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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第四部
31/54

私達は夢の中で溺れている その7


 買ったものはなんだったであろうか。今になっては思い出せない。彼女の思い出はすべて捨ててしまったからだ。もし、奏が自分の元から去ってしまったら、同じ事をくりかえすのだろうか。青春は自分に尋ねてみた。

 しかし、思えば薄雪奏がくれたものなど何一つない。形に残るものは一つも――――。青春は頬に流れる涙を拭うも、一歩も動けなかった。校舎裏の夕暮れの中で、瞼を閉じ、夢の中でまどろんでいたかったのだ。しかし、思い出して、楽しいのはここまでである。これ以上深く追うと、あのときの感情がフラッシュバックしてしまうことを青春自身わかっていた。それでも、思い出さずにはいられなかった。あのときの自分と、今の自分を重ねずにはいられなかったのだ。


***


 クッションを枕に寝ころんでいた青春は、彼女に声をかける。あれ以降、少しだけ二人の関係は縮まっていた。時折、手を繋いでみたり、純粋な意味で体を寄せあってみたり、たったそれだけのことでも青春にとっては幸せだった。その延長線上で、青春は笑いかけたのだ。


「今日のご飯、何作るの?」

「リクエストくれるの? 青春ちゃんは良い旦那さんになれるね」

「もう、私だって料理くらいできるのに。 ね、たまには作ってあげよっか?」

「それもいいかもね。 私の好きなのはオムライスかなぁ」

「わかったわ、腕をならして作ってあげる」

 立ち上がり、冷蔵庫の中身をのぞく。一時の冷たさが顔の皮膚を爽やかにしてくれる。時間は三時過ぎで、準備を開始するにも少し早かった。しかし、青春は沸き上がる気持ちを待たせることはできないのだ。だから、一つ一つ材料をチェックしていき、肝心の卵がないことに気づく。

「あれ、卵ないじゃない」

「そうだっけ? うっかりしてたよ、ごめんごめん」

 ぺろりと舌を出して謝る彼女に、青春は怒る気になれず、ただ肩をすくめて呆れた。

「しっかりしてよね、うちの家事担当?」

「じゃあ、青春ちゃんは何担当なのかな?」

「えーっと、その、あれだよ。 平均年齢引き下げ担当だよ」

「あら、ちょっと5年くらい若いからって調子に乗っているのかしら」

「ちょっとサバ読むことに必死になってないですかぁ? お姉さん?」

 そう言って小突き合いが始まって、ちょっとの間楽しんでから顔を合わせて笑った。

「じゃあ、買いに行こっか」

「えー、青春ちゃん一人で行ってきてよ。この暑い中外にでたくないでござるー」

「そんな風だから、卵切らしてるんじゃない。 他のものは大丈夫だよね?」

「うーん、大丈夫なはず……、あっ、ついでに醤油買ってきて」

「大丈夫じゃないのね、よくわかりました」

 青春は戸棚やら何やらを開けて、足りないものがないか確認し始める。その様子を見た彼女は不服そうに声を上げる。

「もうちょっと私のこと信頼してよー」

「最近の姿を見てるとちっとも信用できないわね。 化けの皮が剥がれてきてるのよ」

「それは、私と青春ちゃんが仲良くなったからだって、ね、嬉しい?」

「……そこそこ」

「えー、やっぱり嬉しいんだ。 お姉さん感激だなぁ」

「もう、スーパーに行ってくるからね」

 照れたように、青春は玄関へと向かう。その足取りは軽く、浮かれているようだった。そして、彼女の声が青春の足を止める。

「行ってらっしゃい、愛しのお姉さんがお家で待ってるからねー。 あ、あとアイスも買ってきてね」

「はいはい」

 頬をゆるまして、それでいて胸の内を悟られないように、青春は顔に力を入れて振り返った。すると、廊下へと半分身を乗り出した彼女がこちらに向かってひらひらと手を振っていたのである。


 真夏日だった。容赦のない日光が体をジリジリと焼いていく。汗が皮膚から湧きでて、ジットリとした感覚が心までもむしばんでいく。じゅくじゅくと膿んでいた気持ちは彼女から離れると、途端に自我を持ったように胸の中で暴れ出す。

 いつまで、この幸せは続くのだろうか。そんな考えが青春の孤独を増長させる。ずっと一人だった人間に、いきなりこんな環境を与えた結果だと青春は自嘲する。隣に立ってくれる人がいる。手を繋いでくれる人がいる。自分のことを考えてくれる人がいる。そんな些細な幸せでも青春にとっては重かった。

 彼女は自分を家族だととらえてくれているとしても、自分の中ではではその対象から離れていく。一度、心地よさを味わってしまうと、次へと、その次へと求めてしまう。だけど、その感情を青春は押し殺していた。それを気持ち悪いと思ってしまう自分をひた隠しにしていた。

 彼女が悪い。こんな気持ちにさせてしまう彼女が悪い、曖昧な言葉で自分を翻弄しているカノジョが悪い。そう思ってしまう自分が、とても恥ずかしく思えたのだ。


 マンションから出てスーパーまでの道のり。すぐのコンビニを曲がり、公園を横切ってまっすぐ。日陰はなく、道はどこまでも照らされている。そのせいか、暑さに負けてなのか、青春の足取りは重く、進みは遅かった。コンビニを曲がった辺りで、迂闊に外に出てきたことを後悔した。せめて、何か日差しを遮るものを持ってきた方がよかった。部屋でだらけていた彼女の気持ちも分かるものだ。

 青春は、カノジョの最後の言葉を思い出して、くすりと笑う。

「ーー愛しのお姉さん、ね」

 初めてあったときから比べたら、ずっと打ち解けたように思えた。それでも、言いようのない不安感が青春の中で募っていた。結局の所、青春は寂しかったのだ。一緒に生活していようともわからないことばかりだった、知らないことばかりだった。自分のことは何でも彼女に話しているのに、彼女のことをほとんど知らないのだ。

 それがとても寂しかった。

 公園を横切ると、大通りにでる。人がたくさんいる。どこかからどこかへ知らない人たちが運ばれていく。その光景が、青春は嫌いだった。赤の他人と肌が触れ合うのが嫌いだった。息がかかるのが嫌いだった。半径四十五センチ以内に入られるのが、嫌いだった。

 その嫌いをいとも容易く、簡単にすり抜けたのが彼女なのだ。


 パシャリ。そんな音が後ろから鳴って青春は振り向いた。誰かが写真を撮った音、太陽の光の中、何かをフィルムに収めた音。何となく買って、それから埃を被っている自分のカメラを思い出す。

 夏の暑い日にわざわざ撮りに外に出てきた物好きのレンズはまっすぐこちらを向いていた。

「……馬鹿なの」

 そう青春がつぶやくと、もう一度、カメラから音が鳴る。口から漏れたため息に、相手は肩をすくめながら、顔を出した。


「や、相変わらず恋してる瞳だね」

「肖像権侵害よ、これ」

「それは謝るよ、でも君の今の顔を収めたかったからさ」

 全く悪びれる様子を見せず、それどころかウィンクで返してくる物好き。それは間違いなく柊愛梨だった。

「こんな暑い日に精がでることね、暇なの?」

「カメラが好きなのさ。 君もそうだろう?」

「別に、好きでも何でもなかったよ。 あなたとは違って」

「嘘、君はカメラが好きなはずだよ。 写真から伝わってくる」

「私の写真、どこで見たの? それに、そんな嘘ついたって何の利益もないわ」

「部室に置きっぱなしになってるよ、一回顔を出したときにそのまま忘れていったんだよ」

「……どうでもよすぎて忘れていたわ」

「その言葉が嘘だったら、見てほしくてわざと忘れていったのか、だね」

「あなた馬鹿なの?」

「馬鹿じゃないさ、前に行っただろ、僕は人を見る目に自身があるって」

 まっすぐに青春を見つめるアーモンド型の瞳。その純粋な混じりけのないそれにため息が口をついてでる。そしてきびすを返して、青春はスーパーへの道のりへ戻ろうとした。

 しかし、柊愛梨もまた、長い艶やかな髪を揺らして青春の隣に足を置いた。


「なに着いてきてるのよ」

「暇なのさ、あと、君に興味があるからね」

「……やっぱりそっち系なの、あなた」

「そっちってどっちのことかな」

 柊はくすくすと笑うも、青春は眉に皺を寄せたままであった。

 つっけんどんな態度を青春がしても、柊は顔色一つ変えずについてくる。目的地はすぐそこのスーパーだと言うのに、青春はなかなかどうして大通りへ足を踏み出そうとはしなかった。


「どうしたんだい? 足を止めて、何か面白いものでもあったのかい?」

「何もないよ、そっちこそどうなの?」

「僕は君の隣に立っているだけで楽しいよ」

「……その口説き文句みたいなの止めてもらってもいいかしら」

「口説き――って僕的にはそんなつもりないんだけどね」

「その言葉遣いと顔で、多くの人を勘違いさせてきた姿が目に浮かぶわ」

 青春はこめかみを抑え、真夏の夕前だと言うのに鳥肌の立ちそうな腕を擦った。

「失敬だね、日嗣は。 僕をなんだと……ってこんなこと前にも言ったか」

「そうね、お互いその気はないんだし、変なおべっか使われても気持ち悪いわ」


 そうやって二人して公園の入り口から大通りを眺める。人でうごめくその姿は、青春にはまるで怪物のように思えた。もしくは工場のラインで、そこに入ってしまうと、己が失われるような気がしていたのだ。

「……日嗣、僕はその、人混みが嫌いなんだ」

「そう、誠に残念だけど私もよ」

「僕はね、その、あまり人に触れられたくはないんだよ」

「それは物理的接触がダメってこと?」

「そうだね、親しい人以外、特に赤の他人から触られたりすると悲鳴が出そうになる」

「誰だってそうじゃないの?」

「そうかもしれないね、でも僕のは度が過ぎているんだ」


 柊の横顔。アーモンド形の瞳がパチクリと上下し、長い睫に影が差す。その様子に偽りの空気はなく、青春はごくりと唾を飲んだ。そして彼女の頭に一番先に思い浮かんだのは、柊のような美形であるからこその恐怖である。


「……それで、守ってもらっているの? あなたの親しいお友達とやらに」

「そうだね、それもあるんだ。 たとえ同性でも気がしれない相手に触れられるのは恐怖でしかない、僕にとっては」

「少し――踏み入った質問をするけど、何かそう言う経験やトラウマがあるのかしら?」

「ないよ、それでも怖いんだ。 人に触れられるのが」

「……それで、どうして私にそれを話したの」

 そう青春が聞くと、柊はうふふと笑った。桜色の唇が吊り上がって、並びのいい白いが歯がその隙間から姿を現す。

「君になら、少しわかってもらえると思ってね」

「わからないって私が言ったらどうするの?」

「どうもしないさ、ただ、話したくなっただけだよ」

 柊はカメラを空に向け、レンズを覗き込む。そしてシャッターを押し、その風景を保存するのだ。その一連の行為に彼女は何かの意味を見出しているのだろう。しかし、青春にはただのキザな行為としか思えないのだ。


「さて、行こうか。 人混みの中に」

 柊はニッコリとほほ笑んで青春の前に立つ。そして、ゆっくりと手を差しのばすのだ。一つの影が出した触覚。その黒い塊をもう一つは少しためらってから受け取る。そうやって合わさった二人は太陽から逃げるように影の群れへと足を踏み入れた。


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