壊されたいほど焦がれている2
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「よかったっすねメイちゃん、先輩と付き合えるようになって」
そう言って林道は心からの笑顔を見せる。その声の大きさに、目の前のメイはシッと唇に手を当てるが、林道はそんな気にすることはないと言う風に手を大きく振った。
「大丈夫っすよ、今は休み時間でものすごくうるさいっすからー、聞こうと思わなき限り耳に入らないもんすよー」
「聞こうとしている人がいたら大問題だよ!」
メイは真剣な調子で林道にすごむ。大きな黒色の目がパチクリと目くばせした。
聞かれたくない相手、そう考えて林道の頭に浮かぶのは薄雪奏の顔である。彼女は多分、このことをまだ知らない。これは大きなカードになると彼女は一人、含み笑いをした。
そして、まるで誰かに聞かせるような音量で林道はメイに尋ねる。
「それはそれとして、メイちゃん。 実際問題、付き合うってどんなことをするんすかね?」
「えーと……、それはほら……」
一瞬の空白が開いて、彼女の顔はすぐに耳まで赤く染まった。それを見て林道はクスクスと笑い声をあげる。
「あらら、一瞬でゆでだこになっちゃったっすね。 可愛い顔して何考えたんっすかー?」
「そんなの教えられないよ!」
「えーいいじゃないすかー、教えても減るもんじゃないっすしー」
騒ぎ立てる林道に、もはや音量を気にしていない空澄メイ。林道はチラリと彼女の顔を横目で覗いた。
「駄目なものは駄目なんですー」
唇を尖らせてそっぽを向くメイ。その視線が彼女に向くことは一度もなかった。一日中、メイを観察していたから知っていること。そして、自分と彼女以外は知らないにであろうこと。
「しょうがないっすねー、じゃあ、この私、百戦錬磨一騎当千!――になる予定のハルちゃんがどんなことをするのか計画してみましょう!」
「ハルちゃんってそんなに経験あるの!?」
キョトンとした顔でメイが聞く。
「なる予定っすよ予定」
爽やかに笑い、眼鏡をクイッとあげる。そして咳ばらいをした林道はまるで演説でもするかのように語り始めた。
「おほん、まずはやっぱりデートっすね。 映画館なり動物園なり。 メイちゃんはどこに行きたいっすかー? やっぱり行きたいところに行かないと楽しくないっすからねー。 それでデートで楽しんで、二人のムードも高まって最後に抱きしめ合い、そこで幸せなき――」
「もういい! もういいから!」
メイが大きな声で遮る。その顔はまた耳まで真っ赤に染まっていて、その純粋さに、初心なところに林道は反吐が出そうだった。
それを必死に隠して、友達であるかのように、友達がしているであろうことを林道はメイにする。
「どうしたっすかーメイちゃん。 想像しちゃいました?」
「うう、意地悪だよハルちゃん」
顔を抑えて唸るメイを目の前ににたりと彼女は笑う。真っ白い歯が唇から覗いて、真っ赤の眼鏡の奥の、黒い瞳が燃えている。
「刺激が強すぎたようですね、二人とも」
「二人?」
その含みのある言い方にメイは聞き返すが、彼女は席を立つとニコリと笑って別のことへと話題を逸らした。
「おっといけない、もうすぐ授業すね。 私はお花摘みに行ってくるので」
林道のその笑顔に、メイはニッコリと笑って返すのだ。
「言い方が古いよハルちゃん」
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「来ると思ってましたよ、奏さん」
駆け込んだ、人気のないトイレで林道はニタリと人の悪そうな笑顔を浮かべる。
ほぼ俯いたような状態でここへ入ってきたのは薄雪奏で、その表情は長く伸びた前髪で見えなかった。
「始業式と比べるとそうっすね、髪の毛が伸びましたね。 あの頃は本当に男のみたいでしたから」
軽薄な調子で林道は奏に語り掛ける。薄暗くジメジメとしたトイレの中で、生き生きと輝いているのは林道の表情だけであり、顔を上げた奏の眼光はまるで親でも殺されたかのような勢いで彼女を睨んでいた。
「そんな怖い顔しないでくださいよ、今回のことはなるべくしてなっちゃったんすから。 しいて責任をあげるなら奏さんのせいでもあるんですよ」
そんな視線をものともせずに、林道は奏にまくしたてた。歯がガチガチと震え、足は貧乏ゆすりをしていたけども、林道の胸中は興奮で包まれていた。
今、彼女の中には目の前の薄雪奏にどれだけ厭味たらしく罵倒できるのか、それ以外なかったのだ。
「……説明しろ、林道」
低く、感情を抑えた声が奏の口から漏れた。奏の眼光は依然として鋭さを増していたが、その事に林道はびくりともしなかった
「いやーびっくりっすね、まさかこんな展開になるなんて、ハルちゃんほんとビックリっす。 まさか日嗣先輩とメイちゃんが――」
「説明しろ! 全部だ」
ついに、奏が感情を爆発させた。怒髪冠を衝くと言うのにふさわしい状態で、林道の胸ぐらをつかみ、個室の壁に叩き付ける。顔は真っ赤に上気していて、眉は吊り上がり、丸でのおににょうな形相だった。
「そんなに熱くなっちゃって、離してくださいよ、汚らわしい」
熱く燃えあがる奏とは反対に、林道はとても冷ややかで落ち着いていた。
間近でガンを飛ばしてくる奏相手に、ジロリと一瞥を返すだけであり、いつの間にか貧乏ゆすりも歯の震えも止まっていた。
「単刀直入に言うっすよ、メイちゃんと先輩がくっついちゃいましたー、ご愁傷様ですぱちぱちー」
「なんで、なんでそうなった! ラブレターだって私が処理したんだ」
「大声できゃんきゃん騒がないでくださいッす。 そんなもの私は知らないですけどね、奏さんが先輩を制御できなかったのが失敗なんすよ?」
心底うるさそうに目を細め、林道は胸ぐらをつかむ奏の手を解く。
激情を露わにしたのとは裏腹に、またがくりと項垂れる奏。長くなった前髪のせいで林道からはその表情が見えなかった。
どんなことを思っているのか、どんな顔をしているのか、いつもすました顔をしている薄雪奏が、今どれだけ壊れているのか、彼女は気になっていたが今この状況においては些細な問題であった。
「……制御?」
奏が蚊の鳴くような声で呟いた。
それを聞き逃さずに林道は瞬時に答える。
「つまり、先輩の好きなように振る舞ってあげなかったことっす。 先輩は奏さんが欲しい、だけれども手に入らない」
いつも通り、見たとおりに、自分が観察したとおりに、彼女は答え、そして尋ねる。
「そしたら、おわかりっすよね?」
「私のせいでメイが、いやそんのはわかりきっていたのに……」
奏はさらに項垂れて、壁に頭を打ち付けた。そして許しを乞うかのように天へと顔を上げる。
「メイ、ごめん、あいつから守れなくて。 でも私はもう……」
彼女の頬から涙が一粒、地面に落ちる。その透明の液体が流れるのを見て、林道は胸の中がすうっと軽くなるかのような気分に陥った。
「泣いているんすか? いい気味っすね」
もう、彼女は笑いが止まらなかった。ケラケラケラケラと壊れた人形のように声を上げる。
「返事はなし、どうっすか? 好きな人が寝取られ寸前な時の気分は? 叶わない恋をしている気分は? 私の気持ちも少しはわかったっすか?」
先程とは反対に激しい感情を見せる林道。そして奏は沈黙へと落ちていた。
「ちなみに、メイちゃんが日嗣先輩にラブレターを出すように仕向けたのは私っす。 でも、最後は本当に自分の意志で出したんすよ? 確か、奏ちゃんが先輩と仲良くしているのが気に食わない、みたいなこと言ってたですかねー?」
笑いながら林道はまくしたてる。それはマシンガントークと形容するに相応しく、その表情は今日いちばんで輝いていた。
林道がそうやって笑い続けるの対して、奏が顔を上げてにらみつける。
「……林道、少し黙れ」
しかし、その声は聞こえていないらしく林道は止まらなかった。
「あっはははは、本当ざまあみろって感じっすね! でもこんなものじゃないっすよ? これから日嗣先輩とメイちゃんには、めくるめく恋路を楽しんでもらわないといけないんすから。 奏さんにはもっと自分の恋に絶望してもらわないと――」
「黙れって言ってるのよ!」
大声と共に奏は目の前の相手を殴るべく、腕を振り上げる。林道はとっさに目を閉じる、眼鏡が壊れることぐらいは覚悟していた。全て覚悟の上だった。
だけれども、いくら待っても奏の拳は訪れなかった。その代わりにぽつり、と奏の声が聞こえた。
「……柊、愛梨」
胸の鼓動が一気に早くなるのを林道は感じた。好きな人の名前が急に出たのだ、動揺しない方がおかしい。林道が恐る恐る瞼を上げると、そこには奏の腕を持ちながら、ため息をついた体操服姿の柊愛梨の姿があった。
「……柊さん」
体操服も可愛いですね、なんていう軽口を発するべきではないだろうな、と思いながらもそれをいったらどうなんだろうな、と言う悪心を林道は感じた。
柊はすました顔で告げた。
「二人とも、教室に戻れ。 そして頭を冷やせ。 特に林道、やりすぎだ」
部外者、いや、厳密に言えば部外者ではない彼女の襲来によって二人の心はいささか落ち着きを取り戻し始めていた。だけれども、林道の心には別の悪心が芽生えているのだ。
林道は柊にその冷めた目で見られることで、形容することのできない快感を覚えていた。
「ははは、柊さん。 いいですよ、その眼。 軽蔑するようなまなざし、ぞくぞくするっす」
へらへらと笑いながら、林道はそんなことを口にしてしまう。柊の眼はさらに冷たさを増し、さらにビンタまでもが林道の頬に炸裂する。
小気味いい音が暗いトイレの中に響き渡る。
「痛いっす」
ケロリとした、痛みも感じさせないような表情で林道は言った。
もはや顔色が真っ白になった奏。無表情で二人を見つめる柊。ただ一人、林道の眼だけが爛々と輝いていた。
柊が奏の手を離して、小さな声で呟いた。
「僕はもう行く、あとは知らないから」
それと同時に、チャイムの音が校内中で時間の区切りを告げた。
初めに柊、そして続くように奏がいなくなってトイレには林道一人だけが残る。
彼女はいつものように意地の悪そうな笑みを浮かべ、未だジンジンと痛みの残る頬に手を当てた。
「……痛いっすね」
どこか胸の奥の方にあるであろう心が痛むのを感じた。林道はゆっくりと息を吸い、そして地面にへたり込む。
こういう時に泣けたら楽なんだろうな、と自嘲して見せるがその笑顔はどこか儚く、どこまでも壊れているのは、林道自身にも明白であった。




