私達は夢の中で溺れている その5
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休日のショッピングモールは混んでいた。人混みであった。それに加えて、彼女はまるで子供のようにはしゃぎ、次から次へと目移りしていくものだから、青春は大変困ったものであった。しかし、それでも笑顔を投げかけてくるその姿はとても可憐で、可愛らしく、青春の頬を同じように緩ませ、自然と、足早に彼女のスピードについていこうと必死になっていたのだ。
待って、と言っても彼女は変わらず進み続ける。まるで脊髄で生きているように面白そうなものに飛びついていく。その様子を青春はクスクスと笑いながら、着いていく。しかし、時折後ろを振り返る彼女は、その二人の距離に不満げなようで「遅いよ、青春ちゃん。 ほら、もっと早く、世界は待ってくれないよ」と言って、手を取って引っ張り出すのだ。
青春はその行為に驚き、一瞬、手を振り払ってしまいそうになる。いつぶりに人と手を繋いだのか、思い出すのは難しかった。心臓は急に熱を持ち、どうにも手汗が気になって仕方ない。青春は、平常心を保ちながらも彼女をたぐり寄せる。
「その・・・・・・」
言葉がうまくでてこなく、口をパクパクとさせるだけで、どうにも頬が熱いような気がした。青春の脳ミソはスパークしたみたいに何も浮かばず、ただ、強く彼女の手を握りしめた。
「どうしたの?」
彼女が心配そうに顔をのぞき込む。長い睫と髪の毛が彼女の空気を青春に運んできた。その顔が、彼女と今、繋がっていると言うことが、体温が彼女の方が少しだけ高い、なんて小さな事が青春の胸をいっぱいにさせてさらに何もいえなくなる。
だから、青春は小さく彼女に向かってつぶやいた。
「握り方、これは違うよ」
「そう?」
「こっちの方が、うれしいから」
そう、彼女の指に自信の指を絡めていく。白魚のようで、煙草の香りがするその細いそれを逃がさないように、青春はぎゅっと握るのだ。
彼女は完璧に繋がったその手を持ち上げて、ニッと笑う。
「なんだか、恋人っぽいつなぎ方だね」
「恋人つなぎだもん」
「じゃあ、今だけはわたしが青春ちゃんの彼女って事でよろしくぅー」
その言葉が、なぜか青春の胸にちくりと刺さる。しかし、それが何なのか、彼女自身にもわからなかった。だから、ちょっとぶっきらぼうに彼女を引っ張って歩き出す。
「・・・・・・さっさと行くよ」
「そうだね、面白いもの探しの旅に!」
彼女の調子は変わらない。そして、なぜかそれが自身をいらだたせるわけもわからない。
「違うでしょ」
「・・・・・・あれなんだっけ、どこに行くんだっけ?」
「知らない」
「ちょっと、青春ちゃん、なんか怒ってる?」
彼女がちょっと笑いながらもおとなしく後を着いてくるので、まるで犬みたいだと青春は思う。少し面白く感じたが、いらだちの方が大きく、青春は意地悪めいたことを彼女に言った。
「知らないって。手を繋いだのも、これ以上どっかに行かないようにするためなんだから、彼女とか勘違いしてさ」
「えぇー、そこなの、怒ってるところ」
「違うけど、女子高生相手に、それって犯罪だよ?」
「ふっふーん、お姉さんは美人だから許されるのでしたー」
「言ってろ・・・・・・」
本心では彼女と手をつなげて嬉しかった。しかし青春はそれを素直に口にできなかった。きっと今だけしか手をつなげないから、今だけしか彼女が隣にいないから、きっとどこかに行ってしまうと思っているから、その気持ちが自分をじゃましているのだと青春は冷静になった頭で反省した。
まるで子供みたいだと、急な恥が青春に襲いかかる。だから、それを誤魔化すように彼女に向かってちょっとだけ笑いかけた。
「ちゃんとリードしてよね、お姉さんなんだから」
そんな感じで、結局は彼女に振り回されながら二人はショッピングモールをふらふらと歩き回る。
「ねぇ、これ、青春に似合うんじゃない?」
寄り道途中のアパレルショップで彼女は笑顔で、薄い水色の、柄の入ったワンピースを広げる。その様子に苦笑しながら、首を振った。
「ちょっと私には可愛すぎるよ・・・・・・」
「そんなことないって、これから夏だし、涼しげで良さそうだよ」
「無理だって、私には厳しいって」
「大丈夫だって、可愛いから可愛いから」
「適当に言ったって着ないものは着ないの」
「いいからいいから、ほら持った持った」
彼女に無理矢理に手渡されたその可愛すぎる布を握りしめ、青春は試着室へと運ばれていく。
「押さないで、わかった、わかったからぁ」
絶対に似合わないと言う関心を抱きながら、満面の笑みを浮かべた彼女に見送られて、青春はカーテンを閉めた。ため息はまだ出そうになかったけれども、どうにも不安であるのだ。本能的に年相応の可愛らしい服を避けてきた青春にとって、これは少しだけ難しかったのだ。
「どう、着れた?」
カーテンの向こうで彼女はせかすように声を上げる。それを聞きながら、青春は鏡の中の自分とにらめっこしていた。仏頂面の自分か、ぎこちなく笑っている自分か、どちらの表情を用意しても、やはり違和感を感じていた。だから、青春の声は自然とぶっきらぼうになってしまう。
「・・・・・・着れたよ」
「じゃあ、開けるよ」
彼女は何がおかしいのかクスクスと笑いながらカーテンに手をかけた。
「えっ、開けるの?」
「開けなきゃ可愛い青春がみれないじゃない」
「正直、似合ってないよ」
「私の目に狂いはないはずっ!」
そう大きな声と共に、勢いよくその薄い壁は開かれる。
飛び込んできた彼女の瞳には、困った表情を浮かべた自分の姿があった。肩まで伸びた黒髪に、黒い瞳。自分が黒色の服以外を着ていることがおかしく思えた。青春は少しだけ、息を吸い込んでから彼女に言うのだった。
「急に開けないでよ」
「似合ってるじゃん。 やっぱり可愛い可愛い」
「そんなに可愛い連呼してもなにもでないですよ」
「出るとこは出てるのにぃ?」
「・・・・・・オヤジくさ」
呆れた青春は湿っぽい目線を向けるも、彼女はきょとんとした顔で首を傾げる。
「えぇ、こんなに美人なお姉さんなのに? くさかった?」
「自分で美人なお姉さんって言うのもどうかと思う」
「だって事実でしょ?」
「はぁ、もう脱ぐから閉めるよ、自称美人なお姉さん?」
「自称じゃないやい!」
そう太陽のような笑顔に別れを告げ、青春はカーテンを閉め、いそいそと服を脱ごうとした。しかし、その前に鏡が目の中に入る。そこには妙に嬉しそうに頬を綻ばせた自分の姿が映っていた。その自分がおかしくて、そしてなんだか気持ち悪く感じて、青春は苦笑するのだった。
アパレルショップを出た青春は、片手で紙袋をぶら下げながら、そしてもう片方で彼女の手を握りながら、ため息をついた。
「買ってくれたのはうれしいんだけど、多分着ることないよ?」
「うれしいなら着てくださいな」
「だって持ってる他の服と合いそうにないし」
その言葉は、青春にとって、ただのいいわけであったが彼女は笑い、声をかぶせてくる。
「おっとー、青春ちゃんは他にも服をご所望かー?」
「そうじゃないって、お金なら私持ってるし。 今日の目的、忘れてるでしょ」
青春は彼女の何も考えていなさそうな顔を見て、再びため息をつく。
「今日の目的?」
「やっぱり忘れてた。 やっぱり抜けてるよね」
「抜けてないよっ!」
「家具とか、なんかインテリアを買う為に今日ここに来たんだよ」
そういった青春に怪訝そうに彼女は眉をひそめ、唇をとがらせる。
「その目的もなんだかアバウトだなぁ、もっとシンプルにできない?」
「シンプルって家具買いにきたって言えばいいの?」
「ちがうよ、今日の目的は一言で言い表せます」
手はふりほどかれ、彼女は前に飛び出した。その姿を追いながら、青春は疑問符を紡ぐ。
「買い物?」
「ぶー、出すよ。 もしかして頭堅い?」
「価値観とか違いすぎるから着いていけないって前から思ってたんだよねー」
「ちょ、ちょっと、青春ちゃん? 今何でそんなこというの?」
焦った様子でこちらを振り返る彼女。栗色の横髪がくるりと舞い上がって、世界を彩った。
「嘘だよ、嘘。 半分ほんとだけど」
「本当なの? 半分もっ?」
「だって実際、違うでしょ?」
「・・・・・・それはそうだけど」
彼女の目がじっとこちらを見つめていた。何の迷いもなく青春はそれを見返す。
「違うことが悪いことだとは私、思ってないから」
「そう、そうだよね!」
パーッと表情が和らぎ、華やかになった彼女にそのままジトリとした視線を青春は投げかけた。
「で、答えはなに?」
「答え・・・・・・」
「また忘れてるし」
本日、三度目のため息をついた瞬間であった。青春は思わず、紙袋で彼女の横腹をたたいてしまう。
「今日、ここに来た目的。 一言で言い表してっ!」
「痛いよ、痛いよぉ、青春ちゃん」
そう言いながらも彼女は笑っていた。青春もまた、笑っていた。本人は気づいていなかったが、試着室で見せた嬉しそうで、楽しそうな笑顔だった。
彼女は逃げるようにして、さらに距離をとり、一息着いてからこう答える。
「答えはですね、簡単です。 デートです!」
「ほへ?」
「仲の良い二人が遊びに来てるんだから、目的とかどうだって良いのです! これは紛れもないデートです!」
何も言葉がでなかった青春はその場に立ち尽くしてしまう。
「ほら、言ったでしょ? 今日はわたしが青春ちゃんの彼女だって。 それはもうあれですよ、既成事実です。 同棲しているし」
「・・・・・・変な言い方しないで、周りに誤解されちゃうよ」
ようやく、思考が通常運転し始めた青春は高鳴ってしまいそうな、今にも彼女に聞こえてしまいそうなその鼓動を押さえようと必死だった。だから彼女を追いかける事なんてできず、ただ、目で追った。
人混みに逆らってその場に立ち止まった二人の間には何人もの誰かが紛れ込んでくる。それでも彼女の姿ははっきりと見えていた。いや、青春は目が離せなかったのだ。
そんな青春の余裕宇野なさをあざ笑うかのように、彼女はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、瞳を細めて、こんな事を言うのだ。
「わたしは良いよ、青春ちゃんとなら誤解されても?」
「――――ねぇ、それって」
青春がそう呼び止めても、彼女はこちらへ歩いてこなかった。それどころか捕まえてごらんかと言っているように人混みの中へするりと消えていくのだ。
追おうと思った。それでもできなかった。体は熱かった。けれど、胸の鼓動がやけにうるさくて、いっぱいいっぱいで締め付けられていて、どうにもこの場を動けそうになかった。できることならこの場にうずくまりたい衝動に駆られていた。しかし、そうしなかったのは青春の最後に残ったちっちゃなプライドと羞恥心だ。
「それってどういうことなのよ」
かの泣くような小さな声でつぶやいても彼女の姿はどこにも、青春一人の耳にしか届かない。訳が分からなかった。彼女といると、訳の分からないことばかり怒ってしまう。主に自分の胸の中でだけど。それでも今まで感じたことなかったそれを、青春は嫌だとは感じていなかった。
ただ、答えのない其れを抱いて、彼女が消えた先をずっと見ていた。追いかけもせず、ただ見ていた。




