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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第5部
44/54

まだ、花蘇芳は枯れていない 終

***

 奏がそこにたどり着いたとき、いつもと同じように思えた。だから、一瞬の間、彼女はホッとした。顔を合わせずに済んだからだ。だけれども、それはすぐに焦燥へと変わる。

 何もなかった、なんてことはないからだ。

 枯れた木に、殺風景な夕闇、そして壁にもたれた日嗣青春と、煙草の匂い。

 そこに花蘇芳の精はいないのだ。

 

 青春とメイの間に何が話されたのか。何が交わされたのか、奏には知る余地はなかった。それでおも、奏の胸は締め付けられていく。平然としたままの青春の横顔を見ていれば見ているほど、焦燥感がせりあがってくるのだ。

 もしかしたら、知る必要なんてないのかもしれない。知らない方が楽なのかもしれない。自分はただ、メイが諦めるまで、それに付き合うだけなのだから。

奏は必死に、平常心を取り戻そうと、思考を整理し始める。しかし、それが終わるよりも早く、青春は奏に気が付くのだ。


二人の間で、視線が交わされた。

愛と偽りと、それから疑念と、幾重もの重いがそこで交差していた。

そして、その含みは奏にいつもと違う言葉をもたらすのだ。

「……青春、一人?」

「なんでそんなことを言うの、いつもそうでしょ」

「別に、ちょっと気になっただけ」

 それは奏の失態と言っても良かっただろう。冷たい汗が彼女の背中を流れる。胸が嫌に鼓動して、青春から目が離せない状況下の中、夕焼けは二人の距離を照らす。

 裸になった木の枝が揺れて、長い影に線をかける。

 青春は悲しそうな顔でほほ笑んでいた。

「奏、ちょっとこっちに来て」

 

 どこまでも見透かしていそうな深い黒色の瞳。奏は彼女のそれを見る時、いつも吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。

「……実はさ」

 と、話しながら奏が近づくと、その腰に青春の手が回る。

「あの子の匂い、しないでしょ?」

 その体は、とても冷え切っていた。だから、奏が温めるように彼女を抱きしめると、いつものように煙草の残り香が鼻腔をくすぐった。

胸に顔を埋めながら、青春は言葉を続ける。

「私が裏切らない限り、奏は私を裏切らない?」


 ドキリとした。やはり、彼女はわかっているのだ。奏は体の芯から凍てついたように動けなかった。ただ、自身に体を預け、喉を鳴らす子猫のような青春に、なんて答えようか迷っていた。

 素直にメイのことを聞いてしまうべきか、迷っていた。

 聞いてしまえば、きっと彼女は悲しむ。そして、それは巡り巡って自分までもが泣いてしまうかもしれない。

 だから、はぐらかした。そして、後悔した。

「…………どうしたの、いきなり」

 裏切らないと、そう言ってしまえばよかったのだ。奏は下唇を噛んだ。

 行ってしまえば、二人の間で契約は再成立する。不安も、期待も、全てないがしろにして、成立してしまえる。

 だから、間違えたのだと、奏は思った。今の言葉は、曖昧にしてしまうもので、小さな引っ掛かりをお互いに作ってしまうのだ。

 だけれども、取り消せない。取り返しのつかない。それが青春もわかっていたからなのかもしれない。彼女は、微笑むのだ。

「ちょっとね、私も人の子なの」


 奏は、不意に泣きたい気持ちになった。厚い唇がゆっくりと吊り上がっていくのに、見えてもいないのに、容易く想像できていた。それが、耐えられなかった。だから、目も、言葉も、逸らしてしまう。

「わけわかんない」

 それは、彼女が見せる精一杯の強がりが、理解できていたからだった。

 そして、その彼女は心の臓に最も近い場所で囁く。

「わからないものよ、中身なんて。 だから欲しくなるの」

「青春は、私が欲しいんでしょ?」

「そうよ、だからこうしてる」

 奏を抱きしめる力が強くなり、それに合わせるように奏も青春の背中に腕を回す。

「本当は、早い者勝ちだったのかもしれないわね」

「何が?」

「ここでこうしていられる権利」

「そんなの誰も欲しがらないわよ」

「どうかしらね」

「それに、私が青春を選んだのよ」

「どんな理由であれ、ね」


 ――青春は、意地悪になることがある。きまってそれは二人の関係性に何かあった時で、この不安定な安定が終わろうとしていることを指していた。

 結局のところ、メイは青春と何かを話していたのだ。それが青春と自分に揺らぎを与えた。

 奏にはそれがわかっていた。わかっていたからこそ、今の歪さが目に余った。

 どちらも大事なのだ。メイの気持ちも、青春の気持ちも。それをどちらも失うわけにはいかなかった。


 顔を上げた青春は、困った顔して笑った。

「黙ってしまうのはどうして、なんて意地悪よね」

「……意地悪だよ」

 それは二人の間に、あるいは三人の間に明らかに横たわっていた。

 青春も奏も、口にはしなかった。行動や態度で示しながらも、はっきりと言葉にすることはためらっていたのだ。

 理由は簡単であった。形にして確認してしまったら、今の関係が終わりを迎えること、そして、傷つき、傷つけてしまうこと、それがわかっていたからだった。

 だから、偽りを何度も確かめ合う。それが本物であれと願いながら、それが正しさであれと、願いながら。


 胸に顔を埋めていた青春は、彼女の心臓の音が早まっていたのに気づいていた。そして、奏もまた目を合わせようとしない青春の違和感に気づいていた。

 その齟齬に勘づきながら、互いに言葉は出なかった。

 ただ、冬の風の寒さを紛らせるばかりだった。


 


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