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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第四部
26/54

私達は夢の中で溺れている その2

***

「ねぇ、明日の朝ご飯は白いご飯が食べたいな」

 そう言うと、目の前の彼女はニッコリと笑い頷く。

「味噌汁に、卵焼きもつけてね」

 なんて、花の咲いたような表情に、青春もまた、つられたように笑った。

 高校に入りたての頃だった。青春が一人暮らししたいと言って、親が与えたマンションの一室。そこには彼女と、そして当時好きだった彼女がいた。

 簡単に言えば家政婦、俗的に言えばメイド的な彼女に対して、青春は淡い恋心を寄せていた。恋と言うよりも、憧れ、もしくは家族愛とでも言うのだろう。しかし、当時の彼女にはそれを見分けることもできず、ただ愛しい家政婦として認識していたのだ。


「何分、愛情の薄い親がいたものね」

 初めてこの家にきた時の彼女がそう言って悲しそうに笑ったのを青春は覚えている。家族とは顔を合わせない者、少しだけ近い他人だと認識していた青春にとってそんなことを言ってくれる人は珍しく、どうして、とキョトンとした顔で笑った。

「どうしてもなにも、家族ってのはこんな年ごろの女の子を独り暮らしさせたりするようなものじゃないでしょ?」

「でも、もしかしたら、私がここにある高校に通うために無理に言って、了承されたのかもしれないよ」

「そんなことしたの? 両親の反対を押し切ったりした?」

「してないわ」

 そう言って青春が笑うと、つられたように彼女も笑い、でしょうね、とだけ付け加えた。

「母は毎日男遊び、父は遅くまで残業してからの外泊。 そんな家にいたって苦しいだけ、そう思わない?」

 青春がそんなことを言うと、彼女は目を落とし、少しだけ黙って、ヘラリと笑って見せた。

「そうね、そうよ、出て正解だわ」

「でしょう?」

「うん、そうよ、そうよね……」

 だけれども、その目には優しさと、少しの悲しみが彩られていた。それは真っ直ぐと青春に注がれていて、彼女もまた少しだけ寂しさを覚えた。彼女がどうしてそんな表情を見せるのか、青春にはわからなかったし、何故と訊いてみる気もなかった。

 蛍光灯の光が白く、部屋を照らす。お互いを包むその空気にどこかおかしくなって、青春はケラケラ笑いだした。その様子をただ、黙って彼女は見つめるだけだった。


 掃除が終わった後、ちょうど青春が学校から帰ってくる時間帯、彼女はベランダで煙草を吸っていた。帰宅途中の青春がそれを見つけ、手を振る。彼女もまた、煙を口から吐き出しながら、手を振り返してくる。二人の中で恒例行事と化していたその行為が、青春は楽しかった、嬉しかった。初めて人が家にいる状況が良いものだと感じていた。そして、きっと彼女も同じように思っているんだろうな、と確証を何一つ得ることのできないそんなことを馬鹿みたいに信じていたのだ。

 初めて、彼女が煙草を吸っているのを見た時、青春は少し驚いた。ずっとシトラス系――きっと香水の良い匂いをさせていたし、何分、彼女の風貌には似合わないようなものだと思っていたからだった。

 ベランダへの窓越しに見えるその姿は、長く艶やかな黒髪に、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるスタイルの良さ。隣に回って、その顔を見上げると、おっとりとした優しそうな眼差し。形の良い耳。どこか良家のお嬢様のようなその姿に、煙草と言うイレギュラーは青春の目に焼き付いて離れなかった。


「煙草、吸うんだ」

「ごめんね、嫌だった?」

 青春がそう話しかけると、彼女は困ったように微笑み、それから申し訳なさそうに煙を外に吐き出した。

「ううん、嫌じゃないわ。 別にわざわざベランダに出て吸うこともないのに」

「匂いが部屋に残っちゃうでしょ?」

「私は気にしないよ」

「でも、年ごろの女の子の家から煙草の匂いがするなんておかしいじゃない」

「いいのよ、私、煙草の匂いって結構好きだし」

「変な子ね、でも、私はここで吸うわよ」

 二本目だろうか、彼女はあまり煙草に口をつけなかった。時折、思い出したように煙を吸い、吹かすように煙をすぐに吐き出した。その様子は始めてみた衝撃が薄れてみると、なんだか似合っているような気がして、青春は少しだけ、それに憧れを感じた。

「……ね、一本だけ吸わせてくれない?」

 そう言うと、彼女は驚いたような、呆れたような表情で青春を見返した。

「なに考えてるの?」

「別に、吸ってみたいなぁって思っただけよ」

「駄目よ、十五歳でしょ? 五年早いわ」

「ね、お願い。 じゃないと盗んだバイクで走り出しちゃうかも」

「尾崎豊じゃないんだから」

 怒ってはいなかった。だけれども、冗談と流してもいなかった。ただ真面目に一人の人間として見てもらえているような気がして、なんだか居心地が悪く感じていた。だから、青春は悪びれたように、話を違うところに持って行こうとして、こんなことを言うのだ。

「ま、もう十六歳なんだけどね」

「だからと言って駄目よ」

「もう結婚できるのにね」

「あら、結婚願望をお持ち?」

「別にそういうわけじゃないんだけどさ」

「なんで言ったのよ」

「なんとなく、言ってみたかっただけ」

「結婚ねぇ……」

「する予定、あるの?」

「どうかしらね」


 そう言った彼女の横顔は、部屋からはいる明かりに照らされていて、どこか切なそうに見えたのだ。それに対して深く追求することはできず、青春はただ黙ってそれを眺めていた。その顔つきがどんな時に見せるようなものかわからなかった。

 思えば彼女については知らないことばかりだと、青春は歯がゆい気持ちを胸に感じていた。そして魚の小骨が喉に引っかかった時のように、胸がチクチクと痛んだのがむず痒いような、それでいて嬉しいようなきがして、緩く、口元を綻ばせる。その感情にまだ名前はなく、形容しがたいいじらしさと高揚感が同居しているような、奇妙な感覚だった。ただ、彼女といると、今までよりもずっと安心するなと、青春は思っていた。

 今まで感じたことないそれを味わいながら、彼女の吐き出した煙をこっそりと、見つからないように吸い込んで、飲み込んだ。ずっと良い子のままで、迷惑をかけないように生きるべきだと思っていた。そんな青春が初めてして見せた悪逆めいた行為はなぜか、彼女を誇らしくさせたのだった。


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