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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第三部
21/54

壊されたいほど壊れている7

***


翌朝、林道が目を覚ます。久しぶりに体の軽さを感じて、彼女はグッと腕を伸ばした。机の上にある体温計をわきの下に挟み、昨日の夜の会話を頭の中で反芻させる。

友達、私が友達であると空澄メイは言ったのだ。聞き覚えのない言葉。林道の頬はひとりでに緩んだ。物心ついてから打算的に動いてきた林道であったが、他人からああも信頼、もとい良い気持ちを持ってもらったのはいつ以来だろうか。小学校か、それとももっと前の記憶かわからないが、彼女にとってはかなり久しい感情である。友達がいると言うのはこんなにも安心すると言うものなのかと林道は感嘆の息を漏らす。あの時の薄雪も空澄メイがいることでかなり安心しただろう。

――その節は大変申し訳ない事をした。

 今になって初めて、えげつないことをしたのだと林道は思った。薄雪から友達を奪ったのは林道であり、そして彼女の一番の拠り所を奪ったのも林道であったからだ。

 謝れば許してくれるかな。なんてことは林道は思わない。それではけじめがつかないからだ。たとえ、相手が許してくれようとも、自分の心には負い目が残る。謝った相手とそのあと良好な関係を結べたとしても、ずっとずっと罪悪感と言う棘は心に刺さり続けるのだ。


 わきの下で、体温計が音を上げる。手に取って値を覗き込むと、林道の体の熱はいつも見る正常値に戻っていた。林道は心の中でガッツポーズをしながら眉をひそめた。嬉しい気持ちと嫌な気持ちが同居しているのだ。空澄メイに会いたい気持ちが第一点。柊先輩に会わなければならないのが第二点。薄雪奏に対してけじめをつけるのが第三点。日嗣青春と戦わなければならないのが第四点。やるべきことが多すぎて林道の頭の中は混線状態、寸前であった。


「とりあえず、できることから片づけていかないとね」

 そう一人で声を出して、林道は部屋を出て、脱衣場に向かった。汗を流して、ご飯を食べて、学校に行く準備をして、それから……。シャワーを出た後にメールを先に打っておくべきか、なんて彼女はやるべきことを順序立てていく。

 目の前にあることに集中して取り組んでいけば、後のことは考えずに済む。

 林道は服を脱いで、下着姿になった自分の姿を鏡越しに眺めた。

「計算するのはもうやめ。 出たとこ勝負じゃないとっ」

眼鏡を洗面台において、林道はシャワールームへと入っていく。

キッと今日は長い一日になる。林道はそんな予感を感じていた。


外に出ると、空はどんよりと曇っていた。まるでこれからの行き先不透明な未来を表しているようで、林道はヘラリと唇を歪めた。

薄雪奏が持ってきてくれたと言う鞄を肩にかけ、彼女はとことこと通学路を歩きはじめる。途中、携帯を開いては見たものの、特に連絡らしい連絡は来ていなかった。


「……メイちゃん」

「ハルちゃんっ!」

彼女の小さな体が林道の元へ飛び込んだ。困惑しながらも、林道はメイの震える肩にそっと手を置いた。うるうると光る大きな黒目。左に編み込んだ前髪。ふっくらとしたピンク色の唇。久しぶりにあったせいか、林道は彼女の姿をまるで初めてあった人のようかに感じた。

「ごめんね、心配かけて」

「ううん、ちゃんと学校に来てくれたからいいんだよ」

「良くないよ、それと――」

「待って。 今のごめん以外、私は受けつけない事にしたからっ!」

「それは、どういう……」

「あのね、もう私はハルちゃんのこと許しているの。 ううん、許すとかそんなこと始めから考えてなかった。 だから、謝られてもどっちも嫌な思いをするだけでしょ。 そんなこと誰も得しないと思う」

「……メイは強いね」

「強くないよ。 ただ、私は信じているだけ。 ハルちゃんのことを嫌に思うなんててきないから」

「信じる強さ、だね」

きっと、これからの私に必要になるものだと、林道は頷いた。


 教室のドアがガラガラと開き、見知った顔が入ってくる。

 うなじの辺りまで伸びたショートカットに、切れ長の強い瞳。その視線がチラリとこちらに投げかけられた。

 しかし、その時間は一秒にも満たない。

 薄雪奏はすぐに顔を上げ、何も言わずに自分の席へと歩き出す。

「あっ――――奏ちゃん」

 メイが手を伸ばす。笑顔を作って、奏の袖を掴もうとした。

 だけれども、その小さな手には何も残らなかった。薄雪奏はこちらを見ることもなく、何も言うこともなく、ただ二人の隣を通り過ぎたのだ。

「……挨拶もなし、って私のせいなんだけど」

 林道は深く息を吐きながら呟く。

 メイはその奏の様子にすっかり慣れたようで、何も言わなかった。それに林道自身も何も突っ込みたくなかった。

 だから沈黙がその場に訪れ、長身がたっぷり二回ほど回ってからメイが口を開く。

「……ハルちゃん、その、喋り方変わってるよね」

 少しだけ眉をひそめ、悲しそうな表情を浮かべながら、それでも気丈に、そんな様子が彼女にみられたし、それに林道もつられたようにへらへらと笑う。

「うーんとね、あれは嘘吐きモードだったの。 本当の私はこっち」

「嘘吐きモード?」

「私は弱い人間だから、自分に嘘つかないと生きていけなかったの。 でも、色んな人が私の価値観を吹き飛ばしてくれた。 戦わないといけない土俵に引きずり出してくれた」

 そんな言葉を林道は言うが、メイはあまり腑に落ちないらしく――

「弱くなんかないよって言っても、これはハルちゃんの問題なんだよね」

 そう言って首を横に振るばかりだ。

「そう、これは私の問題。 でも、今はメイちゃんがいるから、逃げないで戦えそう」

林道は苦笑しながら席を立つ。

「それじゃ、ちょっと行ってくるね」

「どこに行くの?」

「初めの清算相手っすよ」


 林道が向かったのは、恋敵である薄雪奏の席の前だった。

 仁王立ちする林道に対して、当の本人は鬱陶しそうに髪を掻き上げ、舌打ちをする。

「なんだよ、林道ハル」

 鋭い目に睨まれて、なんとなく林道は委縮してしまう。

 それでも、林道は精一杯に勇気と誠意と罪悪感を胸の内に絞り上げた。

「その……、私……」

 声は震えていたし、言いたいことがつっかえて上手く出てこない。

 そんな風に言いよどむ林道に対し、奏は釘を打つように声を荒げる。

「謝られたって私はあんたのことを許さない」

 奏の拳は爪が食い込みそうなほど握りしめられていた。

 それを見てしまったからにはもう林道に言える言葉は出てこない。

「……そう、っすか」

「今さら許してもらうなんて虫がいい話だと思わなかったの?」

「思ったよ! でも許してもらうには、謝るしかないか、ら……」

 突かれた核心に対し、同じように林道も声のボリュームを上げる。

 それにつられるように周りの同級生の眼が二人に集まっていたが、それを気にする余裕なんてどこにも存在していなかった。

「私はお前が何をしたかなんてほとんど知らない。 だけれども、お前は私の気持ちを踏みにじった。 そのことだけで十分なくらいお前のことが嫌いだ」

「ハルも、お前のことが嫌いだよ!」

「相思相愛ね。 その事実確認がはっきりしてよかったじゃない。 それで、話はこれで終わり?」

 少しだけついた嘘と、増えていく罪悪感を紛らわすように、林道は唇を噛んだ。

 その痛みに後押しされるように、言葉を並べる。

「……ごめんなさいって言って許してもらえるなんて始めから思っていなかった。 でも、今になってやっと、私がやったことの大きさがわかったんだ」

 やったこと。先輩と薄雪奏を裂いたこと。薄雪奏と空澄メイを裂いたこと。きっとこれからも酷いことをしてしまうこと。

 林道は面と向かって嫌いと言われてから、そして嫌いと言い放ってから少しだけ心が軽くなっている自分に気づいた。

 不思議と頭が回り、したいことやするべきことがスルスルと浮かんでくる。

「そう、それで? 私にぶちまけることで自己肯定したいわけ?」

「違う! いや、違わないかもしれないけど。 ……私は反省したの」

 反省したから心が軽くなったわけではない。

 ぶちまけたから心が軽くなったわけではない。

「私は、決めた」

 決意が出来たからだ、そう林道は思う。

 薄雪奏をここまで歪ませてしまったのが彼女自身だからこそ、そのゆがみを直せるのも、そのきっかけを作れるのも、自分しかいないと思ったのだ。

 私と彼女たちを取り巻く人間関係を一番知り尽くしているのは誰だ、それを動かしてきたのは誰だ、悪意を持って選択したのは誰だ、そう林道は自分自身に問いかける。

 どれも、――どれもが自分だった。

 林道は確信に満ちた声色で、こう言い放つ。

「私、きっとあなたを日嗣青春から解放してあげる!」

 義務でも、同情でも、愛情でも敵意でもない。

 彼女自身が奏に抱いているのは奇妙な友情だった。

「余計なお世話よ」

 奏の顔が不愉快そうに歪むが、彼女にはどうでもよかった。

「余計なお世話でも! 全部を元通りにできなくても収める形に収める努力をするわ!」

 酷く独善的で、独りよがりで、計画性も何もないかもしれない。

 それでも、林道は奏のことをどうにかしたかったのだ。

「……上から目線ね。 だから友達いないんでしょ」

「確かに今まではいなかった。 でも、今は――」

それを遮るように小さく、舌打ちが鳴る。

「お前は本当に私の癇に障る」

 薄雪奏はスッと林道の隣を横切った。

「まだ話は――」

「トイレだよ」

 最後まで奏は不愉快そうだった。

 いや実際、不愉快に違いないと林道は思う。

 友達も思慕の相手も奪った奴が、今度は助けてあげるだなんて言うのだ、腹を立てない方がおかしい。

 しかし、林道は少しだけ達成感を覚えていた。

 速すぎるその感情に戸惑いつつはあったけど、自分なりの食材が見つかったのには違いなかった。

 視界の隅で親指を立てている空澄メイに、林道は笑って手を振る。

 これからだ、これからが勝負なのだと、胸に誓いながら――



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