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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第七部
53/54

ユダツリーは花を咲かせない その2


 奏の家から徒歩数分の喫茶店。いつか誰かを連れてこようと思っていた彼女だったが、それが林道になるとは思っていなかった。目の前にいるのが青春なら、メイなら、なんてことを考える自分に彼女はため息をつく。

 何気ない仕草でも奏の風貌で行うと、まるで映画の一シーンのように映える。喫茶店の薄暗い照明ではそれが尚更であった。


 ただ、それをじっと眺めていた林道の瞳は、パチクリと瞬きを繰り返す。その視線にどこか居心地の悪さを彼女は覚えていた。まるで、林道に胸中を見透かされているような気がして、奏は目をそらす。

 落とした先のコーヒーカップからは湯気が立ち上っていた。

 それでも向き合わなければならなかった。だから、重い口を渋々と開く。


「それで、メイについての何を話したいの」

「……私は」


 林道は言葉に詰まる。それはいったい何に対してのためらいなのか分からなかった。

 選びきれない言葉と切り出さない話出しは、奏の神経を逆撫でた。その苛々を彼女は隠そうともせず、目の前のカップを一気に煽る。

 まだ熱いはずのコーヒーも意味を持たずに胃の中へと消えた。 


「なに、はっきり喋ってよ」

 

 そう奏が睨みつけると、林道は苦笑しながらゆっくりとカップに口をつける。やはり、まだ熱かったようでしかめっ面を浮かべ、息をふーふーと吹いた。

 そしてようやく彼女の踏ん切りがつく。

 選んでいても仕方がないと、林道はカップを皿に戻した。


「私は、薄雪がもうメイのことを好きじゃなくなったのかなと思ってる」

「……なによ、それ」


 奏はその言い草に目を見開いた。そして、即座に俯き、表情を隠す。

 なぜなら、それは彼女にとって一番考えたくないこと、考えなければいけないことだった。

 だから何も言えなくて、口をつぐんでしまう。

 もう、誤魔化すためのコーヒーはなかった。


「本当に好き? それは触れたいとか離したくないとか、そういった好き?」

「そうよ、私はメイが好き」


 今までの沈黙を取り返すためにすぐさまに奏は答えた。

 だけれども、林道は追及の手を止めなかった。


「それだったら、日嗣青春のことは?」

「それは――」

「ねぇ、薄雪は本当はどっちが好きなの」


 風は流れていない。少し暗い照明の中、林道の瞳は奏を真っすぐに捉えていた。そして、その質問もまた、奏の心に刺さっていた。

 ささくれ立って湿っていて、弱くなっていた奏の胸中に、まるでナイフのように鋭い視線が向けられる。

 だから、林道と話すのは嫌なのだ。奏はタバコの箱を取り出して、その中の一本を口にくわえた。

 それを林道がすっと奪い取る。


「ここは禁煙よ、それに制服だし」

「誰も気にしないわよ」

「禁煙のところで吸ってたらさすがにまずいよ」


 林道はその短い棒を机に置いて、肩をすくめてみせる。きらりと光るメガネの奥、その猫の瞳は笑ってなどいなく、真剣そのものだった。だから、居心地の悪さを奏は余計に感じてしまうのだ。


「……逃げずにこっち見てよ」

「別に逃げてなんかいないわ」

「じゃあ、きっちりと話してよ」


 彼女の視線に、言葉に、雰囲気に、奏は逃げ場がないことをついに悟る。だけれども、それはずっとそれはわかっていたことなのだ。自分たちに、もう行き場などないこと、もう何かを切らないと解けそうにないことを。


 だけれども、それに向き合うと痛みを知る。ずっと欲しがっていたにもかかわらず、奏はそれを感じることに躊躇いを覚えていた。

 だから、奏は開き直って見せる。もはやそうするしか残っていなかった。


 彼女がそうしてから数十秒が経った、数分が経った。いつまで経っても決意は言葉になっては現れず、ただただ空気が漏れるのみであった。

 奏はまだ悩んでいた。どちらのことを好きと言えばいいのか。それとも──


 結局のところ、その問いに対する答えを奏は持ち合わせていない。いや、持っていたかもしれなかったが、それは既に失われたのだ。

 だから、再び解かないといけない状態であった。そして、それを考えることは誰かに対する裏切りでもあった。

 だから、手紙の彼女と同じように奏も夢を見ていたいのだ。できることなら願った幸せの中で生きていたいのだ。きっと、メイや青春、林道も同じ気持ちだったのだろう。

 奏はようやくそこにたどり着いた。だけれども、誰も待っていてはくれなかった。

 そして、もう奏には追いつけなかった。



 それを悟ってしまって、追い詰められて、ようやく彼女は弱音を吐く。長い時間をかけて、ゆっくりと吐き出す。

 たった一言二言の短い言葉であっても、口にするには痛みが伴った。


「どっちが好きなんだろうね、私」


 きっと酷い顔をしている、奏はそう思った。目の前の瞳に映っているその姿を見ることも躊躇われた。だから、視点は虚空を泳ぐ。地を這う。

 顔が熱く感じられた。そして、自分が泣いていることに気づいたのだ。たったこれだけのことを言うだけで、なぜ泣くのだと、奏は自分を恥じる。加えて、見られたくない人にそれを見られていると自覚した。もう、その感情を止めることはできなかった。


 そっとちり紙が差し出される。それは誰かのぬくもりを持っていた。

 おずおずと受け取り、視線を目の前に戻すと、林道が複雑そうな顔で奏を見ていた。

 困っているような、泣いているような、きっとそれは鏡合わせだと、彼女は思った。

 林道はたった一言だけを口にした。

「あんた自身もわかってないのね」


 それから、お互いに黙っていた。彼女が飲んでいたコーヒーもすっかり冷めていた。

 奏も二杯目を頼むことはなく、ただ何も話さずにそこに座っていた。時間だけが過ぎていった。夕日が落ち、空が紫に染また。店内に流れるジャズピアノは気分を穏やかにさせるように感じた。

 俯いたままの奏を林道はじっと眺め、ため息をつく。

 そして、それに反応するように奏が呟いた。


「ねぇ、私からも頼みたいことがあったの、思いだしたわ」

「薄雪が私に?」

「本当は頼りたくないけど、私ももう終わらせたいから」


 それは自暴自棄か泣き言か、もしくはただの本音か、誰にもわからなかった。ただ、目の前であったことを、それでうまくいったことを口にしただけかもしれない。それに林道は深くため息をつく。


「青春が林道にやったこと、そのまま私にしてくれないかしら」

「それって――」

「メイと会う場所を作ってほしいの」

「それはすぐにでもできるけど……、急ね」

「私がもしその場に現れなかったら、全部ばらしていいわ」

「本当に私がやられそうになったことを――」


 あの時のことを想像して林道はゾっとする。そして、奏の眼をジッと見る。拒否しようかと林道は迷っていたのだ。

 だけれども、その目に落ちた深い黒色を見つめていると、まるで吸い込まれてしまったかのように何も言うことができなくなってしまうのだ。


「私と林道、似ているんでしょ? だったらこれが最適解よ」

「そうは言っても、私がバラせるかどうかだから、それ」


 ようやく絞り出した言葉は震えていた。奏は林道に優しく笑いかける。


「……嘘でもバラしてあげるって言ってよ」

「嘘は苦手になったから」

「元から上手とも思えないけどね」


 カラカラと笑ったその姿を見て、林道は諦めを感じていた。

 多分、それをすると言わなければ彼女は自分を帰してくれない。そう思ったのだ。だから、肯定の意志だけを示してみる。


「……時間はいつがいいの?」

「近いうちならいつでもいい、どうせ暇だし」


 明確な期限はないのだ。だから、まだ何とかできる機会はある。林道は内心ほっとする。そして、携帯が何かメッセージを受信したことに気づいた。

 慌ててスマホを出して、それを確認する。そこに書かれていたのは空澄メイからのものであり、そして、考えていた状況で一番悪い結果をもたらすものだった。


「どうしたの、顔が引きつっているわ」

「ええと、その何もないっすよ」


 誤魔化そう、林道が何か言葉を探している間に奏の携帯も音を立てる。

 そして、それを確認する姿を見て、ため息をついていた。

 奏の眉に皺が寄る。それだけが確かであった。


「……なによ、これ」

「最悪の方向で動いたわね、日嗣青春」


 苦笑いを浮かべるほか、林道には示す態度がなかった。そして、この後に奏がおこす行動を考えて二度目のため息をついた。

 奏は空になったコーヒーカップを見つめて呟いた。何を考えているかは明確であった。そして、それを止められないことも林道はわかっていた。だから天を仰ぐ。

 喫茶店の天井でプロペラはクルクルと回る。目を落とした先の奏の瞳からは光が失われていた。それはまるで、日嗣青春のものを思い出させる。首筋の毛が立つ感触が林道をゾクリとさせる。


 奏は薄く、唇を吊り上げていた。

 そして、黒い瞳で林道を見つめる。

 

「……まだ、学校から帰るところだよね」

「薄雪、どうするつもり?」

「探し出す、どういうことなのか、聞く」


 それはどちらを探すのか、それを聞くことはできなかった。

 なぜなら、その答えはきっと決断だからだ。

 どちらが好きなのか、それがはっきりとするのだ。

 だけれども、それを知るのは怖かった。


「そんなことしたってもう――」

「理由も聞かないままされるのは、いやだから」


 奏がスッと立ち上がり、財布からお札を取り出す。そして、机にサッと置き、天街へと書けていkのだった。


「これ、お金」


 林道はそれを眺めているだけだった。何かを言っても止められない。それが分かっていて、何か言うことがないかと探してしまうのだ。

 誰もいなくなったテーブル席で彼女はため息をつくほかなかった。


「誰も泣かなければいいけど」


 呟いたその小さな声は、ジャズピアノの静かな喧噪の中にすぐかき消されてしまう。考えても仕方ない、そう思っても林道は思考を止められない。


 しかし、考えたところで結果は変わらない。林道ハルなできることは結局のところ、二杯目のコーヒーを頼むことだけだった。

 カップから立ち上る湯気越しに、彼女は窓を見やる。

 外は街灯が照らされ、すっかり夜になっていた。

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