう。今まで動いていた事のどこが無駄だっていうんだ。このオレがすることに無駄なことなんてあるはずがないだろうに。
「いいぜ、宣言する。今からオレは──おまえをぶん殴る」
「はぁ?」
キャップ野郎は不思議そうな声をあげた。そうだ、それでいい。ブーメランが減り、あいつがオレの能力を勘違いしたままでいるこの状況こそ──オレが待ち望んでいたものだ。
とっとっ、とその場で軽く跳ね、あいつのむかつく顔をしっかりと見据える。足元の瓦礫を蹴ってよかし、踏ん張りが効くようにしておく。そして陸上競技の走るやつの体勢──ええと、なんだっけか? そう、クラウチングスタートの体勢を取った。
「なんだ? 走って突っ込むってか? キミ、本当に脳ミソ筋肉なのか? ……あと一応言っとくけど、スカートの中、見えそう……ってか見えてるぞ。なんだろう、嬉しいはずなのに全然嬉しくない」
「言ってろ。今からぶちのめされるてめえへのサービスだよ。女子高生のをナマで拝めるなんてラッキーだろ? それもオレみたいなべっぴんのだ」
「うっわこいつ自分でいいやがった……。そりゃま、顔も柄もスタイルも、結構好みなんだけどさぁ……。恥じらいがないのは違うんだよ。マイナス三十点」
うまくいくかどうかはわからねえ。でも、オレならうまくできる。いや、うまくやって見せる。奇妙な確信と共に体中に力がみなぎった。
「オレを見くびったのがおまえの敗因だよ──《ライクライクストライク》!」
オレは地面を蹴った。ばん、と言う音と共に足元が抉られ体が高速で吹っ飛んでいく。必殺の威力をもって押し出された地面は、当然の結果として同等の反力を推進力としてオレに跳ね返す。
列車に乗ったかのように景色が過ぎ去り、オレの前方には車にひかれる寸前のような顔をしたキャップ野郎がいる。ああ、実に気分がいい!
「キミ、足からも──!?」
「るっせぇぇぇぇ! 《ライクライクストライク》!」
ドォォォォォォン!
何も考えず、ただ拳をそいつの腹に叩きつけた。
轟音と共に確かに感じた硬い手ごたえ。メキメキと何かがつぶれ砕ける軽快な音。目をかっと開いたキャップ野郎が水平に吹っ飛んでいき、廃ビルの壁に叩きつけられた。脆くなった壁はそのまま崩れ、がらがらと音を立ててキャップ野郎を飲み込んでいく。
「誰が拳からしかできないっつったよ? オレの能力は『体を使ったすべての一撃を必殺の威力にする』ことだ。……聞こえちゃいねーだろうけど」
とはいえ、まだ慣れていないからあの移動はそこそこキツい。衝撃がモロに返ってくる。今のままじゃ連発はできねーな。今後の改善点だ。
しかしとて、どんなことでも一撃入れればいいってのは本当に分かりやすくていい。悔しいことに女のオレじゃ筋力はたかが知れているからな。まさにオレのためだけにあるような能力。完璧だ。最高だ。実にエクセレントだ。
ふと、辺りを見回してみる。まるで巨大地震でも起きたかのようなひどい有様だ。か弱い女子高校生がこの破壊に関わっているとはとても思えない。あ、これの弁償とかオレがやんのか? 廃ビルだし人もいないし、ズラかればいいか。こっちは命を狙われてたし、正当防衛だったし、キャップ野郎の言葉じゃないが例えばれてもオレが素手でこわしたなんて誰も信じるはずがないだろう──
「!?」
「ク……ソがァ……!」
ガラガラと瓦礫を除けて動く何か。いや、それがなんなのかはわかっている。顔じゅうが切り傷だらけだし、服はボロボロだ。トレードマークっぽいキャップもどこかに吹っ飛んでいる。でも、そいつは確かにオレが殴り飛ばした──キャップ野郎だ。
「危なかったぜ……! ブーメランってのは飛ばすだけじゃねえんだよ……!」
「てめえ……!」
ぼう、と音をだしてそいつは炎のブーメランを腹の前に出した。ただし、横向きではなく縦向きに。それはクルクルと回転し、さながら一枚の盾のようにも見えた。
「最後の瞬間に……挟んだのか!」
どうやらあの手ごたえは炎のブーメランをぶち壊したものだったらしい。攻撃そのものはキャップ野郎に届いたものの、威力をだいぶ削られてしまったようだ。
キャップ野郎はよろよろと立ちあがり、ペッと口の中に溜まっていた血を吐きだした。炎で照らされたその顔はまるで地獄の幽鬼のような形相だ。人間、こんな顔ができるものなんだな。
「──《メラメラブーメラン》」
「させるか!」
ぶん殴ろうと走る。が、キャップ野郎は距離を取る。おまけにさっきよりもキレのいいブーメランが容赦なくオレを取り囲みオレの行く手を遮る。
「……なんだよこれ!」
ブーメランはオレの周囲を埋めるように回っていた。檻のつもりだろうか、密に、複雑に、高速に動くそれらには人が通り抜けられるほどの隙間はない。クロスしたSの字の形をしているものが回転しながら動いているもんだから、見ていると目がチカチカしてくる。ブーメランが交差するたびに光と影の幻影が儚く煌めいて、オレの網膜に印象的に焼き残る。幻想的で綺麗と言えなくもないが、とても笑顔でみている余裕はない。
──オレは炎の網籠に捕らわれていた。炎に照らされた足元の影が地獄への手招きのように奇妙に蠢いている。
「言っただろ。炎のブーメランを投げるだけじゃないって」
ぼ
ぼ
ぼ
闇夜に点を穿つように、キャップ野郎はさらに複数のブーメランを灯していく。右に一つ、左に二つ、上に四つ、そのまたさらに奥に……おいちょっとまて! ありゃいくつあるんだ!?
ぼ
ぼ
ぼ
ぼ
ぼ
ぼ
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ぼ ぼ
ぼ ぼ
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ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ
ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ
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面前が炎で埋まった。比喩抜きに、オレを中心とした2πステラジアンが炎で埋まり、わずかに見える隙間のその向こうには高く、厚く、熱く聳える炎の壁が地獄の門の様に見下ろしている。
「この際だから言っておくよ。この手の能力って複数、それこそ訓練次第でいくらでも出せるみたいなんだよね。ま、効率とか度外視しての話だけど」
夥しい数のブーメランがオレを捕える網籠を補強していき、いよいよ眼の前の風景すら見えなくなってくる。さらに、キャップ野郎はどんどんブーメランを創っていき、その場で小さくまわし始めた。まるで炎の蝶の群れが舞ってるみたいだ。視界を埋め尽くすほどの蝶──野郎、ガチだ。
「大人気ないとか……言わないでくれよ? キミだからこそ、オレの全力をぶつけたいんだ」
最初こそ複数のブーメランがぐるぐる回っているだけだったそれは、やがて炎と回転運動が生み出した上昇気流に乗り、どんどんその規模を大きくしていく。上のほうで回転するもの、下のほうで回転するもの、真ん中のほうで回転するもの、周りでそれらを応援するかのように回転するもの、中心でそれの軸となって回転する巨大なもの──認めなくないがはっきり言おう。
炎のブーメランは、一つの巨大な炎の竜巻を形作っていた。
「まさかこんな可愛い女の子にこいつを喰らわせる事になるなんて、夢にも思わなかったけどね。──《メラメラブーメラン》!」
キャップ野郎が合図をしたらしいのが網籠の中からでもわかった。
巨大な竜巻が轟々とうねりをあげ、ゆっくりと向かってくる。燃え盛る炎がその勢いをさらに増し、どんどん力をつけていくのが網籠の隙間からかろうじて見えた。たまーに校庭に発生したつむじ風の倍近い大きさがある。喰らったら間違いなく死ぬ。
「ここから出せよコラァ!」
「出すわけないだろ? せっかく閉じ込めたのに」
網籠のブーメランは速すぎてとても中心を捕えられそうにない。つまり、これをぶち壊して外に出ることは不可能に近い。言い換えれば──絶対絶命じゃないか?
炎の竜巻は焦らすようにして網籠に近づいてくる。実際、こうしてオレを閉じ込めているのだから急ぐ必要もないのだろう。だんだんと吹き荒れる風の音が大きく聞こえるようになり、離れているはずなのにチリチリとした熱気が肌を焼いた。
「最後になにか言いたいことはあるか? 聞くだけかもしれないけど、出来る範囲で叶えてやらないこともない」
「クソ喰らえ!」
「あっそ」
啖呵を切ったはいいが、こいつは本格的にマズイ。何がマズイってオレの能力じゃこの状況を打破できないことだ。網籠をぶち破ろうとしたらまず間違いなく手首が焼き切れる。かといって、このままここに閉じ込められていたら炎の竜巻に飲み込まれて焼け死ぬ。……あれ、オレの人生終わってね?
「クソがぁぁぁ!」
「全力で焼きつくすから。近いうちに女子高生が行方不明ってのが全国ネットでみられるだろうな。あの世で自分のニュースの確認はできるのか? ま、いい顔写真が使われることを祈ってるよ。じゃあな」
「てめえ! これで勝った気になるなよ! 例え死んでもおまえだけは絶対呪い殺す! 悪魔にでもなんにでもなって一生憑き纏ってやる! 子子孫孫まで呪ってやる!」
「最期くらい可愛い悲鳴をあげろよな。結構好みなのにホント、そういう所がすごく残念だよ……。俺も、キミのことは一生忘れない。ホントのホントにお別れだ。意外と、楽しかったよ。変にウマも合ったし、俺ら、違う形で会えれば本当に友達──いや、恋人になれていたかもしれないな。──あ、今気付いたけど、一緒に話が出来るなら取り憑いてもらうってのも夫婦みたいで意外とアリだな──《メラメラブーメラン》!」
紅蓮の竜巻がゆったりと、しかし確実にオレへと迫ってくる。肌がピリピリして肺が熱い。風の勢いが強くなり、短めの俺の髪がぐしゃぐしゃになる。そしてキャップ野郎の最後の一言で背中にサブイボがたった。
なにか、なにかないのか。このままこんなところで死ぬのなんてまっぴらごめんだ。死ぬ前に殴っておきたい奴が何人もいる。死ぬ前にやっておきたいことがいくつもある。いっそ玉砕覚悟で突っ込むべきか? このまま無残にやられるよりかはいくらかマシだな。うん、そうだ。覚悟を決めよう。女は度胸だ。
炎の向こうのキャップ野郎をキッと睨みつける。どんな結果になろうと泣き顔だけはあいつに見せたくない。
確かめるように右の拳をぎゅっと握った。きっといけるはずだ。そうにちがいない。
「じゃあな。いつかどこかでまた逢おう。もしも逢えたら、そんときは恋人同士だな──《メラメラブーメラン》!」
「ああ、逢えたらな。消えるのはてめえだろうけど──これが最後だ! ぶちかませ! 《ライクライクストライク》!」
轟音。烈風。灼熱。
必殺の拳と紅蓮の竜巻。ぶつかればどちらかが消える。それだけだ。
吸い込まれるようにオレの拳が炎の激流に向かっていく──。
ああ、いけるさ。オレの完璧なこの能力なら、きっと炎だって吹っ飛ばしてくれるさ。ちっとばかし熱い。でも、たまらなく気持ちがいい。なんでこんなわくわくしてんだろうな。あのキャップ野郎もこんな気持ちなのかね?
ああ、はやく、はやくその瞬間を──!
「ガキども。遊びはそこまでだ」
拳が当たる直前。どこからか男の声。
炎の竜巻と網籠が目の前で消え、キャップ野郎がぐらりと倒れる。まるで何事もなかったかのようにオレの拳は空を切り、勢い余ったオレはそのまま瓦礫の上へとすっ転んだ。炎の名残か、鉄板の上にいるかのように熱い。
「おまえ──!」
倒れたままその人物を見上げる。
季節外れの黒コート。高級そうな黒い皮靴。闇を纏ったかのような黒いレザーグローブ。気迫が、雰囲気が一般人じゃないことを物語っている。その鋭すぎる目つきは隠そうとすら思っていないのだろう。
昼間にぶつかった、サングラスの男だった。
「ああ、例の案件が片付いた。至急人をまわしてくれ」
夜だというのにサングラスをかけた男はどこかへと連絡する。気絶したキャップ野郎をそこらに転がし、オレの首根っこを掴んで壁に寄り掛からせた。ありがたいっちゃありがたいが、扱いがなってねぇ。
「ありがとな、助けてくれて」
「仕事だからな。関係なければ見捨ててた」
サングラスは当たり前のようにそう言いきった。いいやつかと思ったが見た目通り危ないやつらしい。普通、こういうときにそんな言い方をするか?
「で、おっさん、あんたなんなんだよ。ただの通りすがりってことはねえだろ?」
「あ? 俺はおっさんじゃねえ。口の利き方がなってねぇガキだな」
「仕方ねーだろ、名前知らねーんだから」
「……朱月だ」
「そっか。オレは白園 優奈ってんだ」
忌々しい顔をしながらもアカツキは名前を教えてくれた。見た目の割にはきちんとした性格のようだ。センスの欠片もない恰好しているけど。
改めて見ればアカツキの格好はおかしい。全身黒ずくめのグラサンなんてどこの映画のエージェントだよ。あれか? 宇宙人を管理する組織か? あ、あれはスーツだっけか。
「最初に聞いておく。おまえは今日トリアルになったんだよな?」
「またそれかよ。なんだよトリアルって」
「……おまえやこのキャップが使ったあの異能力のことだ。トリアル能力を使えるものをそのままトリアルと呼ぶことが通例だな」
どうやらアカツキもこの能力について知っているらしい。当然と言えば当然か。さっき言ってた案件ってのもおそらくこいつについてだろう。
「トリアルってのは全く未知の異能力だ。わかっているのは物理法則を無視した現象を起こせること、例外を除きトリアルが気絶すればその能力は解除されること、能力は必ず一人一つってことくらいか?」
「ってことはオレは《ライクライクストライク》しか使えないってことか?」
「そういうことになるな」
「なぁ、それって誰でも使えるのか? どうやって使えるようになるんだ?」
「質問の多いガキだな……。トリアルってのはわかってないことが多いってさっきいっただろうが。ある日突然使えるようになったやつもいれば生まれつき使えた奴もいる。気づいたら使ってたやつもいるしおまえみたいに何かをきっかけにして使えるようになったやるもいる」
「見てたのか?」
「あんだけドンパチやってりゃ気づかねえはずがねえだろうが」
こいつの調査に来たアカツキは最初に見た炎のブーメランに誘導されて全く反対のところへ行ってしまっていたらしい。オレが追いかけた人影はアカツキだったというわけだ。
で、そのあとドンパチしてるのを聞いてここまで来たそうだ。そして、しばらくオレとキャップ野郎が戦うのを眺めてから助けに入ったってところだろう。
あのキャップ野郎、偉そうなこと言う割には人が来ないように対策していたみたいだな。つーかあのブーメラン、そんなこともできたのかよ。キャップ野郎のくせに無駄に器用だ。
「あ? 待てよ。だったらなんですぐ助けてくれなかったんだよ?」
「はぁ? なんで俺がおまえを助けなきゃなんねえんだよ。俺の仕事はか弱い一般市民が死なないようにすることだ。間違ってもおまえはそんなタマじゃねえだろうが。第一、トリアルでないのにも関わらずトリアルに突っ込んでいったバカに助けがいるはずないだろ? ましてやあんな啖呵を切ったんだ。自業自得だ」
「最終的に助けるくらいなら先に助けてもいいじゃんか」
「あれは死にそうになったからだ。死なれるのは困る」
当たり前のようにアカツキは言い切った。こいつはクズだな。オレもあんまり人の事言えねえけどさ。もう少し言い方ってもんがあるだろうに。
「話を戻すぞ。……トリアルで出来ることはそれこそ無数だ。おまえらみたいに攻撃的なものもあるし、ただ笑って相手に気持ちを伝えるだけってのもある。あくまで経験則だが、その能力はトリアル自身の性格に影響することが多い傾向がある。だから、ロクデナシがもつととんでもなく危険なことになる」
「このキャップ野郎とかか?」
「……まぁな。知ってるかどうか知らんが、最近ここらで奇妙な不審火と不良が襲撃される事案が多発していたんだ。間違いなくこのキャップの仕業だろうよ」
だろうな。こいつの性格から考えて能力の修練くらいはしてるだろうし、不良狩りだって一度や二度で済ませるはずもない。もしオレがこいつと同じ状況だったら間違いなくそうしている。……このキャップ野郎と思考が同じということに腹が立つ。
「トリアル自身の気質にもよるが、基本的にその戦闘力は一般人のそれと比べ物にならない。トリアルなら例外なく体がいくらか丈夫になり、一般人に比べトリアル能力に対する耐性があがる。トリアル同士がなにかの拍子に対立すれば、大抵はこんな惨状になる」
アカツキはそう言って辺りを見回した。さっきまでは地震の被害の跡みたいだったが、今は炎の竜巻のせいで焼け野原みたいになっちまっている。ところどころからは煙も出ていてまるで戦争の跡みたいだ。
「おまえみたいに制御がなってないトリアルだと特にな」
「んだと!?」
アカツキが鼻で笑う。鋭い目つきは笑っても鋭いままだ。完全に悪役の顔だ。こいつが命の恩人だなんてとても思えない。
「キャップのほうがトリアルとしては優秀だったな。なんだかんだで周りの建物の被害は最小限に留めようとしていたし、最初におまえに与えた一撃も致命傷に出来たのにそうしなかった。言ってた通り、殺す気もなかったしな」
「あんなブーメラン野郎のどこが──!」
「能力そのものはそこまで脅威じゃなかったが、その制御とアイデア・工夫には目を見張るものがあった。遠距離攻撃、多角攻撃、切断、殴打。自動遠隔制御と高速移動。おそらく多重展開できるであろう動かせる盾。ブーメランを直接振り回せば近距離もいける。そして周囲を焼きつくす高威力の竜巻。もっと広い場所で好きなようにやらせればあれ以上の威力のものを作れただろう。あの炎のドームだってただ閉じ込めるってだけじゃあない。あのままやれば中の人間は酸欠で意識を失う。非殺傷能力としての評価は非常に高い。評価項目はまだまだあるが、たかだか燃えるブーメランだけでよくぞまぁここまで出来たもんだ」
「……」
「その点おまえの能力は体術の威力が上がるだけ。応用の幅はありそうだが──ま、それだけだ。周辺の被害の多くはおまえがやったものだし、どうみてもあっちのほうが上だろ。俺がいなきゃ殺されてたじゃねえか」
「……言うじゃねえか。覚悟はできてんだろうなぁ!?」
「あ? なんのだ?」
「ぶん殴られる覚悟だよ! 《ライクライクスト──」
「避けりゃ終わりだ」
完璧に不意を突いたつもりだったのに、アカツキはこともなげにオレの拳を避けた。黒いコートがおちょくるようにはためく。ああもう、なんで当たんねえんだよ!
「能力に有利不利はあっても、最強はない。おまえも他のトリアルと戦ったりしてトリアルとしての経験を積めば、新しい使い方に気づいて強くなれるかもしれねえぞ?」
「トリアルなんてそこらに転がっているわけねえだろうが! 十七年生きてて今日初めて知ったんだぞ! 出来るんだったらこっちからやってやらぁ!」
「……それもそうだな。ところで話は変わるが、おまえ、学校はどうした? 昼間も町をブラついてたし、今も青少年が出歩いていていい場所じゃねえだろ、ここは」
「行ってねえよ! 行かなくても脳ミソは足りてるしあんな猿山いくよりか徘徊してた方がマシなんだよ! 初対面にぐちゃぐちゃ言われる筋合いはねえ!」
「親御さんはどうしてる?」
「なんも言ってこねえよ! どうでもいいと思っているんだろうさ!」
「そうか──都合がいい」
アカツキはおぞましく笑った。何の都合がいいのかわかんねーけど、オレの都合に良くないことだけはたしかだ。こういう笑い方をする奴は信用できないと相場が決まっている。ましてや、相手は全身黒づくめの変態だ。
「今更だが、俺の仕事がなんだかわかるか?」
「あ?」
「俺の仕事はな、問題を起こすトリアルをとっちめることなんだ。そのついでで一般人をトリアルから守ることもしている。もちろん、このキャップは連行していく」
アカツキが笑いながらにじり寄ってきた。じり、とオレは一歩後ずさる。こいつはまずい。本能がそう告げている。だって、問題を起こすトリアルっていうのは、つまり、言い換えれば──
「本当はキャップだけだったんだけどな。まさかその場でトリアルに目覚めるやつがいるとは思わなかった」
オレも、問題を起こしたトリアルだ。それも成りたてほやほやで。この惨状の中でそれは言い訳しようもない。
「くそっ! ──《ライクライクストライク》!」
「逃がさねえよ?」
「っ!?」
逃げようとした。が、逃げられなかった。地面を蹴ろうとした足がアカツキによって抑えられたからだ。アカツキはそのままオレを組み伏せるようにして腕を捻りあげて拘束しようとする。もちろん、黙ってそれを許すオレじゃあない。
「バカかてめえは! ここはオレの能力の有効射程! 《ライクライクストライク》!」
「やってみろよ」
「……あれ? 《ライクライクストライク》っ! 《ライクライクストライク》っ! クソぉぉぉ! なんで発動しねえんだよぉぉぉっ!?」
アカツキに拘束されたオレの腕はもどかしそうに暴れるだけで、能力の発動にまで至らない。どうなってんだ! なんで能力が発動しないんだ!?
「まさか……これがてめえの能力か!?」
「あ? わざわざ教えるはずがねえだろうが。ま、俺もトリアルだってことに気付いたことは褒めてやる」
「んなの話の流れからすぐにわかるだろうが!」
まずい。能力の発動もできずに拘束された今の状況は非常にまずい。おまけにこいつの能力の正体もわかっていない。トリアルになりたてのオレでもわかる。こいつは考えうる限りで最悪の状況だ。
アカツキのサングラスが暗闇に妖しく光る。
「おまえの能力な、攻撃だけにしか対応してねえんだよ。正確には対象に当たった瞬間に判定して発動しているってところか? ま、いずれにしろ動く前に拘束されたら終わりだな。まさかとは思ったが、自分でも気づいてなかったんだな」
「……見た目の割にペラペラペラペラ喋りやがって! なめてんのか!?」
「ああ、なめてる」
「……ッ!! 今すぐ放せ! そんで決闘しろ! 能力さえ使えればてめえなんか楽勝で倒せるんだよ! ほら、放せよ! それともなんだ? 偉そうな口叩いといて怖いのか? どうせてめえの能力、ろくに役に立たない能力なんだろ!? てめえみたいにこそこそ隠れ回るチキン野郎にお似合いの!」
「──あ? ふざけた寝言は寝て言えよ」
瞬間。アカツキの瞳が冷たく輝き、周囲の温度が確かに下がった。ぞくりと背筋が震え、情けないことに足ががくがくと震える。ひぅ、と息を飲んだのがオレの耳に確かに聞こえた。アカツキの耳に入っていなかったことを願いたい。
「おまえ程度、能力なんざ使わなくても簡単に倒せる。現に、おまえは今こうして俺に捕まっているんだからな。このまま締め落とせば簡単に意識は刈り取れる。ガキの拙い体術で俺がどうにかなると本気で思っているのか?」
だが──とアカツキは続けた。
「そんなに喰らいたいなら喰らわせてやる。歯ァ食いしばれ」
──世界がしん、と静まり返り、一瞬が永遠になる。
直後、オレの目の前は真っ白になった。