壊されたいほど焦がれている その9
それから昼休みになった。もう一度携帯を開き、時間と場所を確認する。
放課後、部室。と言うだけの簡単なメッセージだけに日嗣のらしさを感じ、林道は小さく、ため息とも何とも言えないものをつく。
授業なんて上の空で、林道は今日言うべきことをずっと考えていた。だけれども、それはうまくいかないもので、色々なことが彼女の頭の中を邪魔しに来る。
例えば、泣き出してしまったメイのこと。結局、あの後から避けられてしまって声をかけることもできていない。
それから、助けると決めた薄雪奏のこと。大嫌いな彼女のことを救う方法なんて少しも浮かんでこなかったが、そう決めてしまった以上、言葉をもう曲げたくはなかった。
林道は今度は、大きく重い溜息をついた。
今さらどんな顔をして会おうかと、林道は考えた。
優しくて、綺麗で、決して人のことを責めない彼女に会って、何を話そうかと考えた。
結局のところ、その答えは出ない。林道の頭は同じところを行ったり来たりの堂々巡りで、食事も喉を通らなかった。
雨は朝からずっと降りしきっている。
いつの間にか曇ってしまった眼鏡を林道は袖で拭く。
雨は髪の毛がうねってしまうから嫌いだった。
だからと言って林道は晴れの日も曇りの日も雪の日も好きではない。
ただ、嫌いだと言う事実だけが林道の周りには降り積もる。
あれもこれも嫌いで、たった一つの好き以外見えなくなってしまう。
そういう性質だと言えばそれで終わる話だが、林道はそんな自分が嫌いだ。
嫌いで嫌いで、嫌いだからさらに嘘をついて取り繕うとする。でもそれも一時しのぎにしかならなくて嘘をつく前の自分よりももっと嫌いになっている。
だから、もうやめようと思ったんだ。そう林道は儚げに笑った。
そしていつまで同じことを繰り返しているんだと、自嘲する。
ざーざーと雨が降る音と、同級生のぼやけた姿だけが視界に映る。
きちんと拭いた眼鏡をかけて、林道は目を閉じた。
大丈夫、もう曇りは晴れた。
立ち上がり、彼女は彼女の姿を探す。
そして――
「ねぇ、放課後、着いてきてほしいところがあるの」
声をかけるのだった。
***
雨はいささか小降りになっていた。
彼女を後ろに連れて、林道は階段を降りる。
最上階から、部室棟へと彼女と彼女の足取りは軽くはなかった。
後ろからのプレッシャーと自分が抱えたプレッシャーでもうこれ以上足を動かしたくなかった。
それでも、林道を進めるのは意地と責任感、それから罪悪感だった。
「どういう風の吹き回し? 私を部室棟へ近寄るなって言ったのはお前だったよね?」
「……もう、それはいいの。 今日、私はきっと振られるから」
ベリーショートで切れ長の眼をした彼女が鼻で面白くなさそうに笑う。
「素直についてくるとは思わなったわ」
後ろを振り返らずに、林道は独り言のように呟いた。
「ついていこうなんて思わなかったさ、お前に言われたとおりにして良かったためしなんてない」
「それもそうね、だったらなんできたの?」
チクチクと刺される言葉をグッと堪えながら、林道はヘラリと笑う。
決して彼女の顔を見ようとは思わない、きっと睨まれているだろうことが容易に想像できた。
「私も呼ばれたの、面白いモノを見せてあげるからって、青春にさ」
「……きっと今、あなたすごく変な顔をしているわ」
「あいにくね、お前も変な顔をしていると思うわ」
吐き捨てるように言った彼女の声が、雨に混ざった。
雨粒がポチャリと水たまりに落ちて、跳ねた雫が林道の足にかかる。
部室棟に近づくにつれ、彼女は緊張し、足が思うように動かなくなっていく。心臓の音がどんどん大きくなっているような気さえもし、何かを言った彼女の声もほとんど聞こえないまであった。
今まで逃げたツケが再び待っている。一度誰かに吐露しただけでなくなるはずがないのは林道も十も承知だった。
だけれども、それがこんなに大きくなっているなんて思わなかったのだ。
林道は浅くなった呼吸を何とか抑えながら、手を握りしめる。
「……これは、相手の問題ね」
逃げたい気持ちを抑えながら、後ろから抑えてもらいながら、ゆっくりと林道は足を動かした。
そうだ、このために彼女を連れてきたのだった。彼女に私の誠実を見てもらいたかったのもあったが、今この場になってしまえば、ほぼほぼ自分自身を逃げられないようにするためだった。
ゆっくりゆっくり、だけど確実に林道は部室棟へと近づいていく。
部室棟としか書いていないけれども、場所はわかっていた。
私と先輩の出会いの場所、写真部と園芸部の合同部室だ。
すぐそこまで行くと、その考えが確信に変わる。
黒く、背中までの長い髪をした彼女が立っていたからだ。
死んで魚のように、濁った眼をした、林道の大嫌いなもう一人。
「遅かったじゃない、それに面白い組み合わせで」
「私にとっては全然面白くないけどね、さて私はここから見物してたらいいの?」
ボーイッシュな彼女は部屋の中を顎でしゃくって彼女に聞いた。
「きっと楽しいわよ、それに後ろにもう一人ギャラリーがいるみたいしね」
「……私には関係ないわ」
いくらか空気が重くなった気がした。
思えば、林道はこの二人の組み合わせを目の当たりにするのは初めてだった。
付き合っている? と言うには少し、違和感を感じさせたが、そうしたのは紛れない林道だったので、深く考えないようにした。
今は余計なことを考えたくなかったのだ。
「さて、準備は良い? 林道ちゃんのためにわざわざセッティングしたのだからね」
いたずらっぽく、厭味たらしく、長髪の黒い彼女は扉を開けた。
林道はその笑いを見て、自分も負けじとヘラリと笑い返す。
「……準備なんていつまでたっても終わらないわ」
迷っている暇も、逃げる先ももうない。
もう恐れることもできない。
進むことしか林道には残されていない。
行き先が地獄でも茨でも戻ることはできないのだ。
覚悟を決めたように、彼女は大きく息を吸い、足を部屋の中へと踏み入れる。
そう、そこには、林道の大好きな彼女がいるのだから。
「それにしても――」
そう、独り言のように彼女が呟いた。何か含みのある言い方で、林道は気になり振り返る。
前髪の隙間から、彼女のどす黒い瞳が林道の眼を捉え、少しだけ彼女は身構える。
「……何か、気になることでも?」
そう林道が尋ねると、彼女は口元を歪ませながら答えた。
「別に、呼んでもないお客さんまで連れてくるなんて思ってなかったからよ」
「それって……」
髪の短い彼女はハッとした表情で林道を睨みつける。
その仕草で、お客さんの正体が林道にも理解できた。
「私はついてきてなんて言ってないです」
「だったらなんで!」
「だって、私は友達に泣き顔なんて見られたくないですもん」
切れ長の目からひしひしと伝わる刺々しい視線を交わし、林道は扉へと手をかけた。
髪の長い彼女からはチャンスを、ショートカットの彼女からは決意を、そして姿を見せないお客さんからは勇気をもらった。
もう逃げない私を作るのには十分すぎると林道は感じる。
伝えるしかないのだ。
振り絞るしかないのだと、林道は笑った。




