第壱拾陸話 思い出
「(姫乃さん、今日も来てない。明日から中間試験なのにどうしたんでしょうか?)」
女学院の教室の中、帰りの準備をしながら望海は姫乃の席を見つめていた。
望海が彼女を壱区へ送り出して以降、彼女は学校に来ていない。
担任にも確認をとったが流行病に罹ったと親御さんから連絡があり数日休むと連絡があった事しか話しては貰えなかった。
「望海!帰ろ!どうしたの、何あった?」
廊下で待ち合わせをしていた光莉と合流し、先程思った事を相談した。
「病気なら仕方ないよ。理由が理由なら追試させて貰えるし、望海は自分と私の心配をしてもらわないと」
「私のって、光莉。今日は喫茶店でみっちり勉強会しますからね!児玉さんにも「学業優先だ」って言われてますしテスト結果を報告する義務があるんですから。平均点以上取らないと運び屋業務出来なくなりますよ」
「こう言う時、希輝ちゃん達が羨ましくなるよ。あの3人、勉強ガチ勢だもん。小町ちゃんも結構頭がいいんだよね」
希輝達は望海達とは異なり、参区の高校にいるが女学院に通学している彼女らよりハイレベルな争いを繰り広げている。
3人は個々の性格も趣味も部活なども異なるが、どうして一緒にいるのか?と問われればそれは定期テストの上位常連だからに他ならない。
その中でも白鷹は首位を維持しており、両親が医療従事者という事もあり進学先は壱区にある大学の薬学部を希望している。
小町の場合は幼い頃に運び屋をしていた父が業務中に亡くなり、残された身重の母親は女一つで小町と妹を育てた。
そんな母親の負担を軽くする為、学費が免除される特待生制度を狙い日夜勉学に勤しんでいる。
「隣の芝生ばかり見ても仕方ありません。私達だって比良坂町では有名なお嬢様学校に通っている訳ですから面子は保たないと。圭太もテスト期間ですしもう喫茶店に着いてる頃だと思います。早く行きましょう」
「圭太君なら外国語教えて貰えそうだし、丁度いいかもね」
2人は素早く、学校から立ち去る事にした。
「おじさん、姉貴達来てる?」
先に到着した圭太は店内に入り児玉に話しかける。
カウンター席には幼稚園から帰って来たのだろう零央がいた。
彼の好物なのだろう、皿に盛り付けられた桃と葡萄を夢中になって食べている。
「いらっしゃいませ!」
「こんにちは、零央。口の周りギトギトになってるよ。君のお父さんは何処かな?勉強会に託けてタダ飯を貰おうかなと思ったんだけど」
「タダ飯はやらんが、飲み物なら出すぞ」
「あ、いたんだ。じゃあ、紅茶で。テーブル席、姉貴達と使わせて貰うよ」
「わざわざ圭太まで喫茶店に来なくていいだろ?お前達、姉弟の家も広いのに」
「落ち着くからだよ。リラックスした状態で勉強した方がいいでしょ?あっ、そうだ。ここってレコードあったよね?アッチで聞いたロックバンドの曲、流していい?」
「本当にリラックスしてんな。人の店を我が家みたいに使いやがって」
そのあと望海と光莉も到着し、圭太達と合流した。
テーブル一杯に問題集や教科書、はたまた分厚い辞書を広げる者もいる。その様子に児玉は関心していた。
「懐かしいな、おじさんも学生時代は沢山勉強したもんだ。まぁ、でも勉強は楽しくやるのが一番だからな。嫌々、やるぐらいならちょっと休憩してもいいぞ」
「奥さんも音大卒で、自身も法学部卒の玉ちゃんにだけは言われなくないよ!超エリートじゃん!その間に生まれた零央君は超サラブレッドじゃん!何で運び屋やってんの!?何で喫茶店のマスターしてんの!?何で学生結婚したんだよ!!」
光莉の怒涛のツッコミに望海と圭太は笑いを耐えられず吹き出していた。大体テスト期間になるといつもこんな会話になる。
そして今日も始める、児玉と妻の馴れ初め話が。
「おっ、聞きたいか?俺と奥さんの馴れ初め話」
「圭太、私は耳にタコができるまで聞いているので代わりに聞いてあげてください。適当に相槌打ってれば大丈夫ですから」
「丁度キリもいいし、休憩がてら聞いてあげるよ」
「俺はお前達と同じぐらいの年から運び屋をしながら学生生活を送ってたんだ。そもそも、出身だって参区生まれだし高校から大学は壱区に移り住んでそこから通ってた」
「えっ?じゃあ、そもそも弐区と関係ないじゃん。何でこっちに来たの。と言うか、よく移動して来れたね。おじさん以外、壁越えられる人当時いたの?」
「少数だがいた。だから俺も最初はどちらかと言うと利用者側だった。だけど、見てらんないだろ?Dr.黄泉もいない時代に協会はあっても戦える武器もないのに人魚達はなりふり構わず襲ってくるんだ。そこでだ、壱区から肆区まで全部移動出来る奴がいればいいと考えた。それなら壁を越えること事態、考えなくて良いからな」
「玉ちゃんってそう言う時、脳筋になるよね。他の運び屋さんに協力してもらいながら大量の念力を使って主要箇所に全部印をつけたんでしょ?普通ぶっ倒れるよそんな事したら」
「児玉さんにもしもの事があったらその苦労も全部無駄になってしまいますからね。初めての試みだったと思います。広範囲で移動できる運び屋の誕生は、リスクも大きいですけどその分リターンも大きい。当時の人がどのように思ったのかはわかりませんが、少なくとも私はこれでよかったと思っています。児玉さんがいるから私がいるわけですし」
「それで?その、脳筋運び屋さんはどうなったの?」
「どうなったも何も、表は学生だからな。学業優先で運び屋の事なんか忘れる事もしばしばあったし、ヒーロー願望もなかったしな。でも妙にモテてたんだよな、地元に帰ったらエリートだとか言われてチヤホヤされて、仕舞いには親父からお見合い話を持ちかけられてあの時は散々だった」
「希輝ちゃんも言ってた。勉強出来る奴と足が速い奴はモテるって!」
「どう言う小学生理論ですか?それ?」
「それで、お見合い話に痺れを切らして出会ったのが今の奥さんだったって事?」
「ママ?」
そんな零央の問いかけに児玉は優しく頷いている。
「出会いは別に些細な物だ。近所の喫茶店で彼女が時々ピアノを弾いているのを俺が見てただけ。そのあと、めっきり見なくなったけどな。幼い頃から病弱で心の支えになってたピアノも大学に入れば上には上がいて挫けそうだったって、辞めてしまおうかと思ってたらしい」
「良く聞くお話ですけど、身近にそう言った方がいると心苦しい物がありますね。でも、結果的に大学を卒業されてる訳ですから児玉さんが奥様の心の支えになったと言う事ですよね?」
「そう言えたら良かったんだけどな。どちらかと言うと揉めたんだよな。再会したのが喫茶店近くの広い公園でな。さっき言った通り自信をなくして落ち込んでる彼女を見て励まそうとしたら、逆効果。「貴方に何がわかるんですか」って言われたよ。でも、そのままにしておく訳にもいかないだろ?泣いてるなら尚更。2人でトホトホ歩いてたらヤバイ人に出会ったんだよな」
「えっ、誰?ヤバイ人って?」
「圭太も会った事のある人ですよ。節子さんです。幼い頃はさぞや可愛らしいお姿だったんでしょうね。今も美しいですが」
「あのお嬢様って良い意味で世間知らずと言うか、前向きだからな。玉ちゃん、節子お嬢様に感謝しなよ。キューピッドなんだからさ」
「その節子嬢は丁度、公園近くにある動物園に行ってたらしい。パンダのぬいぐるみも抱えていたからな。そんなお嬢様が俺たちを見て何て言ったと思う?顔を真っ赤にしながら「児玉さん!彼女にプロポーズしたのね!だから嬉しくて泣いてるのね!」って興奮しながら言うんだぜ?子供ってある意味残酷だよな」
その文言に圭太は飲んでいた紅茶を吐き出しそうになったがグッと抑えた。
「あのお嬢様、この前会った時結構まともそうだと思ったんだけど凄いぶっ飛んでるね」
「それを聞いた彼女は泣いてる暇なんてないだろ?目と顔を真っ赤にしながら「違います!違います!」って節子嬢に言ってたよ。今思い返してもやっぱりかわ...」
「はい!惚気話は終了!短縮すると、その一件から奥様が玉ちゃんの事を意識しちゃって本当に恋人になって結婚しちゃったって言う話でしょ!付け足しとして、お見合い話がある事を知ってしまった奥様が玉ちゃんを取られたくないから焦って学生結婚したって話を何度も聞いた!」
「大体は合ってるから困るんだよな。まぁ、そのあと思い出の場所を2人で再現したいと思って店を経営してる。喫茶店と言えば、弐区か参区の中心街のイメージがあるからな。弐区は盲点だったし、ここに運び屋の拠点を構えたら面白いだろうなと思ったら、案の定面白い奴らが集まったって所だ」
その言葉に望海達は笑みを溢していた。
一言:児玉の馴れ初め話の元ネタは「新幹線の父」と言われた十河信二氏と奥様のキクのエピソードが由来となっています。
両者が現在の東大法学部、藝大音楽科に在籍中に入籍され当時としても珍しい学生結婚をした事、それ以前から父親から十河氏が見合い話をされウンザリしていた事以外は全て作者の妄想です。




