小話集 ③
《良い夢》
「はぁ、何でテスト受けなきゃならねぇんだよ。ウチは高校まで内部進学出来るから良い点だろうが、悪い点だろうが変わらないっての」
そう不服を漏らすのは、数年前中学生時代の光莉だった。
小学生時代から、両親を亡くしたのをキッカケにまともに学校に行かなかったが、中学生にもなると定期試験もあり次第に誤魔化しも効かなくなってくる。
それ以上に児玉が学校に行けと忠告、光莉にしてみれば五月蝿いお節介だったかもしれないがテスト期間だけ学校に登校しているという状態だった。
テスト返却期間も終わりもう用はないと帰ろうとした時、昇降口の近くでテスト順位が張り出されており、人が集まってるのが見えた。
「望海ちゃん、すごい!今期も1位だなんて」
「いいえ、数学の問題が難しくて一問間違えてしまいましたから0点と一緒です」
「そんな事ないよ!貸してもらったテスト対策ノート、凄い分かりやすかった。期末もお願いしていい?」
所謂、優等生、皆んなの人気者。
そんな彼女を光莉は自分とは縁のない存在だと認識していた。
それ以上にウザいとさえ思っていたぐらいだ。
「玉ちゃん、アイツは絶対仮面優等生だよ。皆んなに愛想笑いなんてしちゃってさ、本当にムカつくんだよね」
「光莉、面と向かって話した事のない人に勝手な印象を植え付けるなよ。それに本当は羨ましいんだろ?光莉には持ってないものをその子は持ってる。折角なら、色々聞いてみたらいいじゃないか?悪口を言うなら、相手の事を知ってからだ」
「...まぁ、そうかもね」
翌日、授業を受ける気など全くなく放課後の時間に合わせ光莉は恐る恐る裏口から学校へと入ろうとする。
そこは普段人気のない場所の筈なのだが、焼却炉の側に1人の女子生徒がいた。
「...こんな点数じゃ、お母さんに認めてもらえない」
テスト用紙をビリビリに破り捨て、焼却炉へと落としていく。
その姿に光莉は異常だと感じとった。
「何やってるの!」
光莉の声に気付き、其方へ振り向いたのは何を隠そう望海だった。
昨日見た優等生が、どうしてこんな所にいるのか光莉には良く分からなかった。
「さっき、テスト燃やしてたよね。どうして?学年1位じゃん?皆んなからチヤホヤされてたじゃん。それって、凄い事でしょ?何が不満なの?」
「私の中ではそんな事どうだっていいんです。ただ、お母さんに認めてもらう事が私の生きがいだから」
「なにそれ、そんなの可笑しいよ。そんな事しなくたって、皆んな「愛してる」って言ってくれるよ。そうじゃなくても、こんな私にだって手を焼いてくれる人だっている。望海にだっているでしょ?そんな人」
その言葉を聞いて、望海の目には薄らと涙が滲んでいるのがわかる。
「私はこれで失礼します。この後、茶道の稽古がありますので」
その日はそれだけしか会話出来なかったが、光莉は放課後は勿論、珍しく授業も受けてその休み時間を使って望海に会いに行った。
「ねぇ、望海は何色が好き?」
「...黄色ですけど。それを聞いてどうするつもりですか?というより、何故私の事ばかり聞いてくるんです?弟の方が有名でしょう?」
「えっ、そうなの?ごめん、私結構世間に疎いんだよね。最近、忙しくてさ。大変なんだよね」
「その割にはキチンと学校に来てますね。噂に聞いてますよ、貴女の事。かなりの問題児だって。皆んな怖がってます、どう言う風の吹き回しですか?と言うより、私に何のようですか?」
その言葉に光莉は素直に“仲良くなりたい”とは言えなかった。
しかし、ここで彼女から離れるような事もしたくない。
なんとなく、彼女だったら自分の友達になってくれるんじゃないかと思ったのだろう。望海を引き止めておきたかったのだ。
「あのさ、放課後一緒に遊ばない?映画とか好き?見に行こうよ」
「お断りします、今日も習い事があるんです。それに貴女と一緒いる所を周りに見られたくありません」
「いいじゃん、習い事なんて仮病でも使ってサボっちゃえばいいんだよ。そんなに大事?楽しそうにしているようには思えないけど」
これまでの会話の中で望海が心から笑っている所を光莉は見た事がなかった。
同級生に対しても愛想笑いにしか見えず、今もどちらかと言うと無表情に近かった。
「ねぇ、楽しくない事を続けるのってそれは我慢してるのと一緒だよ。我慢強いのはいい事だけどさ、いつまでそれを続けるの?いつそれを発散するの?もしかして、墓場まで持って行く気?」
「...分かりました。では、放課後昇降口で待っていてください。事務室で電話を借りてから向かいます。何も連絡しないのは先生に失礼ですから」
「よしっ!ちゃんと約束は守ってよ。言質はとったからね」
放課後、望海と合流し映画館へ向かおうするが一瞬、近くの通りまで瞬間移動しようと思ったものの今の光莉としては、その分彼女と会話出来るのだからそれも悪くないと思っていた。
しかし、どうしたものか光莉は一方的に自分の事を話そうとする。
自分の事を知って欲しいと言う思いと、望海の事が好きだと言う気持ちが全面に出てしまったのかもしれない。
「あの、貴女って私の事好きですよね?通りで可笑しいと思っていたんです。普段、学校に来ない貴女が珍しく来て私と話してる訳ですから」
「な、なっ!別に、好きとかじゃないし!勘違いすんな!」
その言葉に望海は珍しく微笑んだ、笑ったと言うよりニヤリとしたと言う方が正しいのかもしれない。
「そうですか、では映画館に行く話はなかった事に」
「この腹黒女!この、光莉様の誘いを断るなんて許さないからね!」
途中揉めながらも、2人は映画館にたどり着いた。
「別に先生の事が嫌いとかではないんです。むしろ、私の事を母親以上に褒めてくださって。彼らといると穏やかな気持ちにもなるんです。でも、結構。母親の顔がチラついて。いいえ、それ以上に弟の事を思い出して苦しくなる時があるんです」
2人で映画を観ている最中、望海の告白に光莉は暗い表情をした。
「姉弟で比べられて、どれだけ頑張っても認めてもらえないって事?そんなに望海の弟って凄いの?」
「えぇ、姉の私が嫉妬するぐらい圭太は才能に溢れてて所謂天才肌なんですよ彼は。歌舞伎は伝統的に女人禁制ですし、私は小さな頃お披露目と言う形で数回舞台に上がりましたけどでもそれだけ。弟と同じ舞台には立てない。だから、家の人間として恥ずかしくないよう学業も習い事も厳しいスケジュールの中努力してきたつもりです。でも、結構上手くいかなかった。自分の限界が見えてしまったんです」
「望海は居場所が欲しいの?自分の事を生かして認めてもらえる居場所が」
望海は戸惑いながらも小さく頷いた。
その時、光莉は思った。昔の自分と一緒だと、もし彼女も自分達と同じ所に引き入れる事が出来たらどれだけ嬉しく、頼もしい事か。
しかし、それは少し先までお預けとなる。
「それでは私はこれで、映画思ったより楽しかったです。たまにはこう言うのも悪くないですね」
「あっ、あのさ!さっき、黄色が好きって言ってたでしょ?この前、望海に似合いそうな髪飾りを見つけたんだ。確か同じ色のもあったし、今度一緒に見に行こうよ」
「また習い事を休む口実を考えないと行けませんね。分かりました、考えておきます」
望海が自宅に戻ろうとすると、正面玄関には圭太がいた。
「姉貴、おかえり。母さん、凄い怒ってたけど、僕がなんとか宥めておいたから。ここじゃなくて台所の裏口から入った方がいいよ。こっちからじゃ母さんの部屋を通る事になるし」
「ありがとうございます、圭太」
久しぶりに微笑む彼女を見て、圭太は質問を投げかけた。
「今日、何かいい事でもあった?」
「えぇ、良い夢を見てました。また、見に行こうかなと思ってます。私にとって、彼女は唯一の希望だから」
《渾名》
「不味い!このままだと依頼の時間に間に合わない!スケジュール組み間違えた。何で上手くいかないんだろう。また、光莉に怒られる」
運び屋になったばかりの望海は今のように膨大な仕事を請け負う事が出来ず、光莉に毎日怒られる始末だった。
自分で言うにも何だが器用な方だと自負していたがここまで上手くいかないと落ち込んでしまう。
自分で飛び込んだ世界だ。自分で何とか解決しないととスケジュールを確認していると1人の運び屋が話しかけてきた。
「よっ、後輩。随分困ってるみたいだな。大丈夫か?手を貸すぞ」
「いいえ!大丈夫です!自分で何とかしますから!お気遣いありがとうございます。私の事はお構いなく!自分で解決しないと先輩に怒られますから」
「知ってるよ。光莉の姉さん凄い怖いもんな。どうだ?望海の目に俺はどう映る?優しい先輩に見えるか?」
その言葉に望海は彼の方に向き直った。
自分や光莉の事を知る存在。
そんな彼と話をしてみたくなったのだ。
「俺の名前は本間旭。東望海だろ?歓迎するよ、どうだ?この仕事、気に入ってるか?」
「すみません。私はその他の方とは事情が違くて。自分の居場所が欲しくてここに来たんです。自分でも誰かの役に立って輝ける場所が欲しい。大切な仲間と一緒いたい。立派な正義感とかやりがいとかがある訳ではないんです」
「良いじゃないかそれで、理由はどうあれ今こうして仕事に真剣に向き合ってるのは立派な事だ。時間管理が上手くいかないんだよな。コツがあるんだ。教えてやるよ」
そのあと、旭は面倒良く望海に付き添ってくれた。
そのあと、彼の正体に気づくと謝罪しながら何度も頭を下げた。
「まさか、貴方が実力No.1の運び屋だったなんて知りませんでした。同期だけではなく、光莉や児玉さんをも上回る記録を残されているとか。噂は予々聞いております」
「あれは結構無茶した結果そうなったってだけだからな。逆に望海には俺を超えて貰わないと困る。俺が楽出来ないからな」
「えぇ!?私にそんな事出来るでしょうか?」
そんな風に2人で談笑していると綺麗な顔をした男性が目の前に現れた。
後の朱鷺田だが、今とは違い。赤髪を一つの三つ編みでまとめており遠目から見れば女性のようにも見えた。
不機嫌に旭を睨み、望海を値踏みしているように見える。
「トッキー、おかえり。今、後輩の世話をしてたんだ。紹介しておくよ、望海だ」
「俺の方が美人だ」
突然の事に望海は戸惑うものの、旭は苦笑いしながら説明してくれた。
「済まないな、望海。トッキーはこの通り顔が綺麗だろ?自分に自信があるんだ。でもな、トッキー他の人と比べる必要はないからな。俺にとってお前が1番なのには変わりないんだからさ」
「...分かってるよ。失礼したな。流石、歌舞伎の名門東屋の娘さんだ。花がある」
「あ、ありがとうございます」
望海は2人の顔を交互に見つめ、旭が上手く彼を手懐けているのだと察した。
「そう言えば、晩御飯はカレーだったな。それまでには戻るから。待っていてくれ、いつも広い家に1人にさせて悪いな。寂しかったんだろう?」
「...うん」
先程のツンケンとした彼から出た素直な言葉に望海は唖然としながらも彼を見送った。
「あの、先程の方は旭さんの仕事仲間ですか?とても気難しそうな方に見えてしまって。何処かの名家のご子息とかですか?」
「あぁ、議員を輩出してる朱鷺田家の息子さんでな。俺の幼馴染なんだ。次の選挙で親父さんが次期町長として有力視されてるんだ。昔からどうしても権力とかコネとかに縋り付いてくる人が多くて人一倍警戒心が強いんだ。そんな中で俺の事を信頼して側にいてくれた。男にとって親友っていうのは大切な物だろ?出来るだけ、その願いを叶えてやりたいんだよ」
そう言いながら旭は遠くを見つめる。
しかし、どことなく悲しくも見えるのは何故だろうか?
「あの、一言よろしいですか?確かに親友は大切です。でも、本当に大切な人はどんな関係になろうとも側にいたいと願いますし、離れていてもお互いを思っている物だと思います。私は疑問に思う事があるのです。夫婦、恋人、親友、友達と関係性に名称をつける必要性があるのかどうか?私と光莉と児玉さんだって名前をつける事は出来ないですけど大切な存在なのは揺らぎません。貴方と朱鷺田さんもそうではありませんか?」
その言葉に旭はふふっと静かに笑った後、こう返した。
「そうだな、望海の言う通りだ。でも、世間はそうさせてくれない。あらゆる物に名前をつけたがる。俺は世間を敵に回してまで自分を貫く度胸はないよ。少なくとも、縁以上にはな」
「やっぱり、そうだったんですね。お名前で呼んで差し上げないんですか?素敵な名前なのに」
「無理だな。知ってるか?探偵小説の中に男同士で同居してる有名な作品があってな。お互いファーストネームで呼び合ったら大変な事になったっていう話だ。俺は嫌なんだよ。慎重に、何重にも理由をつけて真実を隠す。それが俺のやり方なんだ」
その言葉に望海は溜息をつきながらこう言った。
「貴方、穏やか顔してえげつない事をしますね。流石、No.1の運び屋だけの事はある。そんなに警戒されなくても良いと思いますけどね。物事は案外シンプルだったりする物ですよ」
「先輩に説教とは生意気な後輩だな。気に入った。おっと、もう良い時間だ。じゃあ、また明日な」
「えぇ、これからもよろしくお願いします。旭さん」
《ショートケーキ》
「希輝、わざわざウチの店に来てくれてありがとな。今日は新メニューの試食をお願いしたいんだ。甘党で美食家の希輝なら良い意見をもらえると思ってな」
「児玉さん、先に言っておきますけどアタシ結構厳しいですよ。祖父母から美味しい和菓子ばかり与えられてきましたから。舌が肥えてるんで。それで?何を作るんですか?ケーキ?パフェ?タルトですか?」
その言葉に児玉はニヤリと笑みを浮かべた。
彼の表情に希輝は思わず眉唾を飲んだ。
「児玉さん、ま、まさか!?」
「そのまさかだ、事前に山岸からも高評価をもらってる。王道中の王道。希輝にはこのショートケーキを食べてもらいたい」
目の前に差し出されたショートケーキを見て、希輝は唖然とする。
「ショートケーキって1番誤魔化しが効かないスイーツじゃないですか!?スポンジ、クリーム、そしてトッピングのイチゴ。どれをとっても手を抜いたら全体のバランスが崩れてしまう。児玉さん、今回は強気ですね」
「当たり前だ。希輝の口に入れるものなんだ、それ相当の物じゃないと」
希輝は恐る恐るフォークを手に取り、ケーキを食する。
突如、目を見開き力が抜けたのか手を離してしまった。
そのあと、ボロボロと涙を流している。
「ど、どうした!?そんなに不味かったか!?」
「グズっ、いいえ。余りの美味しさに感動してしまって。児玉さん、これ絶対売れますよ!アタシが保証します!」
「そうか、そうか。希輝にそう言ってもらえるなら、安心だな」
《借りパク》
「あ、あの。少しお時間よろしいでしょうか?」
場所は協会、蝦夷出版に勤める日向葵は特集の為取材の交渉をしてた。そんな中で気前よく受けていたのが山岸と翼だった。
「全然、大丈夫っすよ。ねっ、山岸さん」
「プライベートな質問でもドンと来い!」
「ふふっ、ありがとうございます。実は弐区の運び屋特集を組んでいまして。他の皆さんから見て望海さん達、3人の印象をお聞きしているんです。ご本人は多忙な方達ばかりですから、直接取材をする事が難しくて」
「成る程、そうだな。やっぱり、他のグループに比べても連帯感って言ったら児玉さん達の右に出る物はいないよな」
その言葉を葵は聞き逃さすメモ帳に書き込んでいく。
「望海の仕事の捌き方は、同期の俺からしても尊敬するし誇らしいっていつも思ってます。自分も頑張ろうって気になるんすよね」
「お2人共、素敵なご意見ありがとうございます。ではどうでしょう?逆に直して欲しい所などはありますか?」
その言葉に2人は顔を合わせ、真剣な表情で頷く。
その光景に葵は首を傾げていた。
「葵さんは弐区の児玉さんの喫茶店に行った事ありますか?あそこにある物、大体俺たちの私物なんすよ」
「えっ!?」
「忙しいのは分かるけど、借りた物はキチンと返して欲しいよな。以前、児玉さんに料理本貸したら「今、手が離せない」とか「忙しい」とかはぐらかされて結局、自分で取りに行ったからな」
「...そうなんですか。でも、偶然という事もありますよね?」
そんな時だった、山岸が誰かを手招きしている。
葵は振り返ると数メートル先に隼と小町がいた。
「お疲れ様です、山岸先輩。翼もお疲れ。取材ですか?」
「隼、小町。俺ら2人だけじゃないよな?言ってやってくれよ、この前の会議後の事」
「あ、あぁ!!小町の傘、まだ戻って来てないの!望海に貸して、隼と相合傘して帰ったの今でも覚えてる!」
「依頼数が多い望海が風邪でも引いたら、グループだけじゃなくて全体にも影響が出るから仕方ないけど小町が傘を持ったから俺の肩がびしょ濡れになった記憶しかない。本当、肩身の狭い思いをさせられるよ」
隼の言葉に他3人は何度も頷いていた。
《救出》
「ごめんなさいね、縁さん。母さん、ちょっと無理し過ぎちゃったみたい。お仕事の方は大丈夫なの?」
「旭と谷川が仕事を引き継いてくれたから、お袋が心配する事ないよ。俺が代わりにやっておくから」
朱鷺田家は比良坂町内で町長は勿論、議員なども輩出する政治一家だ。
御三家程ではないにしても、古くからある名家と言っても過言ではないだろう。
その証拠に今、御殿と近所から言われる長屋に朱鷺田と床に伏す母親がいた。
逆に運び屋をしている彼の方が異常なのだ。
それは幼馴染の旭の影響が大きいのだろう。
いや、それ以上に自分の本心を理解してくれた母親に彼は感謝していた。
「でも、縁さんはお仕事をしてる時の方が生き生きしているわ。とても楽しそうにしているもの。あの時、お父さんを説得して正解だったわ。ねぇ、本当に良いの?縁さんじゃなくとも親族から代理を出す事だって出来るのに」
「俺が運び屋業を出来るのはお袋のお陰だから。こう言う時ぐらい親孝行させてくれ。今はゆっくり休んで、また頑張れば良いんだから」
そのあと、彼は2人と一緒に暮らす家へと戻ってきた。
「みどり君、お母さんの体調良くなると良いね」
「医者に診てもらったら、過労と貧血だったらしい。他の検査もしたら狭心症の疑い出てきたから安静にしてもらわないとな。町長夫人ってだけで結構お呼ばれする事もあるし、スケジュールも最近苦しかったからな」
「危なかったな、一歩間違えたら心筋梗塞に罹っていたかもしれない。早く見つかって良かった。トッキー、業務の事は俺達に任せて今はおばさんの側にいてやれ」
「ありがとう、旭。こう言う時、仲間が側にいてくれると心強いな。1人だったら今頃パニックになっていたかもしれない。業務は流石に無理でも家の事はやる時間を作るから、2人も無理するなよ。お互い、体には気をつけないとな」
そのあと、朱鷺田は父と共に様々な所に視察は勿論、集まりにも参加した。
父親は天性の人たらしで、町長にも関わらず庶民的な人であった。
「失礼、お名前をお聞きしても?」
「白石ですが?」
「違う、違う。私が聞きたいのは下の名前だ。貴方の事は良く覚えてる。貴方には随分とお世話になった。娘さんはお元気ですかな?」
そう言うと相手は機嫌を良くする事を父は知っていた。
その様子を側で見ていた朱鷺田は父親のようにはなれないなと悟った。
あんなに力強く話し、相手と一人一人と向き合うのは自分では難しいだろう。
そう思うと道を違えたのは正解だったのかもしれない。
数ヶ月、母親の体調も良好となった時の事だった。
父親から突然の呼び出しがあり、来て欲しいと連絡があった。
もしかしたら、母親の容体が急変したのかと思い慌てて来たが玄関で待っていたのは父親の秘書だった。
「お待ちしておりました。縁さん、先生がお呼びです」
「お袋は?大丈夫なのか?」
秘書は何も言わず、書斎へと案内する。
この時点で朱鷺田は嫌な予感がしていた。
しかも、遠くから摺り足音がする。
いつも、着物や足袋を身につけている母親の物だと検討がついた。
「親父、俺に何かようか?」
「縁、まぁ座りなさい。話しはそれからだ」
「断る。俺はお袋の様子を見に来ただけだ。親父と話をする為に来たんじゃない」
入り口付近で朱鷺田は動かずにいると、背後で物音がした。
書斎の扉を閉める音と、鍵をかける音だ。
それ以上に母親の声がする。
「こんなのあんまりです!」と聞こえてくるのだ。
「所で縁、お前の好きな色はなんだ?」
「鴇色と緑です」
「そうか、なら白は普通だな。白石家のお嬢さんとの見合いが決まった。週末、予定を空けておきなさい」
「はぁ!?成る程、この前会った人か。俺を政治の道具にするつもりか?俺は親父の跡を継ぐ気はないぞ」
珍しく、朱鷺田は怒りの表情をする。
それに反して、父親は余裕の表情を浮かべた。
「嫌なら断れば良い。私は見合いをしろとは言ったが、何も伴侶を選べとは言ってない。それに、これだけじゃないんだ」
そう言うと、追い討ちをかけるように引き出しから数枚の見合い写真を出してくる。
「白石だけじゃない。金子、赤城、青木、黄瀬からの縁談も来ている。いずれも日頃から懇意にしてる相手のお嬢さんだ、挨拶だけでもしておいた方が賢明だと思うがな」
「...済まない2人共、晩飯作れそうにない」
流れ的に承諾せざるを得ず、帰宅後居間のテーブルに顔を伏せる朱鷺田の姿があった。
父親とは幼い頃から色々と揉める事があったが、これ以上の事があったかと疑う程、彼は落ちこんでいた。
「旭、今日は鍋にしようよ。材料切って入れるだけだし!締めに雑炊作ったら、みどり君も食べられるよ」
「そうだな。親父さんも喰えない人だからな。とは言え、俺達が出来る事なんて限られてるしどうすれば...」
そのあと、週末になれば朱鷺田は見合いをする為に家を出なければならない日が続いた。
しかし、帰宅した時には既に無気力状態で家事もままならない。
このままではいけないと、旭と谷川はとある人物に助けを求めた。
「お願いだ!トッキーを、俺の相棒を助けてくれ!」
「谷川さんからもお願いします。お嬢さんしか頼める人がいないんだよ」
「2人共、頭を上げて。事情は分かりました。朱鷺田さんはお2人に愛されてるのね。羨ましいわ。そうね、とりあえずお母様に事情を説明して朱鷺田家にお見合いのセッティングを申し込まないと」
「ゆ、縁!」
「なんだ、親父。もう良いだろう?いつまでこんな事続けるんだ。あの後も、他の家から便乗するように見合い話が来て俺も参ってるんだ」
「今回だけで良い!いっその事、どんな条件でも構わない。この縁談を逃したらもう後はないぞ!」
「はぁ?何言って」
実家の書斎で無理矢理見せられたお見合い写真に朱鷺田は仰天する。
それもそのはず、運び屋を束ねる敷島家の令嬢からのものだったからだ。その写真を見て、朱鷺田はほくそ笑んだ。
「アイツらが何かやったな。分かった、今回だけは親父の言う事素直に聞いてやるよ」
後日、朱鷺田は節子と対面した。
「朱鷺田さん、ごめんなさい。実は着物は着なれてなくて、望海さんや光莉さんにも協力してもらって着付けをしてもらったりとか髪飾りも選んでもらったの。私、ちゃんとお役に立ててるかしら?」
「大丈夫ですよ、良くお似合いです。今日は協力して頂いてありがとうございました。後日、旭達とお礼をさせていただきます」
「良いのよ、そんな畏まらなくても。私ね、貴方が凄く羨ましかったの。幼馴染って素敵よね。私は、どうも人を遠ざけてしまうみたいで。皆んなが会議の後、仲良くご飯に行ってるのを見て良いなと思いつつ臆病になってしまうの。誘って、断られたらどうしようって」
「節子お嬢さんは鉄の心臓を持っていると思ったけど、案外そうでもないんだな」
「そうよ、これでも色々考えてるの。そうだ、私ね。断る為の決め台詞を考えてきたの「私はそんな安い女じゃないわ!」どうかしら朱鷺田さん、結構良いと思わない?」
その言葉に彼は静かに笑い出した。
日頃、見合いで気疲れしていた彼にとって節子との時間は穏やかな物だった。
「そう言えば、貴方のお父様は美術品を集めるのがご趣味なのね。調べたら、近くの美術館に寄贈している事を知ったの。ご自宅にも飾ってる物があるのかしら?」
「元々、祖父母が集めてて蔵にも何点か保存してあるんだ。たまに玄関に飾ってる。2人は余り興味がないみたいで「綺麗だ」としか言わないけど。節子お嬢さんならまた違った感想をもらえるかもしれないな」
「あら、芸術は感性だもの。正解なんてないのよ。お2人が「綺麗だ」って言ったのだって間違いではないでしょ?皆、答えを求めようとするけど。答えない物にこそ価値があると私は思うの」
「確かに。節子お嬢さんは大人だな。そうだ、お礼になるかはわからないけど、ウチの旭と谷川は基本誰に対しても媚びを売ったりする事はないから節子お嬢さんも安心して接する事が出来ると思う。ただし、飯を集られる可能性があるけどな」
「まぁ、それは大変。沢山、お菓子を用意しておかないといけないわね。朱鷺田さん、今は無理かもしれないけど。いつか貴方の力が必要になる時がくる。それまでに戻って来てくださいね」
その言葉に朱鷺田は目を見開き、即答した。
「はい、必ず」




