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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第5部
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閑話 子猫は無邪気に微笑む


 煙草を吸っていた。

 いつもの場所で、いつものように。

 それでも、青春が足りないと感じるのは彼女がいないからだった。

 切れ長の眼をした背の高い彼女、青春の好きな可哀想な彼女。

 隣にいる時でも、遠くを眺めているようなそんな彼女の眼差しが、足りなかったのだ。


 煙草の先が赤くなり、青春の胸も膨らむ。

 白い色をした煙が校舎裏の空気に溶け込んでいく。

 誰も何も言わない、彼女だけの世界だった。そこに入りこんでいいと思っているのは、彼女――薄雪奏、ただ一人である。


 そんな考えとは裏腹に、足音がこちらに向かってきた。

 奏は今日は来ないだろうなと、青春は思っていた。

 だから、それ以外の来訪者。彼女の意図していないもの、つまりは敵であった。


「……誰?」

 煙草を地面に落として、踏みつぶす。そして隠すように、近くの草むらへと蹴り飛ばした。

 別にみられても、困るものではないにしろ、余計なトラブルは避けるべきであった。

 だから、警戒する。

 もっとも、これが柊愛梨や、林道ハルのような見知った顔であるなら余計な心配で済む話だが。


「日嗣、先輩……」

 鈴が鳴ったような可愛らしい声だった。

 青春はその声の主を知っていた。だから、眉をひそめる。


「……久しぶりね、空澄ちゃん」

 そう声をかけると、声の主は陰から姿を現した。

 背は低く、大きい瞳がパチクリと瞬きを重ねながら、それでも視線は泳いでいた。彼女がおどおどとしながら出てくる姿はまるで、小動物の様で人はそれを可愛いと、そう言うのだろうが、青春にとっては違った。


「そう言えば、メール、返していなかったね」

「私、その――」

「どうしたの、こんなところにまで来てさ、だめじゃない」

「……全然だめじゃないです、むしろ、だめなのは私の方で」

 空澄の声は震えていた。手を胸の辺りに持っていき、不安そうに縮こまりながら、彼女は俯く。


「ダメって、何が?」

「私、先輩の気持ちをちゃんとわかってなかったから」

「私の気持ち?」

 青春は戸惑った。彼女に別れを告げられることを想定していたからだ。

 だから、その明後日の方向へと飛んでいく、空澄の思考回路は過去を思い出しすこともあり、苦手であった。憎らしくさえもあった。

 青春の瞳はそんなことからか、濁りを取り戻す。そして、その暗い真ん中の部分で彼女を捉え、その真意を聞きだそうと、奥へ奥へと引きずり込む勢いだった。


 しかし、空澄は青春を見ようとしなかった。それはまるで、相手もいないのに、鳴き続けるカナリアの様だ。

「私は、本当に先輩のことが好きかわからないんです」

「本当に好き、ね」

 久しぶりに聞いたその言葉に青春は小さく息を吐く。

 その白くなった感情を追うかのように空澄メイは空を見上げた。


「そして、先輩も私のことが好きじゃないかもしれない」

 彼女がたどり着いた答え、それは認めたくないものであった。

 ――いや、認めたくないからこそ、たどり着かなかったのだ。

 それは一度気づいてしまうと元に戻すことはできない、絡み合った糸の、そのほころびである。

 どうすればいいのかに気づいてしまう。

 簡単な話であった。奏に譲ってしまうのだ。そうすれば、一番丸く収まる。彼女はそう考えていた。


 だけど、だけれども、そうはできないのだ。


「私、初めて人のことをもっと知りたい、もっと仲良くなりたいって思ったんです」

「それは私のこと?」

「そうです、私は日嗣先輩で憧れを知りました」

「……憧れ、ね」


「でも、それが好きという感情なのかどうかは私にはわからないんです」

 空澄メイを見ている時、接している時、青春は昔の自分を見ているように思えた。そして、その中に、いつの日か好きだった彼女の面影もまた、重なって見えた。

 つまるところ、嫌いなもの同士がそこには混在していた。空澄メイという川を被ってなお、青春に夢という名の牙をむくのだ。


 彼女は、寒さで赤くなった頬を綻ばせる。

「これが初めてですだから。 初めて人に、そう言う感情を抱いたんです」

 青春は目の前の痛々しい彼女の笑顔から逃げるように、目をつむる。そして、ポケットから二本目の煙草を取り出した。


「煙草を吸うところ、初めてきちんと見ました」

 そう言って、彼女が目をキラキラさせるので、青春はライターまでは取り出さない。

 その代わり、手持無沙汰になってしまった火のついていない煙草を、唇でプラプラとさせていた。


 しばらくの間、二人は何も言わなかった。

 青春はどうやってここから逃げようかと考えていた。そして、そんな彼女を見つめていた空澄は楽しげな表情を浮かべているのだ。


 空は、オレンジ色に変わっていく途中であった。

 風は、地に落ちた木の葉をなでころがし、スカートの裾を吹き付け、足の形をより強調させる。

 詰まるような空気を、青春は感じていた。

何しろ、彼女たちがこうやって顔を向き合わせるのは青春が覚えている限り二回目である。電話やメールでのやり取りはしていたものの、何を話したものかわからなかった。そして、青春にとってあまり話したくない相手でもあったのだ。

だから、青春にとって聞きたいことと言えば、奏のこと以外ない。反対に、空澄にはたくさんあるようで、それは青らが染め上がるたびに態度となって現れていった。


そうして、煙のないまま、幾ばくかの時間が流れる。きっかけはなかったが、それでも一人が口を開いた。

「先輩は、奏ちゃんのことが好きなんですよね」

「……そう、だね」

 なぜ、そんなことを彼女は聞き、何故、私はそれに上手に答えることができなかったと、青春は心の中で反省した。彼女はいつものように嘘を並べるつもりだったのだ。

 それでも、本当のことを口走ってしまったのは、ひとえに奏という名前が出たからに他ならない。もう、彼女のことに関して嘘をつけないぐらい弱くなってしまったのだと、青春はひとり紅潮した。


 その様子を見た空澄は慈愛に満ちた優しい目をしながら微笑む。

「わかってます、わかってるつもりでした」

 そして、呆れたようにこう言うのだ。

「でも、それでも先輩と付き合っているってことを私は捨てられないんです」


 やはり、空澄メイは諦めきれなかった自分だ。信じ続けてしまった自分だと青春は再度強く思う。あの時、好きでい続けていたならば、おそらくこうなっていたのだと恐ろしく思う。

 それでも、理解したうえで奏と一緒にいたいと思う自分も同じ穴の狢なのだと、青春は暗い気持ちにさせられるのだ。


 だから、彼女のことが嫌いなのだ。


 自分に縋れている奏の気持ちはこういうものなのだろうか、青春は自嘲し、そして聞いた。


「なんで、私なの?」

「なんでって、それは――」

 そう言いかけて、彼女の口は止まる。目をパチクリさせ、目の前の相手を見つめていた。


「……そっか、覚えているのは私だけなんですね」

「ごめんね」

「いいえ、謝ることはないんです。 そう言うところも含めて私は先輩が好きなんですから」

 そうニッコリと笑い、元気に白い歯を見せてくる彼女を見ながら青春は考えた。


――おそらく、自分と違うところがあるとするならば、彼女はひたむきに強いのだ。信じることが出来るほど、強いのだ。


「空澄は素敵ね」

 漏れ出した言葉は彼女を振り向かせる。言う必要はなかったのにと、青春は心の中でため息をついた。

「ふぇっ? どういうことですか?」

「……世界が素敵に見えているのよ、だからあなた自身も素敵」

 空澄メイと日嗣青春の違い、だった。彼女を彼女たらしめる理由の一つだった。

「私は、世界が汚く見えるよ」

 それは、日嗣青春の嫌悪を含んだアイデンティティの一つなのだ。

 しかし、それすらも空澄メイの眼には素敵に映るのだろう。

「先輩はやっぱり素敵な人ですね」

「だから、それは……」


 青春に、言い返す言葉は思いつかなった。何を言っても無駄な気がしたのだ。

 否定しようとして延ばした指は、空気のみを掴む。何も残らない手のひらには、寒さだけが感じられた。

 空澄の大きな瞳は優し気に、こちらを見ていた。


「いいえ、先輩は素敵です。 私が保証します」

「そんなこと言って、あなたの世界に素敵じゃないものがあるの?」

「ありますよ、例えばピーマンとか、しいたけとか」

 

 まるで子供の様に、彼女は連想し始める。言いたいのは、そう言うことじゃないなんて言えそうにはなかった。

 青春は、そして彼女もまた、夢の中で溺れているのだと、そう思った。


 冷たく、そして痛い風が吹くと、切り裂かれたように木々が鳴く。温度を奪われた彼女たちは、その音に耳をすませた。

 一瞬の空白でさえも愛おしく思う彼女と、それすらも嫌悪する彼女は、タイミングがあったように、見つめ合う。

 言葉はいらない。そう思うのはお互い同じだっただろう。しかし、その意味は、悲しい程に、剥離していた。


 息継ぎをするように、口を開いたのは空澄メイだった。

 そしてなんでもないように、自然に青春に尋ねた。


「だから先輩、デートしませんか?」

 その問いに、青春は一瞬、言葉を失う。

「突然ね、すごく」

「本当は迷ってたんです。 でも、先輩と話しているとやっぱり好きなんだなって」

「私はあなたを好きなじゃないかもしれない、それでもいいの?」

「いいんです、約束しましたから。 先輩を奪って見せるって」

 大輪の花が咲き乱れたような笑顔だった。その屈託のない表情は、この寒空の下において痛々しく見えた。それはもちろん自分だけの世界のことなのだと青春はわかっていた。

 だから、彼女を覆すことが自分にはできないのだ。

 

 間違いだったと、青春は今になって思う。奏を繋ぎ止めるために、彼女に手を出した自分が嫌になる。

この手のタイプは自分の価値観を疑わない。青春にはそれがわかっていたと言うのに――、わかっていたからこそであった。彼女のような人種が泣いている姿を見たかったのだ。仕返しがしたかったのだ。だけれども、今の彼女には無理なのだった。


だから、頷いて見せた。

「いいわ、私達、デートしてみましょうか」


 その答えに、子猫は無邪気に微笑みを返す。

 空は、オレンジに染まり始めていた。


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