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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第二部
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透明な嵐は私に慟哭を促す その4


家に連れ込んだ。結局、一人になってしまったそんな家に、私の寂しい城に。

帰ってくるなり、彼女が足を踏み入れるなり、私は手を引き彼女をベッドの上に押し倒す。そして暗いままの室内で激しく抱きしめた。


髪からはタバコの臭いがした。そんな彼女は何も抵抗を見せない。ただ、そこで私のことを見つめていた。

 彼女の服の隙間から、傷跡が見えた。その生々しい跡に私の胸はどきりと跳ねる。

 だから、それを誤魔化したくて、私は奏の耳元で囁いた。

「肌、綺麗だね」

「……先輩のほうがきれいですよ、私のなんて浅黒くて、白くなくて、女の子らしくもない。ーーそれに」

 彼女の言うように、それは余り褒められるようなものではない。暗い照明に浮かびあがるその背中には、小さく丸い火傷や切り傷やよくわからない痣が多数あった。私はそれを手で、一つ一つなぞりながら呟く。

「同情なんてもう飽きているよね」

「本当、そうですよ」

 私はその背中を塗り替えるかのように唇を添わせた。くぐもった声が奏の口から洩れる。

「声、可愛い」

 一つ、傷が増えた。唇の形の痣だった。彼女は猫のようにベッドの上に寝転がる。私はそこに覆いかぶさった。私の長い髪が垂れてきて、世界から私たちを覆い隠す。ベッドと彼女と髪、目にはもうそれ以外見えなかった。


 彼女は私を見つめる。とろんとした眼差しは私に一種の征服感を抱かせた。

 こうなったときにみんな言うセリフ。聞き飽きたそれは彼女が言えば最高の興奮剤だった。

 胸を掻き抉るようなその表情や仕草、そのすべてが私を興奮させた。彼女が腕の中にあるという錯覚と陶酔が私を最大級の幸福で包んだ。だけれども、この時が過ぎれば、私はそれが本当ではないことに気づくのだ。

 今は好きの延長線上にあるけれども、好きは今と繋がっていない。

 やはり、張りぼてなのだ。


 薄がりの部屋。誰かが動いているような気配で目を覚ました。生々しい臭いはとれておらず、こびりつくのは嫌だな、と起き抜けの頭で思った。

 高校入学と同時に始めた一人ぐらし。この部屋と付き合うのも二年近くになる。思い入れも一般人程度には感じている。だけれども、所詮部屋だった。

 親が買ったマンションの部屋だ。本当に私の物だというわけではなかった。、でも、安いワンルームを自分の力を含め、苦労して借りていくよりも、親のマンションのほうが良いというものだ。それに、今日のように誰かを連れ込んだりするときに、ワンルームでは少し狭いものだろう。

 広々としたベッドを使えるのも利点の一つだ。

 ふかふかのベッドに並んでいるはずのもう一人がいないのを私は確認して、暗がりでうごめくそれに声をかけた。

「ねぇ、そんなに見たかったの?」

「……そりゃ見たいですよ」

 きっとそこにいるであろう女の子が。明かり代わりに使われていたのか、携帯の明かりが彼女の形のいい太ももを照らす。それと、爛々と光る眼だけがその姿を現し、私を凝視した。

 片手には薄らぼんやりとした空澄メイからのラブレターがあるのだろう。一度読んだはずのそのラブレターを思い出してみる。私の頭の中で彼女からのラブコールの内容が薄らぼんやりしているのは暗さのせいじゃないだろう。

 私は立ち上がって声をかけた。

「明かり、点けよっか」


「はい、コーヒー。 落ち着くよ」

 椅子に座り、項垂れたままの奏に私はそっとコーヒーを差し出した、フレッシュと角砂糖も一緒に、小皿に乗せて。

台所で私はブラックのままのコーヒーを啜る。電気をつけたはずなのに、この家の雰囲気は最悪と言っても良かった。寝るまでの情熱的なアバンチュールまでもが、すべて、冷めてしまうくらいに。

「で、どうだったのよ。 ラブレターを読んだ感想は」

 そう投げかけてみるも、彼女からの返答はない。瞳は虚ろなまま、ピンク色のその封筒を映すばかりだ。

「だんまり……ね」

 私は椅子を引いて、奏の体面に座った。

「薄っぺらいよね、彼女の」

「どういうことですか」

「言葉通り。 全部が全部ぺらっぺらのハリボテよ。 まるで……ね」

 まるで私みたいだ、なんて言葉は喉奥で引っかかって上手く出てこない。

「ガワだけを見て、相手を理解しようとしないで、ただ一方的に好きを押し付ける。 愛のテロリズムよ」

「……アオハルさんはわかっていない。 私がそれをどんなに欲しいのか。 私がどれだけ彼女を愛しているのか」

 奏は私をキッとにらみつける。私は卑屈に笑う。

「知らないよ。 それに彼女は奏が愛するに値しない人間だと私は思っている」

「じゃあ、青春さんなら私が愛するに値するんですか?」

 彼女はヒステリックに叫ぶ、真夜中の部屋の中で。LEDは私たちを照らす。とても、とても明るいものだ。夜にしては明るすぎる。それでも、私たちの心までもは照らしてくれないのだ。

 照らされない、私の彼女への思いはぐずぐずと腐っていく。私と言うものが汚れていて穢れていくから、私の中の愛もきっとすぐに汚れ、腐り、崩れるのだろう。


「値するって言えば、奏は私を好きになってくれるの? 愛ってのはさ、そう言うのじゃないでしょ……」

 私はそっと奏の頬に向かって手を伸ばす。だけれども、その手は、指は届かない。

「私はあなたが嫌いです」

 奏は私の眼を見て、私ときちんと向き合ってそう言った。

「知っていたさ。 そう、知っていたはずなんだけどな」

 私は愛に届く人間だと、いつから思い上がっていたのだろう。なぜ彼女が私の思い通りに動いてくれるだなんて思っていたのだろう。いや、今まではその考えは一部正しかったのだろう。しかし、私が手を出さなくとも、向こうが手を出してきたのだ。

「……私は空澄が嫌いだ」

 少しだけ、ほんの少しだけ迷って私はそう口にした。彼女の凛々しい目は、私をジッと見ていた。私はそれから逃れるように、ぬるくなったコーヒーを飲む。それはとても不味かった。


「空澄は奏に愛されている。本当の好きに包まれている。 ……私にはそれがとても羨ましい」

「青春さんだってメイに愛されている!」

「だってあれは本当の好きじゃない!」

 私は叫んだ。奏の欲しがるそれを偽物だと吐き捨てた。だからどうだと言うのだ。私が彼女を嫌っていようと、私自身に全くダメージはない。だけど、胸が痛むのだ。ズキズキと痛むのだ。

 いつの間にか奏は泣いていた。頬を濡らすそれを掬い取ることも、拭い去ることも、今の私にはできなかった。

「本当の好きって何ですか? さっきみたいにするのが好きってことなんですか?」

「……そんなの、知らないよ」

 私は泣いた彼女をリビングに置き去りにして、ベランダへと繰り出した。彼女のすすり泣き、時折漏れる声がバックミュージックのように私に耳に届く。

 夜だと言うのに、街は明るい。街灯はそこら中でキラキラと輝いていて、目の前のビルでは窓に光がともっていた。街は眠らない。眠るのは人だけ。

 持ってきた煙草を口にくわえ、そっと火をつける。ブラックデビル・チョコレート。最近変えたその銘柄はビターチョコの味わいがある人気の洋モクだ。しかし、そのチョコの香りも、甘い煙も、今の私には苦かった。今の私にはどんな甘味料だって、苦くなることだろう。

 別に、私は今、恋をしているわけではないのに……、と夜の風に煙と一緒に言葉を乗せた。それはすぐに崩れ去り、世界の中に溶けていくのだ。口に出した言葉を戻すことは不可能だ。言葉だけじゃなく行動や選択も、都合のいいことにはならないのである。


 それから、私はベッドに戻る気になれず、リビングのソファで一夜を明かした。朝になると、テーブルの上には目玉焼きとみそ汁とともに書置き。

 『ありがとうございました』と昨日の夜のことも感じさせない素っ気ない文。どことなく、彼女らしいなと思って頬が綻んだ。

 電子レンジであっためたみそ汁を啜りながら、私はトーストをオーブンに突っ込む。こんがりといい色がついたそれに、目玉焼きを乗せ、塩コショウをかけて食べる。

 自分で作るよりもとてもおいしく感じた。きっと、奏はいいお嫁さんになるだろう。そんなありもしない未来。

 部屋のあちこちに彼女の温度が残っていた。昨日の夜のあの諍いや、あの情動運動。二人が生み出す空気、その残り香の感触が、私にはとても尊いものに思えた。たとえそこに、一方通行の好きしかなくとも、私はあの夜に酔いしれていた。私が彼女の中に溶け出すような感覚、私はそれをもう一度味わいたいと思った。もう一度、奏は私のところに戻ってくれるだろうか。昨日を思い出すように、私は自身の腹部に手を添える。


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