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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第三部
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壊されたいほど壊れている5

 外では雨が降りしきっていた。

 早く教室に戻らなくては、林道はそう思うが、その足は棒切れのように動こうとしなかった。頭の中が黒色で塗りつぶされるような感覚を林道は覚える。どれだけ別のことを考えようとしても、今の彼女の脳内にはこれまでの悪行が走馬灯のようにフラッシュバックしていた。

 涙はいくら流しても絶えることはなく、林道はその頬を拭うこともせず、ただただ湧き上がる自責の念を堪えていた。

たくさんの悪いことをしたのだ。

だから、いつかしっぺ返しが来ると自身にも予想がついていた。それでも、彼女には悪行を重ねることが止められなかったのだ。膨れ上がった自己嫌悪と、恋慕の情がぶつかり合った結果、歪んだ行いだけが彼女を支配していた。

 ――こんな形で返ってくるなんて。

林道は涙を流しながらそう後悔する。いつか来るたくさんの仕返しを考えてきた林道ではあったが、まさかそのきっかけになったのが日嗣青春とは思わなかった。いや、思いたくなかったのだ。


二度目のチャイムが鳴る。本当に誰もいなくなったトイレからも、もうでなくてはならない。だけれども、林道には教室に戻るような気力は残っていなかった。ただ、ここではない誰もいない場所に行きたかった。誰もいない、それこそ自分も何もない場所に。

いっそのこと、死んでしまおうか。そんなことが彼女の頭をよぎる。だけれども、それは林道にとって一番忌避するべき考えである。すぐに首を振って、涙を拭いて、林道はすくりと立ち上がった。できるだけ鏡を見ないようにしてトイレを脱出し、誰にも会わないようにと願いながら、校内を避けるように校門へ向かった。


 髪や制服が濡れるのもいとわずに、できるだけ何も考えないようにして足を進めた。上履きであることも、荷物を全て学校に置きっぱなしになっていることも関係がなかった。

 だんだんと早くなる足並みと、それに比例するかのように水を吸っていく体。もう泣かないでおこう、そう奥歯を噛み締めながらながらも林道の感情のダムは決壊寸前であった。

 きっと、全てを空っぽにするように泣いてしまえば楽になるんだと、彼女は感じていた。でもそれは日嗣青春に誘導されてそうしてしまうような気がして嫌だったのだ。泣いてしまえば、級友の誰かや空澄メイなんかがただただ慰めてくれるだろう。本当の自分も見えていないのに、慰められる。そんなことを林道は滑稽だなと思った。だけれども、滑稽なのはきっと林道の方で、ただ単に片意地貼っているだけなのだ。

 辛いのはそれだけではなく、今までやってきた行いの罪悪感に伴う自己嫌悪の念。もはや、自分を守ってくれるメッキは、自分の中に存在していない。日嗣青春にすべてはがされてしまった。

 林道は、今の自分を素の自分だと思う。それでいて、罪悪感などの汚い心以外空っぽだと思った。

 ほら、やっぱり胸に穴が開いている。林道は走りながら自嘲した。

 いくら走っても、心が晴れることはない、雨は全てを水に流してくれない。

 どれだけ走っても、罪悪感と後悔が彼女の耳元で囁き続ける。叫ぼうが歌おうが、否応なしにひっきりなしに追っかけてくるのだ。

 冬の雨は容赦なく林道の体温を奪う。吐く息が白いのと、見知った道だけを林道は眼鏡の奥でとらえていた。罪悪感は林道の中で膨れ上がる一方だ。いつか弾けてしまいそうなそれを忘れるように、林道は走るスピードを上げる。息が上がっても、呼吸音がおかしくなっても、林道は走るのをやめなかった。

 今の林道は弱っていた。精神的にも、肉体的にも打ちのめされていた。体は冷えてぶるぶると震える。心は芯まで凍り付いてしまったように、動かなかった。ただ、自責だけが重く林道の肩に乗っていた。もう、取り返しがつかないんだと言うことが林道にはひどくわかっていた。それが彼女を走らせるのだ。

 そうして、林道は自らの家までたどり着いた。偶然にもポケットに入っていたカギでドアを開け、家の中になだれ込む。

 濡れ鼠の状態のまま、家が濡れるのもいとわず、ベッドが濡れるのもいとわず、全てを投げ出すかのように寝転がる。

 そうして枕に顔を埋めて、歯を食いしばってシクシクと泣いたのだ。

 その日、林道は泣くこと以外しなかった。濡れて張り付き、気持ち悪い髪も、水を吸ったまま雫を垂れ流す制服も、学校も鞄もそのままで、ただただ涙が枯れるまで、泣きつかれるまでそうしたのだ。


結局のところ、林道は風邪をひき、翌日の学校は休むことになった。

高熱で頭がぐるんぐるんと回転していて、冷静に物事を考える術を持っていなかった。

今、柊先輩に会えたなら、素直に言葉を紡ぎだせるだろうか。真っ赤になった顔で林道は考える。

 起きているのか、寝ているのかよくわからない状態でも、林道の頭の中は彼女のことで一杯だった。どうすれば、きちんと元通りになるのか。そればかりを考えていた。

 何もかもを白状して、それでごめんなさいすれば許してもらえるなんて甘い考えを、林道は持ち合わせていない。柊愛梨はそれを良しとしても、林道自身のちっぽけなプライドがそれを許さないのだ。

 

 もしあの時、薄雪に殴られていれば、幾分かマシな気分だっただろうか。あの時、日嗣青春に犯されでもしていればマシになったであろう。

 罪悪感は募る一方なのに、それに見合う罰を持ち合わせていない。柊愛梨に嫌われたかったのは、彼女に罰を与えてもらいたかったのだ。今までの自分に見合うそれ相応の罰を。

 純粋な柊愛梨に似合うのは純粋なものでなくていけない。だから、不純な自分の汚いところを罰してもらいたい。なるほど、簡単な話ではないか。

 林道は咳に混じってニンマリと笑いを浮かべる。しかし、林道にとって一番面白おかしかったのは、彼女のカバンを持ってきたのが空澄メイでもただのクラスメイトでもなく、恋敵の薄雪奏だったと言うことである。

 どういった風の吹き回しだと、朦朧とした頭で考える。だけれども、答えは出ない。

 答えは出ないのだ。

 罪の意識の行き先も、罰の在り処も、薄雪奏の行動も、柊愛梨への愛情も、全てが全て。

 出たとこ勝負なのかもしれない、と彼女は思った。偽った自分を外して、本音で向き合ってそれでダメならダメなのだ。

 結局、日嗣青春からの一件の後、林道の心に生まれたのは日嗣の思い通りにはなりたくないということである。そして、彼女のようにはなりたくない、ということであった。


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