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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第七部
52/54

ユダツリ―は花を咲かせない


***


 奏は自らを笑う。恥ずかしく思う。消えてしまいたいと願う。少しの人間関係で、簡単に揺らいでしまったことを、彼女は恥じていた。

 青春に残された誰かからの手紙、それは封も切られておらず、一度も読まれた形跡はなかった。女性的な丸文字で青春へ、そう書かれていた表面から目が離せなかった。

 悪いとは彼女も思っていた。だけれども、好奇心と嫉妬心に、奏は負けたのである。


 奏の細い指先はゆっくりと、便せんの封に爪を立てる。


 ごめんなさいと書かれていた。してはいけないと思っていながら、惹かれている自分がいたと、そこには書かれていた。青春の言う通り、夢を見ていたのだと、こうなって初めて分かったと懺悔されていた。そして、できたら仲直りをしたいと、もう一度会って謝らせてほしいと、そう願われていた。


 それは祈りだった。

 愛は祈りだと、誰かが言っていたのを奏は思い出した。

 だけれども、きっとこの手紙には青春が求めている愛はないのだろう。そしてそれが、彼女がこの手紙を開かなかった理由なのだろう。


 奏はそっと手紙を引き出しに戻す、そしてそれに重ねるようにしてもう一つも――――――

 何度目かの煙草に口をつけて、そっと煙を吐く。

 いつの間にか、夕焼けが窓の外から差し込んでいた。それに目を細めて、奏は思う。

 

 もう、学校が終わったころだろう。私もそろそろ帰らなくてはならない。

 ここにいれば、青春の顔を見れることは分かっていた。それを目的にここにやってきた。だけれども、今となってはそれを避けようとしているのだ。奏はそんな自分に嫌悪感を抱く、迷っている自分は自分らしくないとそう思うのだ。


 紫煙はゆらゆらと揺れ、部屋の中で薄く滞留する。それはまるで彼女自身の胸の内を表しているようで、ひどい嫌悪感を彼女に覚えさせた。

 奏はゆっくりと立ち上がり、窓を開け放つ。冬の冷たい風が部屋に流れ込み、立ち込めていた煙を攫って行った。肌を刺すような冷たさの向こう側で夕焼けが輝く。頬に差す朱色は眩しく、彼女は目を凝らし、呟いた。


「――青春が来る前に帰らなきゃ」


 言葉とは裏腹に奏は願っていた、何かの間違いで彼女と出くわしたりしないかと。

 だけれども、マンションのエントランスを抜け、通学路を抜け、駅の改札を抜けても、その姿はない。それが必然だと奏は思っていた。今朝、青春がいないと気付いた時からこうなることを予感していた。

 最寄りの駅を出ると、夕焼けが嫌に眩しく、奏は目を細める。そして頬の横を吹き抜けて良く風の冷たさにマフラーをキュッと締め付けた。少しだけ煙草の匂いのついたそれに顔をうずめていると、、奏は青春のことをどうしようもなく思い出してしまう。


 指の冷たさ、解けるように滑らかな髪、底の見えない黒々とした瞳。そのどれもが、奏の中から離れなかった。


 もし、おそらく、多分、青春が望み始めたと思われることを奏がくみ取り、それを尊重するのなら、今抱いていた感情は全て無意味である。

 今日、一日かけて行った奏の行動は無意味である。

 無意味で無意義で、きっと誰も得としないことである。


 奏はそれをわかっていた。わかった上で捨てきれなかったのだ。


 それは、奏自身が一番初めに願っていたことであった。青春が望んではいないことであった。

 長い時間をかけてようやくそれに手が届こうとしていた。

 だけど、いざ目の前にすると、手を伸ばすことにためらいを覚えてしまう。


 その原因が何なのか、彼女にははっきりとわかっていた。だけれども、それを肯定する勇気がなかった。だから、ずっと停滞したままだった。

 メイと話すと決めていたのに、彼女は立ち止まっていた。学校へと向かうことすらしなかった。その理由だけが奏の足取りを重くさせた。


 歩きながら考え事をする。夕焼けは徐々にその姿を沈ませる。紫がかった雲は夜の訪れを感じさせた。

 曲がり角を抜け、自宅のある道へと入り込む。そこで彼女は足を止める。こんなことが前にもあったなと、奏は一人で苦笑する。その視線の先には林道が立っていたのだ。

 

 家の前で、寒さに身を震わせていた彼女は、立ち尽くした奏に気が付き、くるりと向き直る。。

 いつものようにふわふわのボブを揺らして、屈託のない笑みを浮かべる。猫の瞳は、獲物を見つけたときのように、ギラギラと光っていた。そして、まるで初めて会ったときのような口調で、奏に向かって手を挙げた。


「学校、来たほうがいいっすよ」


 しまった、心の中でそう舌打ちをする。もう少し寄り道をしてから帰るべきだった。奏はため息を噛み殺し、代わりに眉に皺を寄せる。

「その喋り方、やめたんじゃなかったの?」

「簡単に人は変わらないからね」


 林道は笑顔を崩さずにそう言った。だから、奏も気にせずに本題に入った。

 軽いジャブの打ち合いなどこの二人の間では何度も繰り返されてきた。そして、それが意味をなさないことを彼女たちは知っていたのだ。


「待ち伏せ? 私に何か用?」

「学校のプリントだよ」

「何かそんな大事な行事あったかしら」


 聞くと、林道はカバンからプリントを取り出してヒラヒラとなびかせて見せる。


「ないけど奪ってきたわ」


 ヘラりと唇を歪ませる彼女に、奏は苦笑を漏らす。それを見て、林道は瞬きをし、肩をすかせて見せた。


「そうでもしないと捕まえられそうになかったから」

「そうね、で、本当の用件は何なの?」


 ため息交じりに奏がそう聞くと、林道は歪ませていた口元をもとに戻す。

 その瞳はまるで刀のような鋭さを持っていて、誤魔化すことを許さないように見えた。


「腹を割って話したいの」


 林道のその眼差しを奏ははぐらかす。

 

「何についてよ」

「メイについてよ」


 それは突っ込んで話したくない話題であった。だけれども、家の前に林道がいる以上逃げられるわけもない。だから、渋々とそれに乗る。


「……仲良く、なったものね」

「そうよ、私の友達だよ。 あなたではない、私の友達」


 棘を持った言い方を林道はする。それは事実の羅列であった。奏はもうメイの友達とは言うことができない。それを奏もわかっていた。

 奏の眉間に皺が寄る。


「いつも焚きつけてくるわね」

「……どうにかしたいと思ってるから、ハルもね」


 どうにかしたい。それは全員が思っていることだった。皆、よくなることを祈っている。だからこそ、ねじれる。

 別々の方向へと進んでいった糸は絡まって、解けなくなる。

 

「場所、変えましょう。ここじゃ寒いわ」

「上がらせてくれないっすか」

「思ってないことを……。私嫌だもの、あなたを家に上げるの」

「薄雪はそういうところ、正直だよね」


 ため息をついた林道は苦笑いを浮かべていた。それは鏡合わせで、奏もまた同じ表情を浮かべているのだ。それも仕方がない話である。お互いに、この二人は相性が悪いと思っているのだから。

 因縁も恋敵もすべて一度置いて、個人と個人として話すのは、きっとこの瞬間が初めてだ。

 そしてまた、この時間が最後になるのだろう。そう、彼女たちは感じていた。

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