始まり
初投稿です。よろしくお願いします。
鉄格子付きの部屋は黴臭く、ろくな飯も出てこない。
薄暗い明りがつく部屋は、石畳に囲まれ正面は鉄格子。牢屋のような部屋にはどこからかさらわれてきたのか、小さな子供ばかりだった。
正確な齢は分からない。ただ自分がここに来たときは八歳前後であり、今目の前にいる子供たちと記憶の中の自分の背丈を比べるとそう変わらない気がした。
子供たちの首には洗練された銀に鈍く輝く首輪が巻かれている。名称は隷属の首輪。奴隷である自分たちに絶対の命令を下せる魔道具である。
自分が覚えていることは少ない。貧しいながらも、優しかった両親。みんなをまとめる村長。やんちゃな親友。何事も協力し合っていた大人たち。そして、大切な幼馴染の女の子。小さな村での生活は、今思えばとても暖かかった。
ただ、一度だけ両親に怒られたことがある。それは、自分の手の甲にある痣のようなもの。
絶対に他人には見せてはならないから、これを使って隠しなさいと布を渡されたのだ。しかし、腕に傷を負ってしまった自分は行商人の前で布を取ってしまった。
その時のことを両親に言ったら、普段温厚な両親が烈火の表情で怒ってきたのでひどく反省したのを覚えている。
それから少し経った頃、平和だった村が暴力に支配された。村が盗賊に襲われ、焼き払われたのだ。自分と、もう一人の女の子。
幼馴染である彼女以外の大人、子供全て皆殺しにされた。
自分達はなぜ助かったのか。盗賊に襲われそうになった時、その痣を見たときの盗賊の反応を思い返し、この痣が理由なのだと漠然と感じた。
生かされた女の子も自分と同じような痣がある。
もしかしたら自分のせいで村が、家族が。
そういう想像が駆け巡り、しばらく夜は眠れなかった。
「……フィリア、ごめんね、本当に。俺は君にとって仇と言ってもいい存在ーー」
「ーーノ、ノアくん!それは違うよっ。わ、悪いのは盗賊。だからその、ノアくんは何も悪くないから」
隣にいる小さな女の子は、いつも励ましてくれる。気が狂いそうになる絶望が、心を支配しないのは彼女のおかげだ。
聖銀を溶かしたような美しい銀髪に髪と同色のまつ毛に彩られた瞳は、碧眼で静かに輝いている。大きな垂れ目が保護欲を誘い、全体的に儚げな印象を与える。
恥ずかしがり屋で優しい性格だが、芯が弱いわけではないのをノアは痛い程知っていた。
幼いノアでも、頰がこけ、痩せ細って、ボロ布をまとったような服とも言えないものを着ていても、美しいと感じられる程に彼女はずば抜けて美しかった。
彼女は、盗賊に捕らえられた時も気丈に振る舞い、ノアを励まし続けてくれた。
村が滅ぼされ、二人は奴隷商に売られ、今ここにいる。
最初は自分の前で殺されていく家族、友達、優しかった村の人々の最後が頭から離れなかった。考えても考えても、あの時の自分は無力だった。
後悔ばかりが自分を苛むが、売られることへの恐怖、フィリアと離れてしまう事への恐怖も日々蓄積されていった。
しかし、何故か自分達はいつまでたっても売られることはなく、今までフィリアと一緒にいる事ができた。
この痣、紋のような形をしているが一体何なのか。自分達はこれのせいで家族を失い、これのおかげで命が助かった。
売れない自分は商品として、この牢屋のような部屋に入ることもなくなった。しかし今日はここにいろという命令があった。
ついに買い手がついたのかもしれない。
石畳の通路に靴音が響く。段々と靴音が大きくなっていることから、誰かが近付いてくることが分かった。
やがて、一人の男が姿を現した。
しかし、その男はこれまで一度も見たことがない男だったため、不審に思う。
客だとしたら、奴隷を買うときは奴隷商の主人がいつも一緒なはず。見知らぬ男一人、というのは今までなかった事だ。
そしてその男の容姿は異様であった。まず目に入るのは服装。闇を具現したかのような見事な漆黒のローブが身体を隠している。
紫紺の長い髪が、不気味に目元を隠している。
その男は部屋にいる子供たちを見渡した。そして髪に隠れた瞳がこちらを捉える。その瞬間、ニタリと口元を歪ませる。
「見つけた。フフ、あの時からずっと欲しかったものが。やっと手に入る……おっとすまない。まずは挨拶が必要かな。私の名はヴァレール・ブリット。今日から君の主人となる男さ」
そう言って男、ヴァレールは他の子供たちには目もくれず、自分を観察してくる。そして、その視線が自分の手の甲にあるものを見つけたとき、更に笑みが深まった。その笑みを見たフィリアが身体を硬くして、ノアの手を強く握った。
「英雄紋、それも未だ見たことがない形をしている。誰の加護なのかな?非常に興味深い」
ノアはこの男の目は嫌いだ、と何となく感じた。
ヴァレールは無造作に右手のひらをこちらに向けた。円形に広がる幾何学模様の円が展開され、大きな火の玉が構成された。
それは見たことがあった。魔術と呼ばれる、不可思議な力。
人体に宿る魔力を使った技術。
盗賊たちの何人かが使っていたのを覚えている。しかし、一つ違うのは盗賊が使った魔術は、言葉を唱えてから効果が発動すること。
目の前の男はそれがないため、発動までの時間が段違いに早い。
ヴァレールはこちらが驚いているのを悟ったのか、笑みを浮かべながら魔術を放った。
「<大火球>」
とっさに体に力を入れ、フィリアを庇いながら、少しでも火の玉から逃げようと横へ飛んだ。熱気が部屋を支配し、次いで大きな爆発音が響き部屋全体が揺れた。
「武闘技を無意識に発動させているね」
面白そうに呟く男の声が聞こえた。
石畳を転げまわりながら熱気で肺が焼かれる。周りを見れば自分と同じようにこの場にいた子供たちは消し炭になっていた。
悲鳴を上げる暇もなく。
それを見ても何ら感情は思い浮かばなかったが、突然このようなことをした男を睨む。しかしそこで鉄格子が融解しドロドロに溶けているのが目に入った。
「そんなに警戒しなくてもいいのに。君に当てようと思ったわけじゃないのでね。さあこれでこっちに来れるだろう?」
その言葉でこの男の行動に納得がいった。自分を外に連れ出そうとしていることに。しかし、主人に何も言わなくても外に出ていいのかという疑念が生じる。
考え込む自分を見てヴァレールは口を開いた。
「君の主人である名も知らぬ奴隷商殿はいないよ。私が殺したから。つまり、私こそ今の君の主人さ」
考えていても答えは出ない、目の前の男が言っていることが真実かどうかは外に出ればわかる。
確かにノアは、この場にはもう居たくなかった。何もせずじっとしていると否が応にも思い出してしまうから。
そして、ヴァレールはノアの首にある隷属の首輪に手を触れ、何かを呟いた。
「これで契約完了ッと。そうだ。君の名前は?」
「……ノア」
「--ふむ。良い名前だ。ん?そこの君は、君も英雄紋を持っているね……?」
ヴァレールの視線がフィリアに向く。ノアはフィリアを背に隠すようにして視線から遮った。
「……ふむ。どうやら君の大切なガールフレンドのようだ。しかし私の目的は君だけだ。その子は連れていけないんだがね」
「……分かった。俺はお前と行くよ。でもフィリアは……」
「--だ、ダメ!ノアくん、ダメだよ行っちゃ、何で、そんな……」
悲痛な顔で俯くフィリアを、ノアは手を伸ばしかけて、止めた。ヴァレールが口を開く。
「大丈夫さ、聖王国では奴隷は違法。直に私を捕まえに聖騎士共が来るだろう。何を言っているか分からないなら、分からなくてもいい。ただ、そこの女の子は大丈夫ということだ」
ノアは見極めるように、ヴァレールの髪に隠れた瞳を見詰めた。
「……本当に?」
「ノアくん、何で……?行かなくても、騎士様が来るなら、ここで……」
ノアはこの優しすぎる少女と視線を合わせた。今の自分では、何も守れないのは確実だ。
そんな自分が許せない。もう二度とあんな思いはしたくない。
この少女は自分を許してくれたのかもしれないが、ノアはこの少女の家族を殺したも同然。
未だにそのことが罪悪感となって、ノアの胸にこびりついていた。
今の自分ではこの女の子を守れない。
目の前の魔術師は、幼いノアでも分かる。すごく危険な人物であることが。そんな相手に自分とついていくより、普通の暮らしをしてほしい。
「は、はなれたくない、よッ。嫌、いやだよっ」
綺麗な瞳から、次々とあふれ出てくる雫をノアは放置した。縋ってくる彼女にノアは何もしなかった。
ただノアは、不気味な魔術師の瞳を真っすぐ見た。すると魔術師は歪んだ笑みを見せて、
「〈睡眠〉」
ヴァレールが手をかざすと、フィリアは倒れるように寝息を立てた。その顔は涙で濡れていた。今度は、ノアは涙を綺麗に拭いてあげた。
「では行こうか、ノア」
勝手に歩き出したヴァレールの背を、ノアは睨みつけながら牢から出た。少しだけ背後を振り返った後、ノアは前を向き、紫紺の魔術師の背を追いかけた。
ヴァレールを先頭に通路を歩き、やがて品のいい扉の前にたどり着く。ヴァレールがその扉を押し開けると、死屍累々とした景色が瞳に飛び込んできた。
家具が散乱した部屋の中には、身体が切り刻まれた者、腹に穴が開いている者、死因は様々でありーーしかしそれを見てもノアは溜飲が下がる思いだけだ。そしてその中に奴隷商である主人の肥満体の身体も見つけ、思わず安堵した。
血だまりの中を歩きながら、ヴァレールの後をひたすらついていった。そして何枚目かの扉を開けたとき、まず目にはいたのは光。人口の明かりではない光。
空に浮かぶ、大きな光玉。久しぶりに見上げた太陽は、眩しすぎた。薄暗い牢に長時間いたノアは、思わず手で光を遮った。少したち、綺麗に透き通った青空の中、燦然と輝く太陽。ノアは素直にきれいだと思った。
そして視線を真正面へと向ける。そこには自分たちを取り囲む、銀色に輝く全身甲冑をまとった集団。周りには家屋や露店があり、整然とした街道は生活感を感じさせる。しかしそこにいるはずの町人たちは見当たらなかった。
取り囲んでいた、騎士の一人が一歩、前に出た。
「貴様が聖王陛下暗殺の下手人、ヴァレール・ブリットだな?」
その声は、今にも襲い掛かりたいのを我慢して、増悪を必死に抑えたような声だった。その姿は明らかに友好的ではない
「ふむ。聖騎士共か。やれやれ、私を捕まえるよりももっと大事なことがあるように思えるがね。……ふむ、あのゴミはいないのかな?」
ヴァレールは騎士の問いを無視し、誰かを探すようにのんきに周りを見渡している。その姿からは余裕が見て取れ、完全に舐めているのがノアにも分かるほどだ。
周りの騎士たちが腰に下げてある剣を抜こうとするが、一歩前に出た騎士に止められた。
「待てお前たち!…ヴァレール、ドナート商店を襲撃したのはそこの子供が狙いか?」
「その通り。この子は英雄紋を持つとびっきりの逸材。この子はすさまじく強くなる。ただの奴隷としてはもったいないだろう?」
「…なぜ、奴隷だと……?そんな存在がーー」
戸惑ったような騎士にヴァレールは冷徹な声を浴びせる。
「--だから言っただろう。君たちの仕事は別にあると。聖王国では奴隷は禁止、それは表向きでしかない。この店は日用品店だが、本当は奴隷商館。本来は君たちの仕事だったものを私が二つもしてあげたんだよ。無能な聖王暗殺と違法な奴隷解放、感謝くらいしてくれてもいいんだがね」
そう言って肩を竦めるヴァレール。その動作に苛立ったのか、剣を抜く騎士たち。
「さて、時間稼ぎはもういいだろう?これだけおしゃべりに付き合っても聖騎士団長が来ないということはあのプレゼントがよほど気に入ってくれたんだね。安心して死んでくれ」
その言葉を合図に騎士が一人、二人と斬りかかってくる。ノアとしては訳が分からず事態についていけない。慌てるノアを気にすることなく、ヴァレールはローブの裾をはためかせ、腕を水平に払う。
「<火炎壁>」
斬りかかってきた騎士が当然現れた巨大な炎の壁に飲み込まれる。そして、ヴァレールが初めて詠唱をした。
「<我は無限の可能性。万物の理を捻じ曲げるものなり。全てを引き寄せ、全てを跳ね返す。全てを押し潰し、全てを破壊するもの>」
ヴァレールの足元から輝く魔術陣が現れる。それが詠唱が進むにつれ、どんどん大きく広がっていき、近くにいたノアはもちろん、今だ炎の壁の向こう側にいるであろう騎士、そして街そのものまで魔術陣が飲み込む。
「<絶対なる重力場>」
そして炎の壁が消えるのと同時に、その魔術が完成した。騎士、建物、あらゆる存在は押し潰れた。騎士は肉の花を咲かせ、建物は瞬時に瓦礫と化し、地面にめり込む。魔術陣の範囲内全てが圧砕されている。
その光景に、ノアは魅了された。ノアはこの時、この男に必ずついていこうと思った。恐怖からではない。
この力に興奮したのだ。絶対なる破壊の力がひどく輝いて見えた。手に入れたいと思った。
(……すごい)
この光景を見て、そう思えるのは異端であろう。
ノアはただ力が欲しかった。何をするにもまず力がなければ何もできない。これを幼いながらも理解していた。確信があった。この男についていけば、力が手に入る。
「さて、聖騎士団長が来る前に逃げるとしよう。ついてきなさい、ノア」
その日、聖王国では町一つが壊滅。生存者は確認できず、事態を重く受け止めた聖王は、ヴァレール・ブリットを賞金首表に乗せたことを発表。それと同時に第S級犯罪者に認定した。