第一章第二節 『Gunnery Sergeant(鬼軍曹)』
突然現れた乱入者のハイテンションな登場に、部の面々は各々異なる理由で沈黙していた。
「「…………」」
自然と目が合ったのは、俺と同様呆気に取られた表情のままのエレノアだ。しかし、半開きの口や見開かれた目蓋はともかく、手が反射的に腰の後ろーーDEをしまった辺りだーーに伸びてるのはどうなんだ……お前はニューヨーク市警辺りの先走っちゃうのが癖の刑事か何かなのか?
俺の向かいで、机に突っ伏して片腕で顔を隠したままプルプルと肩を震わせてるのは鮎川だ。伏せられた顔にどんな表情を浮かべているのかは見えないが、恐らく笑いを堪えているのだろう。
「プヒュイ」
プヒュイって……。しかも、抵抗空しく吹き出してるし。呼吸大丈夫か〜?
若干一名毛色が違うもののなんだかんだ動揺しまくっている三人と違って、残る二人は全くと言っていいほど動揺した様子はなかった。
「………」
その二人の内の一人――両手を机の下に入れたままという金浦独特の体勢で、テーブルに広げられた書類に淡々と目線を走らせるという見事なノーリアクションを見せているのは、能面少女こと金浦友愛である。たまにページを繰る乾いた音が妙に寂しい。彼女の場合、単純に我関せずとばかりに無視を通すつもりか、もしくはもともと興味や注意が向いていないのかもしれない。
残る一人似非なでしここと十三里美咲はどうかというと、一見して樹同様、笑いそうになるのを見られないようホワイトボードの方に顔を逸らしているだけに見える。しかし、すぐ隣に座る俺には伏せた長い睫毛の向こう側に、バカを見るような冷めた光が宿っているのが見えた。全くこの子は……。
そんな風に十三里さんを見ていたら、ふと十三里さんと目があった。もう俺は猫をかぶらない十三里さんを知っているし、相手もそれは重々承知なので特にまずい物を見られたという反応をすることはない。それでも、それはそれとして見られて気持ちのいいものではなかったらしく、十三里さんはひとつ照れ隠しのように小さく咳払いをすると、意味もなく制服のスカートを払ってたたずまいを直し、自分の席に腰を下ろした。
十三里さんは普段どおりの外向けの笑顔を作ると、
「增原先生、いい年してあまりはしゃがないで頂けますか」
たった今「警察だっ!」とばかりのハイテンションで部室に突入してきた白衣姿の女性に、穏やかな笑顔で心ない一言を浴びせかけた。その言葉を受けた女性の方は、うっ……!と息が詰まったように方を跳ねさせる。
「と、十三里。いい年という表現はあまりにも……その、なんだ。あからさま過ぎないか? ……もう少し言葉を選んでだな。それに何より、私は一応、まだ30代だぞ?」
無理くり作った様な強張った笑みを浮かべ、眉の端をひくつかせてそう返した白衣の女性教師は、我らが軍事研の顧問 增原恵化学科教員(独身)である。そのフラットな性格から、主に女子生徒から人気のある人物である。軍事研顧問でもあり、ほかに女子陸上部副顧問・水泳部顧問も兼任している。しかも、両部の友人を通して聞く所によると自身も学生時代に賞持ちのアスリートであったらしく、それら部活関連の人脈からの人望も厚い。
そんな增原先生だが、某情報筋による極秘情報によると、今年で38歳になるらしい。本人は人前では気にしていないと言っているが、家族からも結婚の予定について聞かれるなど、本人もとても気にしているらしい。
……え? 女性のことをあれこれ詮索するなって? 言っておくが、某筋に否応なく聞かされたことであって、詮索はもとより話題にする気も別にない。
「一応を付けなければならない様な事を言い訳に使わないでください。それに世間では俗に38歳のことを、30代ではなく40代前後――即ちAround Fortyと言います――が、まあそれはいいとして」
そういえば、十三里さんは友人九号から聞きだしてたな。何というか、太陽のごとき明るい顔で。そして、友人九号はだらだら汗を流してた……一体何を吹き込んだのやら。
というか、そうやって仕入れたネタを、衆人環視の下で本人を目の前にこれ見よがしに暴露するなんて、鬼か。さすが抗弾ヴァイザーと呼ばれるだけある、拳銃弾を防ぐ強化プラスチックは鉄面皮以上に軽くて硬い――なんて、内心で冗談を吐いたときだった。增原先生の目が鋭く煌き、その手が残像を引きそうなほどの速さで動いた。
「無礼なことを言い出すのはこの口か~?」
「ひゃっ……!?」
增原先生の両手が、「いい大人という意味では――」と何かを続けかけた十三里さんの澄ました顔に伸び、その両頬を摘んで引っ張った。先生の口調が冗談ぽいのとは裏腹に、その引っ張る力がはたから見てちょっと強そうに見えるのは、もしかしたらちょっと先生の地雷を踏んでいたからなのかもしれない。
さらに十三里さんにとって悪いことに、我が部の顧問 增原恵はアグレッシブな性格の脊椎反射系女史である。こうなる事は必然っちゃ必然だった訳だ。
「や、やめっ……!? 指導に体罰は禁止……!」
「やかましわ~」
何とかその手を引き剥がそうとちょっと必死そうに抵抗する十三里さんはちょっと珍しく、レアな眼福ものだったりする。「うりうり~」とか言いながらその頬をこねくり回し、ストレス解消している增原先生にちょっとグッジョブと言いたい。
「……で、何のご用ですか、先生?」
寸刻の後、十三里さんはほの赤く染まった頬をさすりながら、普段なかなかお目にかかれない、微妙にむすっとした表情でそう尋ねた。その眦はじんわりと涙で濡れている。
「ああそうだ、忘れてた。川崎が来てないかと思ってな………当てが外れたが」
增原先生はちょっと艶の増した笑顔でそう言うと、手近なパイプ椅子を広げて机の前に座る。
川崎というのは俺や十三里,エレノアと同じクラスの男子生徒だ。下の名前は………シゲフミだったか、シゲノリだったか、正直覚えてない。入学式の日に話してから交友関係にある友人で、俺つながりで金浦や鮎川を含む軍事研全員と親交がある。
「川崎………は今日は来てませんね。部活の方にはいないんですか?」
「居なかった。業後に職員室に呼び出しておいたんだが、どうやらばっくれられたみたいでな」
增原先生はこめかみを押さえてもみ始めた。イラついていることがよくわかる。もしかするとだいぶ捜し歩いたのだろうか? 川崎の奴―――見つかったときが最期だ。
「これは部活審査に提出する資料か?」
增原先生が机の上に広げられた書類に気がついた。それらの内の一冊をおもむろに手にとってぱらぱらと流し読む。
ここでちょっと補足しておくと、矢狭間高等学校に軍事研という名前の部活は存在しない。流石にそのあられもない名前は、平和憲法を持ち軍事全般に対する風当たりの厳しい日本国では、高校生の部活動内容として不適切の烙印を押されかねなかったからだ。しかるに、軍事研メンバーが所属する部活動組織は、ここにいないただ一人の三年生の先輩及び目の前に座るこの增原先生の二名が、趣味と信条の両方に対する誠意で作り上げた、軍事研の隠れ蓑たる書類上の部活で名を『現代機械工学同好会』という。
ちなみに、軍事研に日常的に出入りできているにもかかわらず、その実態に気づけていない稀有な例が川崎何某君である。
「ふむ………なるほど」
とにもかくにも、机上の提出用資料―――参加したコンテストの報告書類は、全て偽造文書(十三里美咲作)であり、その事を先生は知っている。それらを一通り手にとってパラパラとめくり、中身を確認すると增原先生は満足げな息をついて頷いた。
「これはまた………編集は十三里の仕事か?」
先生はそこで言葉を切り、十三里さんの方を窺った。十三里さんは特に何を感じる素振りも見せず、さも当然のように「ハイ」とだけ答えた。
「いつもながら感心させられるな。この出来なら、十分部活監査も通るだろう。よいよい、ちゃんとやっているみたいだな」
增原先生は上機嫌気味に笑みを浮かべると、資料を机の上に戻した。
「ほんじゃまあ、当初の目的は諦めて、私は職員室に帰るよ」
それだけ言い残し、增原先生は出口に向かった。エレノアといい增原先生といい、やくざか犯罪者みたいな言葉遣いしかできんのか。
「お前たちはこの調子で頼むぞ」
そのまま来た時とは違い、至って普通に出て行った。
「ふう……緊張した~~」
「そうだな」
エレノアがそう言って椅子の背に体重を預け、俺もそれに同意する。鮎川と金浦は相変わらずとして、十三里は抓られた頬をさすりつつ眉をしかめていた。
「よっしゃ。さっきのミッションをもう一回やろうぜ」
そう言ってエレノアが、四人分のゲームを入れた自分のナップサックを膝の上に引き寄せた時だった。
「そうだ汐崎。もし川崎を見かけたら―――」
「わっ………!?」
突然、戻ってきた增原先生が扉を開けたのだ。あまりの事に、声をあげてしまったエレノアだけでなく、俺や十三里も息を飲んだ。その空気を見逃す增原先生ではない。
ゆらり、と白衣のすそを翻して振り返った增原先生は、怪しく光る目をエレノアに向けると、口角を吊り上げてエレノアの両肩を掴んだ。
「時にレーマン。最近どうだ? 元気でやってるか? ん?」
增原恵、尋問モード。
童話の中で旅人は嵐の吹きつける風より、暖かな太陽の陽光にコートを脱いだと言う。この增原女史はその両方を多用する。
「まあ、ぼちぼち……」
まっすぐ見つめてくる先生の目線に気まずそうに頬を掻き、エレノアは明後日の方向に目をそらした。
ヤバい。
エレノアは精神的圧力に弱い。エレノアの思い切りの良さは、その単純で見切り発車のブレーキが緩いという性格に裏打ちされている所がある。その即断即応型の性格は緊急時の行動の機敏さと言う長所を見せる反面、こういうじわじわと追い詰めてられていくような状況下ではむしろ相手の仕掛けた罠に自分から飛び込んでいきかねないという欠点がある。まあ要するに、テンパってボロを出すのは時間の問題だろうということだ。
「今何か隠さなかったか? レーマン」
優しさとは程遠い苛烈な笑みを浮かべて、増原先生はさらに迫る。エレノアはそれに呼応して顔を背けようと首をねじる。
「や……そんなことないよ?」
「いや、やっぱり何か隠してるだろう。私は鼻が利くんだ。何か悩み事があるなら聞くぞ?」
先生、文脈わざと無視してないですか?
「間に合ってマス」
「エンリョスルコトハナイゾ」
なんだか二人共棒読みがひどくなってきてる。エレノアなんか慣れない敬語なんか使っちゃって、目線どころか顔すら背けつつあるし。
「じゃあ、やましい所があると言わないか?」
先生、にっこりスマイルで日本語が間違ってます。わざとですね、ハイ。
「ある訳ないジャン、先生に隠し事なんて……」
力なく笑うエレノア。エレノアには珍しく眉が下がっている。先生による本日のキャラ崩壊第二の被害者だ。
エレノアはさりげなさを装って椅子の背にかけてあったナップザックを背中の後ろに隠す。しかし、その手際はあまりに荒く、実質の自供と言って差し支えないくらい分かりやすいものだった。
「レーマン。とりあえずそのカバンの中身を机上に出しな?」
はい、アウトー。
間も無くエレノアのカバンは裏返され、中から出てきた携帯ゲーム機五台が白日の下に晒された。
「一応我が校には『学校に不要物を持ち込まないこと』という校則がある。あるにはあるが、私含め多くの先生方はそれは古い慣習だと思ってる。この高校は比較的校風は自由だからな?」
五台のゲーム機を前に、先生は少しも崩れない笑顔で部員各位にそう言った。超怖い。
「しかし――私が部の設立に協力したのも、お前たちにこの部室が与えられてるのも、お前たちに学校でゲームをさせるためではない。わかるな?」
先生は五つのゲーム機をすべて抱えると、踵を返した。しかし、入り口の前に立った所で立ち止まり、半身だけ振り返る。
「高価なものだし、一時的な没収に留めておいてやるよ。二、三日たったら職員室呼び出すから、反省文を各自書いて来い。それと交換で返してやる。………それと汐崎」
「は、はいっ!?」
突然名指しになったことに、動揺しつつ返事をする。
「川崎見かけたら伝えといてくれ。次ばっくれたら………締めるぞってな」
そういい残して、先生は堂々立ち去って行った。
ちなみに、先生の言う通り、ゲームは後日ちゃんと帰ってきた――ただし、五台全部、称号まで全部クリアされた状態だったが。
軍事研顧問にご登場願いました。
ここからもう少し、登場人物を紹介する形で日常を描かせていただきます/
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