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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第5部
43/54

まだ、花蘇芳は枯れていない その8

***


 私の何処がそんなにいいのだろう。

 そう奏が呟いた後ろで誰かがヘラリと笑った。

「ため息? 『そんなに』に死ぬほどなりたい人だっているのにさ」

誰も聞いていないと思った。だから少しばかり本音を漏らしてしまった。

あるいは、あまりにも綺麗な初冬の夕焼けに、感傷的な気分になってしまったのだろうか。奏は、もう一度ため息をついて、焦らずにゆっくりと振り返った。

わかっていたことであった。その声の主がニヤリと笑う。現在の関係性において、もっとも会いたくない人であった彼女のことを、奏はどうにも好きになれなかった。

林道ハル。彼女のゆるふわボブが揺れ、赤いフレームの眼鏡の奥で、猫の瞳が何かをたくらむように細まる。

 

 懲りずに現れる彼女に、奏は心の中で舌打ちをする。

 そんな奏を知ってか知らずか、林道はニンマリと口を綻ばせたままだった。

「林道、今度は何の用?」

「なんの用って何か用事がないと話しかけちゃだめですか? あと、ハルって呼んでよ」

「あなたが話をするときって嫌なことしか起こらないのよ」


 オレンジの光が差す廊下で、二人は対峙する。いつものように彼女の眼鏡がきらりと光った。


「……嫌なこと、ね」

 それは含みのある言い方だった。何か言いたげなその表情は奏の心を逆なでた。

「何よ、いつもそうだけど言いたいことがあるならさっさと言ってよ」

「別になにもないって言いたいんだけどね」

 林道は、手持無沙汰に窓ガラスに背中を預けた。首だけ奏に向けたまま、手をさしこむ夕日に翳した。その爪は、艶々と輝いていて、たったそれだけのことなのに、奏には眩しく思えるのだ。

 

「この前柊さんと話して、どう思った?」

「聞いたの?」

「見てたの」

 ケラケラと笑って林道がそう返す。奏は思わず顔をしかめた。

 奏は彼女のペースが苦手だった。答えを知っているのに、それをあえて教えずに、気づかせようとするそのやり口が嫌いだった。

 

「で、今の自分に対してどう思った?」

「私に対して?」

「そう、薄雪は薄雪に対してどう思ってるの? 可愛そうなヒロインとでも思っているの?」

「まさか、私がそんなこと――」

「じゃあ、自己犠牲を尊いとしている善人?」

 林道の言葉は嘲笑を含んでいた。挑発されているのだろうか、奏は鋭い目つきをさらに鋭くさせる。

「……林道」

だから、ドスの効いた声が出てしまう。心のムカムカが増していくのを、奏はわかっていた。柊にしても目の前の彼女にしても、どうして自分にこだわるのだ。そう叫びだしたかった。

結局のところ、奏は自分の価値を認められないのだ。

それは、彼女の奥底に残る記憶のせいで、おそらく、誰にも語れない。

答えが欲しい、明確で絶対な答えが。奏は、いつしかの誰かの言葉を思い出していた。


――本当の好きって何だと思う?

その言葉は頭の中ではじける。そして、彼女にもう一度、今度は自分から尋ねてみたくなったのだ。


奏は、林道に背を向け、いつもの場所に向かおうとする。だけれども、林道は言葉を投げかけるのをやめなかった。

「好きを諦めたロマンチスト?」


「だから! 言いたいことがあるならはっきりと言って!」


 慟哭。奏は振り返り、彼女の煮え切らないそのやり口に感情を露わにする。

 そして、林道もまた、奏に呼ばれるように本心をそのまま言葉にのぜる。

「私は柊さんが好き、だからあなたが嫌い」

「じゃあ構わないでよ、なんで」

「始めは嫌がらせだった、だけど今は怒っているの」

 眼鏡の奥の、猫の様な瞳が燃えていた。奏にとって、彼女のそんな表情は始めてみるものであり、その激しさに、自分も当てられてしまいそうだと、そう感じた。


「怒っている?」

「同族嫌悪ってやつよ、私もそうだったのに、気づいてしまった瞬間に憤りを感じるのよ」

「だから何の話か……」

「自分の気持ちに嘘をついてるってこと!」

 林道の叫び声に、奏は眉をひそめる。そして、彼女の瞳から視線を背けた。


「……嘘なんかついていない」

「嫌なことって言ったよね」

 奏の小さな抵抗も、林道の瞳からは逃げられない。

「私が話しかけるといやなことが起きるって」

 彼女に見られているし、聞かれている。そして、理解しようとされているのだと奏は悟った。だから、これ以上に自分をさらけ出すのは避けていたかったのだ。

「メイちゃんのことが、好きなんでしょ!」

 林道の慟哭に、奏は首を縦にも横にも振ることはできなかった。

林道の言葉が胸の内に響いていた。響いて、傷口がズキズキと痛んでいた。だから、答えなんて出さずに、奏は逃げたかったのだ。温かく、自分を許してくれて、契約の内なら何をしても許してくれる彼女の元に行きたかったのだ。。

 だけれども、そこに行くためには林道の元を通るほかない。

「だったら、なんで自分に嘘をつき続けるの」

 その問いかけに、奏は震える声で、林道に拒絶を示す。

「あんたには、わかりっこない」

「私にわかるわけないでしょ、それは柊さんにも、メイちゃんにだってわからない。 日嗣青春にだってわからない」

 林道はひと息おいて、奏の肩を掴む。そして、その至近距離から気持ちを叫ぶのだ。


「薄雪のことは薄雪にしかわからないに決まってるじゃん! だから、私に答えを求めようとしないで!」


 彼女の眼は、濡れていた。夕焼けに照らされて輝いていた。

 それは、林道にとって始めて見る奏の弱さであった。

「じゃあ、なんで問いかけてくるの。 そのままそっとしておいてくれたらいいのに。 柊先輩だって、林道だって」

 その表情に、言葉に、林道は胸が締め付けれられる思いを感じた。

わからないのだ、奏は自分がどうしたいのかが、わからないのだ。それが林道にはわかってしまった。

だから途端に自分までもが泣いてしまう気がした。そんなセンチメンタルな胸の内に合わせてか、言葉の怒気は緩む。

「……愛梨さんはただのおせっかいだよ。 そして私は――好きな人の力になりたいから。 愛梨さんがお節介するって言うなら私もその手伝いをする。 メイちゃんが今をどうにかしたいって言うならその手伝いをする」


 瞳から落ちたガラス玉は、林道の靴の上で綺麗にはじける。蜘蛛のない秋空には似合わない、雨だった。

 だからこそ、林道は自分の思いを伝えるべきだと思う。

 柊愛梨がそうしたように、全てをぶつけるべきだと、そうして初めて、関係性は変わっていくのだと。

 いつか、奏とも友達になれたらと、林道は、紅の空にそう願った。

「好きな人に対して、友達に対して、そうしたいって思うのは変なこと?」

「……私はそんなに大それた人間じゃないから。 メイのためにやってるのかどうかも分からなくなってきちゃった」

「嘘つき、本当に嘘つき。 あの時からずっと弱くなった」

 どの時をさすのだろうか、奏は思う。そして、一貫して自分は変わらないものだと言うことに気づいた。


「……私はずっと弱いよ。 そして、みんなが思っているほど価値なんてない」

 そう、奏が俯いて答える。誰かに似た暗い目をしながら、目の前の彼女と視線を合わせずに。

 その答え方は、以前の自分に似ていると、彼女は思う。だからだろうか、林道の中でまた、一抹の感情が弾けるのだ。


「なんで!」


それはずっと抱えていた彼女への怒りであり、衝動だ。そして、それはどうにも誤魔化しがきかない、混じりけのない感情だ。

 手が、奏のブレザーの襟を掴む。手繰り寄せた先の、その切れ長な目は濡れていて、そして、とても暗く、濁っていた。だから林道はまだ足りないのかと、壁へと彼女を押しつける。

「偽れないくせに! 嘘が得意じゃないくせに! そうやってひた隠しにするの!」

「そうしないと、進んでしまうから」

「進まなきゃ、何も始まらない!」

「それが、失恋の始まりでも!?」

 腕が力いっぱい払いのけられ、その衝撃は彼女の眼鏡をも弾き飛ばした。

 林道の、飾られてない瞳は大きく見開かれたままだった。


 奏は、肩で息をしながら、こちらを睨みつけていた。夕日に照らされ、陰のできたその輪郭。柊愛梨を虜にしてしまったその輪郭。

林道は、次の言葉のために大きく息を吸った。

「それが失恋の始まりでも、私達は進まなきゃいけない」

「進んだ先に何があるの?」

 奏のその問いかけは、林道をハッとさせた。なぜなら、彼女にも分らないものだったからだ。柊に思いを伝えて、何が変わったのか、奏の求める答えは、結局のところそこなのだ。

 だから、林道は必死に考えた。だけれども、わかったことと言えば、自分が彼女のことを未だに好きだと言う、ただ一つの事実だけであった。

 それを奏に伝えたところで、何かが変わることはないだろう。それを伝えたところで、今を好転させないだろう。好きでい続けてしまうのなら、自分たちにはもう何もできないのだ。

だから林道は必死に言葉を選ぶ。その間の、奏の視線は嫌に冷ややかで、冬だと言うのに、林道の背中は汗ばんでいった。


「……進まなければ、何もないよ」


 ようやく答えることが出来ても、彼女の瞳は変わらない。だから、最後に一つ、ため息交じりに付け加えた。

「進まなくても、変わっていく。だったら、進んだ方がお得だと、そう思わない?」

 奏は、林道を真っ直ぐに見ていた。そして林道もまた、瞳を覗いていた。

 結局、わかり合えないのかもしれないと、お互い思っていた。だから、林道はふっと息を漏らし、顔をほころばせる。


「……私、多分わけわかんないこと言ってるね。 いつもこうなっちゃう、なんでだろ」

 そう彼女は頭を掻き毟る。そしてバツが悪そうに顔をしかめた。

 奏は、窓から夕陽を見ていた。オレンジ色の雲と、徐々に紫がかる空に、何を思っているのか、林道にはそれはわからなかった。ただ、悲しいと思った。彼女の在り方が、そしてそれを変えられない自分の虚しさが。

「……林道は、いいよね」

「なにも良くない。 だから、これから良くしていくのよ」

 半場やけくそで林道はそう言った。そして、彼女のために、彼女たちのために何ができるのかを自身に問う。

 林道には言葉を交わしても奏を止められないことを悟っていた。それでもどうするべきかを考えたかった。考えるのを止めてしまったら、後悔してしまうと思っていたからだった。

 だから、荒療治であったとしても一つの可能性にかけるしかないのかもしれないと林道は答えに至ったのだ。

 それは下手をすると、もっとこじれてしまい、取り返しがつかなくなってしまうかもしれない。しかし、これ以上奏に影響を与える可能性はないと彼女は確信していた。


 林道の声は、震えていた。

「本当のこと言うと、今日は足止めに来たのよ」

「私を? どこへ?」

「お互い、会いたくないでしょ」

 それを聞いた瞬間に、奏は林道の言いたいことを察した。眉間に皺を寄せ、鋭くなった眼光に彼女は腹をくくった。


「……メイが青春の所へ?」

「会いたいと思うなら、邪魔したいと思うなら、すぐに行った方がいいよ」

 奏は林道が言葉を終えるまでもなく、背を向けていた。そして、速足で歩きだしていた。

 だけれども、数メートル、離れたところで彼女は止まる。

 光を浴びて、その中で制服の背中は泣いているようにも思えた。


「なんで、今さら教えたのよ」

 勘ぐったのか、それともただ不思議に思ったのか、それは林道にわからなかった。

 そして、林道もまた、その答えをはぐらかす。

「なんとなく――っすよ」

「嘘ばっかり」


 お互いに嘘だとわかっていた。

 奏も林道も、そこに理由があることは知っていた。だけれども、口に出さなかった。

 彼女の狙いも、メイの気持ちも、青春のことも、全てをわかっていた。それを全部飲み込んだうえで、奏は校舎裏への道を進んでいった。

 その姿を目で追いながら、林道は思う。

 できれば今日、誰も泣かずにすめばいいのに、と。


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