* Graduation
「──これは、さすがに、まずいと思う」
ほとんど真っ暗な体育倉庫の中、灰色の重いドアをうしろ手で閉めながら、私はアゼルに言った。
ブル、マスティ、ニコラ、リーズと一緒に散々ビールを飲んで騒いでいた私とアゼルは、夜の十時半すぎ、つまみを買いに行くと言ってマブを出た。
そして私、アゼルに連れられるまま、なぜか学校に来た。彼がなぜか体育館裏にあるグラウンド体育倉庫の鍵を持っていて、学校に忍び込んだだけではなく、倉庫にも忍び込んだ。
天井の低いこの体育倉庫の正面奥には天井に近い位置に小さな窓がひとつあり、両側に高さのあるスチール棚があって、そこには所狭しとコンテナが並べられいる。床には跳び箱や体育用マット、バランスビームだのなんだのが置かれている。とにかく、土のニオイ。
忍び込んでいるわけなので、明かりをつけるわけにもいかず、暗い。頼りは、唯一の小さな窓から入ってくる、半分は木に隠れている外灯の灯かりだけだ。
アゼルは膝の高さあたりまで積み重ねられた体育用マットに腰をおろした。
「いいから鍵閉めろ」
酔っているのかと心の中でつっこみつつ、音をたてないようゆっくりと鍵を閉めた。こういう場所は、内側から鍵を閉められるようにしてはいけないと思う。
「だから、なんで鍵持ってんの?」
「いつかヤッてやろうと思って、盗んで合鍵作ってた。元の鍵はすぐ返したけどな。作ったのは去年の九月。よかったな、変わってなくて」
「そんな前から?」九月といえば、別れる前だ。「これ、犯罪。不法侵入。窃盗」
「公然わいせつも入るかもな」彼は笑って言った。「あいつらに言うなよ、隠し場所。見つけたら絶対貸せとか言ってくんだから」
ナイトテーブルの引き出しの底に、テープで貼りつけてあった。
「むしろ喋って破棄してもらいたいくらいです」
「いいから、こいって」アゼルが言う。「どうせあいつら今日、また帰れねえんだから。そりゃマブに帰ったらシャワー浴びて、またヤるけど」
「酔ってんの?」
「お前が酔ってねえのに俺が酔うか。なんだお前。今だにまずいまずい言ってるくせに、ビール三本飲んで微塵も酔わないってどんなだよ。どんだけ酒豪だよ」
酒豪。「かっこいいな、酒豪」ドアノブから手を離し、アゼルに近づく。表情がよく見えない。「あんたも酒豪じゃん。同じく三本飲んでる」
彼の前に立つと、顔が見えた。
「三本じゃ酔わねえし、俺はよっぽどじゃないと酔わねえ。酔うってことは、酒に支配されるってことだろ」
納得した。「──こんな、土のニオイにまみれてするの? 寝転んだら、服が汚れる」
「わがまますぎだろ」
アゼルは立ち上がった。右に置かれた跳び箱の前に私を立たせると、うしろから腰に手をまわして身体を引き寄せ、私の首筋にキスをした。
「──お前はすごいな。三年の女たちを、ひとりで片づけた。ジャクリーヌと普通にトモダチみたいにしてるし。写真は他の女たちも引き連れてくし。あいつら──締め出され組とも普通に話してるし。ゾランは特に、まえの俺ほどじゃねえけど、近寄りがたいって言われてんだぞ。顔怖いし、わりと問題児だし」
ゾラン。私に黒い長ランを貸してくれたヒト。
「あんたにびびってただけじゃないの?」
「いや、そんな感じじゃねえな。びびってたとしても、長ラン二回も貸したりしねえよ」
よくわからない。「妬いてんの?」
「妬くかボケ。どこに妬く要素があるんだ」
確かに要素はないが、ボケ?
「──妬くとしたら、お前にだ」彼が言う。「お前は、いろいろ持ちすぎてる」
「たとえば?」
「言わねえ。めんどくさい。それより時間がない。零時越えて日付が変わる前に、ヤるんだよ」
卒業式。
彼の腕の中で向きなおり、アゼルの首に手をまわして額を合わせた。目を閉じる。
「──卒業されたら、会えなくなるわけじゃないのに、寂しい。学校でいつも一緒にいたわけじゃないのに、なんか、寂しい」
わかりきっていたことなのに、寂しい。両親が離婚する時ですら、こんな気持ちにはならなかった。
「だから、一年くらいは遊ぶって。俺の場合、誕生日が二月だから、ちゃんとした仕事はできねえんだよ。知り合いの整備士がたまに使ってくれるけど、毎日じゃねえ。昼間はたいてい、マブでだらだらしてる。第二校舎で特になにもしてねえのを軽く後悔してるけど、他はいろいろあるだろ。第一校舎でキスしたし、四階でヤッた。第三校舎でお前があのアホ女共に啖呵切って、俺らもそこに行った。体育館で卒業式に乱入して写真も撮ったし、一階の外通路でゾランの長ラン借りて笑った。渡り廊下でクッキー食ったし、去年別れたあと、あそこと体育館前とに立って、お前は俺にまだ好きだっつった。正門前は花道と競りのあとにキスして、三年のアホ共とも話した。第二校舎はともかく、グラウンドもテニスコートもともかく、どこにだってそういうのがある。消えねえよ、お前の中でも俺の中でも」
言葉を聞きながら思い出し、笑った。──いっぱいだ。
「──別れてた時の、好きだって言ったの、わかったの?」
「わかった。っつーか、最初はまだ好きだっつってんのしかわかんなかったけど。あとから“ムカつくけどまだ好き”って言ってんだってわかった」
わかってくれると思った。「わかったのに、無視したわけね」ちょっとムカつく。
「あの時点ではまだ無理。俺はイラつき全開。お前の気持ちもわかんなかった。さっさと忘れてやろうと思ったのに、無理なんだよ。学校サボッても無理だった。マスティの部屋で寝ても無理だった。俺だけじゃなくて、あいつらにとってもそう。お前は存在がでかすぎる。ずっと、女遊びとウサ晴らしの喧嘩しかない、つまんねえ毎日だった。俺はプラス施設があるけど。お前が来ただけで変わった。俺が赤毛嫌いだって知ってるはずのあいつらが追い出せなかったのがわかった。最初、ニコラとリーズはマスティとブルに相談したんだと。めずらしいタイプの赤毛で、けどすげえおもしろい奴だって。俺らに会わせたいって。俺が怒るかもしれねえけど、お前なら平気な気がするって。──平気どころじゃなかった」
私は、彼の、なにかになれているのか。「ごめんね、なんか、人生めちゃくちゃにしたみたいで」
「ホントにな。マジでいい迷惑」
「でも、生活をめちゃくちゃにしてくれたのはそっちも同じよ」
「お前はたいして変わってねえよ。ちょっと道はずれたくらいじゃねえか。そりゃ俺どうこうで女とモメたりはあっただろうけど、それがなくたって、お前は同期の奴らと楽しんでんだから。そうじゃなくて、お前に会う前は、マスティとブル以外、ぜんぶ敵だったの。ニコラとリーズですら。けどお前が常にふざけた態度とりまくってくれるから、他の奴らなんかどうでもよくなった。敵がお前ひとりになった。おかげでこの一年で、同期の奴らとも普通に話すようになったわ。俺だけじゃなくてマスティもブルも、学校だけでもモテ度最高潮だわ。もっと早く来いよ。そしたらもっと女喰えたのに」
はいはい。額を離し、彼の頬に触れて目を合わせた。
「喰わなくていいから、満足させて。殺す勢いで、一生忘れられないくらい。四階や、クリスマスにした時と同じか、それ以上に。手抜かないで。あんたの中学卒業の締めなんだから」
アゼルは微笑んだ。「お前とヤるのに、手抜いたことなんかねえよ。手探り状態だけど、いつも全力」
知っている。「こういう時、私は全力で声出さないように我慢しなきゃいけないわけだけど」
「がんばって耐えろよ」
キスをした。深くて深いキス。
お互いに触れる指や唇はきっと、十三歳と十五歳とは思えないものだった。
倉庫だとわかっているのかいないのか、服が汚れるのもかまわず、私たちは夢中でお互いを感じた。
声を押し殺すほど、息はあがる一方で、耐えられなくて、何度かは声をあげた。
倉庫の中からは土のニオイが消え、私たちのニオイに変わった。
その小さく閉ざされた空間が、真っ赤すぎるほど真っ赤な赤に染まった。
──そうしてアゼルは、ウェスト・キャッスル中学を卒業した。




