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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第六部
49/54

それは二人の泣いた時間 その5

***


 彼女はベッドで寝ていた。時計の短針は既に頂点を指し、薄暗闇の中は布がこすれる音と、吐息だけが存在していた。

 青春は地面に置かれた布団の中で寝返りを打つ。

 知らない枕に知らない空気、だけれどもそれは奏の匂いで、彼女のにとってはそれが逆に落ち着かなかった。

 だから、自ら口を開き、声をかける。

 

「……ごはんおいしかったわ」

「そうでしょう、私に料理を教えたのはあの人だもの」

「道理で奏のも美味しいはずだわ」

 当り前よ、彼女はそう笑う。少しだけ低い声は心地よく耳に入り、胸の中ですとんと落ちていく。

 青春は彼女の声色が好きだった。もっとも、好きなところなんて上げていけばきりがないことを知っていた。だから、数えるのはやめた。


「青春は褒めるのが上手ね」

「今のは誘導的じゃないかしら」

「それでも、私の欲しい言葉がわかっている」

「そんなことはないわ、困らしてばっかりよ、人のことなんてね」


 何度も何度も、人のことを困らせてきた。その自覚はあった。奏を、空澄メイを、林道ハルを、柊愛梨を、あの人のことを――

 困らせ迷わせ、恋焦がれてきた。青春は、そんな自分のことを嫌悪する。

 汚いと思う。気持ち悪いと思う。どうしようもないと思う。

 そのことが彼女にここから逃げ出したいと思わせる。ここにいてはならないと叫ばせる。

 だけれども、逃げ場はなく、仕方なしに寝返りを打つ。

 沈黙は、時計の針の動く音をより強調させた。


「わかっているからと言ってその通りにふるまうということは違うわ」

「……どういうこと?」

「天邪鬼ってことよ、青春は」

彼女が言ったその言葉は、青春の胸の中でストンと落ちる。底の見えない暗い闇の中へと吸い込まれていく。そして何かにぶつかった音もせずに、静かに消えていくのだ。

 だから、明日になったらこの言葉も忘れている。彼女はそう思い、そしてこう答えるのだ。

「そうね、そうかもしれないわ」

「嘘ばっかり、本当はそんなこと思ってないのに」


 乾いた息が青春の口元から漏れる。彼女は、のどが張り付いてしまったように上手く話しだすことができずにいた。

 ゆっくりと振り返ると、奏は上半身だけ体を起こし、青春のほうをじっと伺っている。その瞳は、窓からわずかに漏れる月明かりによって輝き、まるで小さな夜空が、そこにあるかのようであった。


「ねぇ、青春。 私は、決めたよ」

「さっきはその話をしたくないって言っていたのに」

「本当はずっと前から決まってたけど、認めたくなかったから」

「私は、ずっと認めたくない」

 ベッドを下りた奏は、そう言った青春の頬へと手を伸ばす。今度は誰も遮らずに、その温度と温度は会合を果たし、混ざり合っていく。その皮膚に感じられる風邪をひいた時のような熱は、どちらのものか、もう判別はつかなかった。


 薄暗闇の中でも、二人はお互いの姿をはっきりと認識していた。視線は交差し、少しだけ、誰も話さない時間がそこにはあった。

 だけれども、それを打ち破るように奏は唇を開ける。彼女を映すその瞳は、少しだけ優しさを孕んでいた。



「ねぇ、私は――」

「奏、無理をしなくていいわ」

「無理なんて……」


 彼女の手を取った青春は、自分の体からそれを排斥する。奏の優しさに溺れてしまいそうだったから、目をそらす。そして、どれだけ摘んでも摘んでも、芽生えてくるその期待を完全に取り払うように布団をかぶった。そして自分に言い聞かすように唱え始める。


「もう、私を励まそうとしなくてもいい。 私を愛そうとしなくてもいい。 私は縛ったりなんかしない」

 その言葉を、青春の願いを、そして贖罪を奏は黙って聞いていた。なぜなら、彼女は言葉ではなく行動でそれを返していたからだった。青春が被った布団の上から、彼女は抱き着くように体を預ける。夜は底冷えする。そんな言い訳を、誰ももうしていなかった。

 どれだけ覚まそうとしても、冷まそうとしても、あてられてしまう熱に、青春は静かに弱音を漏らす。


「考えたの、私がずっとしてきたことって私の嫌いなあの人と――、父親と同じことだったのかもしれないって」

「そんなことない」

「いえ、そうよ。 相手の好きなもので縛り付けて、動けなくする。 そして真綿で首を締める用に時間をかけて弱らせていく」

「青春は違ったわ」

「同じよ」

 布団の中で彼女は小さく首を振る。その動きは振動となって奏へとつながっていく。それは青春からの拒絶だった。彼女をわかったつもりになっている奏に対しての抵抗だった。それを奏も理解していた。だけれども、もうすでに彼女の瞳は決意の色に染まっていた。

 

「いいえ、青春はもっと感情的だった。 ちゃんと癇癪を起して、ちゃんと泣いて、ちゃんと弱かった」

「……そうね、私は弱いわ。 だから」

 空白。青春が続けようとした言葉は、吹いてもいない風に消えて、誰の耳にも届かない。奏も目を閉じ、彼女の鼓動に耳を傾けた。二人もいるというのに、部屋は寒く、布団をかぶっていない奏には少し辛い温度だった。

 凍てつくようなその空気の中、彼女は湿った声で呟く。

 

「私は青春のそんなところに弱かったのよ」

 

 そんな言葉に、青春もまた蚊の鳴くような声でつぶやいた。

「奏の強さが羨ましいわ」

「私も弱いわ、ずっと弱い。 傷つけるのが怖かったから。 だけど私は決めた」

 

 

「……聞きたくないわ、きっと傷つくから」

「そうじゃないの、私は青春を――」

 何度伝えようとしても、何度手を伸ばそうとしても、今日の彼女はそれを拒む。

 その姿が、メイに対する自分と被るように奏には見えていた。だから、いつものようにこれ以上強く踏み込めない。踏み込めないはずだったのだ――――――

 


 

「私は今のままでいい、だけれども、それがかなわないことを知っているわ。 だから、夢を見るの。 だから、お休み、もう寝るわ」

 途切れた言葉の間に、青春はそう返事して寝返りを打った。もう話したくないと、態度でずっと表していた。

 だけれども、奏ももう、後には引けないのだ。だから、彼女の布団に入って、その背中におでこをくっつける。

 誰よりも心臓に近い場所。そこで奏は、青春にとってのナイフを突きつける。



「……これだけは聞いて。 私は、メイと話す」

 それを皮切りに、誰も何も話さなかった。

 暖かい布団の中で、寝息すら立たない夜を、月だけがじっと、眺めていた。



***

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