第一章第三節『Ministering Angel(白衣の天使)』
気象庁による梅雨明け宣言から一か月。
連日嫌味なほど晴れ渡る初夏の今日この頃は、日照時間も次第に長くなりつつあり、俺が自宅の二階建て一軒家に着いた午後6時半頃にはまだ外は明るかった。
「あ、お帰りお兄ちゃん」
「おう、ただいま」
玄関扉を開けてすぐ、妹の由理と鉢合わせた。タンクトップの上からスウェットという部屋着姿の妹は、現在俺の二つ下にあたる中3―――つまりは高校受験生である。
鳶色の瞳は年相応にくりくりと大きく、少し茶のかった背中まで達する黒髪は、うなじでまとめてまっすぐ後ろにたらしている。学業優秀で人当たりも良い事から、学校でもなかなかに人望があるらしい。
両親が家を空ける事が多く、仕送りを元に二人で自活する事が最早習慣となった汐崎家。
家事は主に俺が掃除,洗濯などハウスキーピングを、妹が料理,買い物などの日々の暮らしを担当しているのだが、そんな家庭環境の中でもはねっかえる事なくとてもいい子に育ってくれた事を、妹に感謝したい。
「あ、お兄ちゃんちょっと待って」
そのまま靴を脱ぎ、自室に着替えに行こうと階段に向かったところで、妹に呼び止められた。
「ん? どうした?」
「えっとね、ちょっと待ってね」
妹はそう言って、玄関入ってすぐ右手にあるリビングに走り、電話台から一通の封筒を手にとって戻ってきた。その手には一通の封筒が握られており、それをまるでプレゼントを見せびらかすように「ジャーンっ!」と顔の近くに掲げた。
「お母さんとお父さんからのエアメールだよっ! 一緒にあけようと思ってお兄ちゃん帰ってくるの待ってたんだから」
封筒は確かに縁が赤・青・白のストライプになっている国際郵便専用封筒で、受け取って見てみると消印は中東国の一つになっていた。
ちょっと補足的な付け足し事項になるが、俺たち兄弟の両親は二人共、定期運送用操縦士資格を持つ航空機操縦者―――いわゆる機長クラスのパイロットだ。
とは言え、何処かの大手航空会社で大型旅客機を飛ばしているとかではない。むしろ国内の大手航空会社に勤めていてくれた方が話はもっと変わっていただろうと思う。俺たち兄弟の両親は、彼ら自身の会社で、大型貨物機の操縦桿を握っているのである。
あまり詳細までは話してくれた事がないが、二人は個人経営の国際運送会社を経営しており、アシスタント数名を含む一つのチームで世界各地を転々としているらしい。元々同じ航空会社のパイロットだった二人は、結婚を期に父さんの夢であった独立を果たし、培ってきたコネと腕をフル活用して、その界隈では一定の評価を得るパイロット(自称)となったのだと聞いている。俺たちが幼い頃はまだ雇用パイロットだったと聞いているが、幼かった俺たちにその記憶はない。
とにかく、そういった事情で、両親とも海外にいることが多い。家には年に二、三度しか帰ってこないために様々な苦労もあったが、そのおかげで俺たち兄妹が不自由ない生活を送れている事を思うと、あまり文句は言えないだろうとは思う。
「へぇ。二人からの手紙なんていつ振りだ?」
「ん~。年末年始は帰ってきてたけど………それを入れなかったら多分7,8ヶ月ぶりじゃない?」
「本当に久しぶりだな。すぐ開けようか」
「うん、そうしよっ!」
由理と一緒にリビングへ行き、ペーパーナイフで封筒を開ける。中から、礫砂漠を背景に現地の人達と並んで写る父さんと母さんの写真が出てきた。二人共日に焼けた顔でこちらに楽しそうに笑いかけていて―――とりあえずとても元気そうだ。
写真と一緒に同封されていた手紙は、いつも通り母さんの筆跡だった。
元気か、という問いかけから始まり、年始に早速インドに飛んだ事。そこでしばらくインド国内での輸送を担い、現地のだれそれと親しくなったという事。そして更にドイツ、イタリア、アフリカ北部、中東と、ヨーロッパを中心に回っていた事。最近の父さんとののろけ話。次の目的地と家を空けていることに対する謝罪。そして、締めは健やかに過ごしてほしいと言う言葉で結ばれる。
実に便箋8枚に渡る長い手紙だったため、手紙を二人して読み終わった頃には6時50分を回っていた。
「二人共元気そう。よかった」
由理が満足げに鼻を鳴らし、立ち上がってリビングの壁かけからエプロンを手に取った。
「それじゃあ、これからご飯作るね? 今日はお祝いに腕に縒りをかけてつくっちゃおっかな~」
エプロンをかけながら、由理は嬉しそうに笑って、台所の方に歩いていく。俺は置きっぱなしになっていた自分のかばんを取って、台所に向かって声を掛ける。
「じゃあ、着替えてメールだけチェックしたら降りてきて俺も手伝うよ」
「オッケ~。早く降りて来てね」
「あいよ」
出るついでに机の上の手紙を封筒にしまい、電話台に置く。本当に、元気そうで何よりだ。写真に写る二人の笑顔を見て、心底そう思ったのだった。
二階の自室に入って、制服のブレザーをかけると同時にパソコンを立ち上げる。着替えをしながら受信メールをチェックすると、何通かの商業メールの中に見慣れたアドレスが一通混じっていた。
「鈴木先輩か。こっちの連絡も随分と久しぶりだな……最近は部活にも顔出さないし」
鈴木先輩―――フルネームは鈴木禎一というのだが―――この先輩こそが、增原女史と共に軍事研を創設した張本人だ。それだけでなく、新入生歓迎会の席で、全校生徒の中から現軍事研会員の二年女子三名を一目で軍事オタクと見破り、その場で口説き落として勧誘したというとんでもない伝説の持ち主でもある。
そんな軍事研の大先輩である彼女だが、目下受験生ということもあってか、最近は授業終了と共に自宅直帰コースをとっているらしい。
つまり、部活であまり会わなくなっているのだ。
それが一体、なぜ急にメールを寄越してきたのかと少し身構えてメールを開いてみると、そこにはたった一言、非常にシンプルな文面が書かれていただけだった。
「ぼっちなう」
今日はよくよく脱力に縁のある日らしい。
そりゃまあね。高校受験と違い、大学受験者ともなれば一人黙々と勉学に励まなければならないという事も圧倒的に多いんだろうけどね? しかし、鈴木先輩にはちゃんと同居する両親と文字通り兄弟が一人ずつ、それに祖父母が居たはずだ。天涯孤独どころか、賑やかな大所帯のはずだ。それなのに「ぼっちなう」とはどういうことか―――そしてこの内容を携帯でなくPCに送ってきたのは一体全体何故だ。
とまあ、そんな内容のメールを携帯から送ると、ほとんど間を置かずに携帯に
「PCメールに送ったのはちょっとした手違いなんだよ?
ちなみに、今うちの家族全員ハワイに慰安旅行に行ってるの。お爺ちゃんお婆ちゃんも一緒に。皆来週の月曜まで帰ってこないし、家中ひっそりしててペンを走らせてる音が超わびしい……」
と絵文字付きで返ってきた。
イヤ………と言うかご家族支えてやれよっ!?
確かに何でもかんでもやってしまうのもどうかと思う。だけど、その待遇はあんまりにもあんまりじゃないのか!? そりゃ後輩に「ぼっちなう」とか送りたくもなるわ。慰安目的だというのなら、受験生をこそ気晴らしに連れてってやれよ……。
ちょっと考えた挙句、気を使って「携帯メールでなら話し相手になりますよ」と返しておく。本当なら電話とかの方がいいのかもしれないが、俺も料理の手伝いやらで電話の応対はできない。由理なら「別にいいよ。電話して上げなよ」なんて言いそうだが、両親不在の中、妹に料理等を丸投げしているのもどうかと思うのでそこは譲れない。
メールの送信完了だけ見届けて、携帯を部屋着の後ろポケットに押し込むと、俺は階下に足を向けた。
ヴ――――っ
夕食後、 リビングのテレビを見ながらくつろいでいた俺のポケットで、携帯が振動した。
あれから連絡が途絶えていた先輩がやっと返信してきたものと思って携帯を開くと、差出人は以外にも鮎川樹だった。
メールの件名は『鮎川ルート、入りますか?』だ。
何というか、いつも通りの鮎川だ。確実に嫌な予感しかしないメールを送ってくる。もう大体内容は予測できる気がするが、一応本文を読んでみる事にしよう。
そう思って携帯を開く。
「テレテテッテレ~。鮎川樹の好感度が2000ポイントを越えました。鮎川樹の全エピソードが開放されます。鮎川ルート、開拓しますか?
→Yes
→No
→セーブする」
はい。改めて一言。
「もう何なんだこいつは……」
予想通りの奇抜な文面に頭を抱えつつ嘆息する。
かれこれ付き合いも3年になるが、いまだにこいつが何を考えてるのか全く理解できん。一体俺にどんな回答を求めてるんだ。
「鮎川ルート、ねえ」
鮎川はこれまで、ほとんど毎日の様に俺へのアプローチを続けてきた。それに対し俺は常に拒否の姿勢をとってきている。
それは別に鮎川の事がどうこうと言うわけではない。飽きもせず繰り返すアタックに辟易してこそ居るものの、鮎川そのものがダメだというわけではないのだ。
俺は単純に部活のあの雰囲気を壊したくない。月並みではあるが、それが俺が鮎川を拒否る理由だ。そりゃ、あの四人の間に挟まれてもみくちゃにされている感は否めないけど。軍オタ四人組の中での俺の人間関係は非常に楽しく、楽なものだ。
もちろん俺も一般的な思春期の男子高校生と同様に、女の子との交際に憧れがあるにはある。でも、俺と鮎川が付き合う未来を思うと―――俺の勝手な妄想の中で、軍事研メンバー同士の関係は確実に違ったものになると思う。
それに加え、オレには彼らをイマイチ知らなすぎる嫌いがある。なかなか一歩を踏み出せずにいる今の状況は、俺特有の性格によるものだが、些細ながら俺も進もうとしてはいるのだ。周辺のことをもう少し知った上で行動したいと思う俺は間違っているだろうか?
とにかく今は誰かと付き合える状態じゃない。
俺は携帯のキーを打ってメールの返信を書く。
「NOだ。今俺は誰かと付き合うつもりはない。面倒だしな」
送信ボタンを押し、携帯をリビングテーブルに置くとほぼ同時に、鮎川からの返信が帰ってきた。手を引っ込める間もなかった。
「うー……先輩手強い。さては過去に何かトラウマが!?」
こいつの思考のはねっ返り度合いは、本当に相変わらずだ。鮎川だけに。……しょーもない駄洒落はともかく、実際ここで俺のトラウマに話を振ってくるのは一般的とはいえないだろう。
「ねえよ。あえて言うならお前の過去の告白が教訓になってるんだ」
またもや送信間もなく返信が帰ってくる。アイツよっぽど暇なのか?
「僕の勇気を振り絞った一世一代の大勝負が教訓に、ですか?」
いや、一世一代の大勝負とかどの口が言うか。事のついでみたいに告ってきたくせして。
「お前にそんな勇気振り絞ってるような可愛げな様子は無かったがな」
「何言ってるんですか先輩。僕は十分可愛いです」
はいはい、かみ合ってないかみ合ってない。どうやら真剣に話を聞く気はなさそうだし、話は早々に切り上げてしまった方がいいかもしれない。時間が気になって時計を見ると、時間はそろそろ22時を回る頃合だ。
「自意識のお高いこって。そして可愛いのニュアンスが違う。もういい、俺はこの辺でもう寝る。お休み」
一方的にそう言い渡して携帯を閉じる。これ以上付き合ってても話は進まん。
とっとと風呂に入ってくることにしよう。
風呂から上がって改めて携帯を見ると、新着メールが二通届いていた。
開いてみると、片方は鮎川からの返信で、「お休みなさい。また明日部室で!」とあっさり終わらせている。
もう片方は十三里からの部員全員に向けた通知メールで、
「明日の軍事研の活動は基礎訓練の後、海戦研究を行います。各自材料を用意すること」
と書かれていた。
海戦研究。ぶっちゃけこれもシュミレーションゲームといって過言ではないのだが、それはまあ、いつものことだ。
十三里に了解と返信を送り、その日はそのまま床に就く。
結局その日、鈴木先輩からそれ以上の返信は無かった。
翌朝。
目覚ましが鳴るより早く、妹が俺の部屋に慌て気味にやって来た。
何やら動揺気味の妹に手を引かれるまま、眠い目を擦りつつリビングに下りていく。薄白い朝日が射すリビングでは、朝ごはんの支度が中途半端なまま、テレビが朝のニュースを流していた。
いわく、日本時間で昨晩遅く、中東の一国で反乱未遂があったとの事。
中東でクーデター。両親の手紙の消印も確か中東の一国だった。
眠気が飛ぶほど驚いたが、よくよく見るとクーデターのあった国と消印の示す国とはまったく別の国だ。ニュースによると特に近隣諸国への飛び火もなく沈静化されたらしいし、あまり心配はいらない気がしてきた。
恐らく妹はそこまで判断が回らず慌てたのだと思うが、十中八九大丈夫そうだ。
「ホントに? お母さんたち危なくないんだよね?」
「心配なら後で連絡してみるよ。えーっと、時差が5,6時間くらいだから、昼下がりくらいに掛けるからさ」
そこまで言うと、由理もやっと落ち着いた様で、ちょっとしゅんとした様子で「起こしちゃってごめんね」といって台所に戻っていった。
軍事研顧問に引き続き、主人公妹の登場ですね。それに加えて主人公を取り巻く家庭環境と、軍事研の創設者の輪郭を紹介しました。彼女の顔出しはもう暫く先になります/
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