これだから田舎は
帳がすっかりと辺りを覆った暗闇で、一筋の光を灯している電車を見送る。
「田舎ってのはこれだから……」
近くにある電灯は駅の外。暗闇に慣れた状態でようやく脚が見えるか見えないかの中で、今日何度目かの行き先違いの電車を見送っていた。
世の中はお盆。大きな駅では大量に人が行き交い、実家へ帰ろうと子を連れ妻を連れ田舎へと新幹線を乗り継ぐ季節だ。
俺もまた、そんな帰省客の一人だった。
最初は同志が多かった電車の旅も、山を越え田畑を越える度に減って行き、今ではすっかり彼一人。
俺と共に駅のホームで電車を待っていた男も、今走り去った電車に乗っていってしまった。
都会のホームとは違い、外気に晒されて、簡素なベンチのみがポツンと置かれたホームは蒸し暑く、ジー、という自動販売機の冷却音が響くばかりだ。
駅員さえ居てくれれば、話し相手に困ることもないのだが、生憎様ここは無人駅。
いつまでも闇夜を見つめていたところでどうとなるわけでも無く、電波が届いている場所でも無いので、スマホに入れた無料のパズルゲームをして暇を潰していた。
すると、ピッ、という電子音が聞こえた。電子カードをタッチする音。特に珍しい音でも無い。
こんな夜に。とは思ったが、その時には特には何も気にしていなかった。
カツカツという足音が近付いてくる。女だ。
女一人? 無用心だとは思ったが、田舎の交通事情は不便だ。車を持っていなければスーパーまで長距離を歩く事になる事もある。勿論、コンビニなんて物が出来てからは随分と改善されたものの、まだまだ開発途中だ。
昼間はアレだけ叫んでいたセミ達も、夜になれば鎮まるため、不気味なほど静まり返っている。
確か駅の前には廃病院があるとかなんとか。前に地元の友人が此処の患者が逃げ出して、自殺をしたんだとか。全く、胡散臭い話だ。
そんな事を考えていると遠くから電車がやってくる音がした。
行き先は…………どうやら目当ての電車だな。
「恋土戸池、恋土戸池駅です。本電車は市山、葫蘆洲、木会路川を通り、合野夜行きです」
合野夜が俺の目的地である。フシューと息を吐き出して電車の扉が開く。暗闇の中では眩しい程の光を湛えた電車の中で入り、ふっと外を見ると女は既に姿を消していた。
同じ方面への客で、他の扉から入ったのだろうと思い至り、スマホへ目を戻すと、バッテリー低下の通知が届いていた。
朝から使っていたからな。と母へそろそろ着くとメールを飛ばして電源を切る。
色々な駅を通過した後、いよいよ次の駅で終点だという所で、電車が急にブレーキを踏み、それによる慣性で身体が持っていかれる。
なんだよ全く、と内心舌打ちをしているとアナウンスが動物との接触事故をしてしまったので安全点検をする為に一時停車して、安全が確認出来次第発車すると告げた。
「これだから田舎は…………」
今日何度目とも分からない溜息を吐く。今度はスマホでの暇つぶしをしてしまうと親への到着の連絡が出来なくなるのでする訳にはいかない。
かと言って外を覗いたところで光源が電車しかない農村地帯では周り一メートルを飛び回る蛾やハエを見る事しか出来ず、なんの面白味もない。
考えるのを辞めて五分ほど経つと、車窓の端で何かが動いたような気がした。思わず振り向いても何も居らず、何だったんだと思考に入ろうとした途端、今度は車内の電気まで消えた。クソが、なんだってんだよ。
今度は車内に謝罪する目的のアナウンスも聞こえず、完全に静まり返ってしまった。
いくら田舎とはいえ、一企業が停電に対して何か謝罪しないとかあり得ないだろ。苦情を入れてやる。と苛立ちを覚えて居ると、後ろの号車との連絡路の扉が開いた。
真っ暗で何も見えないが、カツカツというハイヒールの音が聞こえた。さっき一緒の駅にいた女かと思い至り、彼女もこの状況に腹を立てて、運転席へと向かっているのだと考え、話しかける。
「いやぁ、大変ですねぇ。全く、何が起こってるんだか」
返事は無かった。だが、カツカツとハイヒールの足音が近づいて来る。
「ちょっと、返事くらいしてくださいよ。全く、ハハハ」
それでも返事はない。尚も近付く足音を不気味に思い、今度は更にはっきりと大きな声で尋ねる。
「ちょっと! 聞いてるんですか!?」
とうとう返事が無いままに、俺の目の前で足音が消えてしまい、「ヒッ」という短い悲鳴をあげて目を瞑る。
しばらくギュッと目を瞑っていると、光が目蓋の裏に入ってきた。恐る恐る目を開けると──
そこには、誰も居なかった。
「安全確認が取れましたので、再び発車致します。お急ぎの所、お時間をお取り致しました事を心よりお詫び申し上げます」
再び動き始めた電車の中で、俺は気が気ではなかった。あの女は一体なんなんだ。一体何が起こっていたんだ。
恐怖で呼吸が乱れてしまい、うまく考えが纏まらない。きっと、あの女は……。いや、莫迦を言え。そんなはずないじゃ無いか。疲れているんだ。疲れているんだよ……。
「次は、合野夜、合野夜です。御乗車ありがとうございました。御忘れ物の御座いませんようご注意くださいませ」
俺は到着と共に逃げる様に扉から走り出し、ホームから階段を駆け上がった。ぜぇぜぇと喘いでいると、階段下から再び、カツ……カツ……と、ハイヒールが上がってくる音がしてきた。
その姿を確認しようと階段を覗き込むだけの気概はなく、完全に抜けてしまった腰を恨みながら四つん這いで逃げようとするが、逃げられようはずもなく、脚を何かに掴まれた。
叫び声をあげたが、何故か駅員や車掌は一人も駆けつけ無かった。
遠くから電車が近づいてくる音が聞こえる。
その電車の運転手が静かに告げた。
「次は、あの世、あの世です」
ある患者が逃げ出した時の死因は、自殺したのではなく、不幸な事故なのだという。
医者に暴行を受けていた女性患者が病院を逃げ出し、追いかけてくるナースから逃れる為に踏切を越えてしまい、そのまま、という事故があったそうだ。
俺は叫びながら、俺の脚を掴んでいる何かを見ようとしたが、結局見えたものは、俺目掛けて走ってくる二つの光を灯した鉄の塊だけだった。