感覚を表現する言葉への疑問
皆さんは「甘い」という言葉の指す甘さについて疑問を持ったことはないだろうか。より正確に言えば野菜の持つ甘味と砂糖菓子のような甘味。どちらも甘いと表現されるが、この「甘い」という言葉は元々どちらを指す言葉だったのだろうかと気になったことはないだろうか。
私は初めて果物を食べたとき、「甘いよ」と言われてお菓子の甘さを想像していた。実際に食べてみるとたぶん甘いという表現が適切なのだろうとは思ったが、イメージしていた甘さとはかけ離れていた。
この「甘い」という言葉に代表される、生物が持つ感覚的な曖昧で個人差がある不確かなものを言葉に置き換えようとしたものが「甘い」やそれに類する言葉なのだろう。しかし、待ってほしい。一番最初に「甘い」という言葉が生まれたとき、その「甘い」はどのような甘さに対して使われたのだろうか。
もしかしたら砂糖菓子のような甘さに対して使われたのかもしれない。または野菜などの自然由来の甘さに対して使用されたのかもしれない。言葉の原点を辿るとなると今から遥か昔の時代になる。だからこそ数少ない甘さを出す食べ物にあてはめられたのではないか。となると、近代の白砂糖の類ではなく、食材本来の素朴な甘さが元々の「甘い」という言葉が指していたものなのではないだろうか。
これは特に調べたわけでもなく、ただただ自分の推論でしかない。もし先の仮説に沿って考えるなら、砂糖のようなわかりやすい甘さが後天的に生まれたのではないか。「甘い」という言葉の味覚的意味の原点は素材本来の微かな甘みだったのではないか。
実際はどうなんだろうか。「甘い」という言葉は味覚表現以外にも使用する例はいくつもある。詰めが甘いとか。もしかしたら「甘い」という言葉が出来た後に味覚としての「甘い」という意味合いができたのかもしれない。
自分の中で考えてもしょうがないことではあるが、調べて知る気もない。わからないかもしれないが、もしわかってしまったら考えることをやめてしまう。なんの益もないことを考える時間というのは悪くないので、当分は自分の中でぐるぐると思考するとしよう。




