壊されたいほど壊れている6
携帯を取り出し、『今日はごめん、今度色々含めて謝りたいっす』という短いメッセージを送る。宛先は空澄メイであり、何故そんなことをしようかと思ったのも林道にも定かではない。でも、きっと今を逃せば彼女に謝るチャンスは二度とこないような気がしたのだ。
送ってから、後悔のような、恥のような気恥ずかしさと、いつ返ってくるのかという期待感で林道は気をもんだ。林道が思っていた以上に彼女からの返事は早かった。時計の針は微塵も動いていない。
「もしもし?」
そんな声が携帯から聞こえてくる。出るか出ないか迷う暇もなく、林道は瞬時応答に追われる。空澄の声はいかにも心配していました風で、林道はせせら笑ってしまい即座にその行為を恥じた。
「メイちゃん……。 ハルは謝らないといけないっす」
「どうしたの? 何かあった?」
きっと、彼女は電波の向こうでキョトンとした顔をしているのだろう。林道にはそれがありありと脳裏に浮かんだ。
初めから出てしまった、出してしまった本題にどう切り込んでいくか林道は計算し始める。しかし、その計算が終わるよりも早くに空澄が声を上げた。
「それは――」
「そんなことよりも風邪、大丈夫? 昨日は急にいなくなるから、私ビックリしちゃって。 体調悪いなんて全然思わなくて」
「こっちこそ悪いんすよ、自業自得みたいなものっす」
そんな風に林道は言葉を濁して、風邪っぴきの理由を隠した。雨の中、傘を差さずに走って体も乾かさずに泣いていたら風邪なんて当然に引く。まさに自業自得でもあるが、そんな行動に出たこと自体がもはや病気である。
それに、言うとしても林道は彼女になんて話せばいいのだろうか。
あなたの彼女に虐められて悲しくなって外を走りました、なんて言えばいいのだろうか。
そんな林道の理由に気づくこともなく、空澄は気に病んだ様子で話す。
「ううん、ごめんね。 気づけなくて」
「……メイちゃんは優しいね」
「え? そんなこと始めて言われたよ」
「そんなことないよ。 それこそ――」
「それこそ?」
薄雪奏が言いそうなセリフだ、なんて言葉を林道はゆっくりと飲み込んだ。空澄を話しているとき、口方何度その言葉が出そうになったことか。彼女らを仲たがいさせるように持って行った自分を少しだけ恨む。
「ううん、なんでもない」
恨む相手こそはあっているが、謝る相手は違う。
「何かあったら言ってね。 なんでも私、聞くからね。 いつものお返し、いつもハルちゃんにはなんでも聞いてもらってるから。 愚痴だったり、相談だったり」
違う、違うのだ。彼女は林道を善意的に解釈しすぎている。さすが少女漫画の主人公である。言い得て妙であるが、少女漫画の主人公と言うよりも絵本の主人公の方があっている。
林道はヘラリと笑って腹を決めた。
「……私が聞いてたのは、全部自分のためっすよ。 全然、メイちゃんのことを思って聞いてなんかなかった」
「え?」
「私、ハルはとても嫌な人間なの。 人のことを聞いているようなふりして、どうしたら自分にうまくできるか、自分に有利な風に行動させれるか、そんなことばっかり考えてる」
そんな突然の告白、空澄の口数は一気に減る。それは待ってくれているのか、あきれてものも言えないのか、はたまた嫌われたのか、林道は判断に迷ったが。林道の口は待ってくれない。
「メイちゃんに対してもそうだった。 いつも自分の都合ばかり優先して、メイちゃんのことを本気で考えてなかった。 メイちゃんの気持ちをないがしろにして、裏で台無しになるかもしれないことを平気でやってて。 だから、だから謝りたいの」
一気に林道は己をさらけ出す。言い終わった後には肩で息をしていた。さらに、足は貧乏ゆすりを始め落ち着かない気分になっている。そんな彼女とは対照的に空澄はゆっくりと口を開いた。
「……そう、そうなんだ」
咀嚼するように、ゆっくりと言葉を話す。だけれども、林道にはそのスピードは耐えられない。興奮した脳と心が更に、全てを全てをと口を動かしていく。
「日嗣先輩に薄雪奏をけしかけたのも私のせい。 メイちゃんの告白だって、私が。 それに――」
「違うよ」
林道の言葉は空澄の凛とした声で遮られる。
「私が選んで告白したの。 私が先輩のことを好きだから告白したの」
聞いたことのないような決意に溢れた強い声。林道は驚いて言葉を失いかけるが、何とか言葉を振り絞ろうとする。自分が悪者なのだと、証明しようとする。
「それでも――」
林道の言葉はまたしても遮られる。
「私は、ハルちゃんがやったことを何一つ知らないし、これから知ることもないと思う。 やったことの中には、許されないこともあったかもしれない。 人に怒られるようなこともあったかもしれない。 でも、ハルちゃんが話を聞いたりしてくれたことによって救われた人だって絶対にいるんだよ」
「そんなことな――」
「ある! 現に私は今幸せだよ! 私はハルちゃんに話を聞いてもらえて嬉しかった。 奏ちゃんとの間に壁があるように感じた時、傍にいてくれたのはハルちゃんだった。 誰よりも真剣に相談に乗ってくれたのはハルちゃんだった」
「それは、私の打算的な行為で、私のために聞いてた。 私、メイちゃんを利用しようとしてた!」
いつの間にか、二人ともヒートアップしていてほとんど叫ぶように話す。
必死に悪くなろうと、悪い人間だと認めさせようとする林道と、それを否定する空澄。
熱くなった脳みその端っこの方で、林道はこのままでは永遠に平行線で終わってしまうと感じた。
しかし、一つの空澄の言葉がある人の姿と重なったのだ。
「今の私がこうやって笑っていられるのはね、ハルちゃんのおかげなんだよ。 だからね、それだけで、私はハルちゃんのことを許すよ。 他の誰もが敵になったって私は友達でいつづける」
きっと、薄雪奏が柊シンパから壮絶なバッシングを受けた時にも同じようなことを言ったのだろう。きっと彼女もこの言葉によって救われたのだろう。林道の両目に涙があふれてくる。
林道は今、初めて空澄メイのことを好きになれそうだと、そう感じたのだ。なぜなら、彼女は柊愛梨と似ている。どちらも残酷なまでに優しくて、選択権を林道にゆだねるのだ。何があってもこの二人は同じように接してくれるだろう。なんて純真なんだろう。林道は震える声で携帯に向かって謝った。
何度も何度も御免と言って、それに対して慰めの声が聞こえてくるたびに、林道の胸はキューっと締め付けられて、また謝るのだ。
そんなやり取りを何度も繰り返すも、いつかは途切れる。途切れて、布団に入った林道はゆっくりと瞼を閉じる。
その日、林道は夢を見なかった。




