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告白の練習は、君にしかできない

作者: 一木
掲載日:2026/08/29

高校二年生の山田美菜には、誰にも言えない片思いがある。相手は、家が隣同士の幼なじみ・佐藤悠斗。近すぎる関係を壊すのが怖い美菜は、別の男子が好きだと嘘をつき、「告白の練習相手になってほしい」と悠斗へ頼んでしまう。


ところが悠斗も、クラスメイトの鈴木奈々に告白する練習をしたいと言い出した。


放課後の待ち合わせ、休日の水族館、文化祭の帰り道。二人は互いに別の相手を思っているふりをしながら、恋人のような「練習」を重ねていく。


本番が来れば、この時間は終わる。そう分かっているのに、美菜はますます悠斗を好きになってしまう。そして文化祭最終日、二人が隠していた嘘が明らかになる。


本当にだましていたのは、どちらだったのか。二つの片思いと二つの嘘が反転する、青春恋愛短編。


★ 一 最初の嘘


「告白の練習相手になってほしい」


山田美菜がそう言った瞬間、佐藤悠斗は口に含んでいた麦茶を盛大にむせた。


九月最初の日曜日。午後三時。美菜の家のリビングには、開けたままの問題集と、母が切ってくれた梨の皿が置かれていた。


二人は数学の宿題をするために向かい合っていたはずだった。少なくとも、五分前までは。


「急に何?」


悠斗は咳き込みながら、テーブルにこぼれた麦茶をティッシュで拭いた。


「聞こえなかった?」


「聞こえたからむせたんだよ。誰に告白するの?」


想定していた質問なのに、美菜の心臓は大きく跳ねた。


本当の名前を言えるはずがない。


目の前にいる人なのだから。


「二組の……田中健太くん」


美菜は、前日の夜に決めておいた名前を口にした。


田中健太は実在する。二年二組でサッカー部。六月に図書室の前で、美菜が落としたプリントを拾ってくれたことがある。その一度しか話したことはないが、名前を出しても不自然ではない程度には有名な男子だった。


悠斗の手が止まった。


「田中?」


「うん」


「いつから」


「六月くらい」


「三か月も黙ってたの?」


「言う必要ないでしょう」


「俺には言えよ」


悠斗の声が少し低くなった。


その一言に期待しそうになり、美菜は慌てて目をそらした。


悠斗が不満そうなのは、幼なじみとして秘密にされたからだ。美菜を恋愛対象として見ているからではない。


家が隣同士で、母親同士が学生時代からの友人。保育園へ入る前から一緒に遊び、小学校も中学校も同じだった。


悠斗にとって美菜は、妹か、気を遣わなくていい家族のようなものだ。


高校へ入ってクラスが同じになっても、二人の関係は変わらなかった。朝は家の前で会えば一緒に登校し、試験前には互いの家で勉強する。美菜が髪を短くしても悠斗は三日間気づかず、悠斗が女子から告白されても美菜には平気な顔で報告した。


近いからこそ、恋にはならない。


そう思い知らされるたび、美菜は気持ちを隠すのが上手くなった。


「それで、どうして俺が練習相手なの」


「男子の意見を聞けるし、悠斗なら失敗しても恥ずかしくないから」


また嘘をついた。


本当は、悠斗に好きだと言ってみたかった。


たとえ別の男子へ向けた練習という形でも、一度だけ、悠斗の目を見て言葉にしてみたかった。


「ひどい理由だな」


「嫌ならいい」


「嫌とは言ってない」


悠斗は腕を組み、何かを考えるように美菜を見た。


その視線に耐えられず、美菜は梨を一切れ口へ入れた。甘いはずなのに、味がほとんどしない。


「じゃあ、条件がある」


「何?」


「俺の練習にも付き合って」


美菜は噛むのを止めた。


「悠斗も、好きな人がいるの?」


「いる」


迷いのない返事だった。


胸の奥へ、冷たいものが落ちた。


知りたくない。それでも聞かずにはいられなかった。


「誰?」


悠斗はほんの一瞬、視線を泳がせた。


「同じクラスの、鈴木奈々」


今度は、美菜が麦茶をこぼしそうになった。


鈴木奈々は明るくて、かわいくて、誰とでも自然に話せる。文化祭実行委員としてクラスをまとめ、女子からも男子からも好かれている。


悠斗と奈々が話しているところも、何度も見たことがあった。


似合うと思った。


思ってしまったことが、何より苦しかった。


「美菜?」


「……いいんじゃない。奈々、優しいし」


「練習、付き合ってくれる?」


断りたかった。


好きな人が、別の女の子へ告白するための手伝いなど、したくなかった。


けれど自分から頼んだ以上、断れば不自然になる。


それに、練習が続く間だけは、悠斗と恋の話ができる。偽物でも、自分へ向けられる告白を聞ける。


「分かった。お互いに協力する」


「交渉成立」


悠斗が右手を差し出した。


美菜はその手を握った。


幼いころ、何度もつないだ手。けれど今は、触れただけで心臓が苦しくなる。


「いつから始める?」


「明日の放課後」


「そんなに早く?」


「田中に告白したいんだろ」


悠斗の声には、どこか挑むような響きがあった。


「悠斗だって、奈々に告白したいんでしょう」


美菜も負けずに言い返す。


二人は手を離した。


このときの美菜は、まだ知らなかった。


自分が最初についた嘘は、二人の間に生まれた最初の嘘ではなかったことを。


★ 二 放課後の練習


翌日の放課後、美菜と悠斗は校舎裏のベンチにいた。


告白の練習に、人の少ない場所を選んだのは悠斗だった。体育館からはバレーボール部の掛け声が聞こえ、金網の向こうを陸上部員が走っている。


「じゃあ、美菜から」


「どうして私が先なの」


「言い出した人だから」


悠斗はベンチの前に立ち、ポケットへ両手を入れた。


「俺を田中だと思って」


「無理」


「始める前から諦めるなよ」


「全然似てないし」


「じゃあ目を閉じれば」


美菜は仕方なく目を閉じた。


姿が見えなくなると、かえって悠斗の気配が近くなる。風が制服のスカートを揺らし、少し離れた場所で靴底が砂を踏む音がした。


「田中くん」


呼びかける。


返事はない。


「私、田中くんのことが……」


言葉が止まった。


本当は違う名前を呼びたい。


悠斗が好き。


十年以上隣にいて、いつから変わったのか分からないほど長い間、好きだった。


「どうした?」


悠斗の声が聞こえた。


目を閉じている今なら言えるかもしれない。練習なのだから、間違えても笑ってごまかせる。


「私、あなたのことが好きです」


ようやく声にした。


胸の奥に押し込めていた気持ちが、震えながら外へ出ていく。


「付き合ってください」


沈黙が落ちた。


一秒。二秒。三秒。


たまらず目を開ける。


悠斗は、これまで見たことのない顔をしていた。


驚いたように美菜を見つめ、耳が赤くなっている。


「何か言ってよ」


「……悪い」


「そんなに変だった?」


「違う。思ったより、本気みたいだったから」


本気なのだから当然だ。


でも、それを知られるわけにはいかない。


「練習でも真面目にやらないと意味ないでしょう」


「田中のこと、本当に好きなんだな」


悠斗が目をそらした。


その表情が寂しそうに見えたのは、美菜の都合のいい思い込みだろう。


「次、悠斗の番」


美菜は立ち上がり、気持ちを切り替えるふりをした。


「私を奈々だと思って」


「それは無理」


「さっき私に言ったことと同じだよ」


「美菜と鈴木は全然違う」


「どこが?」


悠斗は美菜を頭から足元まで見た。


「全部」


失礼な答えなのに、声がやさしかった。


「ほら、早く」


美菜が促すと、悠斗は一度深く息を吐いた。


「ずっと前から好きだった」


低く、まっすぐな声だった。


「近くにいるのが当たり前すぎて、言ったら今までみたいにいられなくなる気がして、ずっと言えなかった」


美菜の心臓が痛いほど鳴る。


奈々とは高校で知り合ったはずだ。ずっと前というのは、いつからなのだろう。


練習用に作った言葉だと分かっていても、自分へ向けられているように感じてしまう。


「これからも、いちばん近くにいてほしい。俺と付き合ってください」


美菜は返事を忘れた。


今、「うん」と言えたら、どれほど幸せだろう。


けれど悠斗が見ているのは、美菜ではなく奈々だ。


「……奈々なら、喜ぶと思う」


美菜が言うと、悠斗の表情が消えた。


「鈴木なら、か」


「うん。すごくよかった」


「そっか」


悠斗はベンチへ置いた鞄を持ち上げた。


「今日はここまでにしよう」


「もう終わり?」


「一日で完璧になったら、練習する理由なくなるだろ」


何気ない言葉だった。


それなのに、胸へ小さな棘のように残った。


練習する理由がなくなれば、二人の時間も終わる。


美菜は、自分が本番よりも練習を大切に思い始めていることに気づいた。


*


告白練習は、それから週に二度の習慣になった。


月曜日は美菜、木曜日は悠斗。放課後の教室、駅までの川沿い、公園のブランコ。場所を変え、言葉を変え、何度も好きだと言った。


「田中くんと、どんなデートがしたい?」


ある日、悠斗が聞いた。


「考えたことない」


「好きなのに?」


「好きだからって、全部想像するわけじゃないよ」


「俺はするけど」


「奈々と?」


言いながら、自分で傷ついた。


悠斗は少し間を空けてうなずいた。


「水族館とか」


「奈々、好きそう」


「本当に?」


「たぶん」


「じゃあ今度の日曜日、付き合って」


「何に?」


「デートの練習」


断るべきだった。


好きな人と水族館へ行き、別の女の子のための練習をするなんて、苦しくなるだけだ。


それでも美菜は、「いいよ」と答えた。


本番ではないから行ける場所がある。


本番ではないから、隣にいられる時間がある。


嘘の中にしかない幸せでも、今は手放せなかった。


★ 三 恋人ではない二人のデート


日曜日、美菜は待ち合わせの三十分前に駅へ着いた。


服を選ぶだけで一時間かかった。白いブラウスに薄い青のスカート。髪は普段より丁寧に巻いたが、気合いを入れすぎたと思われるのが怖くて、結局低い位置で一つに結んだ。


改札前のガラスに映る自分を何度も確認していると、背後から声がした。


「早いな」


振り向くと、悠斗が立っていた。


黒いシャツに細身のパンツ。学校で見るより少し大人っぽく見える。


「悠斗も早いよ」


「家を出たら、美菜が前を歩いてたから」


「声かけてよ」


「待ち合わせする意味なくなるだろ」


悠斗はそう言って、美菜をじっと見た。


「何?」


「似合ってる」


「奈々がこういう服を好きかは分からないよ」


「今、美菜の服の話してる」


一気に頬が熱くなった。


「ありがとう」


小さく答えると、悠斗も少しだけ目をそらした。


電車に乗り、水族館へ向かった。


休日の車内は混んでいて、二人は扉の近くに並んで立った。電車が揺れるたび、肩が触れる。いつも一緒に登校しているのに、私服で遠くへ出かけるだけで、すべてが特別に感じられた。


水族館では、最初に大きな回遊水槽を見た。


青い光の中を、銀色の魚の群れが形を変えながら泳いでいる。悠斗は水槽より、美菜の反応を見ていた。


「魚、見ないの?」


「見てる」


「私の顔を?」


「水槽に映ってるから」


「言い訳が苦しいよ」


美菜が笑うと、悠斗も笑った。


クラゲの展示では、薄暗い通路で手が触れた。


一瞬だけ。けれど、どちらもすぐには離さなかった。


悠斗の小指が、美菜の指へ重なる。


恋人なら、そのまま手をつなげたのだろう。


だが今日は、奈々とのデートの練習だ。


そう思った瞬間、美菜は手を引いた。


「ごめん」


「どうして謝るの」


「いや、別に」


悠斗は少し不機嫌そうに前を歩いた。


昼食は海の見えるカフェで食べた。悠斗が美菜の苦手なピクルスを、自分の皿へ移す。


「奈々の前でも、そういうことするの?」


「鈴木がピクルス嫌いなら」


「私が嫌いだから知ってるだけでしょう」


「じゃあ、美菜といるほうが楽だな」


うれしいのに、喜んではいけない気がした。


「練習なんだから、私を奈々だと思わないと」


「無理だって言っただろ」


「じゃあ、この練習に意味ある?」


悠斗はストローの袋を指で折りながら黙った。


「あるよ」


「どんな?」


「俺にはある」


それ以上は教えてくれなかった。


帰る前に、二人は館内の写真機で記念写真を撮った。


「これも練習?」


美菜が聞くと、悠斗は画面のフレームを選びながら答えた。


「デートしたら写真くらい撮るだろ」


「奈々とは、また別に撮るんでしょう」


「今日は美菜と来たんだから、美菜との写真だよ」


撮影の瞬間、悠斗が美菜の肩を抱いた。


驚いて横を向いた顔のまま、シャッターが切られる。完成した写真には、目を丸くした美菜と、楽しそうに笑う悠斗が写っていた。


「変な顔」


「俺は好きだけど」


「写真の話?」


「そういうことにしておく」


悠斗は二枚出てきた写真の一枚を、美菜へ渡した。


残りを自分の財布へ入れる。


奈々とのための練習なのに、なぜ二人の写真を大切にするのだろう。


聞けばいいだけなのに、美菜は聞けなかった。


期待した答えと違ったとき、この一日まで嘘になるのが怖かった。


駅から家までの帰り道、悠斗が言った。


「田中とは、水族館へ行かないで」


「どうして?」


「今日と同じになるから」


「悠斗だって、奈々と来るかもしれないでしょう」


「来ない」


「告白が成功したら、来るかもしれないよ」


悠斗は立ち止まった。


夕暮れの住宅街で、美菜も足を止める。


「成功してほしい?」


「え?」


「俺と鈴木が付き合っても、美菜は平気?」


平気なわけがない。


けれど、それを言えば、自分の嘘が崩れる。


「応援するって決めたから」


美菜が笑うと、悠斗は傷ついたような顔をした。


「そっか」


それだけ言って、先に歩き出した。


美菜は数歩遅れてついていった。


二人の家は隣同士なのに、その日の帰り道はひどく遠く感じた。


★ 四 本番の日


十月になると、文化祭の準備が本格的に始まった。


二年一組は、校内を使った謎解きゲームを企画していた。悠斗は大道具、美菜は問題文の作成、奈々は全体の進行を担当した。


放課後、三人で残ることも増えた。


悠斗と奈々はよく話した。必要な打ち合わせだと分かっていても、二人が並ぶ姿を見るたび、美菜の胸は重くなった。


「美菜、ここの文章、もう少し短くできる?」


奈々が問題用紙を見せてきた。


「うん。明日までに直す」


「助かる。美菜の文章、分かりやすいから好き」


奈々は何も悪くない。


むしろ、美菜にいつも親切だった。恋の相手として比べることさえ申し訳なくなるほど、いい子だった。


「奈々」


「何?」


「好きな人、いる?」


思わず聞いてしまった。


奈々は少し驚き、それから笑った。


「いるように見える?」


「分からないから聞いたの」


「今はいないかな」


「告白されたら?」


「相手によるよ。どうしたの、急に」


「何でもない」


悠斗の告白には、可能性がある。


奈々が誰も好きではないなら、断る理由もないかもしれない。


その夜、美菜は悠斗とのメッセージ画面を何度も開いた。


練習の日を決める短いやり取り。水族館で撮ったクラゲの写真。帰宅後に届いた「今日はありがとう」。


恋人のように見える思い出が並んでいる。


けれど、本番が始まれば、すべて練習だったことになる。


『次の練習、いつにする?』


送ろうとして、消した。


代わりに悠斗からメッセージが届いた。


『文化祭の二日目、鈴木に言うことにした』


画面の文字がぼやけた。


ついに本番の日が決まった。


美菜は長い時間をかけて、短い返事を送った。


『頑張って』


すぐに既読がついた。


返事は来なかった。


*


文化祭一日目は、目が回るほど忙しかった。


謎解きゲームには予想以上の客が集まり、廊下には長い列ができた。忙しさのおかげで、余計なことを考えずに済んだ。


閉場後、教室で片づけをしていると、田中健太が入ってきた。


「山田さん、少しいい?」


名前を呼ばれ、美菜は固まった。


田中とは、六月以来ほとんど話していない。悠斗へついた嘘を、本人に知られたような気がして落ち着かない。


廊下へ出ると、田中は一枚の紙を差し出した。


「明日のサッカー部の展示、受付でもらえる整理券。鈴木さんに頼まれたんだけど、山田さんへ渡してって」


「奈々が?」


「うん。佐藤と一緒に来たら、って」


「どういう意味?」


田中は困ったように頭をかいた。


「俺も分からない。ところで、変なこと聞いていい?」


「何?」


「山田さん、俺のこと好きって噂、本当?」


血の気が引いた。


「誰から聞いたの?」


「名前は言わないけど、二組の友達。最近、山田さんが告白の練習してるって」


悠斗以外には話していない。


どこから漏れたのだろう。


「違うの」


美菜は反射的に答えた。


田中が目を丸くする。


「私、田中くんのことは好きじゃない。名前を勝手に使って、本当にごめんなさい」


「じゃあ、どうして」


「好きな人に、好きって言う練習をしたかったから」


口にしてから、自分のしたことの幼さが恥ずかしくなった。


田中はしばらく黙り、やがて小さく笑った。


「その練習相手が、好きな人なんだ」


「どうして分かるの?」


「佐藤以外に、山田さんがそんな頼み方できる男子いないだろ。それにあいつ、水族館の写真を見せてきた」


「見せたの?」


「聞いてもないのに。山田が変な顔してるって言いながら、すごくうれしそうだった」


胸が鳴った。


「でも、悠斗は奈々が好きだから」


「そうなの?」


「本人が言ったの」


田中は何か言いかけたが、廊下の向こうから仲間に呼ばれた。


「ごめん、行く。噂のことは否定しておくから」


「本当にごめんなさい」


「俺は別に傷ついてないから大丈夫。それより、本番を間違えないほうがいいよ」


田中は手を振り、階段を下りていった。


本番を間違えないほうがいい。


その言葉が、美菜の中に残った。


悠斗が奈々へ告白する明日、美菜も田中へ告白したことにしなければならない。成功したと嘘をつくのか、振られたと嘘を重ねるのか。


どちらを選んでも、悠斗との練習は終わる。


それなら、せめて最後に本当のことを言いたい。


付き合ってほしいとは言わなくていい。


困らせたいわけでも、奈々との恋を邪魔したいわけでもない。


ただ、練習の中で何度も渡した「好き」が、最初から悠斗のものだったと伝えたい。


そう決めたとき、教室の入り口に人影が見えた。


悠斗だった。


「田中と何話してた?」


声が硬い。


「明日のこと」


嘘ではない。しかし、悠斗はそう受け取らなかった。


「告白したの?」


「まだ」


「じゃあ、明日?」


美菜はうなずいた。


明日、告白する。


相手は田中ではなく、悠斗に。


「そっか」


悠斗は笑った。


水族館の帰りと同じ、傷ついたような笑顔だった。


「お互い、本番だな」


「うん」


「成功するといいな」


「悠斗も」


応援したくないのに、最後まで嘘をついた。


★ 五 二つ目の嘘


文化祭二日目、午後四時。


閉場を知らせる放送が流れ、校内のにぎわいが少しずつ片づけの音へ変わっていった。


悠斗は、奈々を中庭へ呼び出すと言っていた。


美菜は告白の場所を聞いてしまったことを後悔した。知らなければ、見に行こうなどと思わなかったはずだ。


それでも足は、二階の渡り廊下へ向かった。


窓から中庭が見える。


色づき始めた木の下に、悠斗と奈々が立っていた。


声は聞こえない。


奈々が何かを話し、悠斗は黙って聞いている。やがて奈々が白い封筒のようなものを差し出した。


悠斗が受け取る。


胸がつぶれそうになった。


あれは返事だろうか。奈々も悠斗が好きで、手紙を用意していたのかもしれない。


二人がこちらを見る前に、美菜は窓から離れた。


告白するつもりだった。


好きだったと伝え、笑って終わるつもりだった。


けれど今は、二人の間へ入る勇気がない。


階段を下り、昇降口へ向かう。上履きを脱ごうとしたとき、スマートフォンが震えた。


悠斗からだった。


『どこにいる?』


返事をせず、靴を履いた。


もう一度震える。


『田中に言った?』


美菜は画面を閉じた。


校門を出たところで、後ろから名前を呼ばれた。


「美菜!」


振り返らなくても、悠斗だと分かった。


足を速めたが、すぐに追いつかれ、腕をつかまれる。


「待てよ」


「奈々のところへ戻らなくていいの?」


「どうして鈴木が出てくるんだよ」


「告白したんでしょう」


悠斗が息を止めた。


「見てたの?」


「手紙、もらってた」


「あれは違う」


「何が違うの?」


美菜は腕を振りほどいた。


ずっと抑えていた言葉が、止まらなくなった。


「私、応援しようと思ってた。悠斗が奈々を好きなら仕方ないって。練習だけでも一緒にいられたから、それでいいって。でも本当は全然よくなかった」


悠斗が目を見開く。


「水族館も、放課後の練習も、全部うれしかった。でも悠斗にとっては、奈々と付き合うための練習だったんでしょう。だったらもう、私に連絡しないで。奈々にも失礼だから」


言い終えた瞬間、涙がこぼれた。


最後くらい笑っていたかったのに、できなかった。


「違う」


悠斗が言った。


「何が?」


「鈴木に告白してない」


「じゃあ、あの手紙は何?」


悠斗は手に持っていた白い封筒を、美菜へ差し出した。


「見れば分かる」


美菜は受け取った。


表には、『嘘つき二人へ』と書かれている。


中には、文化祭の謎解きゲームで使ったカードが一枚入っていた。奈々の丸い字で文章が書かれている。


『第一問。好きでもない相手の名前を使って、好きな人とデートをする二人を何と呼ぶでしょう』


その下に、大きな赤い字で答えがあった。


『両片思いの意気地なし』


美菜は何度も読み返した。


「どういうこと?」


「書いてあるとおり」


「だって、悠斗は奈々が好きだって」


「嘘だよ」


世界の音が、一瞬消えた。


「いつから?」


「最初から」


悠斗は苦しそうに笑った。


「美菜が田中を好きだって言った日、頭の中が真っ白になった。三か月も知らなかったのが悔しくて、俺だけ何もなかったみたいに思われるのが嫌で、鈴木の名前を出した」


「どうして奈々だったの?」


「その日の昼に文化祭のことで話したから、最初に名前が浮かんだ」


「そんな理由?」


「そんな理由」


悠斗はうなずいた。


「練習を引き受けたのも、美菜が本当に田中へ告白するのを止めたかったから。俺の練習にも付き合わせれば、その間は本番に行かないと思った」


「水族館は?」


「美菜と行きたかった」


「手をつなごうとしたのも?」


「あれは練習じゃない」


「写真を撮ったのも?」


「俺にとっては、最初からデートだった」


頬を伝っていた涙の意味が、少しずつ変わっていく。


悲しいのか、うれしいのか、自分でも分からない。


「じゃあ、奈々は全部知ってたの?」


「途中から。俺が水族館の写真を見せたら、『好きな子とデートした顔してる』って言われた」


「田中くんにも見せたんでしょう」


「あいつにまで聞いたのかよ」


悠斗が気まずそうに目をそらす。


「田中くんへ告白するっていうのも、嘘」


今度は悠斗が動きを止めた。


「好きじゃないの?」


「最初から好きじゃない」


「六月からって」


「プリントを拾ってもらっただけ」


「じゃあ、どうして田中の名前を出したんだよ」


「悠斗に告白の練習をしてほしかったから」


「誰への告白?」


美菜は唇を噛んだ。


ここまで話しても、最後の言葉だけが怖い。


悠斗が一歩近づいた。


「美菜。誰に好きって言う練習をしてた?」


「分かってるでしょう」


「聞きたい」


「練習で何度も言ったよ」


「あれは田中への言葉だと思ってた」


「悠斗も、奈々に言ってると思ってた」


二人はしばらく見つめ合った。


どちらも、相手が先に言うのを待っている。


それがおかしくなって、美菜は涙を拭いながら笑った。


「奈々の書いたとおりだね」


「何が?」


「両片思いの意気地なし」


悠斗も笑った。


「否定できない」


「私たち、ずっと何してたんだろう」


「恋人になる練習?」


「本番の相手を間違えてた」


「俺は間違えてない」


悠斗の表情が真剣になった。


「最初から、美菜しか見てなかった」


美菜の胸が強く鳴った。


「それ、練習?」


「違う。本番」


悠斗は、校舎裏で最初に告白したときと同じように、美菜の前へ立った。


けれど今は、奈々を思い浮かべるふりをしていない。


まっすぐ美菜だけを見ている。


「ずっと前から好きだった。近くにいるのが当たり前すぎて、言ったら今までみたいにいられなくなるのが怖かった」


一度聞いた言葉だった。


あの日、奈々へ向けたものだと思って、胸の奥にしまった言葉。


「これからも、いちばん近くにいてほしい。美菜、俺と付き合ってください」


今度は返事を間違えない。


「はい」


美菜は涙の残る顔でうなずいた。


「私も、ずっと悠斗が好きでした」


悠斗が息を吐き、力が抜けたように笑った。


「よかった」


「私が田中くんに本気だったら、どうするつもりだったの?」


「告白を失敗させる方法を、毎晩考えてた」


「最低」


「何も実行してないから許して」


「奈々に本気で告白されたら?」


「断るに決まってる」


「もったいない」


「今の言葉、取り消して」


悠斗が美菜の頬を両手で挟んだ。


急に距離が近くなり、美菜は動けなくなる。


「何?」


「練習の続き」


「告白は終わったよ」


「付き合ったあとの練習」


悠斗の顔が近づく。


美菜は反射的に目を閉じた。


けれど、唇ではなく額へ軽く触れられただけだった。


目を開けると、悠斗の耳が真っ赤になっている。


「そこは練習なんだ」


「悪いかよ。いきなり本番は無理」


「意気地なし」


「美菜に言われたくない」


二人で笑った。


そのとき、美菜のスマートフォンが鳴った。


奈々からメッセージが届いている。


『謎は解けましたか?』


続けて、田中からも来た。


『佐藤がうるさいから、早く本当のこと言ってやって』


どうやら二人だけが、自分たちの嘘に気づいていなかったらしい。


美菜は奈々へ、『解けました。ありがとう』と返した。


すぐに、大量の拍手の絵文字が届いた。


「明日、学校で何て言われるかな」


美菜が画面を悠斗へ見せる。


「しばらくからかわれる」


「嫌だな」


「でも、もう練習する必要ない」


その言葉に、美菜は少し寂しさを覚えた。


放課後のベンチも、水族館も、すべて練習という言い訳があったから行けた場所だ。


「終わっちゃったね」


「何が?」


「告白の練習」


悠斗は美菜の手を取った。


水族館では途中で離してしまった手を、今度は指を絡めて握る。


「終わったんじゃなくて、合格したんだよ」


「誰が決めたの?」


「俺」


「自分に甘い採点」


「美菜は?」


美菜はつないだ手を見た。


「ぎりぎり合格」


「厳しいな」


「これからの行動で点数が変わります」


「じゃあ、帰りに何か食べてく?」


「それも練習?」


「初デートの本番」


二人は手をつないだまま歩き出した。


家は隣同士だから、帰る場所は同じだ。それでも今日は、少し遠回りをして帰りたかった。


校門を出る前、美菜は一度だけ振り返った。


文化祭の飾りが夕方の風に揺れている。明日にはすべて片づけられ、学校はいつもの姿へ戻る。


けれど、美菜と悠斗はもう、昨日までの二人には戻らない。


嘘をついたことを、正しいとは思わない。


田中と奈々には迷惑をかけたし、互いの言葉を信じられず、何度も傷ついた。


それでも、あの最初の嘘がなければ、美菜は今も悠斗の隣で、幼なじみのふりを続けていただろう。


「美菜」


隣から名前を呼ばれる。


「何?」


「好き」


あまりに突然で、美菜は足を止めた。


「急に言わないで」


「練習では何度も言っただろ」


「本番は違うの」


「じゃあ慣れるまで言う」


「恥ずかしいからやめて」


「美菜は?」


「何が?」


「俺のこと、好き?」


美菜はすぐには答えなかった。


悠斗が不安そうに眉を寄せる。


その顔をもう少し見ていたくなったが、これ以上待たせるのはかわいそうだ。


「好き」


今まで何度も口にした二文字なのに、初めて本当の場所へ届いた気がした。


「ずっと、悠斗だけが好き」


悠斗の手に力がこもる。


夕暮れの道を、二人は並んで歩いた。


告白の練習は、もう必要ない。


けれど、気持ちを伝えることに終わりはないのだと思う。


好きになった日も、付き合い始めた日も、その先の日々も、言葉にしなければ伝わらないことがある。


だから美菜は、これから何度でも言おうと決めた。


練習ではなく、そのたびに本番として。


隣にいる、いちばん好きな人へ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


好きな人に近づくためについた美菜の嘘と、大切な人を失いたくなくて悠斗がついた嘘。二人は同じように相手を思い、同じように怖がっていたのに、自分だけが片思いをしていると思い込んでいました。


最初から素直に話せていれば、もっと早く気持ちは通じたでしょう。それでも、遠回りをした時間があったからこそ、二人は言葉を交わすことの大切さに気づけたのだと思います。


美菜と悠斗のどちらの嘘に先に気づいたか、また心に残った場面がありましたら、感想をお寄せいただけるとうれしいです。


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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本作とは別に、作者は恋愛をテーマにしたコンテンツも制作しています。

作者の制作コンテンツ:一禅堂恋みくじ

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