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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第三部
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壊されたいほど焦がれている

遅くなりました

 彼女、林道ハルにとって今日という日は幸せな日であった。彼女の身を包む暗い世界の中での苦渋にまみれた幸せ、それを感じることが出来たからだ。

 その幸せになる原因を作り出したのは、ここしばらく懇意にしていた(そら)(すみ)メイという女の子と、日嗣(ひつぎ)青春(あおはる)という上級生であった。空澄メイは林道自身の恋敵の好きな女の子であって、日嗣はその恋敵の恋敵であった。端的に言うと、恋敵の好きな人と恋敵の恋敵が「お付きあい」を始めたのである。

 そんなややこしい関係性を思うと彼女は口を開けて大笑いしたくなるが、その末端に自分も入っているのだと思うと、ついてでるのはため息である。


「で、それを私に報告するのはどういてだい?」

 目の前でアーモンド形の瞳がパチクリと瞬きを繰り返す。アレ以降バッサリと切ってしまった短い髪が揺れて、石鹸のような品の良い匂いが林道の鼻を刺激する。

「それはあれっすよ、柊さんにもチャンス到来!みたいな感じっす」

 林道自身、嘘くさいことを言っているな、と思った。誰から見ても柊相手にこの話題は悪手、避けた方が良いことは一目瞭然だからだ。林道は柊が眉を寄せていい顔をしないのに薄い喜びを覚える。

 柊が昔告白したことがあるのが林道の恋敵、その恋敵が恋に破れたという言葉で言えば単純明快な話であるが、言葉以上にそこには気持ちが横たわっている。

 林道は柊のその気持ちを刺激するのが楽しかった。そうでもしなければ、彼女はこちらに向いてくれないからだ


 園芸部と写真部の共同部室。元々、部員数の少ない写真部に園芸部のオフ日が重なって、部屋には今、柊と林道しかいなかった。二人きりという状況、林道は少なからず今と言う時間に幸福を感じていた。


「そうだね、君の言う通りチャンスめいたものが生まれたのかもしれない」

「そっすよ! 傷ついたところに柊さんが甘―い言葉をかけてあげれば薄雪(うすゆき)なんてイチコロっすよ」

 林道はオーバーに腕を振りながら、柊に迫る。

「でも、私はそれを望んでいない。 それを君も知っていながら言っているんだろう?」

 部室の窓に掛けられたカーテンが揺れて、冷たい風が吹き込む。

 差し込む夕焼けのオレンジの中で、柊の黒い瞳が林道を見つめていた。

「先輩は――、そうやって苦い恋の中に囚われているのを望んでいる」

「忘れたくないことなんて、人にはたくさんあるだろう? でも、人は忘れてしまう。 私はできれば覚えていたいんだ。 たとえ、辛いことがあったとしても心が叫んでいるうちは」

 柊は真剣な顔をしてそう呟いた。

彼女が纏う悲壮感のせいか、一気に部屋の温度が下がったような気がして、林道は大きく息をついた。ゾクリとした悪寒を感じながらも、林道は彼女との距離をそっと詰めていく。

「それは嘘っすよ、詭弁の類いです」

 ジリジリと彼女たちの間は狭まっていき、最後にはわずかな距離を残して向き合う形になる。

「柊さん、いえ愛梨は忘れたくないんじゃなくて、忘れられないだけっすよ」

「……林道、君はよく人を見ているね。 君の言っていることは客観的に見ると正しいことかも知れない」

「ハルって呼んでくださいっす。 いつもみたいに」

「いや林道、君はきっと正しいし、他のみんなもそうやって私に新しいことを勧めるだろう。 けどさ、そうじゃないんだ」

「……そうじゃないんすね」

 冬の冷たい空気、それは両者の肺を満たす。柊が露わした一種の否定に、林道は暗い喜びを感じていた。まるで、汚いものや虫を見るかのような目つき、それが自分に向いていることがたまらなく彼女を興奮させる。


 ――好かれることがないのなら、いっそ嫌われてしまう方がいい。


 そうすれば、彼女の心の中に住み着くことが出来る。林道は彼女の中にたくさんいるモブにはなりたくなかった。彼女が選ぶほんの一握りの特別。それは林道の中の憧れだったのだ。


「本当に、好きなんですね。 薄雪奏のこと」

 吐き捨てるように林道は言う。それを見て、彼女の憧れは困ったように苦笑するのだった。

「君は大層彼女のことを嫌っているみたいだね」

 嫌いなんてものじゃない。嫌い嫌いの最上級を超える林道の中の特別。憧れの人の憧れ。できれば苦しんで死ね。さもなければ、永遠に叶うことのないものを抱いて溺死すればいい。薄雪奏の顔が脳裏に横切るたびに、林道は心の中で呪いのように唱える。


「――だって、先輩の中から消えてくれないっすからね」


 柊はそれを聞いて何も言わなかった。ただ、夕日が差し込む中、憐れむような微笑みを浮かべたまま立っているだけであった。

 風が吹いて、どこからか煙草の煙を林道は感じた。自分の周りを滞在するその薄い空気の層が彼女はとても嫌いであった。


「髪、切っちゃったんすね」

 元は腰ほどまであった柊の髪を見て、林道はつぶやく。林道が慣れ親しんだ彼女の長く艶やかなその片鱗はもう存在せず、肩よりちょっと短いくらいのおかっぱ風ショートカットになっていたのだ。

 似合っていない、わけではない。むしろ似合っている。似合っている、のだけれどもその短い髪は、林道に薄雪奏の姿を思い出させた。


「今さら、それについて言うんだね」

 柊は少しだけ口元を緩くして、目を細める。

「あまり、触れたい話題でもなかったっすから。 私、柊さんの長い髪が好きだったんすよ」

「それは、なんというか光栄な気がするよ」

「……ほら、私癖毛っすから。 柊の超弩級ストレートに憧れたんすよ」

 林道も作ったような満面の笑みをみせた。

「……憧れ、か」

 ポツリ、と彼女は呟く。

「いつまで、人間はそれに踊らされるっすかね」

「きっといつまでも、さ」


林道は机の上に無造作に置いていた自分のカバンを手にする。暗闇が、空を覆いかけていた。

「日嗣さんによろしくっす」

 林道はシニカルに笑みを浮かべて、部室の扉を押す。しかし、「待って」と柊が呼び止めた。

「君と日嗣はそう、知り合いだったかな」

「直接関わったことはないっすね。 でもあちらは有名人さんですし、こちらが一方的に知っている感じですかね」

 扉に手をかけて、林道は彼女を見返した。

「でも、かなりお世話になってますよ。 やっぱり一方的にっすけど」


 それだけ言うと、林道は部屋に背を向けて、薄暗い廊下へと消えていくのだった。

 彼女が出ていった扉を通して、肌に吹き付けるような風が吹く。柊の短い髪がパラパラと揺らされる。

もうすぐ冬になる、とどこかの誰かが呟いたが、その声はきっと誰にも届かなかった。


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