寂しがりが実はお向かいさんだった
結局、喫茶店を出たのは閉店間際のことだった。俺達が最後までいたせいで、中々仕事を終えることが出来なかったからなのか会計を済ます女性店員の口調が鋭かった。二条さんはきょとんとしてまったく気付いてないようだったけど。
ほんと、申し訳ないことをした。
「二条さんの家、どっち方面だ?」
「どうしてですか?」
「いや、遅くなったし近くまで送っていこうかと……べ、別に、二条さんの家が知りたいからとかこれっぽっちも思ってないんだからね!」
「急に口調が変わってますけど深夜テンションですか?」
「ちげーよ。保険だよ保険。もし、二条さんにつきまとう男、なんて呼び名が広まったら嫌だからな」
「ふふ。誰もそんなこと言わないと思いますよ?」
「世間の噂ってのはどこで広まるか分からないからな。念には念をだ」
「もしそんなことになっても安心してください。私が弁護しますので」
「弁護って……」
ふんすと意気込んでる二条さんには悪いけどまったく安心出来ないほどに頼りない。すぐに負けるかよく分からない理論を口にして状況をより悪くする、のどっちかだろう。
「星宮くんはそんなことしていません。むしろ、私の方が星宮くんにつきまとってるんです、って言って誤解を解きます」
ふふん、と得意気に鼻を鳴らす二条さん。
対して俺は背筋が少し冷えて身震いした。
「うん、頼むから口を滑らしてもそんなこと言わないでくれよ? 余計に状況が悪くなる」
「でも、本当のことですよ?」
「本当だとしても、だ。それなら、まだ俺が二条さんにつきまとってるって誤解されてる方がましだ」
「よく分かりません」
「いいよ。なんか言われたら適当にはいはい答えとけば」
「星宮くんがそう言うならそうします」
「で、ひとりで帰れそうか? 帰れるならここでさよならしたい」
「時間的には大丈夫です。人通りも多いですし」
「そうだな。じゃあ、ここで」
「でも、ひとりは嫌です。寂しいです」
でたよ。ひとりは寂しいっていうよく分からない二条さん理論。
「音楽でも聴きながら帰ればいいだろ?」
「外でイヤホンをつけながら歩くのは危ないんですよ」
「まぁ、そうだな。じゃあ、小走りで帰ったらどうだ? 寂しい時間も短く済む」
「食後の運動はお腹を痛めるので嫌です」
「わがままだなぁ」
「女の子のわがままは少しくらい受け入れるのが男の子の役目ですよ」
「理不尽な理論」
「ですので、わがままついでに一緒に帰ってください♪」
「はぁ、分かったよ。もとはと言えば俺から言い出したことだし」
これ以上言い争っていても最後には言いくるめられている。そんな未来を容易く想像出来てしまった。悲しい話だけど。
「ありがとうございます」
「で、どっち方面だ?」
「あ、それは星宮くんの家の方向で構いません」
「んん? どういう意味だ? 俺の家がどこにあるかなんて言った記憶ないんだが」
「はい、言われてません。でも私は星宮くんがどこに住んでいるのか知っているので大丈夫です」
「怖っ。え、なになに? 二条さん、エスパーなの? なんかの実を食べた能力者なの? それとも、ストーカーなの?」
「ふっふっふ。実は私は――って、どれも不正解です。私、星宮くんと同じマンションに住んでるんです」
「へっ?」
「しかも、お向かいさんなんですよ」
「へあっ?」
その瞬間、少し世界が回った感覚が襲ってきた。
「ほんとだ……」
「だから、言ったじゃないですか」
目の前に書かれている二条という名前を見て、二条さんの話を信じざるをえなかった。二条さんはしてやったりと自慢気だ。
「でも、なんで……」
「そう言われましてもただの偶然としか言いようがないです」
「そうなんだけどさ」
こんな偶然あるのだろうか? 同じ大学、同じマンション(しかも、向かい合わせ。距離はあるけど)なんてそう易々とあり得ることじゃない。
「私、以前から星宮くんのことを知っていました。度々、見かけていましたから」
あー、なるほど。だから、知り合いだって声をかけられた時に言われたのか。一方的に知られていただけで本当に知り合いと言えるのかは不思議だけど。
「って、ちょっと待て。いつから二条さんは住んでるんだ?」
「大学に入学すると共に引っ越してきました」
「タイミングまで一緒……じゃなくて。その、なんて言うか――」
俺が二条さんをお向かいさんだと気付けなかったのは顔を合わせていなかったのが大きな理由だ。でも、一度だけ家を出るタイミングが偶々重なり、彼女を見かけたことがあった。それでも、気付けなかったのはその時と今の二条さんの雰囲気が随分と変わっていたからである。
その時はもっと暗い印象だった。少なくとも今みたいに可愛いとはお世辞にも言えないレベルだったのだ。
ただ、それを直接言うほど俺は心がない人間じゃない。言えば、傷つけることくらい分かる。
だから、必死に言葉を探した。二条さんを傷つけないで済むための言葉を。
でも、結局何も浮かばなかった。
「星宮くんは本当に優しいですね」
そんな俺の心を読んだのか二条さんは微笑んだ。
「星宮くんの言いたいこと分かってますよ。以前の私と今の私がぜんぜん違う、ですよね?」
「まあ」
「そこまで気を遣ってくれなくても大丈夫ですよ。整形とかそういうことはしていませんので。ただの大学デビューですから」
「一年経ってからなのか? 普通、入学と同時にだと思うんだが」
「ふふ、そうですね」
クスリと笑った二条さんはそっと俺の腕を掴んできた。
「あの、星宮くん。私、ちゃんとデビュー出来ていますか?」
不安そうに見上げてくる姿に思わず心臓が加速する。
「なんで、俺に聞くんだよ……」
「星宮くんから見て、私が変われているのか知りたいんです」
俺は二条さんをまともに見れなくてそっぽを向く。
「逸らさないでちゃんと見てください」
そう言われ前を向いた。すると、二条さんと目が合った。
俺は二条さんが変わったのかどうかを分かるほど二条さんのことを知っている訳でも付き合いが長い訳でもない。でも、気付かなかったってことはそういうことだろう。
「デビュー出来てるよ。ちゃんと」
「ありがとうございます。それが聞けて安心しました」
嬉しそうに微笑む二条さん。
俺はこの状況を少しでも早く打破したくて仕方がなかった。
「あのさ、そろそろ放してくれ」
「どうしてですか?」
「どうしてって……分かるだろ。遅い時間に向かい合わせの男女が見つめ合ってるなんて誤解される」
別にご近所付き合いがあるわけでもないがマンション内で変な噂を流されるのも勘弁してほしい。
「そ、そうですね。少し考えが甘かったです」
すっと離れていく二条さん。自分の行動がどういったものなのか理解してくれたようで助かった。
「じゃあ、俺は帰るから」
「はい。あ、星宮くん。今後はお向かいさんとしても仲良くしていきましょうね」
「ほどほどで頼む」
「分かりました。ほどほどで、ですね。それでは、おやすみなさい」
「おやすみ」
二条さんが中に入るのを見てから俺はすぐ向かいにある自分の家へと向かった。二条さんの言う仲良くというのがどういう意味なのかを考えながら。
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