9 特訓は合格
俺はウラランの手を引いた。
今からは俺が連れていくから、それが自然だ。多少の気恥ずかしさもあるけど、特訓だと思って忘れることにする。あくまで幼馴染の手だ。挙動不審になるような要素はない。
「悠太さんの手って、こうして握られてみると――」
「なんだ、意外とごつごつして男らしいか?」
魔法使いに筋肉はいらないけど、それでもウラランと出会った頃と比べればガタイがよくなってる気はする。
「――そこそこ、汗ばんでますね」
「そっちかよ! 湿度が高いし、気温もそこそこ高いからな!」
しかし、白石さんとのデートの時は気をつけよう。トイレなどで手を洗ったりしておいたほうがいいな。
「ところで、どこに連れていく気です、悠太さん」
「途中で察しがつくかもしれないけど、今はまだ言わない」
俺はウラランの手を引いて、中華街から南のほうに出ていった。観光地要素が薄れて、人通りも少なくなる。
このあたりは商社が多いから土日は閑散としている。たまに隠れ家的な喫茶店があったりするが、目的地ではない。
やけに広い幹線道路を渡って、さらに南に歩く。
徒歩十分ちょっとだろうか。
もう、ウラランにもわかるだろうな。
「ああ、海ですね」
「そう、正解だ」
俺たちの目の前には港が広がっている。
港といっても、ここは漁港じゃなくて、各地へ旅立っていく旅客船が中心だ。
潮の香りもするが、そんなにきつくもない。
「海ならそんなに雰囲気も悪くないかなって思ったんだ。出たり入ったりする船を見てても絵になるし」
近くには景色を眺める客向けのデッキの喫茶店もある。あっちでコーヒーを飲んでもいいな。
ウラランはじっと海のほうを見つめていた。そういえば、地元の近くでも俺もこんなところに足を延ばしたことはほとんどなかったし、珍しい光景なのかもしれない。
「というわけで、どうだろう、ウララン。評価は何点ぐらいだ?」
「悠太さんに連れてきてもらえて、私、うれしいです」
その言葉は評価というより、感想に近かった。
少し様子がおかしい。
じっとウラランが海のほうを見ていて、表情がわからないので、俺は正面に回り込んだ。
「どうした、ウララ――――わっ!」
ウラランの瞳には少しばかり涙がたまっていた。
「待て待て! どこに悲しんで泣く要素があった? 泣くほどセンスがなかったか? だったら改善していくから教えてくれ!」
「ううん、そういうわけじゃないんです」
ウラランは首を横に振った。
「センスで関して言えば、普通ですね。可もなく不可もなしってところです。ただ――」
「ただ?」
「悠太さんに連れてきてもらえて、なんか……無性にうれしかったんです……」
ウラランは俺の胸のほうに頭を預けてきた。
俺は自然とそのウラランの体を抱き留めた。
これなら涙目になってるのを見られずにすむしな。
慣れない場所に連れてこられて落ち着かないんだろう。俺もその気持ちはわからなくもない。
「ウラランの体、軽いよな」
「精霊ですからね」
でも、ウラランの体はやけに温かった。精霊の体温というのは高いものらしい。
そのせいか、俺の胸まで熱くなってきた気がした。
ウラランは魔法使いである俺の守護霊で、俺を守るのが役目だけど、同時に一人の女の子で――
俺が守らなきゃいけない存在でもあるのだ、そう思った。
おかしいな。こんな感情になったこと、ウラランと十年過ごしても全然なかったはずなんだが。
今、俺はウラランのことをやけに大切に想っている気がする。
いや、元から大切ではあるんだけど、もっと、特殊な意味というか……。
「なあ、ウララン……」
「なんですか、悠太さん」
「その……デートで女子にこんなふうに抱きつかれた時ってどうすればいいんだろう……」
聞くのも情けない話だけど、聞かなければわからないし、相手がウラランだから余計にわからない。
「そうですね、じっと受け止めてあげればいいんだと思いますよ」
少し、ウラランの声にいたずらっぽいものが混じった。
「少なくとも、私ならそれがうれしいです」
「わかった。じゃあ、そうする」
梅雨空のせいで雨じゃなくても、湿気が多い。
でも、それでよかったかもしれない。直射日光で暑すぎるわけでもないし、真冬で寒くてじっと立っていられないわけでもない。
俺は守護霊の幼馴染をこんなふうに抱き締めたことってなかったなと思った。
●
「ごめんなさい、ごめんなさい! 私としたことが……。自分でもよくわからない行動をとってしまいました」
顔を真っ赤にしてウラランは俺の横を歩いている。
今は手もつないでいない。今、つなぐとやりすぎな気がした。
「海に連れてきてもらったと思ったら、やけに感傷的になっちゃって……それで泣いちゃうのもおかしいよねって思って、こう、くっついちゃったんです……。私も自分のあの時の精神状態がよく説明できません!」
「いや、俺も似たようなものだった。お互い様だ……」
俺の顔もけっこう赤くなっていると思う。しょうがないだろう。幼馴染だとしても、女子と抱き合っていたのだ。それもまあまあ長い時間。
「ところで、今日のデートの特訓、どんな感じだった? 合格か?」
俺はウラランの顔のほうを見た。
あくまでも今日はデートじゃなくて、デートの特訓なのだ。そこをはき違えてはいけない。
「白石さんを連れて歩くにはまだまだレベルが足りないんじゃないですかね~」
あっさりダメ出しをしてきやがって。
「でも――」
ウラランは立ち止まって、笑顔で俺の顔を見つめてきた。
「私はとっても満足できました! ありがとうございます!」
「お、おう……どういたしまして……」
ウラランはやっぱり元気な笑顔が一番かわいいと思った。
「あのさ、ウララン……」
「はい、なんでしょう?」
「また……デートの特訓お願いする」
少し間を置いて、ウラランは「はい!」と言ってくれた。
「それで……お前を完璧にエスコートできるまでは……ほかの誰かに告白するのはやめにしとくわ」
我ながら踏み込んでしまったかなと思った。
こんなの、取りようによってはウラランに告白したと考えられたってしょうがない言葉だ。
でも、その時はその時だな。
「それって…………三十歳まで身を清めて、完璧な魔法使いを目指すってことですか?」
「なんでそうなるんだよ!」
そんな要素、どこにもなかっただろ。
「だって、ウラランを完璧にエスコートするって、無理なのではと思って」
「別に、絶対にできないこととかじゃないだろ! その反応はおかしいだろ!」
これからも当面の間、ウラランに関わり続けて生きていくことだけは確実のようだ。
そんなことを思いながら、そこまで人気もない港の遊歩道を二人で歩いた。
これで、本作品は終わりです。短い間ですが、お付き合いいただきありがとうございました!