王女の報酬と願い
レンガで造られた屋根の上。戦場と化したそこで、一つの決着がついた。縦に真っ二つになって壮絶な死を晒した悪魔を、漆黒の鎧に身を包む騎士が静かに見下ろしていた。
傍には寄り添うようにプラチナブロンドの髪を風に吹かすリンヴァルム王国第一王女ヘレン・ミルス・リンヴァルムが寄り添うように立っている。
「……貴方の瞳、それがこの悪魔の目的だったのですね」
黒騎士は静かにそう問いかけた。一陣の風が吹き抜ける。
「……はい、わたくしは魔眼である『宝涙眼』の持ち主。流す涙は膨大な魔力を秘めた魔結晶になりますわ」
俯き加減にそう言った彼女を横目に黒騎士ーーノアは一つ頷く。英雄譚である黒騎士物語に登場する小国の姫と同じ魔眼だ。
魔眼は先天的な特異体質だ。戦闘で活躍できる魔眼や補助的な役割を持つ魔眼など、能力は多種多様なものがある。
「悪魔族の狙いは物語と同じように貴方の涙を得ること。よく、我慢しましたね」
そう言って、ノアはガントレットに包まれた右手をヘレンの頭にのせて撫でた。すると、ヘレンは瞳がわずかに潤み、それから花のように微笑んだ。
「……ええ、貴方がいたから、いいえ、貴方が守ってくれたから、ちっとも怖くありませんでしたわ」
素直に、しかし少しだけ強がるように言うヘレン。戦いが終わり、本来の彼女が戻ってきたようだ。
「でも、わたくしはまだ感謝はしませんわ。貴方に感謝するのは王国が救われてからです。どうか、王国の民を救ってくださいませ」
真っすぐこちらを見るヘレンの姿は、確かに王族としての貫禄があった。以前、平民を見下していた我儘な王女の姿はどこにもない。気品と優雅さ、王族としての自覚を備えた王女の姿がそこにあった。
「……貴方を守る者がいなくなる……他の悪魔族に狙われるとしてもですか……?」
「……ええ、怖いけど、わたくしだけが英雄に助けられるわけにはいきませんから」
確固たる意志を秘めた宝石のような赤い瞳に、ノアは見惚れてしまった。
「……それは命令ですか?」
「いいえ、お願いです。でも、対価は先に払いますわ、ノア」
兜の下でノアの瞳が揺れた。
ーーき、気付いていたのか……。
「戦いの最中、あの炎の槍からわたくしを守っていた漆黒のオーラ。それで確信を得ました」
これは言い逃れできない。彼女の顔を見たら、すぐに分かった。
しかし、ヘレンが自分の正体に気付いたと思うと、黒騎士になりきっていた自分の言動が恥ずかしく思えてくる。羞恥に内心身悶えていたら、ノアの兜にヘレンの手がゆっくりとあてがわれ、取り外される。
「……わたくしの英雄、やっと顔を見れましたわ」
顔を赤らめながら、ヘレンはノアの胸の中に飛び込んでくる。ノアはこんな時ながら、柔らかな彼女の肢体を感じ取れない自身の鎧に不満を覚えてしまう。
「き、気付かれるとは……思わなかった。流れで誤魔化せるかと思ったけど」
「迫真の演技でしたものね。でも、わたくしには貴方の演技など見慣れていますから」
からかうように告げるヘレンだが、その身体は僅かに震えている。悪魔と間近で戦っていたのだ、しょうがないだろう。
「あー、その……怖い思いさせてごめん」
照れながら視線を明後日の方へ向けて応えるノアは、優しくヘレンの身体を抱きしめてあげた。ヘレンは硬い鎧に包まれたノアの腕を嫌がらずに、それどころか頬を真っ赤にして抱きしめ返した。
「ん……ノア」
甘い響きを含んで自身の名前を呼ばれることに、ノアは少し心臓がドキッと跳ねた。
ただでさえヘレンは美しいが、プラチナブロンドの長髪がサイドアップにされていて、鮮やかな青色のドレス姿は王城で見た時のように胸元が少し開いたものを着ているため、ヘレンの大きな果実が鎧に押し付けられることで視覚的な暴力が広がってるのだ。
ーー離れなくちゃいけないけど……これは……。
ノアの気を知らずに、ヘレンはそのままの姿勢で上目遣いで口を開く。
「ノア、先ほどの続きですわ。貴方は闘技場に向かってアスカテル公爵……いいえ、オスカーを倒してください……今も多くの国民が闘技場に残っているはずですから、どうか救ってあげて」
それは構わない。というかそうすればきっとノアは英雄の名をほしいままにできる。ただ、エレム以外にも彼女を狙う悪魔族がいるかもしれない。
ノアがロベリアから聞いたのはオスカーの計画だ。悪魔族たちがこのクーデターで何か別の企みがあると考えると、彼女の事が心配になった。
逡巡するノアに、ヘレンはノアの頬に手を当てた。
「……時間がありませんわ。先に報酬を前払いしておきます。あ、で、でも、その、き、気に入るかは……分かりませんわ。そう、先に言っておきますから」
身体をモジモジさせながら恥じらうような表情をするヘレンの様子に、ノアは首を傾げた。一度深呼吸して、ヘレンはノアの頬に当てた手を首に回して、ノアの顔を自分の方へ引き付けた。同時にヘレンは背伸びをして目を閉じた。
ーーへ……?
瞬間、ノアの思考が真っ白に染まる。視界いっぱいには両眼を閉じたヘレンの恥じらった表情。何秒そうしていたか分からないが、どちらともなく離した。
自分の唇とヘレンの唇が糸を引いて離れていく。二人は同時に拭いながら同じように頬を染めた。気を抜いていたノアは思わず自身の唇に触れて、首まで真っ赤にしながら俯いているヘレンを見つめた。
「……こ、これが、ほ、報酬ですわ」
呆けていたノアはその言葉で我に返る。返答をしないノアに不安を感じているのか、少し震えている。だからノアは抱きしめる力を少しだけ強くして、ヘレンの耳元で囁いた。
「報酬がでかすぎるよ、ヘレン」
ノアが照れ笑いしながらそう言えば、ヘレンがさっきより俯いた。未だ耳まで赤みが残っている。腕の中にいる王女を優し気に見つめた。
どうしてか力が沸いてくる。これからどんな敵と戦ったとしても、ノアは負ける気がしない。なぜか自然とそう思えた。
余談だが、この出来事は一部始終を王都の民に目撃されており、様々な騒動が起きるのだが、それはまた別の話。
* * * *
王都トランテスタの上空。雲にも近い超高所にいる二つのシルエット。蝙蝠の翼を広げた二人は、同胞を殺されたのを確かに確認した。
「エ、エレムが……まさか殺されるとは……」
額から冷や汗を垂らして、禿頭の頭を濡らしている。彼の名はギド。歴戦の悪魔族の一体である。呆然とした呟き通り、それはギドにとって予想外なことであったのだ。
「そうでしょうか、私はそうは思いませんが。むしろ妥当な結果でしょうね」
空中で足を組んで、まるで座っているような恰好をしているのは黄緑色の髪をした悪魔族である。貴族のような服を着た美青年といった容姿だが、背には悪魔の翼と腰には尻尾がついている。
「ベリアル様、それはどういう……?」
理解できない、というような表情で尋ねてくるギドの姿に、ベリアルと呼ばれた男は嘆息する。
「別に、あの少年が何者なのか理解できないならいいですよ。まあ、貴方は若いですから、分からないのはしょうがないですけど……。ああそれと、今回の一件はこれからあなた一人でしてくださいね」
口調は丁寧だが、ベリアルの瞳は見下したような色を見せている。勝手な意見を伝えるベリアルに、当然ギドは目を白黒させる。
「ど、どういうことですか? 理由を教えていただきたい。ベリアル様はノアという少年について知っているのですか……?」
ベリアルは片目を閉じながら、めんどくさそうに顔を歪めた。
「いいから貴方はさっさと行けばいいんですよ。王女の涙を入手できずとも、えーっと、オスカー? でしたっけ? 彼の魂に眠る意思を蘇させるには多少強引な手段を取ればできる」
ベリアルは説明する気がなく、手をひらひらと振って早く行けとジェスチャーで示す。ギドは、腑に落ちない思いを抱きながら渋々と命令に従う。
ギドは戦場と化した闘技場めがけて、翼を使って降下していく。その背を見送りながら、ベリアルは口の端を歪めて嗤った。
「あの方に嫌われないように、ここは引いた方がいいのに。バカな同胞だ」
自分で指示をしといて馬鹿にする発言をしたベリアルは、見下すような視線を投げてから静かに両眼を閉じた。




