私達は夢の中で溺れている その6
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素に戻って、赤面も直った青春は、彼女を捜すべくショッピングモールを歩いていた。人の中を避けるように、あちこちをきょろきょろしながら進んでいくが、彼女の姿は見つからなかった。
あの最後の言葉の意味を知りたかった青春ではあるが、しかし、知りたくないような、曖昧なままの方がいい気もしていた。そんなちぐはぐな気持ちを抱えながら、空いていたカフェで紙に入ったコーヒーを買う。
苦いその汁を飲みながら、一階に降りてきて、足下に紙袋をおろした。そして、ちょっと人の少ないベンチに陣取って一息ついた。そしてそのまま、青春は人の波を見つめていた。そうしていたら、彼女が笑いながらでてくるような気がしていた。
しかし、青春を見つけたのは彼女ではなかった。
全く別の、学校の生徒がこちらを見つめていた。切りそろえられた前髪に綺麗に手入れされた長い黒髪が、左右に揺れながらこちらに近づいてくる。
アーモンドの形をした瞳。その持ち主のことを青春は知っていた。だけれども声をかけるような事はしなかった。できればそのまま話すことなくやり過ごしたかったのだ。
「君は・・・・・・」
しかし、近づいてきた彼女じゃない彼女は、青春に声をかける。邪気のないその声に、青春はその生徒の名前を口にした。
「柊ーーーー愛梨」
「僕のこと、知ってたんだ」
「有名人でしょ、学校の。 話すのは初めてだけど」
「部活で何度か顔を合わせていたよね、君は幽霊部員で滅多に来ないし、来てもすぐ帰ってしまうから。 僕としては残念きわまりなかったよ」
「・・・・・・有名人っての否定しないんだ」
「顔が広い自覚はあるものさ」
柊は遠慮も何もしないまま、人なつこい笑みを浮かべ、青春の隣に腰掛けた。並ぶと背の同じ位の二人は全く逆の表情を浮かべながら、人混みを目で追う。
「それより、部活には顔を出さないのかい?」
青春がどこでこの変わっている彼女を知ったかというと、それはたまに顔を見せる部活動であった。手持ちぶさたで始めたカメラ。その延長で写真部に、青春は入っていた。そこに同じく入っていたのが柊愛梨だったのだ。
その彼女が笑顔を浮かべて青春を見つめる。視線を交わすように手元のコーヒーに目線を移した青春は首を横に振った。
「別に、写真を撮りたい気分じゃないから」
「来たら気分が変わるかもしれないよ」
「・・・・・・そもそもカメラ、そんなに好きじゃないのよ」
「ならどうして、写真部に入ったんだい?」
「なんでだろ、気が向いたから? そっちこそなんで者深部に?」
青春にとって前からの疑問であった。三年生しかいない弱小の部活である写真部に、なぜ人気者の柊愛梨が入っているのかが疑問だったのだ。彼女は青春とは違って人望も厚く、そしてまた、非常にモテていたのだ。
柊愛梨は帰ってきた質問に対し、ケロリとした様子で答える。
「なんでって、写真撮ることが好きだったからに決まっているじゃないか」
「・・・・・・撮られる方が好きなんじゃないの?」
そう毒づくと、柊は口元を押さえて吹き出した。艶やかな髪の毛が揺れて、彼女からはいい匂いがした。
「君は僕をなんだと思っているんだい?」
「他の女の子にチヤホヤされて自尊心を満たしている人」
事実、柊の周りには人が絶えない。どこに行くにも両手に花状態で青春は何度もそんな彼女とすれ違っていた。いつも楽しそうで、一人で隅っこを歩く青春としては、意識せずにはいられなかったのだ。彼女たちと柊の笑顔が、目の前の表情と重なる。
ジッと見つめていた青春似照れたように、柊は頬を掻いた。
「手厳しいね、僕としては全くその毛はないのにさ」
「自分がどう見られているか、考えたことないの? 学校のアイドルでしょ?」
「考えないね、君こそ考えないように見えるけどね」
「私は考えすぎて面倒くさくなった口よ、どうでもいいのよ、学校のことなんて」
「だからあんまり出席率もよくないんだ」
「何で私のこと、そんなに知っているの? はっきり言って気持ち悪い」
「そうだね、僕が有名人だと言うのならば、君もまた同じだってことだよ」
先ほどまでとは変わって、柊のアーモンドの形をした大きな目が、青春のことををじっと見ていた。嫌な予感と、急な真面目な空気に青春は唾を飲み込む。
「お金持ちの不良生徒さん?」
「それ、どっから聞いたの?」
「聞くまでもないさ、君の名字ほど珍しいものもないからね。 でも、気づいてない人の方が多いんじゃないのかな」
嫌なところを突かれた青春は、とたんに貧乏揺すりを始める。手元のコーヒーが波を立て、映っていた彼女の像をかき消す。歪んだ、その顔があの父親の顔に見えて、思わず舌打ちが口の中から漏れた。
「すごく、不機嫌そうだね」
「ずかずかと他人の領域に踏み込んでくる人が目の前にいるから」
「それは失礼した。 でも、人の目を気にしないのなら、その事実もどうでも良いことじゃないのかな? 大切なのは自分自身、でしょ?」
「くっさ……。 全員が全員、あなたじゃないから」
「でま、きっと僕と君は似ているよ。 そんな気がする」
「どこが?」
「中身だよ」
大きな黒い瞳は青春を見つめたままだった。光をともしているその目とは反対に、青春の目は泥のように濁っていく。眉をひそめ、鋭くなった目。
「似てないから」
そう一言、青春は言うけれど、柊は全く気にとめない。
「それより、君はどうしてこんなところにいるんだい? 僕は人待ちの時間つぶしだけど」
「似たようなものよ」
「……ほら、やっぱり似ている」
「柊は阿呆かなにかなの?」
「成績はいい方さ、でも学校外じゃ何か印象変わるね」
「悪い方にかしら?」
「どうして君はそんなに悪い方向に物事を持ってくんだ。 褒めているんだよ」
「褒めている?」
「学校じゃ君は目が死んでいるからね、今の君はそのーーそうだな、生き生きしているように見える」
「気のせいよ」
「そんなことないさ、人を見る目はそれなりにあるつもりさ」
「あんなにいっぱい有象無象を連れているのに?」
「君はひどいことを言うな、それでもそのいっぱいを連れているからこそだよ」
「柊こそ酷いじゃない、有象無象だってこと、否定しない」
結局その言葉が指すのは、彼女たちは柊にとってどうでも良いと言うことだ。こだわりも、特別も、柊は取り巻きたちに感じていない。
涼しげなその横顔の裏側には、それなりに何かがあるのかもしれない。青春はコーヒーをすすりながら、そう思った。
「別に僕は、君を否定したいわけじゃないからね」
「優しいことね、でもそれって否定することから逃げているんじゃなくて?」
「そうだね、そうかもしれない」
「その優しさはいつか自分に返ってくるわよ、痛くなって、ね」
「心配してくれているのかい?」
「そんなんじゃないから安心して」
「やっぱり、君のことは好きになれそうだよ、僕は」
「勝手にすれば、でも変な好きはやめてよね。 柊愛梨は学園の人気者なのだから」
学園の人気者、という所に毒を込めたつもりだった。しかし、柊はそこを意識せず、別の所に突っ込みを入れる。
「変な好きって?」
真面目なままの顔で、青春にそう尋ねた彼女。その返答に、青春は詰まる。
「それはーーーー」
「好きに変もなにもないよ、僕の考えだけどね」
「素敵な考えね、みんなそうだったらいいのにね」
「やっぱり僕たちは似ているよ」
「いつまでそれ言ってるのよ」
青春はちびちび飲んでいたコーヒーが空になっていたのに気づき、手の中で紙コップを握りつぶす。そして手持ちぶさたに柊の顔を見た。
彼女はにっこりと微笑んで、手の中から潰れたそれを奪って近くのゴミ箱へと投げた。きちんと入ったのを見て、嬉しそうにする。そして、口を開いた。
「でも、瞳だけは違うよ。 見ているものが違う」
「あなたは何を見ているって言うのよ、それにわたしも何を見ているって言うのよ」
「君の瞳は恋をしている瞳だよ。 それも学校外の人だね、そんなに煌めいているんだから、きっと素敵な人なんだろう?」
目と目が合う。彼女の瞳の中に映った自分を見て、青春は息を飲んだ。まっすぐなその視線は自身の言ったこと似たいして、全く疑いをハラんでいない。そして、青春に否定を許していない目だった。
「………………何でそんなこと言えるの」
青春と柊はほとんど初対面に等しかった。それでも、心の中を覗かれたと、青春は感じていた。
「言ったことだよ、人を見る目はある方だと思っているんだ。 それじゃ僕はそろそろいくよ。 また学校で会えたら、そのときはまたよろしく頼むよ」
そう言って、柊愛梨は誰かの方に手を振りながら、人混みの中に消えていく。綺麗な黒髪を揺らしながら、前髪ぱっつんの女の子は、青春の方を向いてキザにウインクしてみせるのだ。
その仕草と、彼女の芝居のような話し方に青春は、二回目のため息を返した。人混みの中の彼女が笑っているような気がして、そっぽを向く。
その向いた先にはなんと、少しの頬のむくれた彼女が立っていたのだ。その姿をみて青春は驚きと同時に、三度目のため息をつくのだった。
「いつからそこに?」
「さて、いつからでしょうか」
「声をかけてくれればよかったのに」
「だって楽しそうだったし、青春ちゃんの友達、初めて見たし」
「友達いなくて悪かったですね」
毒づいてみせると、彼女は頬を膨らましてぷいっと顔を逸らした。その様子に一気に毒気を抜かれ、おもわず青春は口元を緩ませる。
「べーつにぃー、私以外の綺麗な女の子と話してたって何とも思いませんけどぉー」
「独占欲、強いタイプ?」
「そうかも・・・・・・、ってまぁ、冗談なんだけどね」
「さいですか」
「でも、あなたには私しかいないと思ってた」
なんて事を彼女が言うので青春はドキリとした。その横顔はやっぱり少し憂いていて、心が少し軋むような感覚を覚える。そして、柊愛梨の言っていたことを思い出して、自分自身に語りかけるように言う。
「私にはお姉さんしかいないよ、好きな人」
「私も青春ちゃんが好きだよ」
「じゃあ、相思相愛だね」
「よかったね、こんなに綺麗なお姉さんと好き同士なんて、あんまりないよー?」
「光栄な事でして」
「で、どこ行ってたの?」
「ちょっとお花を摘みに……」
そう言った彼女の手を掴んでみるものの、湿り気も何もない。
「手、濡れてないね。 ちゃんと洗ったの?」
「あっ洗ったよ! なんか当たりが厳しいよ青春ちゃん!?」
「そう思うなら自分の胸の内に聞きなさいな」
青春は彼女の指の間に、自分のそれを通した。そしてぎゅっと握りしめ、顔を綻ばせる。
「今度こそ、ちゃんと行くよ?」
「…………どこにだっけ」
笑顔で答える彼女に、青春は四回目のため息をもらした。しかし、その空気にはイキイキとした喜びのような感情もまた、混ざっていたのだった。
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