14
頭上には見たことのない数の星がある。けれど僕のいる地上にその光はほとんど届かない。雲が多いためか、月は隠れていた。
街から数キロ離れた草原に僕はいた。
体育座りになった僕の顔を、たき火の明るさが赤く色づける。薪にする枯れ枝はなかったから、魔法で生み出した火だ。
音もなく揺らめく炎をじっと見つめる。他にやることがない。
やることがないと、頭だけしか動かすモノがなくなる。
異世界にやってきてからまだ一日。シロと出会い、草原を歩き、街で冒険者を名乗った。
そして。
「アイドラ」
顔の前で手を開く。この手で彼女を殴った。なんの手加減もしなかった。身体が勝手に動いたのに、思い切り力をこめた感覚は確かだったのだ。
それで、なんだろう。
混乱/ショック/呆然――最後には罪悪感としか呼べない感情に収斂する。
そう、罪悪感だ。僕は彼女が求めた対価を支払っていないことが引っかかっている。それが操られた、意図しないものであっても。
同時に、僕の抱いている罪悪感は一ヶ月もすればほとんど忘れて、なかったも同然に風化してしまうだろうとも確信している。逃げればいい、アイドラは追いかけてこないだろう。ただ、僕の倫理だけが問題となる。
「だから、なんとかしなくっちゃ」
僕の周囲を囲む草が、いくつもの足に踏まれて折れ曲がる。
うなり声/複数の影/人間のモノではない体臭――十頭を超える野犬の群れ。
ギルドの女性にもらった革袋が赤く発光する。
目水晶――依頼目標に接触すると赤く光り、依頼を達成すると青く光を放つ、判定装置。
どういう原理なのかは想像もつかないけれど、とても便利だ。なにしろ。
「討伐の証拠に、死体を持って帰る必要がない」
立ち上がる。野犬の一頭が飛びかかってきた。
僕は手のひらを向ける。
濁流めいた勢いの魔法の火柱が飛び出す/野犬を飲みこむ/野犬の身体は骨も残らず消滅した。
野犬たちがうなるのをやめ、息を詰める。
仲間がやられたことが恐怖を生んだではなく、戦意を刺激した。
前後左右から距離を詰めてくる。
少しだけ息を吸う。夜の空気に混ざった戦意の匂い。刺激される/落ち着かされる。
「来てよ」
僕のつぶやきに反応/野犬たちが一斉に飛びかかってくる。
記憶/初めての戦い/左肩に噛みつかれた/肉を引き裂かれた――そのときの数倍以上の牙が僕に向かって殺到している。
「ごめんなさい」
そのタイミングで魔力を解放する。
魔法/地面の土が変形/巨大な杭と化した土のかたまりが地面飛び出す/土くれがばらまかれる――犬の身体の真下から。
串刺し。甲高い悲鳴が同時に。死の痙攣がマスゲームかなにかみたいにぴったりそっくりに襲い、野犬はすぐに動かなくなる。
唯一の例外は、土の杭の刺さりどころがズレたためか、痛がるだけの犬が一頭いた。
僕はその犬を田舎で飼っていた豆柴のときと同じようになでる――頭に手を置く。
シロが与えたもの――力。
手のひらから直径5センチほどの骨の杭が飛びだす。犬の頭部を真上から貫く。
また死の痙攣。僕は野犬の頭に手を置いたまま杭を引っこめる。指先あたりからまた杭を呼び出し、犬の頭部を貫く。
噛み合わさった牙の隙間から血の泡がこぼれる。力を失いつつある犬の目が僕をとらえる。手でその目をふさぐ――杭を突き立てる。びくりと動物の身体がはねる。動きが、命の働きが止まる。
足下にあった目水晶が、赤い光から青い瞬きへ変わる。
「はぁ、っ……」
息を吐く。身体から力が抜ける。膝をついてしまう。
どうやら魔法は体力を消耗するらしい。この異世界では、体力とMPは別枠てではなかったのか。使い放題だと思ったのに、ちょっと残念だ。
僕は自分で自分の心を確かめる。
静かだった。
命を奪っただとか、どんな生物にもある生きる権利だとか、そんなことじゃ僕の思考は揺らがない。
そんなものよりも、僕をこうした罪悪感のほうが意識される。
アイドラによって刻まれた罪悪感によって、命を奪う罪悪感が上書きされている、そう確信した。
息を吸う。
夜の匂いと、血のにおいがする。
僕は、静かだった。