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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第六部
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それは二人の泣いた時間 その6


 メイと話す。そう奏が宣言した次の朝、日嗣青春の姿は部屋の中に見当たらなかった。彼女がいた形跡は、もう温度の残っていない布団と、床に落ちていた長い髪の毛、それだけだった。

 あの時とは逆だな、と奏は苦笑を漏らす。いつの日か、彼女とすれ違いを起こしたとき、逃げるようにその場から去ったものだ。


 窓からさす日差しに照らされて、宙を舞った埃がキラキラと輝いてみえた。なんとなく、彼女がいなくなってしまう予感を奏は昨日から持っていた。だから、慌てずに仕方ないなと思うことができる。

 それは理解と呼ぶにはおぼつかない何かで、なぜならそれは自分にも似た経験があったからだった。奏が逃げたいと思ったとき、きっと青春は近づきたいと願う。そして、彼女が近づきたいと願うと、今度は奏は逃げたいと思うのだ。


 しかし、あれから、何か変わっただろうか。

 奏は懐かしむようにあの時のことを思い出すが、すぐにその思考を止めた。なぜなら彼女は、前に進むと決めたからだった。それを決めさせたのは、それの決め手になったものは、今はもう、この場所にはいなかった。


 机の引き出しを開けると、そこにはライターとたばこが入っている。奏は慣れた手つきでそれを取り出し、咥え、、火を点ける。

 青春が吸っていた外国産の煙草だった。匂いと味がつけられたその煙草は、ちょっと言ったタバコ屋でしか手に入らない。彼女が味わったその味を知りたくて、奏はこっそりと青春から拝借していたのだ。

 黒く塗られた煙草の先端からは、甘い香りがモクモクと沸き立ち、部屋の中に充満する。

 喉まで来るチョコレートの香りは、とても甘く、それだけ奏はむせてしまう。

 しかし、それは彼女の面影をこの部屋へと蘇らせる。煙の幻影とそれを生み出す摂氏数百度の熱は彼女の胸の中までを焦がし、また熱くさせていたくのだ。

 数刻の時間がたって、短くなったタバコを灰皿に押し付ける。そして、奏は、唇を舐めた。


 白い煙はどこまでも甘く、そしていつかと同じ味がした。


 奏のいつもは既に浸食されていた。目覚めたときに彼女の姿がないことや、煙の臭いがしないこと、そして家を出る時間。少しの間、一緒にいただけで、どれだけ青春を中心に世界を見ていたのかがわかる。

 タバコを吸い終わった奏は、吸い殻を空き缶の中へと隠す。そして消臭剤を部屋と服にかけていった。

 本当は消したくなかった.。なぜなら、それが彼女がいた痕跡や温度に成り代わるから。

 ベッドの上で仁王立ちをした奏はスプレーを握る手を緩めた。

 パジャマのまま眺める窓からの太陽は、いつもより暗く、彼女の瞳に移っていた。


 二階から一階に降りると、奏の祖母が朝食を並べていた。それを手伝い、いつもとは違う相手と向かい合わせになってそれを胃へと流し込む。

 久しぶりに食べたというのに、その目玉焼きとお茶碗の白ご飯は味気なく、奏の下を刺激する。

 そこでようやく彼女は気付く。


 思っていたように青春がいなくなったことが、想定以上に自身にダメージを与えていた.


 そのことを否応なしに、感じざるを得なかったのだ。


 奏は制服にそでを通し、家を出るもその足は学校には向かっていなかった。

 電車に乗ってもその路線は学校へと向かうものではなかった。


 繁華街を通り、高いタワーマンションの自動ドアをくぐる。持っていた合いかぎはいつものように正常に作動する。

 

「やっぱり、ここにもいないか」

 いつもの扉を開けても、中からは物音一つしない。煙の臭いも、すでに薄れ、消え去っていた。

 彼女といつも寝ている部屋のドアを開け、奏はベットへと寝転がる。

 薄暗い天井は少し黄色く、カーテンを透けて入り込む光のみを映す。

 それはまるで波のようで、奏はそれをぼーっと眺めていた。


 ベットからは彼女の臭いがした。彼女いつも吸っている煙草の臭いがした。シャンプーの臭いがした。そして、いろいろなものの臭いがした。

 深く息を吸い込むと、まるで青春が隣にいるように感じられる。


「ここで泣いていると思ったのに、私みたいに」

 そう漏らすも、それは反響もせずにベットの中へと消えていくのみで、それがますます奏の寂しさを煽る。s彼女の零れ落ちた湿り気は、波も立てずに布の中へと深く沈んでいった。

 話すと決めたのに、決着をつけると決めたのに、結局ここにいる自分を、奏は情けなかった。

 明日話そうと、ずるずると伸ばしていくことが耐えられなかった。

 だから、奏は青春に表明して見せたのだ。

 だけれども、それはあまりに脆く、すぐに崩れさる。


 せめて、彼女が隣にいればよかったのに、そう思った奏が点けた煙草の煙は、もう、日嗣青春の形をしていなかった。

 光を少しだけ遮り、すぐに霧散する、ただの煙でしかなかったのだ。


 奏はいつか、持ち帰ってしまったメイのラブレターを自分のカバンから取り出す。

 何度も、読み返した他愛もない内容の手紙だった。差し込む光に照らしてみても、彼女の抱えた思いまでもは読み取れない。

 あの頃。奏はいつも思っていた。そんなことが理由なら、あて先が自分だって変わらないのに、と。

 その苦い思い出に、思わず苦笑が漏れ、苦くなったタバコの煙が喉に絡まりつく。ベットの隣の灰皿でもみ消し、ラブレターを片手にライターをこする。

 手持無沙汰な奏の右手は、ついては消える火の上で、紙をゆらゆらと揺らしていた。

 

 メイのラブレターを何度も捨ててしまおうと奏は思っていた、火をつけて灰にしてしまおうと、何度も思い起こしてきた。

 それでも、それを実行に移さなかったのは、その紙切れの文字一つ一つにどれだけの気持ちが詰まっているかを知っているからだった。

 奏が処分するには、それはあまりに尊すぎたのだ。


 些細な内容だといった青春では感じ取ることのできなかった。あまりの彼女のらしさは、奏の心をひどく揺り動かした。それは嫉妬でもあり、そして敬愛でもあったのだ。


 青春に助けられたと、ラブレターには書いていた。そのことで目で追うようになったと記されていた。それが恋だと気付いたと叫ばれていた。そして、それを伝えて、それでいいと、そこには書いてあった。彼女は青春に何も求めていなかった。

 付き合ってなんて一言も書いていなかった。


 それが奏の心を蝕んだ。女同士だからとか、自分と青春が仲良くしているからだとか、そんなことは一切記されておらず、ただ、好きだという気持ちだけがそこにはあった。それがとてもまぶしく、羨ましかったのだ。


 今日もまた、奏はラブレターを燃やすことができない。だからせめて、元あった場所に戻そうと、そう思っていた。

 ベッドルームの引き出しの一番上、深夜に見つけたあの場所。奏は腕で、その秘密の場所を開く。

 そして気づいたのだった、もう一通、手紙が入っていることに――――――



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