ボンボンとお嬢さん
朝日ヶ丘学院附属高等学校。県内でも有数の進学校であり、数々の著名人を輩出する歴史のある学校である。
その学校に通うのは大概がお互いの家を認識しているような大富豪の集合である。
朝日ヶ丘学園の生徒の1人、九条柊哉とうやもその1人。九条グループ、アパレルから始まり、様々な事業を手掛ける大企業の長男である。と言っても絵に書いたような優等生でもなければ特段勉強ができる訳では無い、顔も特筆して良くは無い、典型的なボンボンであるとはいえ住居は名古屋駅から徒歩圏内のタワマンの最上階。大企業の御曹司たる所以だ。
そんな柊哉の高校1年の生活も半分が過ぎようとする夏休み中に事件は起きた。
『柊哉〜?今日の午後に前々から言ってた許嫁候補の子、そっちに住むからねー?言ってなかったっけ?』
「はい?聞いてないんだけど…」
突然の母からの電話に狼狽えていたのも2時間前、突然に引越し業者が家に訪ねてきて、続々と荷物が運び込まれている。
許嫁というのは高級自動車メーカーLexesの一人娘らしい。それしか情報がないのが心許ないが。
「これで荷物は以上っす!またのご利用をお待ちしてるっす!」
快活な引越し業者を見送った後、思考に深けていると、何もかもの伏線が回収された。高校からの一人暮らしにしては広すぎる2LDK、1部屋開けておけという指示。1人で自由にやれるならいいやと何も考えず従っていたものの、これが目的だったらしい。
その刹那、インターホンが鳴らされる。モニターにはマスクにフード、眼鏡をかけた少女が1人。顔がほとんど見えないため、なんとも言えない印象を抱いた。
『九重琴葉です。九条さんですよね、入れて貰えますか』
低いトーンでモゴモゴと喋るので聞き取りづらかったものの何とか聞き取れた。
三分ほど待つと、部屋前のインターホンが鳴る。彼女を部屋に招き入れ、ざっと部屋の説明だけした。
「よろしくお願いしますっ」
マスクとメガネのまま彼女は部屋にこもってしまった。
そのまま19時まで特に何も無かった。柊弥はずっとリビングにいたものの出てこなかった。
柊哉はふと、流石に夕飯は食べないといけないと思い、声をかけることにした。
ノックをするとドアをうっすらと開けて顔を出した。
「なに…?」
「あ、あぁ…夕食どうするのかなって…」
「今食べてる」
右手に持った某10秒でエネルギーをチャージできるそれを気だるげにこちらに見せてきた。
「それだけで大丈夫なの?」
体が大きくない女の子とはいえ高校生の育ち盛りなのだからもう少し食べていても不思議では無い、いや、これだけしか食べないのがむしろ異常なのである。
琴葉はこくりと頷き部屋に戻ってしまった。
(この子…本当に大丈夫なのだろうか…)
彼女の謎は未だ解けず、これからも解けるか分からない。だとしてもしばらく共同生活を送る故、多少のことは分かるであろう。そうタカをくくって夕飯のカップ麺を胃に流し込んだ。
それから1週間経った。特に何も無い…いや本当に何も無かった。
何も無い…というよりほとんど琴葉が部屋から出てこなかった。
どうしたものかと頭を悩ます柊弥の耳に突如小さな叫び声が聞こえた。
「ど、どうした?!」
「あ、あれ…!」
部屋から出てきた琴葉は柊弥の背中側に回り込み、部屋の中を震えながら指さす。
「う、うぇぇ…」
琴葉の部屋に…某黒い甲冑を着込んだ小さな忍者…もとい侵略者が…!
柊弥が殺虫剤を取ってかけようと噴射口を黒い忍者に向けるものの、こいつ殺意を察知できるのか、カサコソと縦横無尽に動き回る。
特段虫が得意では無い部類の柊弥にとっては地獄の所業だった。
5分の死闘の末黒い忍者を討ち取った。
亡骸をティッシュで何重にも包みゴミ箱にぶち込んだ。全く、42階にも忍者は表れるらしい。ネットの情報によると1匹殺してもあと10匹はその部屋にいるらしい。故にその部屋をくん煙剤を使用して殺虫する必要があるらしい。
「九重さん、どうやら1匹でたらあと10匹は部屋に潜んでる可能性があるらしい、くん煙剤とか撒いた方がいいらしいよ」
琴葉は部屋にいたい気持ちとまたあの黒い忍者に遭遇したくない気持ちの天秤にかけていたが、結局くん煙剤様に頼るらしい。
琴葉をリビングに放置し、柊弥は自室にこもった。一応楽曲制作をしている柊弥はキーボードを叩いて歌詞を打ち込む。これだけが小さい時に受けた英才教育の片鱗である。むしろこれだけしか残ってないのが不思議である。
部屋にこもって1時間、柊弥は飲み物をとりにキッチンへ向かう道中、リビングの端っこで丸まる琴葉が目に入った。
「な、なにしてるの?」
「寝る場所がない…」
あ、今気づいた。くん煙剤まみれじゃん。琴葉の部屋。