3.
翌日。
午前の授業も四限目に入り、教室の空気は弛緩している。
博文は一応、生徒会役員なので授業は真面目に受けなければいけないし、それなりに良い成績を維持しておかなければならないのだ。
それでも博文は教室のある一点に視線を向けていた。授業の内容など耳に入らず、博文は頬杖をついてそちらを見つめていた。
廊下側の一番端の列。その真ん中あたりに彼はいる。
ぼんやりと虚空を見つめる彼の横顔は綺麗だ。さらりと流れる黒髪、真っ直ぐ伸びた鼻筋に尖った顎。フレームの細い銀縁の眼鏡が聡明さを表している。
上倉智也はときおりあくびを漏らしながら授業を受けていた。
「……」
昨日、博文は生徒会長の佐倉明日香から依頼を受けた。生徒会で生徒に向けてのフリーペーパーを作ると意気込んだ明日香は、フリーペーパーの表紙に学内一のイケメンと評される上倉智也を飾りたいとのたまった。
そこで白羽の矢が立ったのが、博文であった。
明日香がどこで博文と智也の交友関係を聞きつけたのかわからないが、自由奔放な生徒会長に文句は言えず博文は交渉の約束をした。
しかし成功する確率はかなり低い。
智也の性格は、他の生徒よりも博文はよく理解している。極度の人見知りで、趣味も拍車を掛けているのか、とにかく他人との関わりが無い。昨日、明日香が『孤高の貴公子』とか言っていたが、言い得て妙だと素直に思った。
確かに智也は黙っていればカッコイイし、雑誌の見栄えも良くなるだろう。
だが、無理な話だ。智也は絶対に拒絶するに決まっている。
――だいたいみんな、あいつの評価を間違ってる。
考えていると博文は苛立ちを覚え、トントンとノートをシャーペンで叩く。
上倉智也は物静かで知的な好青年――なわけがない。ただの人見知りでコミュニケーションが苦手な二次オタである。
いつも本を読んでいるのは「話しかけないでください」という意味が込められており、イヤホンをしているときも同様だ。両方装備しているときは相当機嫌が悪いので要注意である。
社交的ではない。もちろん友人もいない。博文はかろうじて智也の連絡先を知っているが、他の生徒は確実に知らないだろう。
別に、智也に対しての他人の評価などどうでもいい。彼に好感を持とうが持たまいが。
それでも、博文は思う。
上倉智也を少しでも人の輪に加えて、彼を友人だと言ってくれる人を見つけたい。お節介かもしれない。が、この雑誌の話は好機だと感じる。もっと他の人に、「上倉智也」を見てもらえばいいのだ。そのとき、智也が困り果てていたら、そこは友人その1としてフォローする。
――よし、やるぞ。
決意を胸に秘めたとき、四限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。終わりの号令とともに教室は一気に騒がしくなり、さっきまで寝ていた生徒も目を覚まして、慌てた様子で購買に駆け出していく。
博文も机の上を綺麗にしてから、ちらりと智也の机を見ると、智也はすでに席を離れていてどこかへ行ってしまっていた。
「……探すか」
ため息交じりに呟いて博文は教室を出た。
博文は購買でパンを何個か適当に見繕ってから、智也を探して校内を歩き回る。
確か智也は昼休みは一階の保健室の側、グランドの見える場所にいるはずだ。昼飯はそこで食べているらしい。以前それを聞いたとき博文は唖然とした。すると智也曰く、「教室にいると人が寄って来るから嫌。僕がどこで食べようと関係ないでしょ?」などと言い捨てた。
梅雨の中休みか、今日の天気は快晴に恵まれている。そう言えば、雨の日はどうしているのだろうか? 博文はそんなことを考えながら渡り廊下を通り、保健室の裏に顔を出した。
吹き抜ける風が頬を打ちつけ、前髪を揺らす。そこには目的の人物は座っていた。そいつは携帯電話を片手に食事中であった。
「よう」
博文は軽く手を上げて声を掛けた。すると智也は眼鏡の奥の瞳を見開いて、思いっきり咳き込んだ。
「おい大丈夫か」
食事中に話しかけたのがいけなかったのか、それにしても咳き込みすぎだと思う。しかし構わずに博文は隣に座った。
息が整ったところで智也は疲れた様子で目を上げ、咎めるように訊ねる。
「……博文、なんでここに?」
「え? 別にいいだろ」
何やら怒っているようだが気にしない。博文は来る途中に自動販売機で買った紅茶を一つ差し出した。もう一つは自分のものだ。
「やるよ」
「え? あっ。お金……」
「別にいい。賄賂みたいなもんだから、それ」
「賄賂? ……っていうかその前に、なんで君がここに?」
「ちょっと頼みたいことがあってさ」
パンの袋の封を切りながら言うと、智也は怪訝そうに顔をしかめた。
「頼み? 君が? 僕に? ……頼む相手間違ってない?」
「疑い過ぎだ。つーかお前にしか頼めないの」
「僕にしか……?」
ますます眉間にしわを寄せる智也。わずかに身をよじって冷たい視線を送ってくる。それから小さく失笑した。
「なに笑ってんだよ?」
「ごめん。……君が僕を利用するのかと思って疑った。でも、君の性格からしてそんなことしないし、本当に頼み事なんだなって思ったら……ふふっ」
智也はくすくすと笑う。
「……そうかよ」
胸がむずがゆくなった。恥ずかしくなった博文は髪を掻き上げて、そっぽを向いた。紅茶のプルタブを開けて、パンをかじる。
智也はからかうようにこちらの顔色を覗き込み、破顔する。その笑顔はすごく綺麗だった。
「気持ち悪いよ、博文」
「う、うっせーな! ふざけんなマジで」
「君に頼られるのは悪くない気分だね。うん」
「お前な、ほんと――」
言って口を閉じた。と、同時に智也から笑顔が消える。閉口したこちらをきょとんとして、まじまじと見つめてくる。
博文はきまりが悪くなって顔を背けた。
「と、ともかくっ。頼みたいことがあんだよ」
「僕にできることならいいよ。まぁ、ほとんどできないと思うけど」
言うと身を引いた智也は食事を再開する。コンビニの袋から出てきたのは明太子のおにぎりだった。
博文は紅茶を一口飲んで話を続けた。
「別に話を聞くだけでもいいんだ」
「それじゃあ今じゃなくても放課後でいいじゃん」
「……今日は生徒会があんだよ」
「昨日行ったのに?」
「あれは会長に呼びらされたから……いや、こんな話はどうでもいいんだ。頼みって言うのはな……」
博文は咳払いをして智也に向き直った。人にお願いするのだから、ちゃんと相手の顔を見て言うべきだろう。博文の視線に気づいた智也は目を上げた。
「会長の思いつきで新聞部みたいなことをしなくちゃいけなくなった」
「ふーん、大変だねぇ」
「でだ。上倉には、今から作るフリーペーパーのモデルになってもらいたい」
「……へ?」
素っ頓狂な声を上げて智也は振り返った。目を丸くしてぽかんと口を開けている。こういう間抜けな顔は珍しいと場違いに思った。
智也は端正な顔を曇らせる。
「どういうこと」
「雑誌の表紙にお前を載せるんだよ。写真撮るんだ、写真」
「嫌だよ」
即答だった。
やはり駄目か、と博文は肩をすくめた。智也はこちらから顔を背けて淡々と吐き捨てる。
「そんな目立つようなことしたくないよ、博文だって僕の性格わかってるでしょ? みんなに注目されるなんて嫌だし、普通に死ねる」
「そこまで言うか?」
「僕にとっては死活問題だよ」
「まぁ、そうだよな」
博文は浅く息を吐いて、口にパンを放りこむ。
予想はついていた。別に驚かないし、焦ったりもしない。上倉智也はこういう人物だということは、博文が一番知っているのだから。
交渉は失敗だな、と呑気に思っていると智也が不思議そうにこちらを見つめる。
「……いいの?」
「何が」
「いや、今の話。モデルのことはもういいの?」
そんなことを訊く。いつもの智也ならあっさりと流してしまいそうな話題なのに、質問を繰り返した。若干首を捻りつつ、博文は答える。
「いいよ、別に期待しなかったし。本人の意思は優先されるべきだろ?」
「でもモデルいないし……」
「そんなの、探せばいくらでもいるだろ。最終的には会長がやってくれそうだし。上倉が何気にしてんのか知らないけどさ、」
そこで言葉を切って、紅茶の缶を呷ってから言った。
「お前は嫌だって言ったんだからもういいよ。友達なんだしそこらへんのことはわかってるつもりだ。強要なんかしねーよ」
「……」
智也は黙ったままじっと博文を見つめる。驚いたように切れ長の目を丸くしていた。凝視されて博文は戸惑い、思わず身を引く。
「人の顔じろじろ見んな」
「あ、ごめん……」
智也は謝って、恥じらうように白い歯を見せて笑った。
「やっぱり博文は良い奴だよ」
「あ? 何を今さら。お前みたいな奴と友達になってる時点で俺の心は広いんだよ」
「ひどいなぁ、もう」
「そう言えば、今週の『機動兵器ナイトアーマー』観たぞ」
「それは観てるんだね! 今週も素晴らしかった。とくにアキトとキョウコのやり取りは感動ものだよ」
「ロボットもんは割と好きみたいだな、俺」
「ロボットかぁ……。僕的にはあれが面白いかな……」
目を輝かせて話す智也。
やはり、彼にはそういう表情が合っている。できれば博文以外にも、そうやって笑っていればいい。
しかし、何度も言うが無理強いはしない。いずれは博文を通じて、いろんな人と関わっていけばいいと思うが、今ではないのだろう。
博文は目を細めて智也の話を聞いていた。
2015年8月26日:誤字修正
2015年11月23日:誤字修正