表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
11/40

11.帰る夢、残る匂い

を見た。


 白いキッチン。

 見慣れたコンロ。

 少し欠けたお気に入りのマグカップ。


 包丁を持つ手は迷わず、

 棚には、当たり前のように調味料が並んでいる。


 カメラが回っていて、

 画面の向こうには、無数のコメント。


「今日も美味しそう」

「それ作ってみます!」

「おかえり!」


 ――おかえり。


 その言葉に、胸の奥が、少しだけ軋んだ。


 ◆


 目が覚める。


 天井は、魔王城の客室。

 重い石の梁。

 外は、しんとした雪景色。


「……夢、か」


 しばらく、起き上がれなかった。


 帰れる。

 帰ろうと思えば、きっと。


 でも――。


 廊下の奥から、かすかに匂いが流れてくる。


 昨日の鍋を温め直した、

 味噌の匂い。


 ◆


 厨房に行くと、

 リュシアスが無言で鍋を見ていた。


「おはようございます」


「……早いな」


 ガルディスは、椅子に座り、湯気を眺めている。


「雪の日は、目が覚める」


 火を入れ、味噌を溶く。

 塩を、ほんのひとつまみ。


 同じ手順。

 何度も繰り返した動作。


「……夢でも見たか」


 ガルディスが、ぽつりと聞いた。


「……帰る夢を」


 二人は、すぐに何も言わなかった。


 それが、ありがたい。


 ◆


 少しして、足音。


 柔らかく、控えめな音。


「おはようございます」


 入ってきたのは、王妃だった。


 外套を羽織り、

 いつもの王妃としての装いではない。


「……また、お忍びですか」


「ええ」


 彼女は、少し照れたように微笑む。


「こちらの食事と空気が、好きで」


 魔王城に泊まるのも、もう何度目か分からない。


 王妃は、自然に椀を手に取った。


「この匂いを嗅ぐと、落ち着くんです」


「それは、良かったです」


「……本当に」


 ◆


 子どもたちも、起きてくる。


「先生、おはよう!」


「雪、まだ降ってる!」


「今日もごはんある?」


「ありますよ」


 その声に、胸がきゅっとなる。


 ここには、

 私が起きているのを、当たり前に待っている人たちがいる。


 ◆


 食事が始まる。


 鍋は静かに煮え、

 椀が並ぶ。


《精神安定》

《迷い:一時的》


 そんな言葉が、頭をよぎる。


 王妃が、ふとこちらを見る。


「……迷っていらっしゃる?」


 少しだけ、驚く。


「顔に出てました?」


「少しだけ」


 彼女は、椀を両手で包みながら言った。


「ここに来てから、私は随分、元気になりました」


 そして、静かに続ける。


「ですから……

 もし、いなくなる日が来ても、

 ちゃんと、感謝は残っています」


 責める響きは、どこにもない。


 それが、余計に胸に沁みる。


 ◆


 食後、私は中庭に出る。


 雪は、まだ降っている。


 冷たい。

 でも、澄んでいる。


 背後から、足音。


 魔王だった。


「……揺れているな」


「はい」


「答えは、急がなくていい」


 彼は、城の窓を見上げる。


「ここに泊まる者が増えた。

 それだけ、居心地が悪くないということだ」


 ◆


 私は、城を見渡す。


 灯り。

 湯気。

 人の気配。


 王妃が笑い、

 子どもが走り、

 鍋が温まっている。


「……もう少し」


 小さく、呟く。


「もう少し、ここにいます」


 帰る夢を見た夜。


 それでも私は、

 今日もこの城で、火を入れる。


 この場所はもう、

 “通り過ぎる場所”じゃない。


 そう思ってしまった自分に、

 少しだけ、微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ