13
小さな身体が吹っ飛ぶ。壁にぶつかって崩れ落ちた。
拳を突き出したまま、僕は固まる。
「なにこれ」
今、僕はなにをしている。したのか。
わからないうちに殴った。なんの理由もないのに。名前も知らない女の子を。
知覚した/認識した/承認した――わけがわからないことがわかった。
「あうう」
ぴくり、とアイドラの身体が動く。
跳ね起きた。こっちやってくる。裂けた傷口から血が飛び散る。
「おあん!」
僕に手のひらをそろえて突き出す。
「え、なに?」
「おあん!」
おあん。どういう意味だ?
これが正しい発音なわけじゃない。歯がないから、あごの骨がおかしくなっているから、正しく聞きとれない。
おあん、聞き取った文字を転置する。基本的な暗号の形式。文字をずらす。
「もしかして、ご飯って言ってる?」
「うん!」
少女は大きくうなずいた。
僕はアイドラの顔を打った手を見つめる。手のひらは空っぽ、なにもない。
「ごめん、僕はご飯を持ってないんだ」
「おあえ!」
今度はすぐに連想できる。
「お金もないんだ。その、僕はここに来たばかりで……」
僕は自分で自分を殴りたくなる。どうしようもない言い訳にしか聞こえない。
「うー」
すうっと、少女の目から僕への関心が消えてゆく。
なにもしてない、なにも悪くない、自分にそう言い聞かせる。殴られそうになったから手で顔をかばう、それくらいに反射的な思考。そうしなければなにか、どこか、耐えられなくなりそうだった。
なにか言わなくちゃ。頭は真っ白だけど、それでも、なにか、そう、この場の僕が落ち着くことのできる、状況を飲みこめるようになるなにか。
「あう」
アイドラは背を向る。何事もなかったかのようにギルドを出ていった。
僕の目が動く。床には血が点々となっている。
これは僕がやった。理由だとか原因だとかをすっ飛ばして、とにかく僕がやったことなんだ。
それで、だとしたら、僕は、なにをどうしたらいい?
「気にしないで」
カウンタの向こうで、ギルドの女性がコップを磨いている。
あまりに普通で、今までの出来事が実は夢かなにかだった、そんな風に錯覚したくなる。
僕と違って、彼女にとってアイドラは非日常のことではないのだとわかる仕草。
「アイドラはいつもあんな感じなの」
「あんな感じって……」
「自分を殴らせて、その引き替えに食べ物とかをせがんで生きてる」女性は照明にグラスをかざして、曇りがないかを確かめている。「あんたが殴りたくて殴ったことじゃないのは、ここにいるみんなもわかってるよ」
「同じ経験が、あるんですか」
「ああ、この街にいるやつの多くは、身体が勝手に動いてアイドラを殴ってたってやつばかり」
「あれは、魔法ですか?」
「魔法が使えるのなら、もっとマシな生き方ができるだろうね」わからない、ということか。「気味が悪いからって街から追い出そうとするやつもいるけど、どこに住んでるのかすらわからないんだ。実は妖精だったりして」
最後の一言は、その場の空気を軽くしようとするためのものだろう。
けれど、笑えない。それどころじゃない。
事情はわかった。
それで、だとしたら、僕は、なにをどうしたらいい?
「仕事をください」
「えっ?」
「それも、すぐお金になるやつがいいです」僕は言う。「それで、すぐ戻ってくるので、報酬の一部を食べ物でください」
「あんた」
「どんな仕事がありますか?」
「野犬の群れの討伐があるけど……」女性が信じられないものを見る目で僕を見る。「アイドラに同情したの?」
「僕はまだ引き替えになるものを渡してません」同情という単語を聞かなかったことにする。僕は言う。「だから仕事をください」
女性は店内に目をやる。飲み食いしていた客が目をそらすか、理解できないと言いたげに首を振るかのどちらかをやる。
女性は真剣な顔になって僕に言う。
「そんな生き方をしていたら死ぬよ?」
「死にません」
つい某大尉を真似てみたけれど、女性には伝わらなかった。