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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第六部
51/54

それは二人の泣いた時間 その7

***


 自分は、ずるい女の子だと思う。彼女、空澄メイは小さな胸から大きな息を吐く。夕暮れの教室から眺めるあの場所には、もう誰も立っていない。そのことを知っていながらも、彼女は確認せずにはいられずに人の姿を探してしまう。そうやって行動する自分をあさましいと、メイはそう、感じていたのだ。


 あの日、そこには憧れた彼女が立っていた。そして、あの子が一緒にいた。メイの席からしか見ることのできない、この学校の死角。そこには陰だけが存在し、網膜に焼き付いた感情が、彼女の胸を憂鬱で彩る。

 その感情を誰かに話すことができたらよかった。愚痴を吐き出してしまえばよかった。だけれども、放課後の教室には彼女以外誰もいない。――――――いや、薄雪奏が去ってから、空澄メイのそばには誰もいなかった。

 例えば林道ハルがその場所に入るかと思われた。柊愛梨が補ってくれるかもと思われた。

 だけれども、今も、これからも彼女の隣には誰も存在できないのだ。

 その理由を、メイ自身は己のずる賢さにあると思っている。


 友達の好きな人に告白する。その行為がずっと彼女の心を蝕んでいた。そしてなによりも断られると思っていたその返事が、予想とは逆であったことが、まるで呪いのように、茨のように刺さり続けているのだった。


 何かのどっきりかと、もしくは嘘だと、質の悪いジョークだと思っていた。だけれども、それは訂正されることもなく、ネタ晴らしをされることもなく、今日まで事実としてあり続けたのだ。そして、そのことに希望をもってしまう自分自身が、友達を裏切り続けるその心が、メイにとっては許せないのだ。

 許せない。そのはずだった。何度も電話をかけて自分から訂正しようとした。それでも、発信のボタンは押されることはなく、メッセージのやり取りもついには途切れてしまっていた。だから、伝えたいことは全て、心の中でしこりとなり残されていく。だんだんと大きくなり、はじけて消えることもなく彼女、空澄メイの中で膿を生み出し続けているのだ。


 友達の林道ハルもその変化に気づいてはいた。気づいていたからこそ、奏に突っかかり、メイを励ますことはした。だけど、彼女はその心の奥までは見抜けていない。


 ドロドロした感情は停滞を生み、メイの脳漿までも犯し続ける。その結果、ふとした時に見せる彼女の陰りは、目の光を失わせ、大きなガラス玉のような瞳を黒く濁らせた。

 それはまるで、在りし日の日嗣青春のようで、そして薄雪奏のようだった。


 ふらふらと歩く彼女は、時折止まり、空を見上げる。細い絹のような髪の毛は風に煽られるとパラパラとばらけて闇に溶ける。

 意味もなく残っていた学校を背にして、彼女は深くため息をついた。その理由は明白で、今日一日、日嗣青春の姿も、薄雪奏の姿も、その両方共を見ていないからだった。

 片方を見ないことはあるにしても、二人ともを見つけられないということは指す意味が違っている。

 ――――もっとも、日嗣青春に関してはいつも姿を見せる場所に姿を現していないだけであるが。

 

 空澄メイは彼女を探しに行くようなことをしなかった。

 わざわざ自らに傷をつけるようなことはしなかった。


 結果のわかっていることをメイはしようともしなかった。

 だから、ラブレターにも好きとも書かなかったのだ。

 メイは、こんなことになるだなんて一切思っていなかったのだ。

 こんな未来を想像していなかったのだ。

 彼女がしてきたことは、夢想で幻想で、彼女が傷つかない――――――いや、想定した傷しか負わない、そんな未来への道をたどることだった。


 だから、空澄メイは自分のことをずるい人間だと、そう思う。


 

 今日という日は、いつものように曇り空で、そして寒さが肌に沁みた。歯を噛み締めたメイは帰ろうと足を校門に向ける。何も起こらなかった今日という日は口の中で灰のように苦くて、いつまでも飲み込めそうにない。


しかし、それは一気に吹き飛んでしまうことなる。


 なぜなら、メイが探しに行きたいあの人が、校門にはいた。いつもの校舎裏ではなく、いつものあの子を連れずに、いつものような影をまとった雰囲気で、そこに立っていたのだ。


目を丸くして驚くメイとは対照的に、日嗣青春は自虐するような卑屈な笑みを浮かべた。


「お久しぶりね、空澄さん」

「なんで、ここに……」

「なんでって先回り、かしら」

 冷たい風が二人の間で吹いていた。それは熱と共に、言葉を奪っていく。

 メイはジッと、青春のことを見つめていた。まるで、幻でも見ているかのような目つきだった。とても熱く、重く感じられた。

 その視線は、青春にとってくすぐったくて、じれったくて――


――気持ち悪くて、彼女から目を背けてしまう。そして、瞳と共に言葉までをも濁す。


「まぁ、あなたと話したくなったからよ」

「いまになって、ですか?」

「そうね、もう愛想をつかしてしまったかしら」

「そんなことは全然ないです! だって、先輩は憧れで、好きな人で、そして――――――」

「あなたの恋人、だものね」

 詰まったメイに代わって、青春が言葉を補う。

 いつの間にか、彼女の瞳は潤み、泣き出しそうになっていた。その表情を見て、青春は眉をひそめる。そして、今目の前にあるような見え透いた庇護欲が嫌いだったのだと、そう思いだしていた。

 だから、自分に害しないような解釈で彼女の頭に手を置いた。


「そんな顔しないで、あなたが辛くなるようなこと言ったかしら」

「違うんです、うれしくて」

 上気した頬、ひくひくと動く鼻の孔、濡れた大きな黒目。空澄メイを厄介だと思うのは、こういった表情を狙ってやっているからではないことだった。

 

「私、日嗣先輩にそんなこと言ってもらえる資格なんてないんです」

「……それは、どうしてかしら」

「だって、私、ズルだから」


 目の前にいる青春の心中を彼女はわからない。なぜならそれは憧れで、彼女にとっての理想で、信仰対象だからだった。

 メイは鼻をすすり、まるで懺悔でもするかのようにこう続ける。


「奏ちゃんを、裏切っているから」

「……そうね、そうかもしれないわ、だから、二人であの子を裏切るってのはどうかしら?」

 彼女がされて嫌なことはいったい何だろうか、脳の裏側でそんなことを考えながら、青春は同調と、そして、誘惑の言葉を吐いた。

 抱き寄せて、耳元で、ささやくように、そんな悪魔の言葉を吐いた。


 すっぽりと収まった小さな体は熱く、そして震えていた。

「えっ? それってどういう」

「言葉通りの意味よ、仲間はずれにするの」

 体の中で反響する声がまるで自分のものではないように聞こえて、青春は瞼を深くつむった。

 それでも、心が切り裂かれそうな感覚はぬぐうことはできない。こうすることが正しいことだと、そう信じていても、まるで変わらんかった。

 青春は嘘をつくことに苦しみを覚えていたのだ。


 胸の中で、メイは青春のほうを見上げる。戸惑いを覚えたその困惑の表情は砂糖でできたきれいごとを、まるで綿菓子のように紡ぎ始める。

「そ、そんなの奏ちゃんが可哀想で」

 だから、それを止めるために彼女は口づけをする。

 

 裏切りだと、青春は思った。

 メイの髪を掻き分け、編んだことで出ていたおでこ、そこに口づけをすることでさえも、ひどく悪い気持ちがしていた。それをかき消すように、誤魔化すように青春は舌で唇をなめる。


 言葉を止めた空澄メイの、真っ赤になった耳元で青春は囁いた。

「罪なら、私が一緒にかぶってあげる。 それとも、私と過ごすのは嫌?」

「嫌なわけ――」

「じゃあ、決まりね。 だから、デートをしましょう」

i今から青春が行うのは、負け戦の準備である。ずっと前からすべきことだと彼女が考えていたことである。それは誰かにとっての希望であり、解放であり、そしてサヨナラだ。

 奏が動くと決めた以上、青春もまた動かざるを得なかった。だから、去りがたいあの空間から意を決して駆け出し、メイの元へとやってきたのだ。


 きょとんとした顔をした彼女のかみを、そっと青春はなでつけた。その仕草に、メイのほほはさらに赤みを増す。


「この前、約束したものね。 ちゃんと約束は守るほうなのよ、私」

「法律は守ってないですけどね」

「言うようになったわね。 ようやく元気が出てきたかしら」

 屈託のない笑顔を向けるメイをそっと腕の中から解放する。

 くるくると、鳥が跳ねるようにはしゃいだ顔を見せる彼女は、やはり純粋を絵にかいたような瞳で青春に投げかけるのだ。


「はい、やっぱり先輩と話すと、私は嬉しいんです」

「いいことね、それは。 ……そうね、デートの日にちはクリスマスイブの日、なんてのはどうかしら?」

「い、いいんですか? 私とクリスマスなんて」

「いいのよ、イルミネーションも好きな人と見たほうがきっと綺麗だわ」

 彼女の瞳は、青春にとっての毒だ。奏があの輝きに夢中になっていると考えるたびに、青春は胸をかきむしりたくなる。その嫉妬の心は、一度全てををだめにした。

 人間は学ぶ生き物である。青春はもう、自分の気持ちだけを優先しない。

 それでも、溢れてくる気持ちを止める術を持っていないのも、事実だった。


 メイから顔を隠した青春は、そっと指先を眼もとへと持っていく。拭ったその先についている湿り気を人は涙と呼んだ。

 夕焼けは、先についたその雫を光らせ、橙色を透過させる。その輝きは、きっと空澄メイにも劣らない。だけれども、そのことを青春自身は知らないままなのだ。


 三人の間には、まだ溝が残されていた。


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