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本はA4サイズ/厚みは絵本ぐらいの薄さ。
魔法に関する本といえば分厚いハードカバーを想像していたので、ちょっと意外だ。
本当にさわりだけしか扱っていないのかもしれない。読み進める。
文字が意味として頭に飛びこんでくる。これは翻訳された意味だ。直訳なのか意訳なのかはっきりしない。もしかしたら取りこぼしている意味があるかもしれない。ある程度は想像で補う必要があるかもしれない。そんな覚悟をする。
魔法とは――魔というエネルギーが従っている法則/自然界でいう力学。
人間における魔法の意味――エネルギーの制御方法の技術化。
魔法を扱えるかのテスト――目を閉じる/腹式呼吸を2度/逆腹式呼吸を3度/心拍数の上昇を体感/魔臓の賦活を体感(なんだこれ?)/ライターもしくは蝋燭の火を思い描く/手のひらに火がつく光景を思い描く/手のひらの表面温度が上昇し、点火される/以上のプロセスを実行する。
「なんか、ラジオ体操の順番みたいな」
はい深呼吸して~、そんなのを思い浮かべてしまう。
まぁいい、複雑な理屈を並べられるよりはありがたい。やってみよう。本の通りに目を閉じる。
「すぅ……」腹式呼吸(音楽の授業でやった記憶がある)。
「はぁ……」逆腹式呼吸――お腹をへこませながら息を吸い、お腹を膨らませながら息を吐く――を3度。
心臓に意識を向ける。全力で走ったときみたいに鼓動が速い。
魔臓の賦活/なんなのかわからない/とにかくみぞおちのあたりに氷を入れられたような鋭い冷たさがあるから、きっとこれのことだろう。
ライターの火を思い浮かべる。実物は見たことがないから想像だ。
手のひらに火がつくイメージ/シロさんの骨の剣が飛び出すプロセスを応用。
あとは手のひらに熱を感じて、点火――
目を閉じた網膜が赤く染まる。
目蓋を開く。
火柱が手のひらから飛び出す/天井まで届く/梁を焦がす/炎が一瞬で消える。
「おおぅ」
変な声が出てしまった。親方、魔法は本当にあったんだ。
ふと、気配。
振り向く。
しん、とした空気。室内にいた人間が僕を見ていた。半開きになった口がいくつも。かたん、という音。コップが倒れ、中身のワインがテーブルを濡らしてゆく。
「あんた、マジに魔法が使えたんだね」
カウンタの向こうで、女性が何度も瞬きしていた。
僕はなにをどうしたらいいか思いつかない。思い切り浮いてしまった。学校にいたら即座にイジメがスタートしそうな浮きっぷりだ。
「し、失礼しました」
僕は頭を下げ、本に目を落とす。電車のなかでケンカが起こったとき、関わりたくない人間がなにかに没頭するフリをする、あの手の行動そのものだった。
気まずさからの逃避/同時に自分が引き起こした魔法への強い関心。
ページをめくる。
技術化――テストで行ったプロセスから段階を省略してゆき、最後の点火プロセスのみを残すまで反復練習すること。
納得する。確かに毎回深呼吸するなんて面倒すぎる。
さっそくやってみる。目を閉じるプロセスを飛ばす、深呼吸のプロセスを抜かす、体内の変化を感じるのを省略――つまりはめんどいので点火のプロセス以外すべてをカット。
付け加えて、今度は火の大きさを意識する。
すると、右の手のひら全体から青色の炎が生まれる。ガスコンロでいうとろ火くらい。左手で髪の毛を一本引き抜いて、右手の火にくべてみる。一瞬で灰に。火を消すイメージ。即座に手のひらから火が消え、線状になった髪の毛の灰だけが残る。
「なるほど」
これが、魔法か。
僕は本のページをめくる。火、水、風、土の基礎的な魔法の実行プロセスが羅列されているくらいのものだった。
本の最後に補足――魔法の基本が4大元素のコントロールとされている理由/脳の容量が小さいために知的程度の低い、原始的な狩猟文化にとどまった生物でも容易に想像・実行できる現象であるため/えらく上から目線なコメント/なんだかもやもやする結びの言葉。
本を閉じる。カウンタにいる女性に返す。
「ありがとうございました」
「あ、うん……」女性はぎこちなく本を受け取る。「魔法使いなんて、帝都以外にゃいないもんだと思ってた」
「向いてるみたいです。それで、仕事なんですけど」
仕事を上手くやってのけられると自信をもった僕が言いかけたところで、入り口の扉が開く。
戸口に人影。
「おあん!」
空気が漏れたみたいな、聞き取りづらい少女の声。
振り返る。硬直する。
顔――かつてどんな顔だったのか/鼻が曲がってつぶれている/唇が無数に裂けて、血がにじんでいる/口のなかに歯が一本も残っていない/目蓋が腫れ上がって細まっているようにしか見えない/原形をとどめないまでの暴力の痕跡/それでいて少女は笑顔だとわかる。
少女は繰り返す。
「おあん!」
少女がやってくる。
誰かが『アイドラ』と口にする。
少女が僕の前に立つ。
「おあん!」
それで、僕は。
「え?」
身体が動く。動かす、ではなく。身体が勝手に、という初めての感覚。
ちょっと待って。止まれ。意思が身体に伝わらない。遮断されている。
身体が動く。腕が持ち上がり、ふりかぶり、拳を固め、身体をねじり、左足が前に踏みこみ、勢いに乗せ。
待って。
身体が動き、腕が突き出され。
ぐしゃ、という音が腕の骨に響いて。
「あ……」
僕はアイドラの顔を、全力で殴っていた。