15
依頼を終え、街に戻ったときには朝になっていた。
ギルドの店に入るなり、カウンタのなかにいる女性がこちらを向く。
「生きて帰ってこれたね」
「恥ずかしくないくらいには」
「目水晶、見せて」
僕は袋から目水晶を取り出す。
女性は手のひらの上で水晶を転がす。
「いい青色だね。光の具合からして狩ったのは10頭か」
「わかるんですか?」
「恥ずかしくない程度にはね」女性は僕の持ちネタをパクって平然としていた。「初仕事にしては……、うん、上々」
女性は目水晶を手放す。代わりに布袋を取り出す。袋に中に手を入れる。中身をテーブルにばらまく。
「銀貨3枚、これがあんたの報酬」
「これって、どれくらい価値があるんですか?」
「はぁ?」
「その……、こっちのお金の価値がまだわからなくて」僕は言葉を濁す。「できれば、教えてもらえるとうれしいです」
「銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚、簡単だろ?」
「簡単ではあるんですけど」銅貨1枚あたり、日本円でどれくらいなんだろう。肌感覚としてイメージしづらい。「まぁ、いいです。それよりも」
「アイドラのご飯だろう」
カウンタの向こうで、女性が鍋をかきまぜていることに気づく。
「ぬるめのシチューなら、歯がなくても口のなかが傷ついていても食べられるから」僕から目をそらす。「早く連れてきな」
「ありがとうございます」
「あんたはあんたの仕事をした、私は私の仕事をする」
僕は頭を下げる。店を出た。
詳しい時間はわからないけれど、だいたい午前中の街は行き交う人がそれなりに。
馬車をつれているのが多い。いや、馬ではない。馬くらいのサイズがあるトカゲが車を引いているのも混ざっている。僕からすれば、ワニに馬車を引かせているようなもので、なんだかカルチャーショックだ。
馬から積み荷を降ろされると、商人らしき人たちが話に夢中になる。この街の収益は交易によるものらしい。
横目に街を歩く。アイドラを探す。
ギルドの女性いわく、家を持たないアイドラは街をふらついている。
手がかりはない。それでも大きな街でもない。探せば見つかる。
僕は街を歩いて、歩いて、歩いて。
「おあん!」
馬に手を突き出しているアイドラがいた。
アイドラのそばには馬の持ち主らしき男性が困惑顔でいる。加えて見え隠れする軽蔑/直視をためらいたくなる、傷ついた顔/自分のそばには存在してほしくないという、汚らわしさに似た感情――きっと、僕も似たような顔だったに違いない。近づく。
「んあ?」
「こんにちは」
「んー」
アイドラは疑問顔から無表情に。金も食べ物もないやつと認識されているみたいだ。
お金と食べ物のみで人間を測る。明快な価値観だ。
僕は今のところ、彼女の価値観に則る。僕は言う。
「おあえ」
「おあえ?」
「手を出して」
僕が身振りで示すと、アイドラも同じくする。
小さな手のひらに、僕が手に入れた報酬のすべてを乗せる。銀貨がこすれる音。アイドラは僕と銀貨を交互に見る。彼女の理屈に合わない/理解ができない――そんな顔。
「遅くなったけど、ごめんね」
「おおぅ、おあえ」
「これで、とりあえずは対等になった」
「んんー?」
「次は僕の番だ」
アイドラがなにかを言う前に僕は彼女の顔を覆うように手で触れる。
商人の男性がぎょっとした顔になるが、無視。
細い息を吐いて、脱力してゆく。
ゲームに出てくる魔法の定番、火・水・風・土――それ以外には?
「治れ」
――回復魔法。
アイドラの肌が熱くなる。火傷したのではと思いたくなる熱量が生じる。
治れ、となにかに命じる。
どうして治そうとするのか。使命感も同情もなく、せいぜいが罪悪感が彼女に対する感情のほとんどである僕が。それでもやらずにはいられないのはどうしてか。よくわからない。わからないままに僕は魔法を駆使する。
「おお、おおおっ?」
不思議そうな声。逃げる気配はない。
「動かないで」
治れ、と命じる。
魔法の天才になれるとシロさんは言った。僕はそれを信じる。
天才なら、アイドラの傷を治すことだって簡単なのだから。
もし才能があったうえで不可能であるなら、魔法なんてクソだ。
僕は魔力のすべてを注ぐ。身体の力が抜け、足が体力の衰弱によって震え出す。耐える。
手に感じている熱が消えるまで、回復魔法をアイドラにかけて。
「あっ」
体力の限界/膝が折れ曲がる/尻もちをついてしまう――アイドラの顔を覆い隠していた手が離れる。そこには。
「い」
「い?」
「いたくない!」
傷ひとつない少女の、アイドラの笑顔を僕は見た。
顔の傷は消えた。歯が生えそろう。骨は整復された。だから言葉が言葉として聞こえる。
「いたくない! ねえ、いたくない!」
どうしてか、僕は、ここにいるのだという実感がわいた。
脱力感/達成感――気の抜けた笑いがもれてしまった。
「いたくない?」
「うん、それは、よかった……、っと」
僕は気力体力を削り取られた身体を無理矢理動かして、立ち上がる。
そんな僕をアイドラが指さす。
「アイドル!」
「僕が? 男なのに?」
いや、男性のアイドルユニットだってあるから、間違えではないのかな。
考えが顔に出てしまったのか、アイドラは不思議そうに首をかしげる。
「アイドル?」
「うーん、どうなんだろう」
「アイドラ?」
「それは君の名前じゃないの?」
「アイドラ!」
思い切りむくれてしまった。自分の名前なのに。よくわからない。
僕は頭をかく。5秒だけ考えて、それから棚上げすることにする。
「まぁいいや、それじゃゆこうか」
「ゆく? どこゆく?」
「おあん」
「むー! ごはん!」
からかったことは通じてしまった。相手を低く見ている自分に気づいたので反省。
「ごめんなさい」
「よきにはからえ!」
変な言葉を知っているなぁ、そんなことを考える。
けれど笑うアイドラを見ているうちにどうでもよくなる。じんわりとした暖かさが胸に生じる。
なにもかもが上手くいった気分。こんなとき、なんて表現すればいいのかを考えて、僕のやったことから連想する。
「まるで、魔法みたいだ」
「実際に魔法じゃねえの?」
馬の持ち主の男性からつっこまれてしまった。