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愛しい人

作者: 東雲 葵

 私は、人を待っている。いつか、彼が私の元に来て約束を果たしてくれると、信じているのだ。あまりに永い時間待ち続けて、本当に約束があったのかさえ、今はわからない。


 魔女になり、人であることをやめてまで守りたかった思い出は、永い永い時間の中で擦り切れていってしまう。彼の姿も、顔も、声さえも今はおぼろげになってしまった。それでも、なお私は待ち続けている。


 人と同じ時を生きられないから、魔女になった時から迫害される前に森で暮らすことに決めて居た。人が寄り付かないように結界を張り、人との接触を絶って、人の世に余計な諍いをもたらさないように。


 それでも、十数年に一度は結界が綻び人間が紛れ込むもので、完全に人の世との関わりを立つことはできなかった。度々人間は私の居場所に現れては、厄介ごとを持ち込んだ。


 迷い込む人間は実に様々だった。飢えた村を救って欲しいという願いを持った者であったり、国同士の諍いを諌めて欲しい人物であったり、国の軍事力として利用したいという者もいた。


 気まぐれに叶えることもあれば、二度と森に近づけないようにすることもあった。けれどそれらは私にとって、待つ間の暇つぶし以上の意味を持たなかった。


 待ち人がいること、もうその姿も覚えていないことを話すと、自分が相手だと騙り、私の体を求める者もいた。そういう人間は、だいたい二度目に訪れることはない。森が拒絶するからではない、閨での私が死んだ魚と大差ないことを知るからだ。


 体を重ねる行為は、もはや私に何の感動も与えない。抱きたいと言われれば体を預けるが、触られても何も感じなくなっていた。心の底から湧き出すものがないから、反応も出来ない。結局ただ相手が欲を満たして、おしまい。なんの反応もしない私に、大抵の男は飽きて帰ってしまう。


 人とは勝手なもので、反応がなくてつまらないと分かれば途端掌を返して待ち人ではなかったと言って消えてしまう相手が大半だった。はじめこそ打ちひしがれることもあった気がするが、今では何も感じなくなった。


 私は今日も、何も変わらない1日を過ごす。


−*−*−*−


 その夜は珍しく強い風が吹き、折れた木々の枝がぶつかっているのか家のあちこちから何かがぶつかる鈍い音が聞こえてくる。こういう日の後は結界が綻びやすいから、後で確認に行かないといけない。日の落ちた部屋の中でそんなことを考えながら茶を啜っていたら、突然扉が勢いよく開かれた。


 扉を開けた男も私も、おそらく同じような顔をしていただろう。どうやら、枝の当たる音だと思っていたもののいくつかは彼が扉をたたいていた音だったらしい。


「あー……、扉を叩いたんだが返事がなかったんで、空き家かと思ったんだが……」


 声の調子からバツの悪そうな様子が伺える男が、扉を開けた先には立っていた。部屋の中は最低限の明かりしか灯しておらず、家の中は薄暗くお互いの姿はぼんやりとしか確認できないような状態だろうと思えた。


「……風が強くて気がつかなかったの。悪いわね。さあ、入って」


 外はひどい風だ。そんな中に人を放り出すほど、酷なことをするつもりはなかった。ランタンに火を灯し、部屋を明るくしてから彼の方を向いて手招きする。明かりに照らされた彼は黒のイメージをもつような見た目だった。黒い髪に黒い服、瞳だけは蒼のような緑のような不思議な色をしていた。


 私の顔を見て少しだけ驚いたような顔をしていたが、気のせいに思えるほど一瞬のことだった。もしかしたら本当に私の見間違いだったのかもしれない。扉をくぐり手招きする私の方へと近づいてくる彼へ、テーブルを挟んだ向かいの席を勧めるように指をさしてみせる。


「どうぞ、座って。……貴方は、迷い人かしら?」


 彼は一度頷いて私が示した席へと腰掛けた。それを確認してから私は湯を入れたポットを置いている簡易キッチンに向かった。二人分のカモミールをガラスのティーポットに入れながら、彼に問いかける。ティーポットに熱湯を入れカモミールティーを蒸らしている間、彼の返答を待った。


 大体は森の結界が綻んでいるときに迷い込む人が大半だ。だから、ここにきた人間は最初は混乱していることが多い。カモミールには、心を落ち着ける効果があるという。だからまず、一杯飲んでもらってから詳しい話を聞くのが普段のやり方になっていた。


「いや、人探しをしていてね。どこにいるかわからないが、この世界のどこかにはいるはずなんだ」

「そう、大変そうね」


 意外にも彼は迷ってここにきたという様子ではない。人探しの途中だと語ってくれたその口調は軽いものだった。世界のどこか、というスケールの割には焦る様子がないのは不思議だったが、深く追求はしない事にした。追求したところで、力になれるかも怪しい。だったら余計なことは聞かないほうが気にしなくて済むからだ。


 ちょうどよく蒸らされたカモミールティーを二つのカップに注ぎ入れる。ティーカップを片方彼の前に、片方は自分の前において私も席に着く。湯気の立つカップを手に取り、小さく息を吐く。ゆらゆらと揺れる湯気が消えていくのを眺めながら、飲み頃になるのを待っていた。


「ところで、あんたはどうしてこんなところに一人で?」

「人を、待っているの」


 冷めるのを待ってぼんやりとしていたところに私がこの場所にいる理由を問われ、少しだけ彼から目をそらして短く答える。軽く息を吹きかけて冷まし、カモミールの香りを吸い込んでから、カップに口をつけた。まだ中身は熱く、少し啜っただけで口の中を火傷しそうだった。短く答えた理由は彼の興味を引いたのか、カップの持ち手に手を掛けながら彼がこちらに向き直る。


「へぇ、どんな人だい?」

「……覚えていないわ。名前も、姿も、声も、どんな約束だったかも……何も、ね。でも、とても大切な人。それだけは、覚えているの」


 私の返答に対して、彼は怪訝そうな顔をしていた。当然だろう。約束と呼べるものもなく、名前も顔も声さえも忘れているのに、ただ待っているだけなのだから。


「随分長いこと待ってんだな」

「そうね……もう、どれくらい前から待っていたのかも、覚えていないの。忘れたくなくて、人の生を捨てたのに……時の流れって残酷なものよね。留めておきたかったものも、容赦なく擦り切れさせてしまう」


 僅かに彼の表情が歪んだ気がした。それが憐憫からなのか、それ以外なのかは私からはわからない。彼は何か考えるように真剣な表情のまま俯いた。彼の様子を眺めながら、私はカップの中身を啜る。


「なあ、俺の探し人があんたかもしれない……と言ったら、どうする?」

「どう、と言われても……」


 しばし俯いていた彼が顔を上げ、問いかける。その表情は真剣なもので、少なくとも戯言を言っているようには見えなかった。


 彼の探し人が私であるなら、私の待ち人は彼なのだろうか。けれど、私が待っているのが彼であるという確証は私にはない。困惑した様子の私に対し、何か言いたげな様子だが言葉を探しているのか僅かに眉間にシワが寄る。


「あんたの名前は?」

「……呼ばれることがないから、忘れてしまったわ」

「あー、うん……だろうと思ったよ」


 彼は私の返答を予想していたようだが、大きくため息を吐いて手で顔を押さえ、そのまま俯いてしまった。少しイラつきを覚えているのか、少し乱雑に頭を掻いてから銀色のケースを取り出した。ケースを開くと中には紙巻煙草がずらりと並んで入っており、そこから一本取り出して咥えると、マッチを取り出した所で、瞳だけ私の方に向ける。


「…吸っても?」

「ええ、どうぞ」


 短く答えるとともに頷いて見せる。返事を聞けばすぐにマッチを擦って火を点け、煙草の先端へと運ぶ。先端に火が灯ればマッチの火を消して彼は紫煙を吸い込んだ。ゆっくりと吐き出されるそれはふわりとあたりを漂い消える。


 不意に鼻に届くそれは甘そうな匂い混じる独特の香り。それはどこか懐かしく、知っている香りのような気がするものだった。


「……どうした?煙でも沁みたか?」

「え……?」


 声をかけられ、目元を指さされる。意味が分からず示された辺りに触れてみると、濡れていた。私の瞳には知らない間に涙が溢れてきていて、自覚したというのに止まってくれない。


 次から次へと溢れてくるそれは、私がまだ約束の相手のことを完全に忘れていない証拠だった。


「香り……そう、その煙草の香りを……味を……私は、知っている……」


 溢れる涙は止まらない。声も顔も思い出せないのに、約束の相手から一本だけ煙草を貰って吸ったことがあったのを思い出した。甘い匂いに反してとても重い、その煙草を。


「貴方が私の待ち人なら、聞きたいの……私、それを一度、貰って吸った事があったわよね…?

甘い香りだけれど、とても重くて……吸った時にすこし、クラクラとした気が、するわ」


 私の言葉に驚きの表情をして、煙草を灰皿に押し付けて彼が立ち上がる。私のすぐそばまで来れば、腕を掴んで立ち上がらせ、そのまま私の体を抱きしめた。


 煙草の香り、触れる体温。心臓の鼓動が、うるさく跳ねはじめる。私は、それを知っている。これは、私が望み続けたもの。私を抱きしめる彼の腕の力は強く、少し苦しいくらいだった。


「アンタだ、間違いない」

「……貴方が、私の待ち続けた人、なのね……」


 香りから呼び起こされた記憶は、次々と連鎖的に他の記憶を呼び起こしていく。自ら相手の体に腕を回し、抱き締め返す。私の指先は黒い髪に触れ、彼の手は私の髪を撫でる。私たちはどちらともなく、口付けた。


「ん……」


 はじめこそ触れるだけの口づけを繰り返していたが、時折小さく吸い付く音を立てながら少しずつ互いの唇を啄ばむものに変わっていく。お互いが離れていた長すぎる時を埋めようと、求め合う様に。


「……は、ぁ……」


 ようやく唇を離し、互いに見つめ合う。キスだけだというのに、すでに体の奥が熱くなっている気がしてしまう。見つめる彼の瞳に、吸い込まれてしまいそうな気さえした。


 彼は私の頬に手を掛け、そこから指を滑らせながら耳に触れ、唇へと到達する。たったそれだけの行為で、熱っぽい吐息が漏れてしまう。今までの何も感じなかったそれとは明らかに違う、不思議な感覚だった。


「ねぇ……今日は、泊って行くのでしょう?」

「もちろん、やっと見つけたんだしな」


 彼は悪戯っぽく笑って、指先を私の顎にかけて顔を上げさせる。そのまま見つめ合って、触れるだけの口づけをされた。悪戯っぽく笑う彼の顔に、自然と笑みがこぼれた。


−*−*−*−


 翌朝、けだるさの残る体を引きずるようにしながら朝食の準備をする。いろいろなことを思い出そうと、夜通し彼と話をしていたせいか、普段ならば何のことはないことも新鮮さを感じてしまう。朝食も、孤独に過ごしてきた今までと違い、今日は二人分。


 外の小さな畑から取ってきた葉物の野菜は水で洗って土を落とし刻んでおく。ベーコンを取り出して少量切り出せば、短冊切りにして端に寄せて。休ませていたパン生地をかまどに入れて焼き始めれば、フライパンの上に少量のバターを落とす。溶けてよい香りが漂ってくれば軽くベーコンを炒め、先ほど刻んだ野菜と解いた卵を流しいれる。


「……美味そうな匂いがする」


 起きてきた彼がテーブルに着くころにはパンが焼きあがり、キッシュ風のオムレツと一緒にさらに乗せてテーブルへと出した。温かいハーブティーも入れれば、簡単な朝食の完成。


「予想外の来客だったから、簡単なものですまないわね」

「いや、作ってもらえるだけありがたいさ」


 彼と二人で朝食をとりながら、あれやこれやと昔の話を聞く。なにしろ遠い昔の話だ、お互い忘れている部分は多くて思い出話と呼べるか怪しいものだったが、それでも彼と話をするのは楽しかった。


 食事を終えて色々と片付けた後で、ふと互いの間に沈黙が流れる。触れたくはないが、いつまでもこの時間が続くわけではないことくらい理解はしていた。



「そろそろ、発つのでしょう?」

「ああ。まだまだ色々と行かないといけなさそうだからな」


 後ろから抱きつくようにして顔を見られないようにして声を掛ければ、彼は軽い調子で肯定した。ずっといてくれると思っていたわけではないが、せっかく会えたというのにこんなにも早く居なくなってしまうのはあまりにも寂しく、苦しい。


 そっと彼の身体に回した腕を解かれ、彼が振り返る。せっかく顔を見られないようにしたのに、あっさりと顔を見られてしまった。


「……なんて顔してるんだよ」


 自分でも表情に出ている自覚はあったが、困ったような顔で声をかけてくる彼の様子を見るに相当ひどい顔だったのだろう。彼は慰めるように頭を撫で、抱き寄せてくれた。けれどその優しさが逆に辛く、泣いてはいけないと思っているのに涙が滲んでくる。


「だって、お前も行くだろう?」


 さも当然というように伝えられる言葉に、きょとんとした顔をしてうっすらと目元に滲んでいた涙が引っ込んでしまった。二、三度瞬きをした後で、『そうだ、彼はそういう人だった』と自分の中に不思議と受け入れられた。


 会うだけだと思っていた私が勝手に落ち込んでいただけだったのがおかしくて、滲んでいた涙を自分の指でぬぐいながら、おもわず笑ってしまった。


「貴方は、私に会いに来ただけじゃなかったのね」

「ずっと傍に居る、って言っただろ。かなり遅くなったけどな」


 あやすように頭をぽんぽんと叩いて、今から約束を果たすと口にする彼に一度頷いて見せる。長く過ごした小屋を片付けて身支度を整えれば、彼と二人で外へと出た。


 長い時間を過ごしたその場所を離れることに、少しだけ寂しさのようなものを覚える。振り返って小屋を眺める私に気付いたのか、彼は少しだけ困ったように眉を下げた表情を見せた。


「ついてくること、後悔してるか?」

「……怖くないと言えば、嘘になるわね。でも、後悔してはいない。今度こそついていくわ、どこまででも」


 小屋に背を向けて彼と並んで歩きだす。長い時間で擦り切れて失われてしまったと思っていた思い出も、これからまた新しく紡いでいければいい。


 もう、二度と私たちは離れることはないだろう。命が続く限り。

自分の趣味全開で書きました。

色々と説明の足りない部分等あると思いますが、ご容赦ください。

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