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ユダツリーは花を咲かせない。  作者: ゆりーいか
第二部
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透明の嵐は私に慟哭を促す その2


 秋とは言え、校舎裏は寒い。ついこの間まで、赤く染め上げられていた空も、今ではすっかり片付いている。人の気配も情緒もなにもないここは、こっそり悪さをするには持ってこいだった。

 例えば、校内でサボったりしていてもここでは誰にも咎められない。校舎裏の半分くらいは私の私有地と言ってもいいのではないだろうか。つい先月ほどまでは占有までもしていたのに。

 そう、先月頃からだ。彼女が現れた。


「ねぇ、なんで日嗣さんはタバコ吸っているんですか?」

 私と同じように煙をくゆらせる彼女。自分が勧めたとはいえ、爽やかなその風貌にタバコは似合っていなかった。彼女の吸うマルメンの煙が目に入る。少し、心に滲みた。

 切れ長な目がこちらを見つめていた。背の高さならば彼女はダントツなので、私は見下ろされる形になる。私は煙草の煙とともに、大きく深呼吸する。


「なんでって……。 そういう薄雪は何で吸っているの?」

 その目をしっかりと見つめて、私は逆に彼女に聞いた。質問を質問で返すなぁーっと怒られないですむのは私が先輩だからか、それとも彼女がただ会話をしたいだけなのか、女学院の妙である。

「そうですね、日嗣さんと一緒にいたいからって言ったらどう思います?」

 そう言って爽やかに笑ってみせるのは薄雪奏。今の笑顔だけで校内の女子は皆一様にオチることだろう。

薄雪奏は学内でも有数の美少年系美少女だ。そんな彼女が真面目くさって臭い台詞を口にするので、私も思わず笑う。それと同時にその言葉の裏を掻きだした。


「かわいいこと言ってくれる。でも、その一緒にいたいは、愛しのあの子に手を出させないためでしょう? いわば監視的な?」

「……そうですね」


 少し戸惑って奏は答える。彼女が吐き出す煙が風にまぎれて薄れていく。それを、目で追いながら私は言った。

「あの子を守るためにキスまでしちゃうなんて、薄雪は本当かわいいね」

 そう、キス。彼女と私はキスをした。特に意味のない唇と唇の交わりだ。簡単に言えば、薄雪は同じクラスの子が好きだ。そして、その子は私にあこがれを抱いているらしい。だから、彼女は私とキスをした。


 ただ、それだけのこと。


 薄雪はまるで吸った煙が苦いかのように、苦笑して言った。

「先輩がそう思っているならいいですけど、私は何もない人間にはキスなんてしませんよ。私は先輩みたいなビッチじゃないですからね」

 きっと、薄雪も私のことが嫌いなのであろう。見え透いた嘘は私の心を掻き立てる。

 そっと、彼女の頬に私はキスをした。柔らかなその感触と熱さを私はそこで感じる。

「また……。タバコ持ってるのに危ないですよ」

「嬉しいことを言ってくれるから」

 ケラケラ。薄雪は少し困ったように笑った。彼女が私に嫌みを言うなんて向こう百年は早いのだ。

「ま、いつまで続くか見物だけれどね」

 いつまで、私のそばに居られるか。好きな子に嫌われても、その子のために自分を捧げられるのか。私はそう遠くない未来を思い浮かべた。

「日嗣さんは嫌味ばっかですね」

 彼女の眉がハの字に曲がる。薄雪の耳に吐息がかかるように、私は囁いた。

「薄雪が苛め甲斐あるからいけないの」

 そう言っても、薄雪は何も感じていないらしく、しれっとした顔で私から体を離した。


「で、先輩はなんでなんですか?」

「あ、やっぱり気になる? 私のこと」

「気になります。気になりますとも。気になりすぎて一晩が千の秋に感じるぐらいに」

 軽口で返すと、彼女も軽口で返してくる。薄雪奏という人間は日嗣青春という人間をようやく理解し始めたらしい。

 私は少し考え込む。タバコを吸うという不良行為を行うそれらしい理由。そう、カッコつけるならこれだ。


「うーん、早く死にたいからかな」

 私は笑顔で薄雪に言い、「笑っていいよ?」と付け加えた。

「笑いませんよ」

 こういう時、どんな顔をすればいいのかわからないの、といった風に彼女は眉をひそめた。そして、悲しそうに微笑みを浮かべて言うのだった。

「日嗣さんって捻くれてますよね」

「薄雪はまっすぐだけどね」

 へらへら笑いながらそう言うと、薄雪は俯く。


「そんなことないですよ、私はすごく汚いです」


 薄雪の短い髪が風に揺れる。爽やかさを感じさせる柑橘系の香りとともに、風に混ざるのは煙の匂い。私は鼻腔に含まれるそれを吸いながら、薄雪を励ます。

「そんなことないさ、好きがはっきりしている。 自分がはっきりしている」

 こんな言い草。本当のところで彼女に抱いている印象だ。ハッキリした彼女は、ハッキリしていない私と違ってきらめいて見える。

 その煌めきが私のせいで濁ってしまうのはもったいないと思うのが半分と、汚して、穢してしまいたいという心が半分。

 私は背の高い彼女の頭を無理をして撫でる。

「好き、ですか。 ……日嗣さんは本当の愛ってなんだと思います?」

「本当の愛……」

 私は姿の見えない、理想だけのそれを思い浮かべる。本当は現実が見えているくせに、なんてちょっとだけ自嘲した。

 そして、少し前に愛梨とした話を思い返した。


「一つ言うことを聞いたら教えてあげる」

「先輩はいつも交換条件を出しますよね」

「いけない?」

「先輩のそういうところ、嫌いじゃないです。 人を信用していないかのようなところはね」

 私はその言葉を黙って聞き流した。彼女は本当に、私と言う人間をわかり始めてきているのであろう。それがどこか、嬉しく感じた。

「それで、どんなことですか?」

 薄雪は小首を傾げて聞き返した。その答えを私は笑顔で言う。

「これからは私のことを下の名前で呼んでみて」

「青春……,

さんですか?」

 アオハルサン。言われ慣れていないその発音がどこかくすぐったくて、本当に嫌だった。


「そう、私、自分の名前が嫌いだからさ」

「またなんで……」

 薄雪は複雑そうな顔をした。それでも、私は彼女に呼んでもらいたいのだ。自分の嫌いな名前を、嫌いな他人に。

「奏の言うとおり、捻くれてるからね、私」

 なんて自らを嘲笑して見せても、もう、誰も笑わなかった。


 風が吹く。暗くなった空からの冷たい北風。スカートを攫い、煙を攫っていく。

 私のことも、どこか遠くに攫ってくれればいいのに。


「本当の愛はさ。 本当でしかないの。もし、愛に意味づけするなら私はそう言うかな。 どんな状況だって何にも混じらずに、隠れずに本物だってわかる。 誰に邪魔されようと、何が起ころうと、その人を好きでいられる。 一生、永遠に」

 私は夕闇に紛れて光る、かすんだ星に向かってそんなことを語った。


「どう? 素敵だと思う? 私は、そんなの辛いだけだと思うのよ」

 奏の眼を見て、私は言った。切れ長な黒い瞳の中の私は暗く微笑んでいて、それを消し去りたくて、私は思わず奏にキスをする。

 まるで煙のような意味のない口づけ。目を閉じた彼女の睫毛を私が眼前にあって、綺麗だな、とふと思った。もし、彼女が好きな空澄メイが私にずっと憧れを抱いているのならば、奏もずっと私の傍にいてくれるのだろうか。

 心の底で浮かんだそんな考えに。一人でクスリと笑った。


 人は弱い。自分一人の力では本物を認識できない。本物も、本物の偽物も全て同じに見えてしまう。

 私だってそうだ。何が本物で何が偽物かがわからない。だから、全てに指をさして偽物だと笑うのだ。

 簡単な話だ。至極簡単な話。

 世界には真実が溢れていて、本物ばかりが漂っている。誰もが本物を抱えていて、誰もが偽物のプラスチックだ。

 脳が行う、刺激への反応を感情と呼び、性欲への運動を愛と呼ぶ。結局、人間を人間たらしめようとするのは人間だけで、誰も、人間にそんなことを矯正していないのだ。

 だから、だから辛い。


 辛いならやめてしまえばいい事なのに、私は未だ、全てに意味をつけようとしているのだ。誰も私に強制していないからこそ、私は不安に思うのだ。


「本当の愛は本当でしかない、ですか」

「そうだけどさ、そんな意味付け自体が無意味なんだよ。 人生の意味だとか、人のいる意味だとか、そんなのは全部全部無意味なわけ」

 薄雪奏だってそうだ。自分の不合理な恋愛感情をなにかしら正当化したくてたまらないのだ。自分一人だけでははっきりとしないそれを誰かに定めて欲しいのだ。

 煙のような感情。そこにあるということは理解できるのに、掴むことは永劫にできない。私の目の前には誰かが誰かを愛するという恋愛感情がある。でも、それは私の中にはないのだ。その片鱗さえも、一度も感じたことがない。


 俯いた奏の肩にそっと手を置く。

 この手で彼女を、彼女の中にある恋愛感情のように爆弾に変えてしまって、跡形もなく爆破できればいいのだ。

 自分の感情に悩み、憂い、自身を私にささげる彼女。

 一心不乱に恋に身を挺する彼女。そんな薄雪奏と言う少女と接するたびに、心の中を掻きむしられるような気分になる。


 きっとそれに名前を付けるならば『嫉妬』だ。

 自分にはないものを持っている彼女が妬ましい。自分とは違って人を愛することが出来る彼女が羨ましい。だから、だからこそ、こうやって彼女をつかむのだ。

「ひつ――アオハルさん?」

 顔を上げたのと同時に、体を滑り込ませ、私は彼女の唇に自分のそれを重ねた。

 唇の隙間から舌を滑り込ませ、その熱い口内で粘膜同士を触れ合わせた。

きっと、交わるのは唾液や温度だけでない。

例え、私が人を愛せなくとも、愛の味を感じたい。その様子を感じ取りたい。


 酸欠のせいで頭がくらくらしてるからか、赤くなった奏の顔はかなり扇情的に見えた。ゆっくりと背中に手をまわして、少女の感触を私は確かめる。

「青春さんはキス魔ですよね」

 私の腕の中で、奏は嬉しくなさそうに言った。そんな姿に私は苦笑する。

「奏が可愛くて苛めたくなるからいけないのさ」

「私なんて可愛くないですよ。 ……可愛いっていうのはもっと」

 彼女はいつも否定から始まる。薄雪奏のその凛々しく、美しいその外見は彼女にとってはコンプレックスのようだった。

 そんな彼女の思いとは別に、私は奏の顔や声や仕草が気に入っていた。多分彼女の言う可愛いと言うのは、私と思うそれとは違うのだろう。

 外見だけのかわいらしさ。そう、例えば――

「空澄メイみたいな?」

 奏の顔が強張る様がありありと見えた。彼女の大切な大切な女の子。どこがいいのか全く持ってわからない女の子。空澄メイはどうやら私のことを好いているらしいのだが、私にはあまり関係なかった。


「そんなに怖い顔しないでよ、別にこっちから取って食べちゃおうなんて思ってないから」

 関係するならば、薄雪奏をここに縛り付ける鎖のようなものか。

 私は囁く。


「奏の方が私は好きよ」


 好き。この好きはいったいどういう好きなのだろうか。形だけの嘘の好き。苛めることが出来るから好き。反応が可愛いから好き。嫉妬のような憧れのような好き。私の中でも定義づけされていないそれを声に出して言う。


「……そりゃどうも」

 彼女は眉をひそめる。何かがひっかかっているような感じ。奏は私の言葉をお世辞やからかいのたぐいだと思っているのだろう。

「嬉しくなさそうだ」

「私は自分のことが、その、あまり好きじゃないのでそんなこと言われてもピンとこないんです」

 ぼそぼそと奏は口からこぼした。コンプレックス。外見上でのそれを一言で片づけるにはあまりにも他人事だろう。私は彼女を強く抱きしめて言った。

「……やっぱり言葉は駄目だね、誤解の元だ」

 私を突き動かすのは何だろう。嫌悪感、それともどうしようもない悪心か。もしくは憐れみ。そして――


「知らない? 星の王子様」


 きょとんとする奏に私はふわりと笑いかけた。

「知ってますけど、唐突に言われても反応しようがないですよ」

「キツネっていう登場人物がいてね、私はそいつが好きなんだ」

 サン・テグジュエリの書いた小説。私があれを読んだのはいつ頃だっただろうか。その頃の私は、『本当に大切なものは目には見えない』なんて本文中に出てくる言葉を馬鹿にしていた気がする。

「確か、王子さまと仲良くなって、良いことを言うキャラですよね」

 奏は私の腕の中で思い出すようにゆっくりと呟く。『良い事』とざっくりと定義してしまえばそこまでだ。それは哲学書をただ読むだけの行為と同じだ。

「そうさ。 ……ねぇ、奏は私のこと、懐かせてくれる?」

 そう、彼女の耳元で囁く。奏は耳が弱いらしく、息を吹きかける度に身をよじらせた。

 きっと、私が何を求めても彼女は拒まない。

「あっ」

 何も返事をしない彼女に、私はまた、そっと口づけをした。

 煙の味のキス。きっと答えのない彼女の問いに、蓋をするように、私は舌を絡ませるのだ。

 私はあの小説の内容を思い出して、問う。

 ――本当に大切なことなんてこの世にあるのだろうか。



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