壊されたいほど焦がれている その8
席に戻った林道は、震える手足を抑えながらメイに尋ねた。
「……メイは、もし薄雪が日嗣さんのところから離れてこっちに戻ってきたら、どうするの?」
「どうするって?」
「普通に話せるかってこと。 憧れの人を奪った薄雪奏を許せる?」
それは林道にとって空澄メイに対する禁断に触れる質問だった。
林道は彼女のことを友達だと思っているが、彼女の考えていることが少しもわからないのだ。
いや、本当は誰の考えることもわかっていないのかもしれない、と林道は口の中で笑った。
わかっていたのならば、こんなことになっていない。
「うーん……」
メイは眉間に皺を寄せ、難しそうに唸った。
「それは、奏ちゃん次第だと思うなぁ」
「どういうこと?」
ニコッと花が咲くように笑ったメイを見て、林道は不思議に思い思わず首を捻る。
「えーっとね。 私、まだ奏ちゃんのこと、奏ちゃん自身から何も聞いてないの。 奏ちゃんが何を思って日嗣さんと付き合い始めたかと、なんで私のことを避けるのか、とか」
メイが指折り、話してほしいこと、あったかもしれない薄雪奏との未来を数え始める。
そんな仕草は林道の罪悪感を煽り、風が受けた火のように膨れ上がった。
薄雪奏が何を考えているかなんて、そんなこと、目に見えて分かるのに……。
林道は、薄雪はずっとメイのことを考えていると言いたくなる気持ちを抑えつける。
「ハルちゃんは、奏ちゃんに許してもらえると思う?」
「……わかんない」
本心であった。
すれ違っているのだ。本当に、空澄メイは薄雪奏の気持ちに気づいていないのだ。
何を言えばいいのか林道にはわからなかったし、何か言うべきかどうかさえも判断しかねていた。
助けたい、救いたいと言った林道であったが、どうすればいいとか、何をすべきとかこれからのことについて全くと言っていいほど考えつかなかったのだ。
ただ、薄雪奏と空澄メイと――日嗣青春の歪な片思いだけが林道の目前に横たわっていた。その三人ともが相手のことを思っている、いや、相手のことしか思えていないゆえに歪な三角関係。
林道はその全貌が、少しだけ見えたような気がした。
「もしかしたら、何もしない方がいいのかも」
ぽつり、そんなことを林道は呟く。でもそれはすぐに悪手だと気付いた。
「時間が全部解決してくれるかも?」
いたずらっぽく微笑んだメイが林道の顔を覗き込む。
何故だか、背中の毛が逆立つのを感じた。
確かに、時間が経てばすべてが綺麗にとはいかないが、いつか笑って話せるようになるだろう。卒業や進学、三人とも同じところに行くなんてありえなくもないが、可能性ももちろん低い。人生は分岐点の連続だ。長い将来を通じて付き合っていく友達や恋人なんてそう少ないだろう。
――――特に女同士であるならば。
だから時間を取って、自然消滅を測ると言うのは良い考えかもしれない。
それでも、林道の心に引っかかったのだ。また、逃げるのかと過去の自分がささやいているような気がするのだ。
全く無警戒の相手に、そんな自分の心、妥協や弱音を覗き込まれたからだろうか。その寒気がどこからきたものかハッキリとはわからなかったが、何故か、日嗣青春の持つどこか暗い雰囲気と同種の何かを林道を感じた。
そんな林道に関係なく、メイはへらへらと笑う。
「本当に、そっちのほうがいいかも。 なんて、私もそう思っているから未だに奏ちゃんと話せていなんだよね」
「……話すのが怖い?」
「それもあるかなぁ、最近の奏ちゃんいつ見ても怖い顔してるし、それに――」
きっと、メイが言いよどんだのは、いつも思っていることと同じだ。
林道は、人の考えている本当の気持ちを知るのが怖い。
近ければ近いほど――、その人と近くなりたいと思っていればいるほど、その人のことが怖くなる。顔色を伺う。手を伸ばしたくなる。傷つける。
「でも、今のままじゃだめだから」
林道の口をついて出たその声はとても小さく、メイにやっと聞こえる程度の大きさだった。
「今のままじゃだめだから、私は話さないといけないんだ。 今まで無視してた声と、自分の恋心について」
「……ハルちゃんも好きな人いるんだね」
「いるよ。 とても、とても大切だったはずなんだ」
自分に言い聞かすように林道はメイに語りかけた。
「私の恋はきっと歪だった。 独りよがりで相手を傷つけることもいとわない独善的な恋。 そんなもの、ただのオナニーと同じだ。 それに気づいていない私は馬鹿だったんだ。」
「オナ――!」
メイの顔がゆでたタコのよう真っ赤になる。
「ごめん、汚い言葉使っちゃって」
「ううん、ちょっとびっくりしただけ。 でも、そんなに好きになってもらえるなんて相手の人が羨ましいかも、なんてね」
えへへと笑いながら、メイはポリポリと赤くなった頬を掻いた。
その時だった。
林道の携帯が空気を裂くように鳴ったのだ。
その音に林道の体は石のように強張ってしまう。
なぜだろうか、もうすぐ冬だと言うのに、林道は背中に嫌な汗をかいていた。どうにも形態を開けるのが怖く感じていた。
「ハルちゃん、もうすぐ授業始まるよ。 今鳴って良かったね、授業中だったら取り上げられちゃう」
「あはは、本当そうだね」
なんて空元気に笑いながら、林道は携帯に手をかけた。
彼女は携帯を開き、マナーモードへと設定を変更する。そして、携帯が鳴る原因となったであろうメッセージを見つけた。
日嗣青春から、一件。
震える指先で彼女はそれを開封する。
そして、それをメイが横から覗き込んだ。
咄嗟に林道は携帯を閉じた、が意味はなく、二人の間に奇妙な空気が流れ始める。
「――――それ、青春さんから」
肩が震えていた。そして唇が紫色だ。瞳が濡れてきている。
「メイちゃん、これは、その。 ハルは――」
口をついて上手い言い訳は出てこない。
林道は友達相手に嘘をつこうとしたのを、自分で悟り、小さく舌打ちを重ねた。
もはや、俯くしか彼女に残されてはなかったが、どうにもそれをすることもできなかった。
メイのいつもの屈託ない笑顔が消え、そこには暗雲立ち込めるという形容詞がよく当てはまるような泣きそうな酷い顔を残されていたからだ。
「やっぱり、私にだけ興味ないんだ。 ……だったら」
何も言えなかった。
メイが言っていることは真実だったし、そのあとに続く言葉も現実になればいいと林道は思っていた。だけれども、それを林道が口にすることはきっと彼女を傷つけてしまう。
だから、嘘も真も何言えなかったのだ。
窓に一滴の雫が張り付いていた、それを何故だか林道の瞳はハッキリと捉えていた。
「……雨ね」
誰かがそう呟くと同時に、限りのない粒が地面に叩き付けられる音が教室中を支配する。
林道は窓の外、鉛色の空を見つめて、今日は荒れそうだと、そう思った。
日嗣青春からのメッセージは教室と時間だけが記された素っ気のないメールだったが、それでも、女の子一人を泣かせるには充分だったのだ。




