9.
「あ、ここ知ってる……」
取材と言っても多くの店舗を回るわけではない。フリーペーパーを繁華街の情報だけで埋めるわけではないからである。一件目は優磨が推挙したラーメン屋だった。地域展開のチェーン店であったが、記事にする許可もいただいた。ちなみに記事を書くのは優磨だ。嫌そうな顔をしていたが気にしない。
そして二件目。
こちらは明日香と美咲が、行ってみたいと私欲だけで候補に入れたケーキ屋。繁華街の大通りを外れて、公園やオフィスビルが並ぶ落ち着いた道を少し歩いたところにあった。シックな木目調の外装、趣のある洒落た店だ。美咲が言うにはかなり人気があるらしい。
そんな店先で、智也は口を開いた。
思わずと言ったふうに振り返る一同。
「お前……知ってんの?」
もちろん博文が一番驚いた。
智也が発した言葉に耳を疑った。社交的でなく友人も少ない、流行にも疎そうな彼がこんな店を知っているとは思わなかった。
智也は視線に怖気づきながらも答える。
「入ったことないけど、美味しいって評判だよ。……食べてみたいなとは思ってた」
「甘いもの好きなのか?」
「い、いいじゃんか別に! だけど、一人で入る勇気ないし……男ひとりってのも怪しいでしょ?」
恥ずかしそうにまくし立てると、美咲が興味津々に近寄った。
「ケーキ、好きなんだ?」
「えっ、あ、はい……。甘いものは全般に……」
「へ~、意外~」
「ともかく入るぞ」
騒ぐ彼女に呆れた様子で春樹が促した。
さっそく店内に入ると洋菓子の甘い香りが嗅覚を刺激する。
ショーケースに陳列されたショートケーキや具だくさんのフルーツタルトなどたくさんのケーキを見て、博文は阿呆みたいに口を開けていた。洋菓子屋なんて滅多に訪れないから。
「藤堂君、こっちだよ」
薫が袖を引っ張ってきた。やはり女子はスイーツが好きなのか、上機嫌な彼女に小さく笑って導かれた。
「博文は食べないの?」
向かいの席でガトーショコラを食べる智也が突然声を上げた。ガトーショコラはこの店の人気商品らしい。美咲が店員に聞いていたので間違いない。
いつも口数が少ない智也が、自分から会話を切り出したことに博文は驚き、少し遅れて答えた。
「あー、甘いものはちょっとな……」
苦笑しつつ、紅茶の入ったカップを持ち上げる。博文の手前にはそれしかなかったのだ。智也が珍獣を見るような目つきでこちらを見つめる。
「へぇ……。そんな人ほんとにいるんだね。……どこの主人公なの? 博文」
「何の話だ。つか主人公ってガラじゃねーだろ俺」
「そう言えば藤堂君、あんまり食べないよね……」
言い合っていると、隣の薫が小さく呟き、こちらに小首を傾げた。
「デザート全般にダメ?」
「え……?」
質問にびっくりして、考えてから答えた。
「あーっ……と、そんなに甘いものじゃなかったら、いける……」
「そっか……」
薫は飴色の天井を見上げて思案顔をしていた。
何を考えているのか気になるが、邪推するのも悪い気がして博文は智也へ目を戻した。
「食べられないってほどじゃないぞ」
「じゃあ他にも連れてってよ」
「は?」
智也の唐突な提案に目を見張り、隣の薫が咳き込んだ。智也は構わず続ける。
「気になるお店、他にもあるんだ。けど一人は嫌だし……」
「待て。男ふたりってのはもっとおかしいだろ」
「そうなの?」
「そうだろう。知らんけど」
「なになに? デートの相談?」
「違います」
口を挟んできた美咲に即答する。すごくわくわくした様子なのが気になり、博文は若干引き気味でため息交じりに問うた。
「あの……何がそんなに楽しいんですか?」
「いやー、博文くんと上倉くんがデートだなんて……垂涎のものでしょ!」
「わけがわからん」
「博文はともかく、僕にはそんな趣味ない……です」
「あ? どういう意味だよ」
「だって人を見かけで判断したら駄目だもん」
「しばくぞ」
言い合う二人に美咲は、あははっと笑っていた。そんな彼女を見つめ博文は深々とため息を吐いた。
「あー、もう……勘弁してくれ」
「あっ、それよりも。……上倉くん、どうかな撮影?」
博文は顔を上げて、智也の手も止まる。
美咲の声音はいつになく真剣だった。こちらの視線に少したじろぎながらも美咲は小声で口を開いた。
「その、雑誌作るって言ったのは明日香だけど上倉くんを撮りたいって提案したのはあたしなんだよね。明日香はできるかぎりのことはするから、今日誘ったんだと思う」
その通りだろう。博文は視界の奥にいる明日香を眺めた。
明日香は嬉しそうにケーキをついばんでおり、優磨と春樹と一緒に楽しげにしていた。真っ直ぐな彼女が要望通りにやろうと思うのは当然である。余談だが、自分が注文したケーキを春樹に食べさせようとしているのは見なかったことにした。
美咲はなおも小声で続けた。
「あたしのワガママでこうなっちゃったんだけど無理強いはしないから。明日香と約束したし、上倉くんに嫌な思いさせたくないから。でも、」
申し訳なさそうに眉尻を下げて、智也を見上げる。
「よかったら協力してほしいなって……。ちょっとだけでも、考えてくれないかなって思って」
「…………」
無論、智也は答えなかった。
真っ直ぐに引き結ばれた唇は開く気配は無く、困惑した様子はない。やがて冷ややかな視線をゆっくりと落とし、静かにフォークをテーブルに置いた。
そんな彼に博文は思わず口をつく。
「あ、上倉。別に今決めなくてもいいんだ。まだ二週間ぐらいあるし急がなくていい。それにお前がそんな真剣に考えなくても、モデルなんて他あたるし……俺も、あまり期待してないから」
智也が勢いよく顔を上げた。虚を衝かれたような顔つきをして切れ長の目を大きく見開いていた。
「上倉?」
博文は表情の変わった彼を眺め、首を傾げる。
「…………なんだよ、それ……」
「え?」
薄い唇から掠れた声が漏れる。聞き取れなかった博文はテーブルに肘をついて身を乗り出した。その途端、智也は音を立てて席から立ち上がった。椅子の引く音に明日香たちのみならず、店員や他の客もこちらを注視していた。
「ど、どうした」
首をすくめて訊ねると、智也は厳しく博文を睨めつける。
「……僕は」
「上倉?」
「僕は!」
智也は叫んだ。
「君にはいつも世話になってるから、今日は来たのに……。期待してないってなんだよ!」
「あっ……え、と……」
常に冷めていて感情を剥き出しにしない智也が怒りをあらわにして怒鳴っている。見たこともない彼の表情に博文は困惑し、固まった。
「君がどうしたいなんて知らないっ。そりゃあ僕は頼りないし他人と話するなんて嫌だよ。でも、誘ったのは君じゃないか! 君が一緒だから来たのに……最低だっ!!」
智也はバンとテーブルを叩いて、店を出て行ってしまった。
カランコロン、とドア上の鈴が寂しく鳴った。
「…………」
沈黙。博文は呆けたまま、からっぽになった向かえの席を見つめていた。
「――みーくんっ!」
「はい!?」
突然呼ばれてびっくりして振り返ると、明日香が眉間にしわを寄せてこちらを見つめ、ビッと店の外を指差した。
「追いかけなさい。会長命令だよっ」
「は、はい……」
明日香の真剣な表情と語気の鋭さに気圧され、博文は立ち上がった。
***
「あ……おい、上倉っ」
智也はすぐに見つかった。
博文たちが来た道を戻っており、繁華街のほうへ向かっている。博文は彼の背中を見つけ 声を掛けたが、智也は振り返る気配もない。黙ったまま器用に人の合間を縫って、早足で歩いて行く。
――運動苦手じゃなかったのかよ!
思いのほか足の速いことに博文は舌打ちした。
「待てって!」
やっとの思いで智也に並んで彼の腕を強く掴んだ。智也はうるさそうに掴まれた腕を振りながら、低い声で言い捨てる。
「離せよ……」
「いや、離したら行っちゃうだろ」
返すと智也は唇を噛んで黙ってしまった。
博文は対応に困り、髪を掻き上げて小さくため息を吐いた。
「……何怒ってんだよ?」
訊くと智也は睨み返してきた。再びまくし立てる。
「馬鹿なの? 誘ったのは君だよ、なのにあんな言い草ないんじゃないの!? いらないなら何もしないでよ! ほっといてよ!!」
「や、俺は」
反論しようにも智也は聞く耳を持たなかった。何度か見た冷酷な視線が博文を射抜く。
「君は、僕が可哀想だと思ってるの」
「えっ」
「口利かないし、いつもひとりでいる僕が寂しいやつだと思ってるの? ふざけるなって……同情なんかもっといらないっ。僕はひとりでもいいから……君に助けてもらわなくたって、僕はっ!!」
「…………」
博文は少しだけ彼の気持ちがわかったような気がした。
彼の性格は誰よりも一番わかっているつもりでいた。だから外に連れ出した。多少強引でも、できるだけ他人と接して少しでも話をしてほしかった。
しかし、知り合ってまだ二ヶ月ほどだ。上倉智也の過去など知る由は無い、むしろ知る必要などもまったく持って無い。正直、彼のことを知らないのが事実だ。
それでも断言できるのは、上倉智也にとって藤堂博文は唯一、気を許せる相手だということだ。
博文の誘いは上倉智也にとって迷惑だったのだろうか? そしてそれは、藤堂博文の手前勝手な振る舞いで自己満足だったのだろうか?
だが考えても仕方ない。智也が傷ついたのは事実だ。
博文は掴んでいた彼の細腕を離して、謝った。
「言い過ぎた。悪かった、ごめん」
見下ろす目は依然として冷たかった。そんな彼を直視できないまま、博文は懸命に一心不乱に言葉を紡いだ。
「だけど、俺はお前のことそんなふうに思ったことない、ほんとに。たまに変だなって思うけど……馬鹿にしたり見下したりしてない。迷惑だったら言ってくれたらいいし、今みたいに怒ってくれていいから。……俺は普通に、友達だと思ってるし」
「……」
「お前は、俺のこと……友達だって思ってるのか?」
ものすごく恥ずかしいことを言った気がした。顔面が熱を帯びて、胸の中がもやもやしてきた。博文は複雑に顔をしかめて、智也と目を合わせた。
すると智也は目を丸くし、そわそわと落ち着きがなくなって、そして目を泳がした。
「も、もちろん。……友達だよ、君は」
やがて、そっぽを向いて気恥ずかしそうにぼそりと言った。
今度は博文が面食らった。
「変な反応するな! めちゃくちゃ恥ずかしいだろ!」
「はぁ!? 君が聞いたんだろ!? 僕だって恥ずかしいよ! 馬鹿なの?」
「さっきから馬鹿馬鹿うるさいぞお前」
しばらく睨み合っているが馬鹿馬鹿しくなって、脱力感が襲ってきて博文は頬を緩めた。つられて智也も苦笑いを浮かべた。二人してくすくすと笑い、こらえていたがとうとう我慢できなくなって声を上げて笑ってしまった。
「……ほんと、馬鹿みたいだな」
「はは。ほんとだね」
微笑する智也を見て博文は口を開いた。
「ちょっとでも知ってほしかったんだ」
「え?」
「お前も、俺以外の誰かとこんなふうに喋れたらいいなって思ってさ……。俺ならいつでも間に入れるし、橋渡しもいくらでもする。だから誘ったんだ」
「博文……」
驚いたような声音で呼ばれて再び恥ずかしくなった。博文は彼から顔を背け、片手で襟足を掻き上げて続けた。
「ま、まぁ上倉が嫌ならいいよ。今度からは誘わないしさ。付き合わせてごめん」
「もう、いいよ……」
ふるふると首を横に振り、智也は柔らかく笑んだ。
「君はいつでも、真っ直ぐで一方的だな」
その笑顔に思わず見惚れてしまったが、すぐに気を取り直して博文も表情を綻ばした。
「甘いもの好きなのは意外だったな。……お前、バレンタインのチョコとかどうしてたんだよ?」
同時に、店へ戻ろうと踵を返す。あからさまな話のすり替えにも、智也は何も気にせずに隣に並んで答えてくれた。
「食べないに決まってる。素人が作ったものなんて、何か入ってたら手遅れじゃん」
「その発想はひどくないか……?」
「既製品だとしても食べないよ。親にあげる」
「鬼か、お前は」
「他人からのものなんて嫌だよ。返す義務もないし。ちゃんとプロが作ったデザートなら食べていいよ」
淡々と自分の見解を述べる彼に辟易していると、智也はじろりと胡乱な目つきで博文を見つめた。
「そういう博文はチョコもらったことあるの?」
「お前それ嫌味か? 俺はお前みたいにカッコよくないし、」
「ふーん、佐倉さんや喜多村さんにはもらってないんだ?」
そう訊ねらえたとき、脳裏に浮かんだのは震えた小さな手と恥じらう真っ赤な顔――。
そこまで思い出して博文は頭を振った。瞬時にそれを振り払い、平然を保ち素っ気なく答えた。
「そういえば、もらったな」
「忘れてたなんてひどいね博文」
「お前には言われたくない。つーか、俺のチョコ事情なんてどうでもいいだろうが」
いらないことを思い出したから博文はつっけんどんに言い返した。
そんな彼を不思議に思ったのか智也は小さく肩をすくめ、すっと目を離して小さく呟いた。
「写真、か……」