四月の話 ~空から降ってきた天女様~ その2
「学校って、人間の子供たちが通って、いろいろお勉強するっていう、あれですか?」
ポン子がまん丸の目をさらに丸くして、リンコ先生を見あげました。リンコ先生はうなずき、ソフィーたちを見ながら続けました。
「あの二人はもともと呂樹によって創られた妖怪……まあ、花子ちゃんはゆうれいだけど、とにかく普通の妖怪たちとは違うからね。それに、わたしの封魂薬で、今のところ二人は人間としてたましいも安定している。つまりは人間として生きる選択肢も、あの子たちにはあるってことだよ」
呂樹の名前を聞いたことで、ポン子は先月のどたばたを思い出し、身震いしました。化けぎつねのクズハお姉さんと、人間の陰陽師との間の子供で、妖怪からも、陰陽師からも憎まれ、いみきらわれた存在。人間たちの復讐を果たすために、出雲のお山に攻めてきて、出雲町に強力な結界をはったのは、つい先月のことなのです。ポン子の考えを察したのか、リンコ先生はふぅっと疲れたようにため息をつきました。
「ま、呂樹のことは心配ないと思うよ。陰陽師の連中たちが、封印に封印を重ねて、あいつを閉じこめているそうだからね。あいつに創られた妖怪たちも、だいぶんお山にも慣れてきたみたいだし。わたしたち出雲のお山の妖怪は、人間と違って他の妖怪たちを仲間外れにしたりしないからね。みんなで協力してやっていけると思うよ」
リンコ先生は、ポン子から目を離して、ソフィーと花子のほうを向きました。花子がソフィーの手を取りながら、ぞうきんのしぼりかたを教えています。まるでお姉さんと妹のような二人です。ほほえましい気持ちで見ているポン子に、リンコ先生は話を続けました。
「封魂薬の服用を続けていけば、二人は人間となる代わりに、妖怪の力は完全に失ってしまう。……っていっても、二人ともなにか力を持っているわけでもないからね。それがまずいってわけじゃない。むしろちゃんとこの世界にとどまることができるんだから、喜ばしいことだよ。でも……」
リンコ先生が言葉を切ったので、ポン子は首をかしげました。リンコ先生を見あげてたずねます。
「でも、なんなんですか?」
「でも、今のままじゃあの子たち、人間の世界になじめないかもって思ってね。だから、人間の学校へ入れてやったほうがいいと思ったんだよ」
「そうだったんだ。けどさ、人間の学校っていっても、二人とも人間の暮らしすらまださっぱりなのに、大丈夫なの?」
「そこでポン子ちゃんにお願いがあるんだけどね、じつは」
リンコ先生が口を開きかけたときでした。
「ひゃあっ、助けてくださいぃー!」
間の抜けた女の子の声がして、ポン子は目をぱちくりさせました。リンコ先生もあたりをきょろきょろします。
「なんだろうね、今の声は? なんか、上のほうからした気がするわね」
リンコ先生にいわれて、ポン子は浴場の天井にむかって大声を出しました。
「誰かいるの?」
「なんか、せまくて、すすだらけですぅ……。助けてくださいぃー!」
のんびりした声が聞こえてきました。あまり必死さが伝わってきませんが、ポン子はリンコ先生をふりかえりました。
「すすだらけって……もしかして、煙突?」
ポン子の言葉に、リンコ先生は信じられないといった表情で首をふりました。
「まさか。煙突に入るなんて、いたずらでもそんなこと……」
リンコ先生の細いつり目が、大きく開きました。苦々しげな表情で、ぼそりとつぶやきました。
「妖怪だったら、そういういたずらするやつもいるかもね」
「大変! でも、どうしよう? そもそも煙突にどうやってのぼるの?」
「屋根の上からのぼるしかないわね。出雲の湯の煙突には、ちゃんとはしごがついているから、それをよじ登って行くしかないわ」
「ならあたしが行くよ! 木登りとかって得意だし」
ポン子が自信満々にいいますが、リンコ先生は心配そうにポン子の顔をのぞきこみました。
「大丈夫? ポン子ちゃんは今、人間に変化してるのよ。化けだぬきのすがたじゃないから、多分勝手が違うと思うけど」
「でも、ソフィーちゃんや花子ちゃんにはこんなことさせられないし、リンコ先生も木登りとかしたことないでしょ?」
「失礼ね、わたしだってお山に住んでいたんだから、木登りくらいしたことあるわよ。でも、結構前のことだし、確かに自信はないわ」
そうして話している間にも、女の子の声はだんだん苦しそうなうめき声に変わっていきます。
「大変! とにかく行くね! 屋根の上にはどうやって上がるの?」
「ボイラー室に階段があるから、それを使ってあがって。くれぐれも気を付けるのよ」
ポン子は二っと笑ってかけだしました。
リンコ先生がいったとおり、人間のすがたではずいぶんと勝手が違いました。化けだぬきのときはすいすい身軽に登ることができましたが、人間のすがたでは、なかなかうまくバランスをとることができません。幸いポン子は、高いところも平気だったので、慣れてくればだんだんうまく登ることができるようになってきました。
「ポン子ちゃん、大丈夫?」
下からリンコ先生の声がします。ちらりと下を見ると、リンコ先生だけでなくソフィーも花子も心配そうに見あげていました。ポン子は片手ではしごをにぎったまま、大きく手をふりました。
「わわっ!」
バランスを崩して、危うく落下しそうになります。下のほうから三人の悲鳴が上がりました。ポン子はしっかりはしごをつかんで、うまくからだを支えます。
「こっちのことは気にしなくていいから、登ることに集中しなさい!」
リンコ先生にいわれて、ポン子はコクコクっとうなずきました。ぶるるっとみぶるいしてから、ポン子は再びはしごを登ります。
「それにしても、いったいどんな妖怪がこんないたずらしたのかしら。もうっ、洋服もからだも汚れまみれになっちゃったよ。そうじも途中だし、銭湯でからだ洗うわけにもいかないし……」
ぶつぶついいながらも、ポン子はようやく煙突のふちにたどり着きました。やはり誰かが煙突の中にいるようです。足がバタバタしているのが見えました。
「もう大丈夫よ、わっ、ちょっと、暴れないでってば。今助けるから、じっとしてて!」
ポン子の声が聞こえたのでしょうか、煙突に頭を突っこんでいる女の子が、のんびりした声で助けを求めます。
「お願いですぅ、助けてくださいぃー! 痛い、痛いですぅ、つばさが、ちぎれちゃうですよぉ!」
「えっ、つばさ?」
ポン子は目を丸くしました。こしにつけていた命づなのフックをはしごにかけて、それから煙突から出ていた足にも巻きつけました。
「ひゃっ、なにするんですかぁ! やめてくださいよぉ!」
「ちょっと、じっとしててっていってんじゃん! 今助けるから、とにかく、こらっ、痛いって!」
足にゲシゲシけられながらも、ポン子はなんとか命づなを巻きつけることができました。そのまま足をぐいぐい引っぱり、なんとか煙突から救出することができました。すすで真っ黒になった女の子は、背中から生えていたつばさをバサッと羽ばたかせて、すすを払いのけました。
「まさか、あなた……天使様?」