4.
「……藤堂君っ」
放課後。生徒会の集会に向かう途中、声を掛けられた。振り返ると上履きをぱたぱたと鳴らして、こちらへ駆け寄る女子生徒が目に入った。
きちんと制服を着て、ポニーテールにした黒髪が元気よく揺れていた。
「おう、喜多村」
「こんにちは」
彼女は喜多村薫。博文と同学年で生徒会のメンバーである。薫は、くりっとした大きな瞳で博文を見上げる。
「一緒に行こっか?」
「ああ」
小さく頷くと彼女は嬉しそうに笑って隣を歩いて、「そう言えば……」と口を開いた。
「藤堂君、上倉君と友達だったんだね」
「誰から聞いたんだ……って訊くまでもないよな」
「あー、うん。一条先輩から」
「そっちか!」
博文は気色ばんだ。
情報源も驚いたがそちらは捨て置く。智也との交友関係は内々にしておきたかったのだ。智也はあんな性格である。だからあまり噂になるようなことは極力避けたい。しかし知り合って二ヶ月も経っていないが、二人を目にする生徒もいるだろう。もしかしてそろそろ限界だろうか。
博文の表情に薫は焦った様子で胸の前で手を振る。
「で、でも! 一条先輩も秘密にしておけって言ってたし、今度のフリーペーパー作る人たちにしか言ってないって言ってたから大丈夫だと思うよ!」
「……てことは喜多村も雑誌作るの?」
「いつの間にか頭数に入れられちゃってた」
あはは、と苦笑を浮かべ、薫はぐっと拳を握った。
「それに先輩たちも無闇に個人情報流したりしないでしょ。大丈夫だよ、うんっ!」
「そ、そうだな……」
こちらに距離を詰める薫。ほのかに匂い立つ香水が鼻をくすぐる。思わず博文は一歩後ずさった。
薫はよくまわりを見ていて、誰隔たりなく優しい。今も博文の不安な顔色を見て元気づけてくれているのだろう。博文は頬を緩めた。
「ま、上倉は別段気にしないだろうし、そのときはそのときだな」
「上倉君って気難しいの?」
「いやそんなことないけど。めんどくさい奴だとは思ってる」
「へぇ……。私、喋ったこともないよ」
口元に小さな指を当てながら薫はそんなことを呟く。その声音はどこか憧れるような、希うような響きがあった。
「やっぱり、カッコイイと思うのか?」
「へっ?」
訊くと、薫は目をぱちくりと瞬く。呆けた表情を見せる彼女に博文も首を傾げた。
「どうした?」
「あ、いや……なんかびっくりしちゃって」
薫はごまかすように前髪をいじり始める。若干頬も赤い。
「びっくりって……、俺変なこと言ったか?」
「違くて。藤堂君もそういうこと気にするんだなって……、初めてかも……」
「そういうことって……」
そのときぴたりと視線が重なった。
困惑したように揺れる瞳。ほのかに上気した頬。艶のある柔らかそうな唇。小さく開かれた口元から吐息が漏れた。
「…………」
博文の思考は、完全に停止した。
「副会長ーっ!」
廊下に響く声に、博文は我に返った。安堵する自分を不思議に思いつつ、廊下の向こう――生徒会室の入り口に立っている男子生徒を睨むように眺めた。
「大きな声出すなよ、秋月」
やや背の低い生徒で、髪型も服装もきちんとしているが、力の抜けた佇まいでどこかくだけた印象がある。
秋月優磨は小走りに駆け寄り、人懐っこい笑みを浮かべた。
「遅刻しますぜ~、副会長ー」
「うっとうしいな、お前……」
「一条先輩の雷が落ちていいなら構わないけど?」
「……それは不味い」
春樹の名前を出されて博文は顔を強張らせる。それから薫を振り返った。こちらに気づいた彼女は苦笑交じりに促す。
「行こっか」
「そう、だな」
その表情も気になったが、遅刻するのは不味い。博文は薫の後を追った。
定例の集会も普段通りに滞りなく進み、何事もなく終わった。こんなときは明日香も大人しくて本当に助かる。彼女はつまらなそうに進行係をする春樹を眺めていた。
ぞろぞろと生徒会室を出て行く生徒を横目に、博文は椅子に深くもたれかかった。
「お疲れー。みーくん」
そう言って明日香がティーポットを持って隣の席に座る。ついでに博文のコップを取って、お茶を淹れ直してくれた。博文はほっと息を吐いて礼を言う。
「ありがとうございます」
「いいのいいの」
明日香は笑って自分のコップにもお茶を注いだ。
「で、どうかなー? 智也くんのほうは」
訊ねられるのはわかっていた。集会が終わって生徒会室に残った生徒は博文も含めて五人。生徒会長の佐倉明日香、書記長の一条春樹、そして喜多村薫と秋月優磨である。このメンバーでフリーペーパーを作るつもりのようだ。
「上倉になら即座に断られましたよ」
正直に答えると明日香は別段驚く様子もなかった。
「うーん、やっぱり難しいかなぁ?」
「正直、一番の難題ですね」
「そっかー」
「そうです」
二人一緒にずずずっとお茶をすすり、ふーっと長いため息を吐いた。そのとき、はす向かいで頬杖をついた優磨が手を挙げる。
「明日香会長。そのフリーペーパーっていつ締め切りなんですか?」
「終業式の前には出来上がってほしいよね」
「終業式の一週間前には、全生徒が閲覧できるようにしたいな」
スケジュールを組み立てているのか、春樹がノートパソコンをカタカタと鳴らして、こちらを見やる。
「スケジュール的には問題ないと思うぞ」
「まぁ、四週間以上ありますからね。できなきゃおかしいですよ」
「あんまりハードル上げんなよ、副会長」
茶化す優磨を無視して、春樹に視線を投げかけた。
「内容はともかく。問題は表紙ですよ」
「そんなに問題か?」
「さっき言いましたが、一番の難題です」
断言すると春樹は眉間にしわを寄せ、小さくため息を吐く。
「噂よりも気弱な奴だな、上倉は」
「あいつの性格からして絶対に首を縦に振りませんから」
「言い切るなぁ、博文」
「一応、友達だからな」
優磨の含み笑いに早口で答えて、コップを机の上に置いた。
「極度の人嫌いですからね。だけど基本受け身なんで、信用を得れば簡単に落ちますよ」
「落ちる……」
優磨の隣に座った薫が虚空を見上げ、首を捻って呟いた。何やら不穏当な響きを持つ声音。博文は咳払いをして明日香に目を向けた。
「なるべく、代役は早めに見つけたほうがいいです」
「わかった! でも、智也くんにアプローチはお願いね?」
「了解です」
「よろしくねっ! じゃあ次に内容は……」
「たのもーっ!」
明日香が話を取り仕切ろうとしたとき、生徒会室の扉が元気よく開かれた。音にびっくりした五人は一斉に振り返る。
突然の闖入者は女子生徒だった。ショートボブの髪型。赤いフレームの眼鏡。首からは一眼レフのカメラがぶら下がっていた。
室内の沈黙に彼女はしまった、と言ったふうに眉尻を下げる。
「ありゃ……まだ会議中だった?」
「ううん、今終わったところだよ。サキちゃん」
「林田先輩、どうして……?」
「久しぶり~、博文くん」
微笑み、こちらにひらひらと手を振るのは林田美咲。新聞部の部長であり明日香の良き友人である。博文はすぐさま明日香を振り返り、説明を求めた。すると美咲がぽんと軽く博文の肩を叩いて言う。
「写真のほうはあたしにお任せっ。取材でもなんでもやるからね!」
「え、あっ、そのためにわざわざ……?」
「うんうん。もっと言うなら『孤高の貴公子』をこの手の中に収めたいってところかな! とにかく激写! とにかく撮りたい!」
「は、はぁ……」
美咲は胸元の一眼レフを高らかに持ち上げて、目を輝かす。そしてふふっといやらしい笑みをつくった。
「そのためにも博文くんにはがんばってもらわないと。新聞部の部費のために、『孤高の貴公子』のブロマイドを作るのだ! どうせなら博文くんと仲良しのところをツーショットで、一部の女子に売りさばくのもアリ! 間違いなく売れるっ!」
「一条先輩、林田先輩抜きで話進めましょう」
「賢明な判断だ」
博文と春樹が一緒になって頷くと、美咲と明日香が一緒に文句を垂れた。
「ひどいよー、博文くん。いいじゃん写真ぐらい!」
「なんでハルも頷いてるの! 昨日は賛成してくれたじゃん!」
「校内で商売する奴があるか」
「そのツーショット誰得なんですか。気持ち悪いからやめてください」
「需要あるしっ!」
「あ、あの……」
言い合う四人におずおずと言ったように手を挙げるのは薫だ。振り返る四人の視線を受け、薫は怯えたように身を縮めて言った。
「そろそろ本題に入ったほうが……下校時間もあるし……」
それに明日香がいの一番に反応した。
「かおちゃん偉い! そうだね、光陰矢の如し、歳月人を待たず、時間は無駄にしちゃ駄目! というわけでサキちゃんもフリーペーパー作りに参加しまーす。みんな拍手!」
「あっ! 佐倉……!」
パチパチと拍手する明日香とぺこりと頭を上げる美咲。春樹は頭を抱えて何か言っているが、誰の耳にも届いていない。
「駄目だな、こりゃ」
諦めた。一度決めたことは曲げない明日香に反論も抗議も無駄である。博文は肩をすくめて苦笑した。
「それじゃあ、始めよっか! ハル、書記はお願いね?」
「……わかった」
不承不承と言ったふうに頷く書記長を見て、明日香はにんまりと笑って話を進めた。
「内容は小難しくしなくて、タウン誌みたいなものでいいかなって思ってる。校内で配るものだし」
「夏休み前だからな。遠出は無理だろうが近場で取材してもいいかもしれないな」
「どっか行くんですかっ? ぜったい行きますよ、俺。経費落ちるんでしょ?」
「秋月君、論点ずれてるよ……」
「上倉智也くんのインタビューに1ページ頂戴!」
「無茶言わないでください。出るか出ないかでもめてるのに……」
「あとは何しようか……――」
明日香を中心にてきぱきと今後の計画を組み立てられ、指示が出る。自分から何かを作り出すことには心底熱の入る人だ。さきほどの集会と打って変わって、明日香は楽しそうな笑顔を見せている。
にぎやかに続く会議。意見の声は小気味よく耳に入り、時には笑いが漏れた。
2015年8月9日:誤字修正
2015年11月23日:誤字修正