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6.人間の王城の台所は、あまりにも地獄でした

「……どうか、人間の国にも来ていただけませんか」


 使者は、深く頭を下げたまま動かなかった。


「我が国の台所は荒れ、民も、城も……限界なのです」


 魔王はすぐに答えなかった。

 代わりに、私の方を見る。


「君の判断に任せよう」


 私は少し考えて、頷いた。


「……見てみないと、分からないですから」


 その瞬間、

 ガルディスが無言で立ち上がり、

 リュシアスが外套を手に取った。


「護衛だ」


「……必要だろう」


 いつの間にか、当たり前の流れになっている。


 ◆


 人間の王城の台所は――

 静かで、重かった。


 火は入っている。

 鍋もある。

 だが、料理人たちの手が止まりがちで、

 空気に張りがない。


 穀物は古く、

 野菜は水分を失い、

 煮込みは延々と煮詰められている。


「……保存も、休ませる工程もないんですね」


「恐れながら……余裕がなく」


 責める気には、なれなかった。


 そして、王妃の寝室。


 寝台に横たわる女性は、痩せ、顔色も悪い。

 だが、呼吸は規則正しい。


 王が、静かに口を開いた。


「王妃は長く病に伏している」


 声は低く、抑えられている。


「医師も魔法使いも手を尽くした。

 だが、快癒の兆しはない」


 ――“不治”とは言わない。

 それが、この人の矜持なのだと分かる。


「……食事は?」


「ほとんど、喉を通らぬ」


 私は、ゆっくり頷いた。


「では、まず“負担にならないもの”からいきましょう」


 ◆


 使ったのは、

 軽く炒った穀物。

 刻んだ香味野菜。

 澄んだ水。


 旨味を“足す”のではなく、

 身体に水分と温度を戻す料理。


 とろみのある、穀物のスープ。


 王妃は、そっと匙を口に運んだ。


 一拍。


 そして、小さく息を吐いた。


「……温かいですね」


《体調回復》

《消化促進》

《精神安定(大)》


 その日、王妃はすべてを飲み切った。


 数日後。


 王妃は、窓辺に座っていた。


「今日は、少し庭を歩けそうです」


 王は、一瞬だけ目を伏せ――

 次の瞬間、深く頭を下げた。


「……感謝する」


 短い言葉。

 だが、そこにすべてが詰まっていた。


「この恩、王として必ず返そう」


 私は、慌てて首を振る。


「大げさです。

 ちゃんと食べて、休めるようになっただけですから」


 王は、静かに答えた。


「それが、どれほど難しかったか……

 我々は、忘れていたのだ」


 ◆


 王城の台所に、少しずつ活気が戻る。


 穀物を休ませ、

 水を替え、

 火を止める勇気を持つ。


 ――だが。


 廊下の影で、低い声がした。


「……流れが変わりすぎている」


 不満とも、警戒ともつかない声。


 私は聞かなかったことにして、鍋を混ぜる。


 ガルディスが木箱を運び、

 リュシアスが食材を冷やして保存する。


「……忙しいな」


「いいことです」


 変化を嫌う者は、必ずいる。


 でも。


「そのうち、ちゃんと座って食べさせます」


 そうすれば、きっと分かる。


 人も、魔族も。

 争う前に、疲れすぎていただけだということを。


 人間の王城にも、

 今日、静かな湯気が立ち上っていた。

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