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校長先生の長いお話

作者: 雉白書屋

 小学校校長、蒲田篤弘は今では併合し、名を失ったある田舎町で生まれ育った。

 五人兄弟の末っ子の蒲田校長は幼少の頃より

虫や雑草といった身の回りの物に興味を抱き

木造校舎の小学校の図書室から借りた図鑑をいつも持ち歩いていた。

 身の回りにあるものは全て己を高める教材、先生であると気づいたとき

何もないと兄たちが嘆くこの田舎町が広大に思えた。

 そして感動に打ち震えた。おお、なんと世界は広いのだろう!

この田舎町だけでこれほどまでに知的好奇心をくすぐられるというのに

あの森の向こう、山の向こう、空の向こうには

一体どれほど私が知らないものがあるのだろう。

そう思うと笑みを浮かべずにはいられないのであった。

 だが、常に活き活きとしていたせいか、周囲から浮いた存在に見え

意地悪なガキ大将に絡まれることもしばしばあった。

しかし、その都度相手を言い負かし、特には拳を振るい

決して自分のこの身が虐げられることを良しとしなかった。

 それは何故か? 自分は将来、人のためになる人間、弱者の味方でありたい

早くもそういった志を胸に抱いていたのであった。

 自分を見捨てる者が誰を救えようか。だから抗った。

そしてそれは時に大人に対してもそうであった。

毅然とした態度で、暴論振るう教師の矛盾を突き、顔を歪ませた。

 頭に拳が飛んできたことは言うまでもない。その頃は体罰などは当然であった。

今では考えられない愚行。だが、皆がそう思えるこの時代は素晴らしい。

 だが、そうは言っても世界には、国内には苦しむ子供が数多くいる。

それを救いたい。それには自分一人の力では無理だ。だから教師を志した。

他人を救える、強く優しい子を育てたいと、そう考えたのだ。

そのために学校のテストや宿題にいつも真面目に取り組んだ。

 時には誘惑もあった。悪童とは言わないまでも不真面目な友人の誘いを断り

しかし、人間関係は大事にしており友人は多くいた。

頼られることもしばしばあり、その度に助けた。

信頼を勝ち得ていたので相談事、多くの秘密を打ち明けられることがあったが

決してそれを人に話そうとはしなかった。

ましてや密告など、もっての外。たとえ、それが生徒に非があろうとも

教員に告げ口しようなどとは考えもしなかった。

自分が嫌われることを恐れたのではない。

その生徒が体罰で傷つくことを恐れたのだ。

 体罰は間違っている。体罰が当たり前の時代であってもそう思っていた。

それだけではない。あらゆる理不尽。たとえ、皆が疑問にも持たない

これが普通、当然なのだと許容していることであっても『これは違う』と感じたならば

それが強大な体制側であっても決して心は屈しないのであった。

 よって時には自分が無実であろうともかばい、その身で罰を受けることもあった。

しかし、友を売ることはしなかった。それにより、さらなる人望を得て――



 ……と、いった蒲田校長の幼少期の話からスタートを切ったこの全校集会は

すでに開始から三時間が経過しようとしていた。

 夏休み目前のこの日。この全校集会が終われば宿題を受け取り、下校するだけ。

午後は何しようか、少し遊んでから帰ろうか

小学生たちが立てたそんな淡い計画は脆く、崩れ去った。

 始めは夏休みという喜びに目をキラキラさせ、校長の話を聞いていた生徒らは

今や、その目から光は失われ、ほとんど全員が俯いていた。

 貧血で倒れた生徒が八人を超えた辺りで座ることは許されたがそれでも今は夏。

体育館は冷房が効いているといえど、その広さからして十分とは言えない。

 滴り落ちる汗。目は虚ろ。死屍累々。

膝を抱え項垂れる姿はスポーツの試合の敗戦校。

しかし、時折顔を上げ、校長を睨むその瞬間だけは鋭い眼光を放っている。


 長い、長すぎる。


 生徒全員が今や共通の思いを抱いていた。

あ、ようやく話が終わる……と、そのフェイントの回数、二十四回。

 生徒側が拍手を挟み、話を終わらせる雰囲気を出すこともあったが

校長は意に介さなかった。

周囲の空気感、圧力に屈さず己が道を突き進む。見事に体現していた。

 と、さすがの彼も暑さを感じていないわけではない。滴り落ちる汗。

しかし、奴隷解放を訴える大統領のスピーチの如く熱弁ふるい、気持ち良さそうであった。

だが、いつまで経っても解放されない生徒側はもう限界であった。


「校長先生! もういい加減にしてください!」


 一人の生徒が立ち上がった。六年生だ。さすがは最上級生。

 我らに自由を! そう同学年及び他学年から期待と憧れの眼差し。

彼はそれを肌で感じ、さらに奮い立った。


「話が長すぎます! く、もう帰らせてください!」


 クソジジイと言いかけやめたのは優れた自制心が働いたため。

そうとも、正当な主張に暴言など交えてはならない。

毅然とした態度で正面から立ち向かうべきだ。

そうすれば理性的な相手はきっと耳を傾けてくれる。


「き、き、きみ! なんだね! その態度は!

まだ私の話の途中じゃないか! 座りたまえ! ほら早く座れぇ!

こ、子供は黙って大人の言うことに従っていればいいんだ!」


 蒲田校長は指をさし、座るよう言った。いや怒鳴りつけた。

しかし、彼は座らなかった。込み上げた怒りに拳を握った。

そして、また一人、また一人と立ち上がる生徒の姿が。


「黙るのはあんただ!」

「そうだ、そうだ! あんたの恋愛話なんて聞きたくない!」

「しかも、結局付き合えなかったんじゃないか!」

「俺知ってるぞ! あんたみたいなのをドーテー野郎って言うんだ!」

「ひっこめクソジジイ!」


 生徒たちの魂の主張。それを皮切りに続々と

座っている生徒からもバカ、アホとヤジが飛んだ。


「ど、童貞!? そ、そんなわけないでしょう! わ、わたしはほら、いい大人だ!

髪だって白い! そ、それに恋愛話いいじゃないか!

好きだろう女の子なんかはとくに!」


「そんな偏見よ!」

「そうよ、ステレオタイプだわ!」

「旧時代の遺物!」

「化石人間!」

「どーてージジイ!」

「変態!」

「アホ!」

「ウンコ漏らし!」


「こ、こら! う、うんこを漏らしたのは子供時代の話で

し、しかもそれは君たちが喜ぶようにとちょっと話を盛っただけだ!

ちょっとしか漏らしていない!」


「子供がウンコで笑うと思うな!」

「舐めんなよ! バーカ!」

「俺のケツでも舐めてな!」

「帰れボンクラ!」

「校長の解任を要求します!」

「やめちまえジジイ!」


「き、君たち! いい加減にしなさい! 何だねその言葉遣いは!

か、解任? は、はは! お、覚えたての言葉を使いたがる子供ですか!

お、親御さんにキッチリ報告させてもらいますからね!」


「俺らは子供だ馬鹿野郎!」

「チクリはしねーんじゃなかったのかよクズ!」

「ダブスタだ!」

「二枚舌!」

「コウモリ野郎!」

「くたばれジジイ!」


「あ、あとほんの数十分です! こ、これからが面白くなります!

高校生編です! ええ、面白いですよこれは!」


「あと数十分ってそれ何回も聞いたぞ!」

「面白くなるっていうのも聞いた!」

「嘘つき! 嘘は良くないんじゃなかったのかよ!」

「高校で童貞は卒業すんのか!?」

「引退しろボケジジイ!」


「ど、童貞を捨てるかどうかは、む、むふふふ、それは聞いてのお楽し――

痛い! 誰ですか! 上履きを投げたの――いい痛い!

こら! やめなさい! 卑怯ですよ! 争いなんて野蛮だ!」


「あんたも生徒同士連携して教師に立ち向かったって言ってただろ!」

「自慢げにな! やってやんよおらぁ!」

「時には力で抵抗するとも言ってたなぁ! くらえ!」

「目だ! 目を狙え!」

「いいや、喉だ! 喉を潰せ! もうあの声は聴きたくない!」

「口を利けなくしてやれ!」

「まどろっこしい! 直接やっちまえ!」

「童貞かどうかはこっちで調べてやろうぜ!」


「駄目! 駄目です! 来ては駄目です! あ、ああああ!

静かに! こら! やめなさい! 振動するでしょう! やめなさい!」


 苦痛と怒りを溜め込んだそのダムは

一箇所のひび割れから広まり、そしてあっというまに崩壊した。

 生徒たちは壇上へと雪崩込み、蒲田校長を引き倒し服を毟り、蹴り、殴った。

他の教員が慌てて止めに入るも同じこと。奴隷たちの反乱である。

 体調不良であっても保健室へ行くことが許されないその横暴っぷり。

ましてや倒れたその女子生徒が人気者であれば、なおのこと怒りが。


 ひいいいと悲鳴を上げる校長。

その脳内には懐かしきあの日々が走馬灯となり、蘇りはしなかった。

もう十分、振り返っていたからだ。あるのはただただ後悔のみ。


 ――喋り過ぎた。いや、喋り損ねた。


 だがもはや、誰一人として自分の言葉に耳を傾けては貰えないだろう。

ましてや信じてもらうことなんて。

 実はこの体育館に爆弾が仕掛けられており

犯人から一人も外に出すなと要求されていることを……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] タイトルからしてこうなのだろうと思い読み始めましたが、前フリの校長の話からして読み応え十分。 良い話、素晴らしい話。興味を持って読み進めました。 全校集会に場面が移り、やっぱりと思ったので…
2023/08/20 13:39 退会済み
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