1.
今日も一日が終わった。
放課後である。帰りのSHRも終わって教室はにわかに騒がしくなり、クラスメイトは思い思いに教室を後にする。真っ直ぐ帰宅する者、部活に向かう者、友人と寄り道を計画する者、そしてまだ話し足りないのか教室に居残る者。
「上倉くん、今日暇ー?」
「もしよかったらカラオケ行かない?」
「上倉くん、歌上手そうだもん」
「え、あ……」
甘ったるい声が教室の端から複数聞こえる。目をやれば三人ほどの女子に、男子が囲まれていた。
「またか……」
思わず出てしまうため息。藤堂博文は呆れ返った様子で囲まれた男子を眺めた。
「や、ぼ、僕は……」
目を泳がせてしどろもどろに答える男子。そいつはかなりのイケメンであった。すらりと高い背筋。眼鏡の奥にある切れ長の目。整った鼻梁。誰もが「カッコイイ」と評す美貌であった。
しかしひっきりなしに目を泳がせるさまはなんとも頼りない。それに気づかない女子たちも大概だが、少しは落ち着けばいいものを。
――などと考えていると、そいつが一瞬だけこちらに視線を投げかけた。本当に一瞬である。注意していなければ気づいていなかっただろう。
視線を受けた博文はため息を吐きつつ、席から立ち上がる。もう慣れてしまった自分が恨めしい。
博文は鞄を肩に掛け直して、彼の席へと向かう。それから咳払いを一つして女子たちに話しかけた。
「ちょっといいか」
「なに?」
くるっと振り返る女子たちの視線は刺々しかった。そんな射殺すような目つきで見られても困る。博文はがりがりと頭を掻いて口を開く。
「上倉と話がしたいから、今日は一緒に帰る約束してんだ」
「今すればいいじゃん」
冷徹な声音。よほど、彼――上倉智也との会話を切られたことに怒っているのだろう。あれを会話と呼んでいいのかわからないが、邪魔するのは一度じゃないし怒るのは当然である。
「いや、二人で話がしたいからって上倉が。な?」
博文は智也に同意を求めた。すると彼はこくこくと頷いた。
「う、うん。……き、今日は藤堂君と帰るから。ご、ごめんね、みんな」
智也は強張った笑みを見せる。その不器用な笑顔で満足なのか、女子たちはぼーっと彼の顔を見つめて、やがて口々に言う。
「ま、まあ、上倉くんがそこまで言うなら……」
「副会長って根に持つしね?」
「うるさい。あと役職呼びはやめて」
博文がぼやくと女子たちはくすくすと笑う。
「藤堂くんは副会長でしょ。副会長でいいじゃん。ねー?」
「あんた、顔はフツーだけど頭良いよね」
「上倉くんはどっちもいいけどねっ」
「こいつと比べんな。行くぞ、上倉」
「あ、うん。また明日みんな」
智也は律儀に挨拶をしてひらひらと小さく手を振る。それにまたしても見惚れる女子たちは硬直し、博文たちが教室を出た後、キャーと黄色い声が聞こえた。
外からは運動部の掛け声が聞こえる。斜陽が窓ガラスを橙色に輝かせていた。そろそろ太陽の光が強くなってきて、この時間帯でも暑く感じる。放課後も遅い時間だから、廊下には他に人影はなかった。
藤堂博文はネクタイを少し緩めて廊下を歩く。一、二歩あとから、上倉智也がついてきているが話すこともないので口は開かなかった。
しかし階段に差しかかったとき、智也はぶはーっと息を吐いた。びっくりして振り返ると彼がこちらに目を合わせ、教室とは別人のように流暢に話し出した。
「助かった、ありがとう。やっぱりああいう類は好きじゃない。どうして女子はこうも群がろうとするのか……あんな包囲網は恐怖しか感じない。あれのどこが羨ましいの? 理解に苦しむよ。そう思うだろ? 博文」
「お、おう……」
博文は思わず階段を踏み外しそうになった。慌てて体勢を立て直し、八つ当たりのように饒舌な智也に言う。
「だったら自分で切り抜けろ。毎回俺を使うなよ。つーかなんで目だけで促すんだよ。口で言え、口で」
すると智也は目を逸らし、ぽりぽりと頬を掻いた。
「しかし博文には迷惑かけれない」
「迷惑って言ってんだけど?」
ジト目で睨むと智也は慌てて言葉を繕う。
「ほ、ほらっ。君は生徒会役員だから、僕みたいなのが話しかけるのはやっぱり君の評判を落としちゃあいけないし……」
「評判は落ちないだろ、その解釈間違ってるぞ。……むしろこっちのほうがいろいろと噂されそうだわ」
上倉智也は眉目秀麗であるが、彼の交友関係は正直良いほうとは言えない。基本一人でいるし誰が話しかけても生返事である。だから、特定の相手と流暢に会話するところなど校内で珍しいだろう。こうして博文が話し相手になっている様子は、おそらく校内で噂になっているかもしれない。……悪い方向で。
こちらの答えに何を思ったか、智也はがっくりと肩を落とした。
「噂……やっぱり迷惑だよね」
「待て上倉。そういう意味で言ったんじゃない」
今度は博文が慌てて言った。
「馬鹿にしたりしないぞ。そりゃあ最初は驚いたが、最初も言ったが人はそれぞれだ。俺は上倉が嫌いなわけないぞ、うん」
なんか言い訳っぽい、なんかすごく恥ずかしい。しかし不安げに顔を曇らせる智也を見ると、どうしても罪悪感を覚える。顔が整っているといろいろ便利だな、とつくづく思った。
「そう?」
智也がこちらを眺める。うんうんと頷いてやると、彼はぱあっと輝くような笑顔になった。
「やっぱり博文は良い奴だなっ」
「……お、おう」
その笑顔は女性に向けるべきではないか? という疑問が頭をよぎったが、めんどくさくなりそうなので目を逸らして答えた。
一階に下りたところで博文は昇降口ではない方向を指差した。
「俺、会長に呼ばれてるから」
「ん、あぁ、小さき会長さんか」
相槌を打つ智也に博文は呆れて肩をすくめた。
「そういうことあまり言うなよ。会長、かなり人気あるんだから変な奴にからまれるぞ」
「何言ってんだい。僕が大勢の人の前で話すことなんてないし、そんな輩とは一生関わらずに生きるから大丈夫だよ」
「まぁ、そうだな。……今日はどこか行くのか」
妙に納得してしまい、ふとそんなことを訊いた。そのとき智也の銀縁の眼鏡がキラリと光った。
「よくぞ聞いてくれましたっ!」
智也は大きな声で言う。廊下に響く声にびっくりする博文に、智也はズビシッと人差し指を突きつけた。
「今日は神アニメと思われる『聖職者と人畜無害な吸血鬼の俺』の円盤を予約しに行くのだ! 個人的に今期イチだと思う! アクションも派手で作画も安定してる! ヒロインは新人の声優さんなんだけど、演技がすごく良くて……!」
「わ、わかったから落ち着け」
「あ、ごめん。取り乱してしまった」
鼻息を荒くしてこちらへ詰め寄る智也を制し、博文はげんなりと肩を落とす。
「あと、雷撃文庫の新刊が出る日だからチェックしとかないと」
「いや、もういいから」
「博文も見てるよね?」
「それ、お前に薦められて見たけど、俺の趣味とは合わなかったわ」
「なんだと!? どこで切ったんだ? まさか一話でとか言わないよね? 一話切りなんて……せめて三話観てからするんだ!」
「やめろ、うっとうしい!」
愕然と目を剥く智也は博文の両肩を揺さぶり、怒鳴り散らした。
博文は即座にはねのけ、鞄を肩に掛け直して、智也を諭すように声音を落とす。
「興味ないもんはしょうがないだろ」
「む……、確かに押しつけは良くないな。うん」
智也はうんうんと頷くが、すぐにけろっとした顔でこちらを見やる。
「じゃあ今度一緒に観よう。あのアニメの素晴らしさが絶対にわかるから。僕、先週号泣したから」
「そ、そうか……」
アニメで泣けるんだなと感慨深げに思うと、智也が軽く手を上げて昇降口のほうへ足を進めた。
「じゃあまた明日ね。博文」
「おう」
博文も手を振って応える。それに満足そうに微笑みながら智也は身を翻した。
彼の後ろ姿を眺めつつ、博文は思う。
「……教室でも、ああして笑ってりゃあいいのに」
なぜ、上倉智也がいつも物静かで一人なのか? なぜ、アニメの話を興奮気味に話すのか?
言うまでもないだろう。
上倉智也は極度の人見知りで、ぼっちな二次オタだからだ。