* Detest Because Of Love
マスティたちが帰ったのは、午後九時を過ぎてからだった。私は祖母に今日二度目のメールを送り、帰りが十一時頃になるかもしれないと伝えた。
だけど正直、そんなに長くは留まりたくなかった。アゼルとふたりきりになった瞬間、また、怒りが蘇った。
「いつまでそうしてる気だよ」暗い部屋の中、ベッドの上でアゼルが言った。「三分以上経ってる気がすんだけど」
おそらく五分ほどだ。私はうしろ手で閉めたドアのノブを両手で握ったまま、うつむいて立ってる。
このままアゼルに触れると、今度は泣きそうだ。それなりに身構えてたものの、ショックは以前ほどなかったものの、この一件を諦めるには、どうでもいいと思うには、まだ時間が足りない。
私が反応しないことに痺れを切らしたのか、アゼルは脚にかけていたスーツを引き剥がすと、ベッドの上を大股で歩き、おりてこちらにきた。私の前に立つ。
「帰りたきゃ帰れ」
私はドアノブを強く握った。帰ったら、また行くんでしょ。
「──お前、なんで自分の矛盾に気づかねえの?」
──矛盾。
顔を上げ、彼と目を合わせた。
「意味がわからない」
「一生そうやってろ」
そう言うと両手で私の頬に触れ、キスをした。深く深いキス。
矛盾? なにが? 好きって言いながら、会いにこなかったくせに、会いたかったって言うこと?
これは矛盾なの?
思いつきを実行に移して、それで墓穴掘って、また同じようなことを繰り返した。
これは、矛盾なの?
じゃあ、私のことが好きでしょうがないくせに、他の女と寝るっていうのは、なに?
それこそ、矛盾じゃないの?
アゼルはキスを途中でやめ、唇を離した。
「──ヤる気がねえんなら帰れ。それかせめてこの部屋出ろ。俺も行くから。今は、ヤる気のないお前は、ここにはいらねえ。けどこの部屋にいたらヤッちまう。お前とは、さっきみたいなのはしたくねえんだよ」
──彼はやはり、なにを考えているのか、ぜんぜんわからない。
「そんなに私のこと、好きなの?」
私が訊くと、さらに顔を離して目を合わせた。
「言わねえって言ったはずだけど」
「それは矛盾じゃないの?」
「──俺はそういう人間だって、お前も知ってるはずだけど」
知っている。知っていても信じた。でもけっきょく、裏切った。
しかも、また裏切った。
「──嘘でいいから、二度としないって、誓って」絶対に、泣いたりしない。「じゃないと、応えられない」少なくともこいつの前では、絶対に泣かない。「それから、真実をひとつ、ちょうだい」支配なんか、されてやらない。「なんでもいい。誓いは信じないけど、その真実は信じる」
ベッドの上以外では、絶対に。
アゼルは私の首に残していた両手でまた頬に触れ、顔を近づけた。
「──二度としねえ」
そうつぶやくと、キスをした。私の知っている、私の好きな、深いキス。
それに応える私の両手は、ドアノブから離れた。
彼が、ゆっくりと唇を離す。
「──最初に会った時、キライなはずの赤毛を、すげえイイ色だと思った。顔見て、似合ってるとも思った。お前がふざけたことばっか言って、興味持った。ムカつきもしたけどな。初対面でもそのあとも、あんだけ態度悪かったのはほんと、お前だけだ。落としたくなって、ガラにもなく悩んで、やめようかと思ったけど、マスティとブルが中一だと思わないほうがいいって言うから、とりあえずキスした。けど態度が普通すぎて、またムカついた。どうやって落とそうかと思って、やっとふたりっきりになったから、またキスした。深いのしてやりたくなった。キライなのに」
──これが、真実。
視線を合わせないまま、目を閉じてゆっくりと息をつき、額を重ねて、アゼルは言葉を継いだ。
「別れたことはともかく、浮気もともかく、お前以外の女と、こんだけ続いたことはない。そもそも、誰のことだって好きじゃなかった。どいつもこいつも同じに見えてた。束縛されんのも、イチャつくのも好きじゃねえ。ただヤれればよかった。つきあうなんてのはただの口実で、口約束で、説明文でしかなかった。カラダ目当てでつきあったとしても、一ヶ月もすりゃ飽きる。けどお前には飽きねえ。うざい時もあるし、たまに本気で殺してやろうかと思うけど──ムカつきすぎて、さっさと捨てて忘れてやろうかとも思うけど、消えねえ。ひとりの女に──人間に、こんだけ執着したことはない。執着しすぎて、自分がイヤになる。ヒトの人生狂わせといて、なのにお前がそんなだから、またムカつく。お前は強さじゃねえって言うけど、やっぱ強いんだよ。しかもタチの悪いことに、お前は傷ついたりキレたりしてる時が、いちばんイイ女になる。お前がどこまで耐えるのかって、アホらしいってわかってても──たまにお前を怒らせたり、傷つけたりしたくなる。またムカつくだけだってわかってんのに、普段ほとんどのことに動じないからよけい──俺のやったことで怒るお前を、見たくなる」
──これも、真実。
だから、浮気するの? 私を傷つけて、怒らせるために?
「──すごく最低なこと言ってるって、自分でわかってんの?」
「真実なんだからしょうがねえだろ」
私を傷つけて、私の中の怒りや憎しみを増幅させて、なにがそんなに楽しいの?
イイ女でいることって、そんなに大切なの?
私は、そんなふうに傷つきながら、耐えていかなきゃならないの?
「──お前の、言うとおりだよ」アゼルは両手で私の頬を撫で、私の目をまっすぐ見つめた。「お前にベタ惚れだ」
心臓が、揺れた。身体中を、なにかが一瞬にして駆け抜けた。泣きそうになった。
なによりこれが、アゼルの持つ真実。いちばん大きな、アゼルの矛盾。
「──絶対に、許さない」私はゆっくりと、両手を上げた。「あんたなんか、大嫌い」両手で、彼の頬に触れた。「──そうなりたいのに、させてくれない」指先で、彼の髪に触れた。
「一生許さない」
愛してる。
「許してなんかやんない」
支配なんか、されてやらない。
「憎んで憎んで憎んで──」
愛してる。
「ずっと、憎んでやる」
愛してる。愛してる。愛してる。
「──だけど、愛してる」
言っちゃいけない言葉を、言った。
アゼルは、表情を変えなかった。まっすぐに私を見つめていた。
「──知ってる」
その言葉は、“信じてる”ではなく、“俺もだ”と言っているように聞こえた。
アゼルのキスは、赤だ。
赤くて赤い、真っ赤な赤。
アゼルの愛撫も、赤だ。
深くて、やさしくて、せつなくて、だけど力強くて、揺るがない赤。
だけどアゼルの愛は、黒っぽい赤だった。地獄に似た、黒っぽい赤。
深く濃く、燃えるように熱く、私の中へと広がり続け、私を満たし、溶かし、傷つけ、憎み、癒し、愛する。
最初の裏切りから、わかっていた。
どれだけ傷つけられようと、私は彼を愛している。
アゼルの言ったとおり、消えないのだ。
いつからか、知っていた。
私が両親に出来る復讐は、両親を恋しがらないことだった。
喧嘩をやめてと言わないこと。仲直りしてと言わないこと。また三人で笑いたいと言わないこと。
独りに慣れることが復讐だった。平気なフリをするのが、甘えないことが、涙を見せないことが復讐だった。
問題を起こしても意味はないと知っていたから、不良になることなど考えていなかった。
寂しくないと思わせることが、独りでも生きていけると思わせることが、あんたたちなんかいらないとわからせることが、私に出来る唯一の復讐だった。
意識していたわけではない。無意識のうちに実行していたのだ。そんな言葉を知らないうちから、その意味を知らないうちから、私は両親に復讐していた。九歳の時からずっと、ずっとそうやって生きてきた。
両親への怒りが、憎しみが募るたび、私の中にあった別のなにかが少しずつ崩れ落ち、消えていった。
私は、本来持っているはずの感情のうちの、たくさんのものを失った。
枯れて、廃れて、ボロボロになって、心の半分はきっと、石のようになってしまった。
度胸などではない。強さでもない。私にとって、いつもそばにあった幸せが壊れていくのを見続けること以上に、怖いものなどない。
どうにもならないと諦めながら、疑問と傷を抱えながら、後に復讐だとわかる意地を張りながら、三年間もそれに耐えながら生きていくことほど、苦しいことなどない。
今思えば、楽しんで笑うという部分が失くならなかったのは、奇跡に近いかもしれない。
なにより、愛を失わずに済んだのが、奇跡のような気がする。
だけど、気づいてしまった。
愛は、憎しみだ。
憎しみは、愛なのだ。
愛するからこそ憎む。愛があるから憎んでしまう。憎しみは愛に由縁する。憎むこということは、愛するということだ。
そして愛するということはときどき、傷を憎しみに変えてでも、それを持ち合わせながら、手放したくない一心で執着することにもなる。
赤くて赤い、真っ赤な愛は、赤くて赤い、真っ赤な憎しみと同等のものだ。
私は両親を愛していて、だからこそ、幸せを壊し、私をこんなふうにした両親を憎んだ。
私と“同じ”を持つ、どこの誰だかわからない誰かのことも、憎んだ。愛する義理はないけれど、流れる血には抗えないのかもしれない。
そして私はずっと、復讐と共に生きてきた。今も生きている。
私はアゼルを愛していて、だからこそ、私を傷つけ、憎しみを増幅させようとするアゼルを、憎むことにした。
愛しているから。
そして、復讐することを決めた。
私がアゼルに出来るいちばんの復讐は、目の前から消えること。
──じゃあ、二番目は?
ベッドの上以外じゃ、絶対に絶対に絶対に、支配なんか、されてやらない。




